
現在の千川上水の分水地点である境橋へは、武蔵境駅から15分ほどで行けるが、多少遠回りになっても、花小金井から歩く方がお勧めである。もう少し余裕があれば、小平から花小金井まで、花見をしながら歩いても良い。花小金井を起点にすると、駅を出てすぐ、桜の下に遊歩道が続いている。左側の広い方の道が多摩湖自転車道、右側の歩道が狭山・境緑道ということになるのだろうか。この道を東に向かって歩き、車道を二つ渡ると、また、桜の下の道となる。道は遥か先まで直線的に続いている。多摩湖から境浄水場まで敷設された水道管の、昔で言えば上水の、その上の道である。畑からまっしぐらに持ち込まれた野菜の直売所を過ぎると、間もなく、自転車道は下り道となり、歩道は左側に移って土手の道へと上がって行く。この先、展望の開ける場所は無いので、しばし休んで周囲を眺める。下を見ると、土手の下を直角に通り抜ける水路が見える。水流は確認できないが、石神井川の上流だという。

土手の道は、少し先で、また自転車道と一緒になり、緑道として続いている。迷う事なき一本道で、桜もあり、畑もあって、ウオーキングやジョギングには好適な道だが、今回の目的には合致せぬ故、土手から下りて小金井公園に入り、広い公園内の東側を散策して、桜を眺めたあと、スポーツセンター入口から外に出る。ここまでの自転車道・緑道や小金井公園は、明治時代には無かったものだが、五日市街道と玉川上水は、当時から存在していたものである。ただ、その様子はかなり様変わりしている筈である。長い歩道橋で、この二つを一まとめにして渡り、桜が点々として続く玉川上水の南側を、水の流れる向きに歩いていく。新橋を過ぎると、そのもう少し先に、曙橋という橋がある。明治時代に作られた二つの分水口は、この橋の上流にあったという。曙橋で上流方向を眺めてから、今度は玉川上水の左岸、北側を歩く。

この先、玉川上水に並行して流れていた筈の千川上水の水路は既に無く、今は五日市街道の上を車が流れているだけである。川沿いの道を歩き、くぬぎ橋、もみじ橋を経て境橋に出る。橋の下を覗いてみるが、明治の頃の面影など探しようもなく、まして、江戸時代の痕跡など見つかりそうにない。境橋の北側は広い交差点で、五日市街道の先、道路の中央に緑地が見えている。現在の千川上水は、境橋下流の玉川上水から分水しているが、分水地点は都の建設事務所敷地内にあり、五日市街道の下を通って緑地内の水路に流しているという。
明治16年頃に書かれた「千川上水路図」は、現・曙橋の上流にあった分水口が起点になっている。最上流にあるのが明治13年に作られた分水口で、ここから千川上水の水路は玉川上水と五日市街道の間を流れていた。この水路には橋が架けられていて、玉川上水の土手の側にも行けたようである。五日市街道をさらに進むと、明治4年に作られた分水口があり、この分水口からの水路が合流してくる。この水路にも橋が架かっていた。当初、これらの水路は胎内堀(地下トンネル式)であった筈だが、明治16年頃には、開渠のようになっていたらしい。千川上水沿いに五日市街道を進んでいくと人家があり、その先、左から別の水路が流れてくる。関前村に水を引く関野分水だという。元々の関野分水は、玉川上水の左岸を流れて、千川上水の上を懸け樋で越えていたが、明治16年頃には、千川上水の方が地下に潜って、関野分水と立体交差するように変えられていたようである。関野分水を渡ると、その先で、千川上水が地上に顔を出すことになる。その位置は、現在の境橋の近辺と思われるが、確かな場所は分からない。
小金井の桜は江戸時代から有名であったから、花見時には玉川上水沿いに歩く人も少なからず居たのだろう。ただ、明治16年と言えば、中央線はおろか甲武鉄道も開通していなかった時代である。泊まりがけの行楽客も居たに違いない。当時、五日市街道沿いに、人家が所々にあったとは言え、周辺には雑木林が点在する畑地が広がっていた。