この七福神は元祖を名乗っているが、江戸で最初の七福神としているからである。巡拝の順序だが、誰が言い出したか、覚林寺から巡るのは、無病息災長寿祈願で、瀧泉寺から巡るのは商売繁盛祈願だという。ここでは、江戸の絵図により、次の順路で巡拝する。瀧泉寺(恵比寿神)―蟠龍寺(弁財天)―大円寺(大黒天)―妙円寺(福禄寿・寿老人)―瑞聖寺(布袋尊)―覚林寺(毘沙門天)。
(1)瀧泉寺(目黒区下目黒3-20-26)
瀧泉寺・目黒不動尊は関東最初の不動霊場で、江戸三拝所の一つとされ、いつも多くの参詣客で賑わっている。瀧泉寺への参詣道には、白金の大通りを通る道のほかに、中原街道を通る道、品川宿を経由する道、広尾から爺が茶屋(三田2)経由で目黒に出る道などがある(現在は、東急目黒線不動前駅が最寄り駅である)。茶店や土産物の店が並ぶ門前町を過ぎ、仁王門をくぐって石段を上がると本堂がある。境内には、このほかに、書院、鐘楼、前不動堂、勢至堂など多くの堂宇がある。
(2)蟠龍寺(目黒区下目黒3-4-4)
瀧泉寺から、門前町を通って蟠龍寺に行く。寺に入ると、左側に銅製丈六の阿弥陀如来像(今は無い)があり、池を渡ると本堂がある。その右手の洞窟内には弁財天が祀られているが、この寺が岩屋弁天と呼ばれるようになったのは、この弁財天に由来する。
(3)大円寺(目黒区下目黒1-8-5)
蟠龍寺を出て、民家の点在する下目黒村の道を進み、目黒川を太鼓橋で渡る。正式には一円相唐橋という石橋である。橋から少し先の右手に明王院がある。昔は楓が多かったこともあって、夕日の岡と称される景勝の地であったが、すでに楓も見られなくなっている(現在、明王院は無く、その境内は目黒雅叙園の敷地になっている)。明王院から行人坂を少し上がった右側が大円寺の跡地である。この寺は、行人坂火事の火元であったとされ、幕府から再建を許されなかったが、その跡地に、焼死者を供養するため五百羅漢の石像が造られるようになった(大円寺は幕末に再建されて、現在に至っている)。
(4)妙円寺(港区白金台3-17-5)
行人坂を上がると、三田用水に出る(三田用水は、北沢で玉川上水から分水して、台地の上を通って、麻布などに給水していた。その水路は目黒駅の西側を回って目黒通りに沿って流れていたが、現在は無い)。用水を渡り、六軒茶屋町(上大崎3)を過ぎて、目黒不動参詣道の一つでもある白金の大通り(目黒通り)を歩く。道の左側に続くのは、讃岐高松藩の屋敷(自然教育園及び庭園美術館)である。次の目的地、妙園寺(妙円寺)は、道の右側にあり、白銀(白金)の妙見堂として知られている。寺は白金通りに面しているが、本堂は、道から少し下がったところに位置している(境内は昔より狭くなっている)。
(5)瑞聖寺(港区白金台3-2-19)
妙園寺を出て、白金台町を歩いていくと、右側に瑞聖寺が見えてくる。江戸における黄檗宗の中心となる寺である。参道は東側の桑原坂から上がっていくようになっており、広い境内の中程に大雄宝殿が東に面して建っている(現在は目黒通りに面した側に入口がある。境内は当時より狭くなっているが、瑞聖寺大雄宝殿は現存しており、重要文化財の指定を受けている。なお、文化財ウイークには、内部が公開されている)。
(6)覚林寺(港区白金台1-1-47)
白金台町から日吉坂を下っていくと、右手に覚林寺がある。加藤清正所縁の寺で、白金の清正公さまとして親しまれた寺である。寺の前を流れる細流は、少し先で樹木谷(港区高輪1)と称する谷となるが、帰途は、その横を通り、松秀寺(港区白金2)の横を進めば、四ノ橋近くの麻布田島町に出る(現在は、都営三田線の白金高輪駅が最寄り駅である)。