東京の古民家めぐりの対象で、杉並区の有形文化財(建造物)に指定されている、旧井口家住宅長屋門と旧篠崎家住宅主屋は、杉並区立郷土博物館内に移築されている。永福町駅から歩く場合は、駅からやや西にある荒玉水道道路を北に向かい、方南通りを渡って進み、郷土博物館入口の交差点から案内表示に従い左前方に行く道をたどると、博物館の門として使用されている旧井口家住宅長屋門の前に出る。帰りは郷土博物館入口の交差点に戻り、荒玉水道道路を横切って東に進み、和田堀公園済美山運動場の横を通り、坂を横切って先に進み、方南通りに出て左に行けば方南町駅に出られる。
井口家住宅長屋門をくぐり背面から門を眺める。井口家は寛文10年(1670)頃に大宮前新田の開発名主になったとされ、代々名主をつとめた家柄であった。井口家がこの長屋門を建てたのは文化文政年間(1804~1829)頃と考えられている。杉並区宮前5にあった長屋門は昭和49年に杉並区へ寄贈され、その後、解体調査を経て現在地に移築され、当初の姿に復元されたが、防火の点から茅葺だった屋根は銅板葺きになっている。長屋門の両側は年貢米を一時保管する板張りの蔵屋と、物置として使われた土間の納屋であったが、明治時代には蚕室として使われ、昭和になると居室と物置に使われていた。
博物館内を見て回ってから、屋外展示の場所に行くと、旧篠崎家住宅の座敷がある側が最初に見えてくる。現在の旧篠崎家住宅は、下井草中瀬(現・下井草5)にあった平均的な農家建築を移築し、当初の姿に復元したもので、屋根は寄棟造りの茅葺であったが、防火の点から銅板を被せている。
旧篠崎家住宅の正面を眺める。この建物の創建は寛政年間(1789-1800)という。この地域には江戸時代から杉が多く植林されていた事もあり、篠崎家住宅の柱材はすべて杉材を使用している。この住宅の間取りは三つ間取り広間型とよばれる古い形式である。
大戸から入ると、ダイドコロと呼ばれていた土間で、大ガマ、ヘッツイが置かれている。土間は広くとられており、土間で農作業を行うこともあったようだ。
上の写真で、手前の板間はカッテ、その向こうの囲炉裏のある板間がヒロマと呼ばれていた。ヒロマの左奥に見えるのはデエと呼ばれる座敷で床の間があり、右奥はナンドと呼ばれ寝室として使われていた。この間取りは、時代と共に四つ間に変わっていったようである。