東武鉄道の下をくぐりスカイツリーを眺めながら先に進むと、昭和3年に架けられた言問橋に出る。この橋は都の歴史的建造物に指定されている。言問橋は橋桁によって支えられる桁橋だが、眺望と景観を考慮しての設計とされ、橋を西側から見るとスカイツリーが正面に見えるので、絶好の撮影ポイントになっている。橋の名は、“名にし負はばいざこととわむ都鳥・・・”という歌に由来する。「伊勢物語」には、武蔵と下総の境の隅田川を舟で渡った時にこの歌が詠まれたとあるが、位置的にはこの橋よりもう少し上流のようである。
言問橋から先に進むと昭和60年に架けられた桜橋という歩行者専用橋に出る。両岸の隅田公園を結ぶX字型の橋で、橋の上には円錐形のモニュメントも設置されている。今の時期、この辺りにはユリカモメが多く見られる。「伊勢物語」に書かれている都鳥の特徴からすると、都鳥はミヤコドリ科のミヤコドリではなく、カモメ科のユリカモメと考えられている。そして今では、ミヤコドリではないユリカモメが都民の鳥に選ばれている。
隅田川を先に進むと白鬚橋に出る。橋の名は東側にある白鬚神社に由来する。大正3年、橋場の渡しの場所に有料の木橋が架けられたのが、この橋の始まりで、昭和6年になると現在の橋が架けられる。千住大橋が架けられる以前、橋場の渡しは奥州街道や水戸街道、佐倉街道の街道筋でもあった。白鬚橋は永代橋に似た鋼橋で、都の歴史的建造物にも指定されており、長寿命化工事も行われたようである。ところで、武蔵国府と下総国府を結ぶ古代の支道は、この辺りで隅田川を渡っていたと考えられている。武蔵国が東山道から東海道に所属変更されると、この支道が東海道に格上げされる。その後、東海道は武蔵国府をバイパスするルートに変更されるが、位置は多少変わったにせよ、この辺りで隅田川を渡っていたのだろう。都鳥に言問う場所は、この辺りにあった渡し場だったと思われる。
白髭橋を渡って、水神社が改称した隅田川神社に寄り、梅若伝説の木母寺を経て、水神大橋を渡る。平成元年に架けられた橋で、当初は歩行者専用橋であったが、平成8年に自動車道路併用となる。橋の名は水神社に由来している。
平成18年に開園した汐入公園に入り隅田川に沿って進むと、平成18年に架けられた千住汐入大橋に出る。橋の名は、紡績会社の通勤用として明治時代に始まった汐入の渡しに由来する。
常磐線をくぐって隅田川から離れて進み、日光街道の通る千住大橋に出る。千住大橋が最初に架けられたのは文禄3年で今より上流だったという。現在、千住大橋は下りとして利用される昭和2年架設の上流側の橋(写真)と、上りとして利用される昭和48年架設の下流側の橋から構成されている。上流側の橋を渡って先に進めば千住大橋駅に出る。