夢七雑録

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下谷七福神

2009-12-26 16:53:53 | 七福神めぐり

 元三島神社を起点に、江戸の絵図の上で、下谷七福神を巡拝する。順路は次の通りである。元三島神社(寿老人)―真源寺(福禄寿)―英信寺(大黒天)―法昌寺(毘沙門天)―弁天院(弁財天)―飛不動(恵比寿)―寿永寺(布袋尊)。

(1)元三島神社(台東区根岸1-7)
 不忍池から、茶店などが並ぶ上野の山下を抜けて、寛永寺の子院が続く辺り(現在は鉄道の敷地になっている)を左に見ながら、車坂町(台東区上野7)を経て、下谷坂本町(台東区下谷1)に出る。直進する道(金杉通り)は、千住まで町屋が続く奥州街道の裏道である。下谷坂本町から左に行き、要伝院(台東区根岸3)の前を過ぎ、山裾に沿って進むと、山の麓にある元三島神社に出る(現在は、鴬谷駅北口からすぐの場所)。この神社は、大三島の大山祇神社を上野山中に分霊したことに始まる。江戸の世になると、上野の山の麓に移って三島社と称するが、のちに浅草に移転、さらに、熊野権現社と合祀して元の土地に戻り、元三島神社を名乗ったという。

(2)真源寺(台東区下谷1-12)


 元三島神社から、もと来た道を入谷坂本町まで戻り、奥州街道の裏道(金杉通り)を渡り、折れ曲がりの道(現在は言問通り)を行けば、真源寺に出る。真源寺は、恐れ入谷の鬼子母神と狂歌に歌われた寺であり、朝顔市でも知られている。

(3)英信寺(台東区下谷2-5)


 入谷坂本町に戻って千住方面に(金杉通りを)少し行くと、英信寺の入口がある。中に入って、三面大黒天を参拝する。

(4)法昌寺(台東区下谷2-10)
 英信寺を出て、次の角(根岸三の信号付近)を右に入ると法昌寺に出る(現在は、英信寺の横からも行くことができる)。

(5)朝日山弁天院(台東区竜泉1-15)
 法昌寺から折れ曲がりの道を抜け、その先、東に向かって真っすぐな道を歩く(現在の道でいえば、昭和通りを渡って、金美館通りを歩くことになる)。左側にあるのは、水谷家の屋敷である。不忍池に弁財天社を建立した備中松山藩主・水谷勝隆は、屋敷内の池にも弁財天を祭っていたということだが、屋敷内の弁財天ゆえ、今回はパスして次へ行く(朝日山弁天院のもとになったのは、この弁財天である。水谷家の屋敷は、現在の金美館通りの北側にあったが、明治になると、屋敷の跡が原っぱとなり、池は関東大震災のあと埋め立てられる。現在の朝日山弁天院は、戦後、池のあった場所に建てられたものである。現在は、大正小の手前の道を北に向かえば、弁天院に行くことが出来る)。

(6)正宝院・飛不動(台東区竜泉3-11)
 水谷家の屋敷に沿った道(金美館通り)を東に進み、溝口家の屋敷の先を左折し、鷲神社、長国寺、西徳寺、大音寺を過ぎて、下谷竜泉寺町の四つ辻に出る(現在の道順では、朝日山弁天院を参拝したあと、弁天院から東に行き、西徳寺横を国際通りに出て左折、次の信号の所が、下谷竜泉町の四つ辻に相当する)。ここを右に行けば飛不動に出る。

(7)寿永寺(台東区三ノ輪1-22)
 竜泉寺町の四つ辻に戻って北に行き、金杉村(台東区三ノ輪1)に出て、田地の間を抜けて寿永寺に出る(現在の道順では、飛不動から北に向かう道をたどって、寿永寺に出ることになる)。この寺での参拝を終えると、これで下谷七福神めぐりは終了となる。帰りは、奥州街道の裏道(金杉通り)を戻る(現在なら、日比谷線三ノ輪駅が最寄り駅である)。


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