夢七雑録

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稲荷百社詣その十六

2008-01-14 14:28:47 | 稲荷百社詣

(42)幸稲荷 (中央区銀座1)

 幸という名がついているが、もとは武具の商人の屋敷稲荷であったらしい。銀座では珍しい土地付きの社で、狭い境内ぎりぎりに背を伸ばした銀杏が黄葉を散らしている。裏手の小料理店に敬意を表して一句ひねりたいところだが、とても無理なので省略。稲荷を横目で拝んでから、路地の三毛猫に会釈して通り過ぎる。

(注)現在、幸稲荷の敷地にはビルが建ち、敷地内の銀杏は伐採され、幸稲荷も路地を入った先に遷座している。稲荷裏手の小料理店も今は無い。

(43)朝日稲荷 (中央区銀座3)

 道路に面した場所に鳥居と拝殿が設けられ、ビルの屋上にある稲荷の社殿と拝殿はパイプで繋がっている。パイプを通して願い事が上まで届くというわけだ。ビル屋上の神社は神社に非ずという公式見解があるらしいが、もともと神社の埒外である稲荷社にとってはどうでも良いことなのだろう。人通りの邪魔にならぬよう、頭を下げただけで通過。

(44)宝童稲荷 (中央区銀座4)

 江戸城内紅葉山の子育祈願の稲荷を、弥左衛門なる者が願い出て、分祀した稲荷という。弥左衛門は城内の下働きの一つ、掃除之者であったらしい。現在は、ビル裏側に取り囲まれた日も当たらぬ路地に、ひっそりと鎮座している。通行人を装って、目礼して通過。

(45)あづま稲荷 (中央区銀座5)

 あづま通りから入る三原小路に小さな稲荷があった。この辺りは火事が頻々と発生していたのが、この稲荷を祀った後は、火事が無くなったと言う。社はミニ版だが、この銀座ではあまり無理を言えないのだろう。地面に置かれているだけで良しとしなければ。

(46)豊岩稲荷  (中央区銀座7)★

 入口に標柱が無ければ、こんな所に稲荷があるとは思わない。ビルとビルの間の人ひとり通れる位の隙間を入ると、ビルに嵌め込まれたような稲荷が出現する。黒岩稲荷と称し明智光秀家臣の子孫が主家の再興を願って建てたとも云う。今は西側が空き地のため光が差し込んでいるが、そのうちビルが建てば、再び昼なお暗き薄気味悪い場所に戻るに違いない。迷路のような道と異様な雰囲気は稲荷巡りの醍醐味ということにはなるが、夜になってからは行きたくない。閉じられた扉の向こうに何があるのか、稲荷社の上の階はどうなっているのか、少々気にはなったが、長居は無用で、そっと通り過ぎる。

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