夢七雑録

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殿ケ谷戸庭園・日立中央研究所・浴恩館

2015-05-09 16:27:37 | 公園・庭園めぐり

前回に引き続いて、中央線沿線や国分寺崖線に沿って戦前に設けられた郊外型別荘庭園を取り上げてみる。今回はそのうち、国分寺市、小金井市の別荘庭園を対象とする。

 

(1)殿ケ谷戸庭園再訪

 

国指定名勝の殿ケ谷戸庭園については既に投稿しているが、今回は季節を変えての再訪となる。入口の手前の季節の野草の中にも桜草があるが、売札所前の園路では連休期間中に“さくら草展”が行われていた。

 

庭園に入って左へ行く。右手に大芝生を見ながら本館を過ぎ、秋の七草に代わるスズラン、シランを横目に、鹿威しの音に誘われて紅葉亭に急ぐ。見下ろすと次郎弁天池が、秋とは異なる爽快な姿を見せている。

 

滝の横を下って池に出る。滝は循環水を加えて必要な水量を確保しているらしい。湧水は今も健在だが、それだけで庭園の景観を維持するのは難しいのだろう。中島へは石を伝って渡れそうだが、今は島に上がる積りはない。

 

次郎弁天池を半周して竹の径に出る。孟宗竹の竹林と崖線の斜面との緑の対比が美しい。竹林の中を覗くと案の定、筍が顔を出している。

  

竹林の中には、筍から竹へと変わりつつある姿も見える。この先、放置したままなのか、それとも適当に間引くのか、どうするのだろう。探してみると、園路の右側にも筍らしきものがある。園路の両側を竹林とする事が認められなければ、やがて切られる運命にあるのだろう。

 

園路の南側の斜面にシャガの群落を見る。遠目には白だけが目立つシャガだが、よく見ると花弁は紫と黄色の模様に彩られている。斜面を上がる途中、少し変わった姿の花を見つける。シライトソウと言うらしい。場所を選べば、もう少し着目されても良い花なのだが。

  

坂を上がって藤棚に出る。フジは今が咲き始めだろうか。萩のトンネルは当然の事ながら、今は何も無い。ツツジの類も咲き始めているが、主役となるにはもう少し時間が必要である。

大芝生に沿って園路を歩く。今の時期の殿ケ谷戸庭園は緑が支配的である。この庭園のベストは紅葉の時期と思っていたが、若葉の頃の景観も悪くない。

 

(2)日立中央研究所庭園

 

国分寺市には、後に殿ケ谷戸庭園となる江口定條の別荘(大正4年)のほか、今村別荘(大正7年)、竹尾別荘(大正8年)、天野別荘(大正3年)、渡辺別荘(大正3年)、豊原別荘(大正1年)などがあった。これらの別荘の中で敷地面積が最も大きく、今も自然景観が残されている、今村別荘(後に日立中央研究所)を次に取り上げる。

 今村銀行(後の第一銀行)の頭取を務め成蹊学園の開設にも協力した今村繁三は、大正7年に国分寺花沢の土地を取得し別荘地(今村別荘)とした。別荘の建物は300坪あり、台地の上に建っていた。南側の低地は恋ヶ窪から続く水田で恋ヶ窪用水が流れ、敷地内の湧水を合わせて野川の源流になっていた。台地の上からは野川の流域方向の展望が得られていたと思われる。なお、恋ヶ窪用水は、玉川上水から分水された砂川分水から分かれ、さらに貫井村用水と国分寺用水を分けて南に流れ、姿見の池付近の湧水を入れて今村別荘の敷地内に流れ込んでいた。昭和17年、日立中央研究所が設立されると、今村別荘と周辺の土地は日立中央研究所の敷地となり、現在に至っている。

日立中央研究所は非公開だが、春と秋の年2回だけ庭園が公開されている。正門から入って先に進むと返仁橋に出るが、上から見ると割と深い谷のように見える。湧水量は少なくないと思われるが、北方にあると思われる水源への立ち入りは出来ない。この谷は、今村別荘の時代から、あまり変わっていないように思える。小平記念館の前から左に下って行くと大池(上の写真)に出る。面積1万㎡、周囲800m、池の深さは1m~1.5mという。大池は昭和33年に湧水を集めて造られた池で、今村別荘時代には無かった光景である。敷地内の樹木は、ミズキ、エゴ、ナラ、モミジ、サクラ、ケヤキなどの落葉樹と、サワラ、マツ、カシ、アオキ、ツゲ、スギ等の常緑樹、合わせて27000本。野鳥は40種ほどという。日立中央研究所では設立以来、自然環境の保全に取り組んで来たそうだが、その成果なのだろう。

 

(3)浴恩館公園

「続々小金井風土記」に紹介されている小金井市の別荘のうち、波多野邸(滄浪泉園)、前田邸(三楽の森)、小橋邸(美術の森)、岩村邸(美術の森に隣接)、富永邸(大岡昇平寄寓)については、前回の記事で取り上げている。同書では他に、小山邸、前田邸、芥川邸、渡辺邸、磯村邸、大久保邸、大賀邸、浜口邸が紹介されているが、ここでは、後に浴恩館となる渡辺邸を取り上げる。

大正末か昭和の初め、渡辺某が8000坪の土地を取得する。その後の経緯は不明だが、この地が日本青年館の土地となったらしく、昭和天皇御大典時の神官更衣所を下賜されたことに伴い、昭和5年に日本青年館の分館が開館する。昭和6年になると青年団指導者養成のため講習所が開設される。昭和8年から12年まで講習所の所長を務めた下村湖人は、講習期間中、敷地内の空林荘に寝泊まりして指導に当たったという。この講習所は、下村湖人の代表作となる「次郎物語」の舞台にもなっている。

戦後、浴恩館は小金井市の青少年センターとして使用されてきたが、老朽化に伴い平成5年に改修整備され、現在は文化財センターとして考古資料、古文書、民具などの展示保存を行っている。最寄り駅は東小金井駅で、北大通りに出て西に向かい、小金井北高の先の信号を右に入って浴恩館通りを進み、やや下って右へ折れ左に曲がって、緑小を過ぎれば間もなく浴恩館公園となる。歩いて20分ほど。文化財センターの入館は無料である。文化財センター内を一通り見たあと、公園内を見て歩く。園内には確か空林荘の建物があった筈なのだが、見当たらない。どうやら、その由緒ある建物は焼失してしまったらしい。

浴恩館公園にはツツジが多いが、昭和初年に新宿大久保のツツジ園から移植されたものという。江戸時代、大久保にあった鉄砲組の組屋敷では副業としてツツジの栽培を始め、これが評判を呼んでツツジ園が幾つも開かれる。しかし明治から大正、昭和と時代が進むにつれて衰退し、ツツジ園も姿を消してしまう。一方、大久保のツツジは館林や箱根に移植され、今では観光名所になっているが、浴恩館のツツジは、知る人ぞ知るの状態になっている。文化財センターの東側には池がある。池に流れ込む水路も造られているが、そちらの方には水が流れていない。浴恩館公園内には仙川も流れているが、こちらの方にも水は無い。雨降らば流れるという川になっているらしい。

 

 

<参考資料>「緑と水のひろば71」「殿ケ谷戸庭園」「日立中央研究所庭園開放(配布資料)」「続々小金井風土記」「小金井市歴史散歩」

 

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