今回は、国内の兵営における写真と、軍事郵便として使用された絵葉書を取り上げる。写真を撮影した年は昭和18年(1943年)頃である。
上から1番目の写真は軍事演習後の記念写真と思われる。これにくらべると、2番目の写真は、ずいぶんくつろいだ写真である。3番目の写真は、誰かが面白い事を言ったのだろう、一同、破顔一笑。笑い声が聞こえてきそうな写真である。4番目の写真は、メモ書きから、区隊長が出征したのを記念して、昭和18年10月13日に撮影したことが分かる。明日は自分たちが・・・、そんな時代になっていた。
二点の絵は、軍事郵便として使用された絵葉書の絵である。上の絵は「泥濘を征く」と題した玉井力三画伯の絵である。玉井は絵本や雑誌の挿絵画家であった。下の絵は「落下傘を造る少女」と題した堀文子女史の絵である。堀は日本画家で、この葉書が使用された数年前に女子美を卒業している。なお、この絵葉書は、戦地に赴く前に、国内で投函されている。
上から1番目の写真は軍事演習後の記念写真と思われる。これにくらべると、2番目の写真は、ずいぶんくつろいだ写真である。3番目の写真は、誰かが面白い事を言ったのだろう、一同、破顔一笑。笑い声が聞こえてきそうな写真である。4番目の写真は、メモ書きから、区隊長が出征したのを記念して、昭和18年10月13日に撮影したことが分かる。明日は自分たちが・・・、そんな時代になっていた。
二点の絵は、軍事郵便として使用された絵葉書の絵である。上の絵は「泥濘を征く」と題した玉井力三画伯の絵である。玉井は絵本や雑誌の挿絵画家であった。下の絵は「落下傘を造る少女」と題した堀文子女史の絵である。堀は日本画家で、この葉書が使用された数年前に女子美を卒業している。なお、この絵葉書は、戦地に赴く前に、国内で投函されている。