隅田川はもともと荒川の下流であったが、昭和5年に洪水対策として荒川放水路が完成したことから、岩淵水門から下流が隅田川となっている。今回は、平成31年冬の隅田川の橋の姿を、船も利用して見て回ることにした。
勝鬨橋を渡って左岸を歩く。下流に見えるのは築地大橋で、豊洲~築地の環二通りが暫定開通したことに伴い平成30年11月4日に開通している。隅田川では最も新しい橋で、勝鬨橋より下流に位置しているため、隅田川では最下流の橋になる。なお、写真では分かりにくいが橋の向こうには東京タワーが見えている。築地大橋は橋長245.0m、幅員47.9m、歩道は橋の中間でカーブしており車道との間が空いている。車道の上部には横の繋ぎ材が無く開放的で、勝鬨橋が重厚な橋だとすれば築地大橋は軽快な橋に見える。
築地大橋を渡って浜離宮に行き散策したあと船に乗る。浜離宮や築地市場跡を眺めながら上流へと向かうと勝鬨橋に出る。勝鬨橋は昭和15年竣工の鋼製跳開橋で、近代可動橋の技術的到達点を示すものとして重要文化財に指定されている。この橋が開くところを見てみたい気もするが難しいのかも知れない。
次の橋は佃島に渡る佃大橋で、昭和39年に架けられている。写真は上流側から見た佃大橋である。隅田川は佃島で東と西に分かれて流れ海に注いでいるが、佃大橋はその西側に架けられた橋になる。一方、東側にも佃島に渡る相生橋(明治36年創架、平成12年現橋建造)があり、相生橋も隅田川に架けられた橋ではあるのだが、今回は通らない。
先に進むと中央大橋が見えてくる。塔からケーブルを張って支える斜張橋で、設計はフランスの会社に依頼したという。塔は兜の意匠らしい。開通は平成6年。隅田川には実用的な橋が多いが、この橋は都市景観としてのデザインに配慮した橋になっている。
中央大橋をくぐって先に進むと、スカイツリーとともに永代橋が見えてくる。永代橋が最初に架けられたのは元禄11年で、現在地より北の日本橋川のそばにあり、その場所は当時の河口に位置していた。明治30年、永代橋は下流の現在地に場所を移して鋼鉄製の橋として架けられたが、橋板などに木材を使用していたため関東大震災により被災し、大正15年に架けかえられた。これが現存する永代橋で、当時の技術的達成度を示す遺構として重要文化財に指定されている。現在は、塗装や舗装その他、長寿命化の工事が行われているので、本来の姿を見ることは出来ない。
永代橋をくぐると、その先に隅田川大橋がある。架けられたのは昭和54年で、上段を高速道路の高架橋部分とした二層式の橋である。
次の橋は清洲橋で写真は上流から見たものである。清洲橋が架けられたのは昭和3年で、当時の最新の材料・構造・工法を駆使した昭和初期を代表する吊橋として重要文化財に指定されている。現在は長寿命化の工事が行われている。
清洲橋の次は新大橋で写真は上流から見たものである。新大橋は斜張橋で塔はオレンジ色になっている。新大橋が最初に架けられたのは元禄6年。近くの両国橋が大橋と呼ばれていたため、新大橋という名になったという。明治18年には洋式の木橋となるが、明治45年になると、やや上流の現在位置に鉄橋として架けかえられる。この橋は関東大震災でも無事であったが、昭和52年には現在の橋に架けかえられ、旧橋は明治村に移されている。
高速道路の下をくぐると両国橋が見えてくる。写真は上流側から見た両国橋である。明暦の大火の時、隅田川には千住大橋以外に橋が架けられていなかったため逃げることが出来ずに多くの犠牲者を出した。このことから、両国橋が架けられることになったという。その時期は万治2年あるいは寛文元年という。明治37年には鉄橋となるが、昭和7年になってやや上流に架けかえられる。これが現在の両国橋で、都の歴史的建造物に指定されている。
写真は上流から見た蔵前橋で、現在は長寿命化工事中だが橋の形は分かる。蔵前橋は幕府の米蔵があったところで、橋が黄色なのは稲のもみ殻からの連想らしい。蔵前橋は昭和2年の架橋で、都の歴史的建造物になっている。
写真は上流から見た厩橋で、現在は長寿命化工事中である。明治7年に木橋が架けられたのが厩橋の始まりで、明治26年に鉄橋となるが関東大震災で被災し、昭和4年に現在の橋が架けられる。厩橋は都の歴史的建造物になっている。
写真は上流から見た駒形橋で、長寿命化工事中である。昭和2年の架橋で、都の歴史的建造物になっている。
写真は上流から見た吾妻橋で、浅草寺が近いためかベンガラ色に塗られている。吾妻橋は安永3年に架けられたことに始まる。江戸時代、隅田川に架けられた橋を年代順に並べると、千住大橋、両国橋、新大橋、永代橋、吾妻橋の順となり、吾妻橋が江戸時代最後の橋になる。吾妻橋は明治9年に洋風の木橋に架けかえられ、明治20年には鉄橋となるが関東大震災で被災したため、昭和6年に架けかえられ現在に至っている。吾妻橋は都の歴史的建造物になっている。吾妻橋をくぐると間もなく浅草の桟橋で、ここで下船する。