夢七雑録

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板橋赤塚の富士塚めぐり

2019-05-13 19:49:49 | 富士塚めぐり
(1)赤塚氷川神社富士塚(上赤塚富士)
東上線成増駅北口から赤塚二中の南側を通る成丘通りに出て右へ坂を上がる。成増の丘の上を通る道は、やがて右に曲がり果樹園を過ぎて下って行き、やや上がって宮前公園前の交差点に出る。三園通りを横切って進むと、宮前公園の隣に赤塚氷川神社の参道がある。
赤塚氷川神社は、新編武蔵風土記稿の上赤塚村の項に、氷川御霊合社の名で村の鎮守と記されている。長い参道を進むと鳥居の左側に、板橋区の登録記念物(史跡)になっている赤塚氷川神社富士塚(上赤塚富士)がある。円墳形の富士塚で高さは3mほど。この富士塚を築いた丸吉講は、新座の浅海吉右衛門を講祖とし、武蔵野の北部一帯に多くの富士塚を築造している。明治5年の丸吉講新富士の奉納額に上赤塚仙元富士山が記されているので、築造は明治5年以前のことと考えられるが、この富士塚には慶応4年(1868)の石碑もあるので、築造時期が慶応以前まで遡る可能性もある。
 
(2)赤塚諏訪神社富士塚(下赤塚富士)
赤塚氷川神社の東側に出て北に、神社の先を右に赤塚四公園を左に見て下ると、板橋区郷土資料館の裏手に出る。郷土資料館は次の機会にして溜池を通り抜け、区立美術館入口の交差点を左に上がり新大宮バイパスの上を渡って、その先の諏訪神社に行く。諏訪神社は、新編武蔵風土記稿の下赤塚村の項に、十羅刹諏訪合社の名で村の鎮守と記されている。
本来は、諏訪神社から南に向かう参道があり、浅間神社の富士塚の近くまで道が続いていたのだが、今はその道が失われてしまっている。現在、諏訪神社の境外社になっている浅間神社へは、新大宮バイパス沿いの道を南に行き、裏参道のような通路を左に入ることになるが、少々分かりにくい。富士塚の麓には浅間神社の石鳥居があり祠があるが、富士塚は草木が茂って見づらくなっている。富士塚の築造は、赤塚氷川神社と同じ丸吉講で、石鳥居の銘からすれば明治7年以前の築造と考えられるが、明治5年の丸吉講新富士の奉納額に下赤塚仙元富士山が記されているので、明治5年以前の築造と考えられている。なお、この富士塚は板橋区の登録記念物(史跡)になっている。富士塚から諏訪神社を経て高島大門の交差点を渡り、北に行けば新高島平駅に出られる。
<参考資料>「日本常民文化研究所調査報告2」「富士信仰と富士講」
 

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