東京都では今年も文化の日を中心に「東京文化財ウイーク」を開催し、文化財の特別公開を行うほか、文化財めぐりや講座などのイベントの開催を企画事業として行っている。「東京9区文化財古民家めぐり」も企画事業の一つで、事業としては11月で終りになるが、その後も古民家は公開されているので、これを機に古民家めぐりをしてみる事にした。
足立区の都市農業公園にある“旧和井田家住宅(母屋)は、足立区の有形民俗文化財に指定されており、東京9区文化財古民家めぐりの対象の一つにもなっている。都市農業公園の入園は無料で、第1第3水曜は休園。西新井駅からはバスもある。正門を入って交流館に立ち寄ったあと、芝生広場に沿って進むと長屋門が見えて来る。旧増野製作所長屋門で、足立区の有形民俗文化財に指定されている。早速、石段を上がり長屋門をくぐる。
江戸時代の初め、武家以外が長屋門を建てる事は許されていなかったが、18世紀に入ると名主が長屋門を建てる事も許されるようになる。長屋門は明治以降も建てられているが、建てたのは旧名主や大地主が多かったようである。旧増野製作所長屋門も、もともとは、足立郡渕江領の久右衛門新田の名主を代々務めていた浅野久右衛門家により、明治30年(1897)頃に建てられた長屋門であったが、増野製作所の創業者が譲り受けて移築し、増野製作所足立工場の門としたものである。この長屋門は、工場が石岡に移転した後も保存されていたが(現・青井五丁目)、平成12年に足立区へ寄贈され、区指定の有形民俗文化財となって、現在地に移築されている。
長屋門をくぐった先に、現・花畑二丁目にあった旧和井田家住宅の母屋が移築されている。母屋は長屋門と直角に配置されているが、家相の点からこのような配置が多いようである。この母屋が建てられたのは江戸時代の後期、少なくとも安政2年(1855)には建っていたという。和井田家は元禄時代に八條から花畑へ移住したと伝えられる。八條村(現・埼玉県八潮市八條)の名主を世襲していた和井田家とはどのような関わりがあるのだろうか。昭和58年、和井田家住宅は足立区に寄贈され、区指定有形民俗文化財となり、翌年には現在地に移築されている。なお、江戸時代後期の薊家の納屋も同じ時に寄贈されているが現存していない。
旧和井田家住宅の周りを見て回る。母屋は寄棟造りの茅葺で、全体としては江戸時代の姿を留めているように見えるが、台所、瓦葺庇、廊下、便所など、増改築もされているらしい。裏手に回って母屋の形を眺め、それから、井戸小屋を見に行く。
母屋の間取りは田の字型になっている。上の写真は戸口から入ってすぐのドマから室内を見たもので、手前がイタノマ、その向こうがオクになる。下の写真はドマの奥から室内を見たもので、囲炉裏のある板の間の向こうは、手前がヘヤ、その向こうがザシキになる。
ドマの奥の方はカッテと呼ばれカマドが置かれている。このカマドには煉瓦が使われており、カマドの前にも煉瓦か敷き詰められている。明治から大正にかけて煉瓦建築が大流行し、足立区は煉瓦の供給地となる。和井田家には、花畑にあった煉瓦の会社の役員をしていた人物が居たそうで、そのため、改築の際に煉瓦を利用する事になったのかも知れない。
古民家を見たあと河川敷に出て、しばらく川の眺めを楽しんだあと公園内に戻る。それから、古民家を田畑ごと復元したかのような風景の中を、正門へと急ぐ。