世界に一つだけの姥花日記

貴方は貴方らしく私は私らしく、世界にただ一つだけのきれいな花を一生懸命咲かせましょう。
シニア主婦の平凡な日記です。

さらなる老後のこと

2015年08月10日 | 呟き

急に涼しくなってきました。でもこれで平年並みなのでしょう。

2~3度の違いがここまで気持ちを楽にするとは、驚きです。ここ二日間エアコン無しの生活をしています。

今日はお寺さんの「施食会」でした。

例年は姉と二人で出かけますが、義兄入院中、姉も今日は病院に行かなければならない用があり、今回は、私一人で参加しました。

今年はとても涼しく、法話も落ち着いて聞くことが出来ました。

普段はあまり信心深くない私ですが、この日だけは仏の教えにありがたく耳を傾けました。いえ正直申すと睡魔と闘っていました。

 

昨日は「ややこしいこと」で夫と「あ~でもない、こ~でもない」と話ながら半日を費やしてしまいました。

10年前に申し込んだ生命保険付き「変額個人年金」が来る9月に満期を迎えます。

一時は元本を割り込んだ運用金額も、幸いにもここにきての景気回復で定期預金を少し上回る利益が出ています。

さて10年の年金として毎年受け取るか、それとも一時金で受け取るか?どちらが有利か?

少しでも有利な方を選択したいと、あっちを調べ、こっちを調べ、無い知恵と知識を総動員して考えました。

購入するときはまだ若くて頭も働きますが、満期を迎えたときは認知能力がかなり衰え、対処が難しいです。

複雑なそれも長期の金融商品に手を出すものではありませんね。単純が一番です。

その流れとして、また夫婦で話し合ったこと、それは老後のこと、いえ既に老後ですが(笑)さらなる老後のこと。

その話のきっかけは姉との電話の内容からでした。

姉にはしっかりもの二人の娘(私にとっては姪っ子)がいます。

それぞれに家庭を築き、仕事、家事、子育てに奮闘しながら、病床の父とその看病に追われる母を助ける、それはそれは親孝行の娘たちです。

特に次女のMちゃんは姉の家から徒歩で20分、車でも5分の所に住んでいます。長女も車で30分。

今回義兄は緊急入院しましたが、二人の娘たちの機敏な対応に姉はどんなに助けられたことでしょう。

また一緒に住まないかとの優しい声も掛けてくれているそうです(今の段階では姉にはそのつもりはないようですが)。

でもその言葉は本当に嬉しく心強いと言っていました。羨ましいな~。

さて我が家はどうでしょう!娘と息子といますが、二人とも片道1時間半かかります。娘もフルタイムで働いています。

私たちの「さらなる老後」のことを考えて優しい言葉をかけてくれたことあったかな~?

彼等は私達夫婦を弱者である年寄、高齢者だと思っている風は全くありません。(苦笑)

確かに健康で遊び回っている私たちを助けようなって気が起らないのは当然ですね(笑)。

でもいずれは子供たちも私たちのことを心配する時期がやってくるでしょう。

私たちは子供達とちと同居するつもりはありません。

最後の最後はできれば身分相応の有料老人ホームに入りたいと思っています。

後15年(夫87歳 私84歳)、二人のうち、少なくともどちらかは元気でいたい。相手の介護ができるくらい。

1人になっても自分のことが自分でできる状況であれば、この住まいで過ごして生きたい、そしてピンコロリが理想です。

このマンションも築33年、15年後には立替問題が浮上してくるでしょう。その時がホームに入る引き際かな。

いつまでも精神的にも肉体的にも、また経済的にも自立した高齢者でいたいですね。

そのためにも体力維持(増強はもう無理)に頑張る!

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へさらなる老後」あなたは何処でどう過ごしますか?

 

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徒然なるままに~少し心が重い

2015年08月08日 | 呟き

8日間続いた猛暑も今日は一段落のようです。

それでもこれからまだまだ30度を越す日々が続くようですね。でも2~3度の違いでも嬉しいです。

ここ数日は何と無く気分が重いです。TV番組の所為でしょうか。

8月6日の「原爆の日」、NHKの午後7時半からの「きのこ雲のしたで何が?」をご覧になった方は多いでしょう。

原爆直後の広島の2枚の写真を最新技術で徹底解析、浮かび上がってきた新事実を生存者の証言とともに分析したものでした。

その写真の撮られた場所は「御幸橋」(みゆきばし)。私が小学校、中学時代、通学に利用していた懐かしい橋です。

私の知る御幸橋は石造りの恐らく原爆投下時、そのままの橋だったと思います。

今は当時の面影はなく立派な近代的橋に姿を変えていますが・・・。

そこで起こった惨状は決して消えることはないでしょう。

観るに忍びない映像でしたが、私はすぐに父の話を思い出しました。父もきっとあの惨状を見たのであろうと。

父の会社は爆心地から数百メートルしか離れていない場所にありました。

当日、前日が出張のため出勤を遅らせてよかった父は、命拾いをしたもののすぐに出社、あの橋を渡っています。

そして以前にも書きましたように、ある若い女性に家に連絡して欲しいと助けを求められました。

その女性は同じ社に勤める女子社員でしたが、父は誰か分からなったそうです。酷いやけどを負っていたのでしょう。

父は彼女を助けることはできませんでした。父はどんな気持ちで御幸橋を渡ったのでしょう。それを思うと心が痛みます。

昨日、録画をしていたNHK「ヒバクシャからの手紙」という番組を観ました。

今年になって生存する被爆者の平均年齢も80歳を越えたそうです。

寄せられた二千数百通に及ぶ手紙には当時の体験と今の悲痛な心情が綴られていました。

涙なくしては聴けない、観られない番組でした。

両番組とも、画面に登場し当時を語る年配の被爆者に、私はよく生きて下さいしました、とお礼を言いたい気持ちでした。

その方々が皆異口同音に仰っていたことがとても印象的でした。

「どうして私は生きとるんかね~。きっと何かのために生かされておるんよね」と。

夫の従姉も8歳で被爆し、その体験を語り部として、国内だけではなく世界にも発信しています。

今多くの被爆者が重い口を開き、当時のことを語り始めています、生き証人として!

私は今回のTV番組を観てよく分かりました。「何故被爆者が当時の体験を語ろうとしなかったか」。

あの地獄のような惨状を思い出したくなかっただけではないのです。

彼らは親を、子を、友を救えなかったこと、見殺しにしてしまったことに大きな罪の意識を感じているのですね。

今は亡き父も母も、殆ど原爆のことを話そうとはしませんでした。同じ想いだったのでしょうか。

被爆2世として、また被爆者を夫に持つ妻として、今の私に何ができるでしょうか。

東京には「東友会」という東京在住の被爆者団体があります。

毎月会報が送られてきますが、夫も私も今までは殆ど目を通すこともなく、会費も払っていませんでした。

少し心を入れ替えようと思います。「ノーモア ヒロシマ」のために!

ここ数日のTV番組にいろいろな想いの錯綜する昨今です。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

ランキングに参加しております。

心に触れるものがありましたら、ポチっとよろしくお願いいたします。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やってしまった!ショック!

2015年08月06日 | 呟き

再びやってきました、8月6日!今日は70回目の原爆の日です。

被爆2世でもあり、親族に被爆者のいる私は、毎年この日の式典を厳かに見つめ、8時15分静かに祈ります。

私が小学生の時には原爆投下のこの時間には電車やバスの公共機関は停まり、

乗客も平和の鐘を聴きながら黙祷をしました。今はどうでしょうか?

広島市民ですら8月6日に原爆が自分たちの街に投下されたことを知らない人が多く居ると聞いています。

毎年この日には何かしら原爆にまつわる記事を書いてきました。お読みになりたい方は昨年の8月6日の記事をご覧下さい。

式典で核廃絶と平和を訴える小学校6年生の二人の子供の「平和宣言」、心打たれました。

それに比べ、安倍首相のどこか空しく聞える式典挨拶。形式的に聞こえたのは私だけでしょうか。

 

 

さて猛暑日6日連続は記録更新だそうですね。

今日が暑さのピークだと予報士は言っていましたが・・・・・。今日も東京地方、35度を越したのことです。

もう言いたくはありませんが、本当に暑いです!買い物に出る気せず、飢え死にしそう(苦笑)。

夫が居なければ、お茶漬けサラサラ、たまごご飯だって済むものを。

さすが元気印のアクティブな彼も、この暑さには閉口していて、殆ど蟄居状態。ゴルフも山も友達との飲み会も最近はありません。

「お願い、偶には何処かへ行って~!」と叫びたい気持ちです。(スミマセン)

 

私、とうとうやってしまいました!しかしまさかこんなことで記録をパーにしてしまうなんて!

この記事を覚えていらっしゃるでしょうか?

「日本一周頑張るぞ!」 今年4月30日の記事 です。クリックしてお読みくださればと思います。

4月30日からカウントし始め、既に94日で521km歩いていました。約94万歩!

一日平均1万歩歩いていた計算になります。地図も東京を出発し、千葉県の海岸沿いをぐるりと一周、

後数十キロで茨城県にとどくところでしたが・・・・。

 

ズボンのポケットに入れたまま、洗濯機にポイ、洗ってしまったのです。

最終のデーターは残っていましたが、歩数はカウントしなくなり、漏電のためか何度電池を取り替えても1日でパー!

紛失するかもしれないという心配はあったものの、まさか洗ってしまうとは!

こりない私はまた同じ製品を買い、東京日本橋からスタートやり直しです。

同時期に歩き出した夫は既に福島県入り。もう競うのはやめました。とても追いつきませんもの。

ちょっぴりショックな出来事でした。

 

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 先の記事に頂いたコメント返しがおくれておりますが、

コメント欄開けました。よろしくお願いいたします。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドライチンネン一周ハイキング

2015年08月04日 | 海外旅行

<7月15日>

旅行最後のハイキングです。

この旅行のハイライトというべきドロミテでもっとも有名な岩峰ドライ・チンネン一周ハイキングです。

このハイキングの様子を記す前に、ドロミテの誕生とその名前の由来について簡単にお話したいと思います。

ドロミテの山塊は今から約2億4000年前は、海の底でした。

海の底には微生物や珊瑚、貝殻などが堆積し厚い層が出来ていました。

約4000万年前頃、地殻変動で海底堆積物が押し上げられ、地上2000m~3000mまで隆起し、

今のアルプス山脈やドロミテ山塊が海上に姿を現したと言われています。

ですから日本の山と違い火山ではありません。

他のアルプスと違い特徴あるドロモテ山塊は多くの地質学者の興味を引き付けました。

1971年フランスの地質学者デオダ・ドゥ・ドロミューという人がその岩石が炭酸マグネシウムの含有量が多い苦灰石であることを突き止めました。

彼の名に因んでその岩石はドロマイトと名付けられ、そのドロマイトで出来た山群であることからドロミテと呼ばれています。

 

前置きはこれぐらいにして・・・・。

ハイキングの前にまだ観光客も少ない静かなミズリーナ湖に立ち寄ります。

逆さドロミテ山群を静かな湖面に映すミズリナー湖のなんと美しいこと!

さてドライ・チンネンとはドイツ語で「三つの塔」という意味。イタリア語ではトレチメと言います。

オーロンツォ小屋の駐車場に専用車をとめ、時計と反対回りにハイキングスタートです。

前回の地図の白線部分です。

本当は7つの岩峰からなっている山塊で、それぞれに名前が付けられているそうです。

が、丁度スタート地点から反対側で3つの塔に見えることからドライチンネンと呼ばれています。

ぐるりと一周することで、いろいろな形に変化するドライチンネンを楽しむことができます。


<9時30分ハイキングスタート>


<第一次世界大戦時のイタリア軍の防護壁の残骸です>

ラバレード小屋までは平らで広いらく~な道ですが、その後徐々に高度を上げるていくと、

あの有名な3本の迫力あるドライチンネンが迫ってきます。聞きしに勝る見事な景観です。


<>


<エーデルワイズ>

 

大分回り込み横方から見上げるドライチンネン。三本に見えてきました。素晴らしい青空です!

 ほぼ正面から見たドライチンネン。左から2857m 3001m 2973m。

6日間のハイキングで少しスリムになった(?)私?てなことはありません。夫の写真の撮り方が上手いだけ。
ボカシ無しの大サービス。拡大なんかしないでね (苦笑)。

昼食をとったロカッテリ小屋(2405m)。ここからドライチンネンが正面に見えます。上2枚の写真はこの辺りから撮りました。

ここまでを往復するハイカー、観光客が殆どで、大半の方々がここからまた来た道を引き返します。が、私達は一周。

これから先は時折すれ違い、追い越す人ありの静かなハキニングでしたが・・・・。

一旦大きく下り、また登り返します。この登り返しがきつかった! 


<大きく下った地点では牛たちがのんびりと牧草をムシャムシャ>

延々と続く登り返しの道が目の前に見えるのですから、わ~これは大変!泣いても笑ってもこれが最後
のハイキング、頑張るぞ~!


<道はとても整備され、歩きやすいので助かります>


<ドライチンネンがどんどん遠退いて行きます>

 

標識もとてもしっかりしていて、迷うことなどはなさそうです。

しかしトレールはいったい幾つあるのかしらと思うほど、あちらこちらに道があり、何度来ても楽しい所でしょう。

スタート地点に戻り、帰路再びミズリーナ湖に寄りました。

後方の岩峰は今歩いて来たドライチンネンです。大分雲が出てきましたが、最後まで雨に会うことはありませんでした。

旅行中一度もレインウェアーを着ることもなく、好天に恵まれた9日間でした。

翌日早朝コルチナのホテルを発ち、ベネチア、アムステルダム経由で帰国。大満足のハイキング旅行でした。

ツアーリーダーのHさん、ツアー仲間の皆様大変お世話になりました。有難うございます。

そしてお父さん、いつもの優しいフォロー、ありがとう!

お花のアップが未だですが、必ずまとめて後日アップ致しますのでお待ちくださいね。

ここで一旦日常のブログに戻したいと思います。長々とお読みくださり有難うございます。

 

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ宜しくお願い致します。

 

 

 

コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の見た世界遺産ドロミテの全て!

2015年08月02日 | 海外旅行

どうしてこんなに暑いのでしょう。

わが町は昼間は静まり返っています。蝉の鳴く声もせず、車や人通りも少ないです。

家から数分のコンビニに出かけましたが、頭がクラクラして、気分が悪くなりました。

皆様はこの厳しい暑さをどう乗り切っていらっしゃるのでしょうか。

 

海外山旅の続きですが、なんだかこの暑さで脳味噌までも溶けてしまったのか(しら苦笑)。

どんどん記憶が薄れ、まとめる気力を失くしています。

日付と時間を追いながら写真の整理をしているものの、イタリアドロミテは岩峰、岩峰、岩峰の連続・・・・・。

今振り返って写真を見ても、どこかどこやら?????。

夫にも手伝ってもらい、日を追って主な写真だけのアップで、細かい説明はお許しいただきたいと思います。

まず旅行社から貰ったイタリアドロミテの概念図です。写真を見る参考にしていただければと思います。

<7月13日>

黒い線で囲んだ地域をハイキングしました。

モンテ・パナという所からチェアーリフトでモンテ・デ・セウラ(2025m)まで一気に上がります。

怪峰と言われるサッソルンゴの直下を辿り、迫力ある岩峰やセッラ山塊の特徴ある山容を眺めながら、

セッラ峠小屋(2180m)へハイキング。


<怪峰サッソルンゴを背景にツアー仲間と>

その迫り来る岩の峰々の景色たるや圧巻としかいいようがなく感嘆の連続です。

日本では決して見られないやや異様とも思える光景です。


<セッラ峠の一人乗り用ゴンドラ たったまま乗ります>

そんな中にもお花畑は広がり、岩陰にはひっそりとあのエーデルワイズが咲いていました。

<7月14日>

この日は白い点線部分のエリアをハイキング。やはりリフトを利用し、2225mの地点へ。


<リフト終着駅 スコイアットリ小屋(2225m) ここからハイキング開始>

ーロッパアルプスはどこも交通機関が発達し、至るところに山小屋、レストランがあり、

老若男女気軽にハイキングできる環境にあります。日本の山とは大違いです。

家族連れも多く、子供たちはとても楽しそうに歩いています。

大パノラマの展望地にたつアベラウ小屋をめざして。


<アベラウ小屋>

  
<アベラウ小屋でランチ ツアーリダーHさんと現地ガイド アンドレア>

こんな山の上でも美味しいイタリアンが頂けます。

ここからはドロミテを代表する名峰マルモラーダやベルモを望みながら長い下りです。


<ドロミテ山群最高峰のマルモラーダ(3343m)>


 <現地ガイドアンドレアと私 一体何語で喋っているの?>

 

ゴールはファルツァレーゴ峠(2109m)。専用車でドロミテの岩峰に囲まれたリゾート地コルチナに向かいます。

 

連泊となったこの二日間宿泊したイタリアオルティセイの街は山間のリゾート地、とても美しい町でした。

早朝散歩をした静かな街並みを写真で紹介します。

   

 


<山側の風景>

一気に書き上げるつもりでしたが、やはり無理でした。最後のハイキングとなるドライチンネンは次回と致します。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ宜しくお願い致します。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする