最初のmyカメラ、オリンパス・ペンを使い始めた頃はモノクロ写真の全盛時であったが、やがてカラーの時代がやってきた。下の写真は、ある現像所がさくらフィルムのカラー現像を開始した時に記念にもらったスライドである。
当時、カラープリントはまだ高かったので、普段、利用する気にはなれなかった。その代わりに、カラー・スライドを上映して楽しむことはしていた。それでも、カラーフィルムはまだ高価で気軽には使えなかった。そんなある日、かなり安いカラーフィルムを見つけた。店の人に聞くと、期限切れになってから時間が経つので感度はだいぶ低下している。撮ってみないと分からないと言う事だった。試しにこのフィルムを購入し、オリンパス・ペンで撮影してみた。その一枚が下の写真である。撮影したのは夜中ではなく、真昼間。露出をどうしたか、覚えていない。
オリンパス・ペンは全手動のカメラだったが、モノクロ写真の場合には、それでも何とかなっていた。しかし、露出の許容範囲が狭いカラーフィルムを使用するようになると、カンで露出を決めるわけにはいかなくなってくる。カラーフィルムは高価だったので、1カットも無駄にしたくはないという気持ちもあった。そこで、セレン光電池式の簡易な露出計を購入して露出を決めるようになった。時には、オリンパス・ペンの他に8ミリシネカメラを持参することもあったが、そんな時には、シネカメラの露出計を参考にして露出を決めたりしていた。
戸棚の中を整理していたら、オリンパス・ペンで撮ったカラースライドが何箱も出てきた。これらのスライドの全てを埋もれさせておくのも忍びないので、公開しても良さそうなものを選んで、投稿することにした。最初に取り上げるのは、半世紀ほど前に、白馬岳から唐松岳に縦走した時のカラースライドである。
(追記)オリンパス・ペンというと、現在では、デジタル一眼のことを指すこともあるので、オリンパス・ペンの思い出(1)、(2)では初代の名を冠してタイトルとした。しかし、別会社が製造したオリンパス・ペンを初代とすれば、最初のmyカメラは二代目のオリンパス・ペンと呼ぶのが正しい事になる。煩わしいので、以降は単にオリンパス・ペンと呼ぶことにした。
当時、カラープリントはまだ高かったので、普段、利用する気にはなれなかった。その代わりに、カラー・スライドを上映して楽しむことはしていた。それでも、カラーフィルムはまだ高価で気軽には使えなかった。そんなある日、かなり安いカラーフィルムを見つけた。店の人に聞くと、期限切れになってから時間が経つので感度はだいぶ低下している。撮ってみないと分からないと言う事だった。試しにこのフィルムを購入し、オリンパス・ペンで撮影してみた。その一枚が下の写真である。撮影したのは夜中ではなく、真昼間。露出をどうしたか、覚えていない。
オリンパス・ペンは全手動のカメラだったが、モノクロ写真の場合には、それでも何とかなっていた。しかし、露出の許容範囲が狭いカラーフィルムを使用するようになると、カンで露出を決めるわけにはいかなくなってくる。カラーフィルムは高価だったので、1カットも無駄にしたくはないという気持ちもあった。そこで、セレン光電池式の簡易な露出計を購入して露出を決めるようになった。時には、オリンパス・ペンの他に8ミリシネカメラを持参することもあったが、そんな時には、シネカメラの露出計を参考にして露出を決めたりしていた。
戸棚の中を整理していたら、オリンパス・ペンで撮ったカラースライドが何箱も出てきた。これらのスライドの全てを埋もれさせておくのも忍びないので、公開しても良さそうなものを選んで、投稿することにした。最初に取り上げるのは、半世紀ほど前に、白馬岳から唐松岳に縦走した時のカラースライドである。
(追記)オリンパス・ペンというと、現在では、デジタル一眼のことを指すこともあるので、オリンパス・ペンの思い出(1)、(2)では初代の名を冠してタイトルとした。しかし、別会社が製造したオリンパス・ペンを初代とすれば、最初のmyカメラは二代目のオリンパス・ペンと呼ぶのが正しい事になる。煩わしいので、以降は単にオリンパス・ペンと呼ぶことにした。