二子玉川駅から西に行き、二子玉川商店街に出て北へ向かい、NTT瀬田前の交差点を左折して丸子川に沿って西に行く。下山橋を過ぎ谷戸川の合流点を経て、岡本静嘉堂緑地の下を川沿いに進むと岡本公園に出る。公園内の民家園に入るとすぐ、旧長崎家住宅の前に出る。
世田谷区指定有形文化財(建造物)の旧長崎家住宅主屋は、世田谷区瀬田2にあった寄棟造り茅葺の民家を移築したもので、創建は18世紀末頃と考えられている。当初は広間型の間取りであったと推定されるが、間取りは時代と共に変化していったようである。現在の旧長崎家住宅主屋は、江戸時代後期から明治初め頃の四ツ間取りで、濡れ縁の無い形に復元されている。
正面右側の入口から入るとダイドコロと呼ばれている土間になる。土間の隅には大ガマとヘッツイが置かれている。土間は広く農作業にも使われていただろう。
土間から室内を見る。手前の部屋はザシキ(座敷)で神棚が見える。写真にはないが、ザシキの右手はチャノマと呼ばれる板間で、今も囲炉裏で火が焚かれている。ザシキの向こうに見える部屋は、床の間がある上座敷でデイと呼ばれていた。その裏手はナンドになっている。
旧長崎家住宅主屋は、農家として機能していた頃の姿を再現しているが、南側にある畑もその一助になっている。民家園では様々な年中行事が行われているようだが、古民家をただ保存するだけではなく、昔の暮らしぶりも含めて伝えていこうとしているらしい。
畑の傍にある旧浦野家住宅土蔵は、世田谷区喜多見7から移設した土蔵で、世田谷区の有形民俗文化財に指定されている。土蔵は総2階建てで外壁は漆喰仕上げ、屋根は切妻造りで桟瓦葺になっている。建築年代は江戸時代末期と推定され、当初は穀蔵であったが、菜種油の商いを始めたことから油屋の蔵として使われていたという。
旧長崎家住宅主屋の裏手に行くと、世田谷区桜から移設したという旧横尾家住宅腕木門があった。大正13年に建てられたという門をくぐり、岡本八幡の参道に出て、それから、丸子川沿いに下山橋まで行く。名園跡に建てられたパークコート周辺の遊歩道を南に行き、次の角を左に行き、「きしべの路」の標識を見て右に入り、谷川(やがわ)跡の遊歩道を歩いて、玉電砧線の軌道跡を二子玉川駅へと向かう。