夢七雑録

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豊島区内名所めぐり(8)北池袋から池袋へ

2022-12-09 17:54:24 | 散歩道あれこれ

「コース」

北池袋駅―20番・池袋本町公園―21番・池袋の森―池袋駅

千川駅から有楽町線で池袋に出て東武東上線に乗り換えて北池袋駅で下車。ここが今回のコースの起点となる。地下通路を通り西側の駅舎を出て西に行く。少し坂を下ると右側に池袋中のグラウンドが見えてくる。道の左側にある池袋本町小に沿って西に向かい、次の角を左に行くと20番・池袋本町公園に出る。

公園内を歩いていくと、北西の角に庚申塔があった。円頭角柱型庚申塔で寛文2年の造立。豊島区の登録有形文化財(歴史資料)になっている。

公園を出て西に向かうと道に突き当たる。この道は江戸時代からの道で、池袋村図で小石川道としている道である。突き当りを右に行ってすぐの角を左に入るのが、これから先のルートになるのだが、このルートの道も江戸時代からの道で、池袋村図では雑司ヶ谷道としている。これらの道は、伊能忠敬の江戸府内図にも記されており、雑司が谷道は雑司ヶ谷を経て高田馬場に至る道でもあった。昔の雑司ヶ谷道の道筋は現在の平和通りへと続く筈なのだが、国道254号で途切れているので、右側の歩道で首都高の下を潜る。ここを左に行けば平和通りに出られるのだが、今回は国道254号を起点とする劇場通りをたどり、池袋小学校前の交差点で左に入る。先に進むと平和通りに突き当るので、ここを右に行く。

平和通りを南に進むと、道がやや左に曲がって行く場所があり、その傍に21番・池袋の森の入口がある。「池袋の森」の標識もあるのだが、入口は少々分かりにくい。池袋の森は林学博士の島田錦蔵の居宅跡を公園としたもので、入園は無料。年末年始は休園である。

島田博士の居宅の森は、ほぼそのままの姿で現在に残されたようで、この公園は繁華街の中に突然現れる森のようになっている。ログハウスの傍には井戸水を汲み上げた池もあり、以前はトンボも居たらしい。樹木を眺めながら小休止したあと平和通りに戻り、先に行けば線路沿いの道になる。池袋駅は近い。

 

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豊島区内名所めぐり(7)東長崎から千川へ

2022-12-04 07:36:04 | 散歩道あれこれ

「コース」

東長崎駅―17番・千早フラワー公園―18番・熊谷守一美術館―19番・千川彫刻公園―千川駅。

椎名町駅の北口を出ると広場になっている。大正時代には、この辺りから北側に自動車工場があったそうだが、それらしい跡は見当たらない。広場から右に行き、雑誌「WIRED」で紹介されたカフェMIAMIAを過ぎ、保育園の先を左に折れて長崎十字会商店街を北に向かう。先に進むと左手前方に長崎幼稚園があり、ここを右に行くと学習院大学職員の住居跡地を公園にした長崎公園に出る。先に進んで、巣鴨信用金庫がある交差点を左に行くと右側に17番・千早フラワー公園がある。公園内に入って、地下鉄大江戸線のリニアモーター式試作車両を眺めてから公園を出る。

千早フラワー公園の北側にある、信号のある交差点を左に行き、その次の、信号のある交差点を右に入る。二つ目の四つ角を右に入ると直ぐ18番・熊谷守一美術館がある。美術館の壁面には熊谷守一が描いた庭の赤蟻の図が刻まれており、美術館前の通りの名も赤蟻通りになっている。

赤蟻通りを東に行き、二つ目の四つ角を左に折れて北に行くと粟島神社に出る。ここを右に行き要町通りを渡って左へ行くと、右斜め前方に行く道がある。この道を北に向かって進むと、19番・千川彫刻公園に出る。この公園から西に行き要町通りに出れば有楽町線千川駅の入口がある。

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豊島区内名所めぐり(6)椎名町から東長崎へ

2022-12-02 18:03:27 | 散歩道あれこれ

「コース」

椎名町駅―二又交番―トキワ荘跡地―14番・昭和レトロ館-15番・トキワ荘マンガミュージアム―16番・東長崎駅

椎名町駅の南口を出て西に、その先を左折して椎名町公園に行く。なお、池袋から椎名町へのコースで、椎名町駅に行かずに続けて歩く場合は、山手通りのガードを潜ったあと、直進すれば椎名町公園に出られる。この公園の西側の道を南に進み目白通りに出て右に行くと、目白通りから右に分かれる道があり、その交差点には二又交番がある。右に分かれる道は、江戸時代からの道で、明治時代には清戸道のルートでもあったが、今はトキワ荘通りとか南長崎通りとか呼ばれている。今回のコースはこの道をたどることになる。

この通りを先に行くと右側にトキワ荘お休み処があり、トキワ荘マンガステーションの先には子育地蔵尊の入口がある。次の角を右に入った先の右側には、以前、落合電話局があり公衆電話ボックスもあったので、トキワ荘の住人は路地を通って、この公衆電話を利用していたという。トキワ荘通りを先に行くと中華料理店松葉があるが、この店の通りを挟んで反対側の敷地にはトキワ荘跡地のモニュメントもある。先に進むと、通りの左側に14番・昭和レトロ館(豊島区立昭和歴史文化記念館)が開館していた。戦後に建てられたマーケット「味楽百貨店」の建造物を利用して、今年の11月3日にオープンしたという。1階は一般社団法人マンガナイトによる施設で火曜以外は有料だが、2階は昭和のくらしを展示しており無料になっている。

先に進むと左側に南長崎花咲公園(トキワ荘公園)がある。公園内には15番・トキワ荘マンガミュージアム(要予約)があるほか、「トキワ荘のヒーローたち」の記念碑がある。また西側の道路沿いには、周辺地域の昔の写真が展示されている。

公園を出て岩崎家住宅を過ぎ先に進むと長崎銀座の入口に出る。ここを北に向かうと東長崎駅に着く。東長崎駅は16番の名所になっているが、駅が名所とは思えないので、改札の前にある、手塚治虫のジャングル大帝に登場するレオとライヤのモニュメントがマンガの聖地としての名所になっているのだろう。

 

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豊島区内名所めぐり(5)池袋から椎名町

2022-11-30 17:54:30 | 散歩道あれこれ

「コース」

池袋駅-池袋西口公園―産業振興プラザ―上り屋敷公園―12番・目白庭園―13番・目白の森―椎名町駅

池袋駅西口に出て池袋西口公園沿いの道を西に行くと劇場通りに出る。ここを左折し東京芸術劇場に沿って南に進み、池袋警察署前交差点を渡った先で、としま産業振興プラザの7階にある豊島区立郷土資料館に立ち寄る。目的は開催中の区政90周年特別展「豊島大博覧会」を見るためで、期間は来年3月までという。入館料は無料。月曜は休館になる。 

産業振興プラザのすぐ先で、現在の劇場通りは終りになっているが、その先を南へと伸びていく細い道がある。この道を進み、次のT字路を右に行くと上り屋敷公園の角に出る。ここを左折して南に行くと目白庭園への案内表示があり、先に進んで西武池袋線の踏切を渡るとすぐ、12番・目白庭園がある。園内を見て回り小休止してから目白庭園を後にする。なお、目白庭園については当ブログの「寒のあとさき・目白庭園」(2016.2.19)でも取り上げている。

目白庭園を出て、庭園北側の道を塀に沿って西に向かい、突き当りを左に行く。なお、ここを右に行くと踏切に出るが、その右側は上り屋敷駅があった場所で、プラットホームらしき跡が残っている。さて、左に行けば目白通りに出るのだが、その直ぐ手前に右へ行く道がある。この道は目白駅から椎名町駅に通じる道で、今回のコースはこの道を利用している。この道を先に進むと下り坂となる。坂の下の右側にカフェがあるが、その先の十字路を左に行くと13番・目白の森に出る。目白の森には門が2カ所あるが、事務所に近い方の門を仮に表門と呼び、もう一つの門を裏門と呼んでおく。園内を散策してから裏門(写真)から外に出る。右に下ると目白駅から椎名町駅に通じる道に出るが、ここを左に行く。道なりに先に行くと五色湯があり、その先で山手通りに出る。ここを右に行き、頭上注意のガードは見送って、その先のガードをくぐると、右手に椎名町駅の入口がある。

 

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豊島区内名所めぐり(4)大塚から池袋へ

2022-11-26 07:49:13 | 散歩道あれこれ

「コース」

大塚駅―10番・鈴木信太郎記念館―雑司が谷霊園―11番・雑司ヶ谷旧宣教師館-大鳥神社―法明寺―池袋駅

大塚駅南口から南大塚通りを南に向かうと春日通りとの交差点に出る。地下鉄丸の内線・新大塚駅の入口を横目に横断歩道を2回渡り、それから、春日通りを左に行く。その先の角を右に下れば直ぐに道が分かれるが、右に行く方を選ぶ。道幅の割には通る人の多い道である。少し先の右側に、豊島区立の鈴木信太郎記念館の入口がある。この記念館はフランス文学の研究者であった鈴木信太郎の旧宅で、入館料は無料。月曜は休館日になっている。この旧宅は明治20年代の建物を移築した座敷棟と昭和21年建築の茶の間・ホール棟、1階部分を鉄筋コンクリートとした昭和3年の書斎棟からなっており、旧鈴木家住宅として豊島区の有形文化財(建造物)に指定されている。

鈴木信太郎記念館を出て右に行き、道なりに左へ曲がって行くと開運坂下の交差点に出る。記念館の場所は豊島区だが、開運坂下はすでに文京区で、ここから暫くは文京区内を歩く。交差点を渡って急な開運坂を上がり、突き当たりを左に、その先を右に行く。ここからは護国寺裏の静かな道を歩くことになるが、それも長くは続かず、間もなく喧騒の日出通りに出てしまう。首都高の下を潜ると再び豊島区内となり、雑司が谷霊園に沿って左に行き、次の角を右に入って霊園沿いの道を歩く。保育園の近くに旧宣教師館への案内板があり、ここを左に行き、その先の案内板により幼稚園の角を左に入ると雑司が谷旧宣教師館に出る。この建物はアメリカの宣教師マッケーレブが明治40年に居宅として建てたもので、数少ない明治期の宣教師館として貴重なので、旧マッケーレブ邸として東京都の有形文化財(建造物)に指定されている。

保育園まで戻り霊園沿いの道を先に行くと道は下り坂となり、雑司が谷七福神のうち毘沙門天を祀る清立院を過ぎる。その先、宝城寺の石垣沿いに進み、介護老人保健施設に出て左へ、次の角を右に折れると都電の踏切に出る。踏切を渡る道は弦巻通りで、大鳥神社を過ぎると東京音楽大学がある。その先、法明寺の境内に入って北に向かうと東通りで、ここを左に行くと南池袋一丁目の交差点となり、横断歩道を2回渡って右へ行けば池袋駅に出る。

なお、鈴木信太郎記念館と雑司ヶ谷旧宣教師館については、当ブログの記事「鈴木信太郎記念館と山崎家住宅」(2018.10.31)と「東京文化財ウイーク2021・豊島区その2」(2021.11.12)に細部の記載がある。

 

 

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豊島区内名所めぐり(3)西巣鴨から大塚へ

2022-11-22 18:51:32 | 散歩道あれこれ

「コース」

西巣鴨駅~7番・大都映画巣鴨撮影所跡~8番・明治女学院跡~9番・大塚駅北口駅前広場~大塚駅 

巣鴨駅から都営三田線で西巣鴨駅に、ここが今回の出発地となる。西巣鴨駅のA4出口から左へ、白山通りを南に向かって歩く。左側は旧朝日中の敷地跡で、歩道側の壁面には7番目の名所である大都映画巣鴨撮影所についての案内板が設けられている。この地に天然色活動写真の撮影所が設置されたのは大正8年(1919)のことで、後に大都映画撮影所となり、昭和17年(1942)に企業統合される(大映)まで、大衆娯楽映画を製作した。

白山通りを先に進み正法院を過ぎ、その先の横断歩道で白山通りを渡って右側の道に入る。先に進んで巣鴨北中の横を進むと庚申塚通りに出る。ここを左に行き、都電の踏切の手前の角を右に入る。菊かおり園を過ぎてその先の西巣鴨幼稚園に、8番目の名所である明治女学校之址の石碑がある。案内板によると、明治女学校は明治18年の設立で、明治30年には巣鴨に移転したという。この女学校は多くの人材を輩出したとされるが、財政状況が悪化したため明治41年に閉校したとしている。

西巣鴨幼稚園の西側の角を左に行くと道は下り坂となる。突き当りを左へ次の角を右に、西巣鴨小沿いの道を歩く。この道を先に進むと西巣鴨新田通りに出るので、ここを左に行き保育園のある角を右に行くと宮仲公園通りに出る。ここを左に行き空蝉橋下の交差点を過ぎ、さらに進んで大塚駅北口の交差点を右に行くと大塚駅の北口に出る。大塚駅北口駅前広場は再整備されて、イロノワヒロバという愛称まで付けられているが、イロ(色)は多様性を表し、ワ(輪)はつながりを表すということらしい。夜になると広場全体をカラフルに彩る光のファンタジーが見られるということだが、それまで待てないので、モニュメントの一つを写真に撮って大塚駅へ。本日はこれにて終りとする。

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豊島区内名所めぐり(2) 駒込から巣鴨へ

2022-11-17 18:49:27 | 散歩道あれこれ

「コース」

 駒込駅―5番・染井吉野桜記念公園―染井通り―私の庭みんなの庭―染井坂通り―6番・門と蔵のある広場―染井よしの桜の里公園―白山通り―巣鴨駅

前回の続きとして、5番と6番の名所を見て回る。池袋駅から山手線で駒込駅に、ここが今回の出発地となる。駒込駅の北側に、豊島区内名所の5番目にあたる染井吉野桜記念公園がある。桜の季節でないのが残念だが、公園内の「染井吉野桜発祥之里」の記念碑が、桜の記念公園であることを表している。ただ、少々汚れているのが残念な気もする。

本郷通りを渡って線路沿いの道を進み、染井橋に出て右へ染井通りを歩く。「私の庭みんなの庭」を過ぎ、大師道と彫られた道標を目印として右に折れ北に向かう。この道を染井坂通りと言い、少し先に6番・門と蔵のある広場がある。「染井王子巣鴨辺絵図」によると、江戸時代には染井通りの南側に藤堂家の下屋敷があり、北側には植木屋が多かったようで、この広場の門は、藤堂家下屋敷の裏門を植木屋の丹羽家が譲りうけたとされる。なお、この門は区指定有形文化財(建造物)になっている。蔵は昭和10年の建築で、旧丹羽家住宅蔵として国登録有形文化財(建造物)になっている。

門と蔵のある広場を出て右に、駒込小の横を通り次の角を左に行く。江戸の絵図にあった西福寺と染井稲荷は道の右側にある。先に進むと、染井よしの桜の里公園に出る。公園を横切って南に向かい、染井通りの駐在所を過ぎて先に進むとスポーツセンターの裏手に出る。ここを左に、さらに右に左に右へと行くと白山通りに出る。左へ行けば巣鴨駅だが、時間に余裕があるのであれば、白山通りを渡って右へ行き巣鴨地蔵通りを散策しても良い。

 

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豊島区内名所めぐり(1)池袋駅周辺4公園

2022-11-15 18:44:40 | 散歩道あれこれ

豊島区では区政施行90周年記念事業として高齢者のフレイル(虚弱)予防の事業を行っているが、その中の一つに「区内名所をめぐる つながるウォークラリー」というのがあった。65歳以上の豊島区の居住者を対象とし、24カ所の区内の名所のうち5カ所をまわってクイズの答を書いて提出すると記念品が貰えるということで、移動方法は徒歩でも自転車でもよく、公共交通機関も利用可能になっていた。期間は9月1日~10月31日で既に終了しているが、記念品はともかくとして、せっかく24カ所の名所を選定しているので、1番から順に名所めぐりをしてみた。

豊島区内名所のうち、1番から4番は次のようになっている。

1番:池袋西口公園。西池袋1-8-26。令和元年(2019)再整備開園。

2番:南池袋公園。南池袋2-21-1。平成28年(2016)再整備開園。

3番:イケ・サンパーク。東池袋4-42。令和2年(2020)開園。 

4番:中池袋公園。東池袋1-16-1。令和元年(2019)再整備開園。

この4カ所について、当ブログでは、「池袋駅周辺の4公園めぐり」(2020.10.10)として投稿しているが、今回は別のルートで4カ所の公園をめぐっている。

「今回のコース」

池袋駅―1番・池袋西口公園―ウイロード―2番・南池袋公園―グリーン大通り―3番・イケサンパーク―サンシャイン通り―4番・中池袋公園―池袋駅。 

池袋駅の西口を出て、近くの池袋西口公園に行き、GLOBAL RINGをしばらく眺める。それから公園を後にし、池袋駅北側の線路下の通路であるウイロードを通って明治通りに出る。ここまでは、「池袋駅周辺の4公園めぐり」と同じルートだが、ここから先は異なる。

明治通りを先に進み西武鉄道池袋駅東口を過ぎて、その先の交差点で明治通りを渡り右斜め前方の道を先に進むと南池袋公園に出る。芝生には休憩する人々、キッズテラスには遊んでいる子供達の姿が見える。

グリーン大通りに出て東へ、首都高の下を潜り、日出町第二公園の交差点で左に入る。左側にサンシャインシティ、右側に保健所がある交差点を右に行くとイケ・サンパークに出る。公園名は「としまみどりの防災公園」で、イケ・サンパークは愛称ということらしい。

イケ・サンパークから戻って保健所の先の交差点を渡り、バスターミナルの出口を横切って先に進むと、サンサインシティの入口がある。サンシャインシティ内を散策し、動く歩道を通ってエスカレータを上がり、サンシャイン60通りを左に、ユニクロの先の角を右に行けば、広場のような中池袋公園に出る。公園から西に、明治通りを渡れば池袋駅に出る。

 

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トーキョーウォーキング・豊島区(2)

2022-06-20 18:21:28 | 散歩道あれこれ

(3)巣鴨東コース 

ジョギングに向いたコースとウォーキングに向いたコースは必ずしも同じではなく、巣鴨東コースでも、コースの一部をジョギング用とウォーキング用で分けている。今回は、巣鴨駅を起点としてウォーキング用のコースの方を歩いてみた。なお、公衆浴場については場所を確認するにとどめた。

J Rの巣鴨駅を出て白山通りを渡り右に行くと、とげぬき地蔵入口の交差点に出る。その左側に真性寺の入口があった。以前は、交差点の手前を左に入った少し先に真性寺の入口があったのだが、道路整備に関連して入口を変えたらしい。江戸時代、主な街道6カ所に対し地蔵菩薩が安置され江戸六地蔵と呼ばれていたが、その一つ、中山道を守る銅製地蔵菩薩座像が真性寺に安置されていた。真性寺には来たことがあるが、その時は地蔵菩薩座像は修理中だったので、今回ようやく地蔵菩薩座像を拝観出来たことになる。

真性寺は江戸名所図会の挿絵にも取り上げられている。上の図はその部分図で、少々分かりにくいが地蔵菩薩座像は境内の左側に描かれており行列が出来ている。この図で、真性寺の門は“すかも通り(巣鴨通り)”と書かれた道、すなわち江戸時代の中山道に面していた。そして現在の真性寺の入口も、江戸時代の中山道(旧中山道)に面するようになった。

とげぬき地蔵入口の交差点から先、現代の中山道でもある白山通りから、旧中山道でもある巣鴨地蔵通りが左に分かれていく。この通りが、おばあさんの原宿と呼ばれるようになったのは昭和の終り頃らしいが、今でも主役は、おばあさんなのかも知れない。ただ、若い人の姿もかなり見られるようになっている。この通りを久しぶりに歩いてみて、道が広くなったような気がした。後で分かったことだが、この通りでは無電柱化整備事業が行われていたのである。今は一部の区間だけだが、この通りから全ての電線が消える日は近いのかも知れない。

とげぬき地蔵の高岩寺に行く。子供の頃、のどに魚の骨がささった時に、とげぬき地蔵尊の御影の紙を飲まされた記憶がある。高岩寺は明治時代に下谷から移ってきた寺だが、毎月4のつく日が縁日で賑わうこともあって、地元にとっては欠かせぬ存在になっているらしい。高岩寺を参拝したあと、外に出て商店街を歩く。先に進むと庚申塚の交差点に出た。

庚申塚の交差点は、中山道と王子道が交差する地点にあたる。江戸時代、ここには街道の途中の休憩施設に相当する立場(たてば)があった。江戸名所図会の挿絵からすると、この立場には葦簀張りの茶屋が並んでおり、庚申塚もあった。庚申塚は道教に由来する庚申信仰の供養塔で、村境など各所にあったが、ここの立場(たてば)にあった庚申塚は目立つ存在であったので地名にまでなったのかも知れない。現在、庚申塚そのものは交差点の角にある猿田彦大神の祠に収められているという。猿田彦は庚申塚の本尊に当たると言う考えからのようだ。

庚申塚の交差点を右に行く。この通りの名は栄和通りになっている。先に進むと、現代の中山道に相当する白山通りに出る。ここを渡って北に向かう道は、江戸時代の王子道に相当するが、今回は先には行かない。公衆浴場“やすらぎの湯ニュー椿”の建物を確認したあと、庚申塚の交差点に戻る。

庚申塚の交差点から南に行く。通りの名は折戸通りになっている。道はやや左に曲がって行くが、その手前に公衆浴場の巣鴨湯があった。折戸通りをさらに進むと信号のある交差点に出た。この交差点を右に行くと銀泉湯という公衆浴場に出る筈なのだが、すでに廃業しているようなので、行くのは止めて左へ、江戸橋通りを歩く。この通りは昔からあった道らしく、曲がりくねったところが多少あり僅かながらアップダウンもある。先に進むと、J Rの線路の上に架かる江戸橋に出た。ここを左に線路沿いの桜並木の道を歩くと、線路の上に架かる宮下橋に出た。

宮下橋を渡って宮下通りを少し先に行くと、左側に宮下湯があった。公衆浴場もこれにて終り、後は巣鴨駅に戻るだけである。今回歩いた距離は3kmほど。一寸したウォーキングということになるだろうか。このコースの見どころは、おばあちゃんの原宿だそうだが、そればかりではない。江戸時代の人が歩いた道をたどる道でもある。

上の図は享和元年(1801)の巣鴨村図の部分図で、図の上側が北東に当たる。この図で①とあるのが中山道、②は真性寺である。中山道の下側すなわち西側には民家が並んでいるが、上側(東側)は武家屋敷が続いている。当然の事ながら高岩寺は存在しない。③とあるのは御薬園で、この辺りからは中山道の両側に民家が並ぶようになり、道に沿って並木が続いていた事が分かる。④は庚申塚で⑤は王子道に相当する。⑥は大塚道で、現在の折戸道に相当する。この道は⑧の藤橋で谷端川を渡り、大塚上町に通じている。問題は庚申塚に近い十字路から中山道に平行して進む⑦の道で、真性寺の裏手を通り、その先で別の道と合流する道として描かれている。この道は現在の江戸橋通りのルートと類似しており、かつ、江戸橋通りは明治時代の地図にある道とも合致することから、江戸橋通りは江戸時代の道とほぼ同じルートと考えても良さそうである。そうだとすると、巣鴨東コースは江戸時代からの道を歩くコースということになる。江戸時代の人は何を考えて、この道を通っていたのだろう。

 

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トーキョーウォーキング・豊島区(1)

2022-05-31 18:17:33 | 散歩道あれこれ

東京都は2016年に、東京の魅力を再発見しながら楽しんでウォーキングをするための特設サイト「TOKYO WALKING  MAP」を開設し、都内の区市町村が作成したウォーキングマップ等を公開するという発表をした。豊島区もこれに応じ、公衆浴場を巡るというユニークなコースを公開した。ウォーキングの後、途中の公衆浴場に入って汗を流し着替えて帰るということで、ウォーキングをする人と公衆浴場の両方にメリットがあるというわけだろう。ただ、当時、区内にあった23カ所の公衆浴場の中には既に廃業している浴場もあるので見直しが必要かも知れない。そこで先ず、公開されているコースを歩いてみることにした。なお、豊島区のコースはジョギングとウォーキングの両方を兼ねたものになっているが、今回は散歩を含むウォーキングのコースとして歩いている。

(1)千早長崎コース

 椎名町駅の北口から出発。すずらん通りを抜けサミットの前を右にサンロードを北に向かう。区民ひろばを過ぎ千早フラワー公園を右に見て、その先2番目の四つ角を左に入ると、“健康ランド末広湯”の看板が見える。このコース最初の公衆浴場になるが、今回は入浴せずに場所の確認だけなので、四つ角まで戻って北に向かう。次の四つ角で赤蟻通りと交差する。ここを左に行くと、通りの名の由来でもある熊谷守一美術館に出るが、コースでは赤蟻通りを右に行き要町通りに出るようになっている。

要町通りを渡ってガソリンスタンドに沿って進み、その先の四つ角を右に、富士神社通りに出て左折、直ぐに右へ行く道をたどり、突き当りを左へ、次の角を右に行く。“山の湯”へはその先の路地を左に入るのだが、気付かずに先に進んでしまった結果、“山の湯”がどこにあるのか分からなくなった。辺りをあちこち探して、ようやく“山の湯”を見つける。“山の湯”は今年の5月に廃業となったが、煙突や表示も残っていたので何とかたどり着けた。それも無くなってしまっていたら、“山の湯”の跡地は見つけられなかっただろう。

山の湯跡から東に行き、突き当りを右に折れる。左側の塀に沿って下って行くと、藤香想という名のカフェへの入口があった。気にはなったが今回は先に進み、塀に沿って左に行くと、えびす通りに出た。ここを南に行き要町通りに出て左へ、要町一交差点に出て右に、山手通りを南に向かう。長崎一の交差点で山手通りを渡って、西池袋第二公園の東側の道を南に、次の四つ角を左に行くと“妙法湯”に出る。“妙法湯”は公衆浴場なので入浴料金は統制額が適用されるが、併設されている“エンジェルロック”は対象外で統制額は適用されないらしい。“妙法湯”から山手通りの下を潜れば、椎名町駅はすぐである。千早長崎コースは、これにて終り。距離にして3.3kmと言うが、途中に迷い道があったので、実際にはそれ以上の距離を歩いている。

“山の湯”をコースから外した場合、要町通りの南側だけのコースも考えられる。この場合、“末広湯”の前の道を東に向かって歩けば要町一の交差点近くに出られる。交差点の東側にある谷端川緑道を歩いて南に行き、“湯~ゆランドあずま”と“妙法湯”に寄ってから椎名町駅に出ても良い。要町通りの北側も含むコースとしては、富士神社通りを歩いて国指定重要民俗文化財の豊島長崎の富士塚を見に行き、えびす通りに出て長崎神社へ向かうコースも考えられ、東京の魅力の再発見という点からすれば、その方が良いかも知れない。

(2)椎名町駅周辺コース

椎名町駅北口から、すずらん通りの北側にある商店街を通り、サンロードを横切って、コンビニのある角を左に折れ、踏切を渡って椎名町公園に出る。本来のコースでは、その先の交差点を右に折れ、“広の湯”まで大和田通りを往復するようだが、今回は椎名町公園の角を右に行く。300mほど歩くと保育園がある。その先の細い道を左に入った先に“広の湯”があったが、既に廃業して別の建物になっている。

大和田通りに出て左へ。椎名町公園を過ぎて山手通りの下を潜る。山手通りからも煙突が目立つ“五色湯”はその先にある。その“五色湯”だが、現在は改装中のため休業しているらしい。“五色湯”の先を左に折れ踏切を渡って西池袋第二公園の東側の道を進み、西池袋通りに出る。

西池袋通りを渡って右に行く。立教大学の南側には戦前から道があったが、この道が西池袋通りとして整備されたのは平成23年のことである。羽黒神社を過ぎると、その先に谷端川緑道がある。左に入ると緑道の東側に、“湯~ゆランドあずま”という公衆浴場がある。

そのあと、西池袋通りを渡って谷端川緑道を南に進む。緑道は西武鉄道の線路で途切れるが、その手前の道を右に行くと“妙法湯”に出る。ここを過ぎて山手通りの下を潜ると、右側に金剛院があり、その近くに椎名町駅がある。

“広の湯”が廃業したあと、このコースを活かすとすれば、トキワ荘ゆかりの地巡りのコースにする事も考えられる。その方が、東京の魅力の再発見につながるかも知れない。

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