夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

港七福神

2010-01-05 19:29:21 | 七福神めぐり

 この七福神は、戦前から行われていた七福神が元になっているが、対象となる社寺は現在とは異なっていたようである。ここでは、現在の港七福神を、江戸の絵図で巡拝する。宝珠院(弁財天)-熊野神社(恵比寿神)-十番稲荷(宝船)―大法寺(大黒天)-氷川神社(毘沙門天)-桜田神社(寿老人)-天祖神社(福禄寿)-久国神社(布袋尊)。

(1)宝珠院(港区芝公園4-8)

 五重塔(現在は無し)を仰ぎつつ、赤羽橋を渡って、毎朝肴市が開かれるという広場に出る。増上寺へは、その先の赤羽門(赤羽橋交差点付近)から中に入る。門の左手には、閻魔堂のある宝珠院があり、右側には白蓮池という池があって、弁財天は、池の中の島に祭られている(現在、池は小さくなったが、現存している。ただし、弁財天の方は、宝珠院に祀られている)。参拝のあと、赤羽門を出て、赤羽橋北側の広場に戻る。橋の南側は久留米藩の屋敷で、その西北には水天宮の白い幟が見えている(この水天宮は、明治になって日本橋蛎殻町に移され、日本橋七福神の一つとなる)。

(2)熊野神社(港区麻布台2-2)
 赤羽橋北側の広場から、土器坂(桜田通り)を上がる。坂の名は、土器職人が住んでいたことによるという。坂の途中、左手に熊野権現(熊野神社)がある。太田道灌との所縁から太田稲荷とも呼ばれていたという社である。

(3)十番稲荷神社(港区麻布十番1-4)

 熊野権現から土器坂を少し戻り、斜めに入る道をたどり中ノ橋に出る。橋の手前を西に、新堀川沿いの町並みを行き、飯倉新町を通って、麻布永坂町に出る。ここに稲荷(長竹稲荷)があり、その先の麻布坂下町にも稲荷(末広稲荷)がある(戦前に行われていた七福神には、長竹稲荷と末広稲荷の両方が入っていた。戦後、両方の稲荷社が合祀されて十番稲荷神社となるが、現在は十番稲荷神社から宝船を出す形で、港七福神に参加している)。

(4)大法寺(港区元麻布1-1)
 麻布坂下町から一本松坂(大黒坂)を上がっていく。ものを売る店があったり、茶店があったりする坂道である。この坂の途中、右側に大黒天を祀る大法寺がある。

(5)氷川神社(港区元麻布1-4)
 大法寺から坂を上がり、右から上がってくる闇坂と合流した先に、伝説の一本松がある。ここから道は左に曲がっていくが、その先の左側に、麻布の総鎮守である氷川神社がある。

(6)桜田神社(港区西麻布3-2)
 氷川神社を出て、本村上ノ町の四つ辻(仙台坂上交差点付近)を右に行き、次の四つ辻(愛育病院前交差点付近)を右に折れる。しばらく北に向かって歩くと桜田中町(西麻布3)に出る。ここの左側に霞山稲荷(桜田神社)がある。この稲荷は、もと、桜田霞が関にあったが、住民共々この地に移住し、稲荷は霞山を称し、町は桜田町になったという。

(7)天祖神社(港区六本木7-7)
 桜田中町から北に向かい、竜土材木町から竜土町(六本木7)に出る。ここに、竜土神明宮(天祖神社)がある。

(8)久国神社(港区六本木2-1)
 竜土神明宮から六本木町へ行く道(外苑東通り)を歩き、途中で左に入る道(現在の東京ミッドタウンの横の道)をたどり、次の角を右に折れ、その先を左に折れて、三河台の道(六本木4)を歩く。そのまま進むと氷川神社(赤坂6)の前に出る。さらに行くと南部坂に出る。右に折れて坂を下り、さらに右に行くと久国稲荷(久国神社)に出る。帰りは、氷川神社の横を通って赤坂に出る(現在は、六本木一丁目駅が最寄りの駅になるが、六本木駅もそう遠くない)。

コメント