世界に一つだけの姥花日記

貴方は貴方らしく私は私らしく、世界にただ一つだけのきれいな花を一生懸命咲かせましょう。
シニア主婦の平凡な日記です。

読書

2017年05月18日 | 読書&映画&ドラマ

なぜ急にこんな古い小説を読む気になったのか?

誰の記事であったか忘れたが、あるブロガーさんが、原田康子著「挽歌」を読み直し、

その文体の素晴らしさに感動したというような記事を書いていらした。

そういえば大学生の時、この本を読み、世間知らず、初心(うぶ)な私は大きな衝撃を覚えた。それだけは鮮明に思いだす。

しかしあらすじはよく覚えていない。いわゆる一言で言えばW不倫小説だったかと。

そこで何となくもう一度読んでみようと、図書館でふと手に取って読み始めた。

初版は昭和36年、昭和30年ごろの釧路を舞台にした恋愛小説だ。

当時ベストセラーとなった小説!おそらく私と同世代の方々、特に女性は多くの方々が読まれていると思う。

前半はやや退屈する場面もあるが、後半はまるで推理小説並みの面白さ、ぐんぐん引き込まれ、あっという間に読了。

主人公怜子の言動は理解に苦しみ、共感することはできないが、やや屈折しているとはいえ、その真っすぐさに魅かれるものがある。

こんな官能的、スリリングな小説だったかしらと、改めて驚いた。

作者の、登場人物の揺れ動く感情の微細な描写は素晴らしく、自分をその人物に重ね同化し、のまれていくのを感じた。

何を隠そう、すでに時効、私も大学生の時、完全な片思いであるが(ここを強調)妻子ある男性に恋をしたことがある。

確か当時37,8歳、私の通う大学の助教授であった。とても人気があり、彼に憧れを抱いていた女子学生は私だけではなかった。

先生の研究室に用を作ってはしげく通った。先生の自宅と同じ方向に下宿先があった私は、時折一緒に帰ることもあった。

勉学のことで話が弾み、帰路お茶に誘われたこともあった。飽くまでも師弟の関係で。

この小説を読み、ふと浮かんできた懐かしい懐かし~い青春時代の甘酸っぱい思い出。

あらら、一体私は何を言っているのだろう!あな恥ずかし・・・・・。

話をもとに戻す。

 

小説の面白さはやはりその舞台となる情景が目に浮かぶことにあると思う。

原田康子さんのこの小説は場面場面の描写も克明で、まるで自分がその場にいるような気さえしてくる。

やや退廃的、エキセントリックなストーリーかもしれないが、若さゆえの残酷さ、危うさ、はかなさを、

この年齢になったがゆえに理解できる気もし、幅広い年齢層の読者を惹き付ける小説だと思った。


 

いつもお読みいただきありがとうございます。                    

 お帰りにバーナーをクリックしていただけると、書く励みになります。      

  にほんブログ村                           





コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少しほっとしている私

2017年05月16日 | ガーデニング

梅雨の走りを思わせるぐづついたお天気が続いていましたが、東京地方、今日は4日ぶりの晴れ間。

沖縄ははや梅雨入りしたとのニュースが飛び込んでまいりました。例年より少し早いとか。

季節は刻々と移り変わっていくのですね。この調子ではぼ~っとしている間に今年も半分終わってしまいそうです。

 

6月末に催行予定となっていた海外トレッキング旅行、楽しみにしていましたが、キャンセルが入り催行できなくなりました。

ギリギリの人数だったので致し方ありません。旅行会社も大変ですね。

今はいろいろ物騒なことの多い世界情勢、海外に出るのにも相当な勇気が要ります。

私が好んで参加する海外ツアーは山歩きがメインで、観光は殆どしません。だから安全?

いえいえそんなことはありません!空港は必ず通らなければならず、空港でのテロは多いですから決して安全とは言えません。

それでも海外へ行きたい、なんなのでしょうね~。より非日常の空間に自分を置きたい。その願望が強いです。

日本と違い、海外の山歩きはとっても楽です。山岳交通機関も発達していて、簡単に3000m級の山に登れてしまいます。

トレールもとてもよく整備されていて、歩きやすいですし、山小屋も山小屋とは思えない雰囲気です。

ですから昨年のようにひとりで参加することにも全く躊躇いがありません。

さて、中止になってなぜ少しほっとしたかと言いますと、今年はベランダガーデニングを再開、留守中の水やりに頭を悩ませていました。

暑い時期に10日間前後、対策なしに留守にすることは植物を全滅させることに等しいです。

それで催行中止になったことは少し残念ですが、お花たちの水やり対策を考えなくてよくなったことにほっとしています。

これで安心して夏のお花を増やし、楽しむこともできそうです。

種から育てたインパチエンスの苗がこんなに大きくなりました。もうすぐ蕾が付くでしょうか?


ペチュニアはまだまだですが、順調に育っています。多すぎてちょっと困りもの。どこかに養子に出すことにしましょう。

薔薇も今が一番花つきもよい時期でしょうか。

うどん粉病にかかって弱っていると思った「うらら」ちゃん、一番たくさんのお花をつけ、こぼれんばかり、花もちもいいです。

我が家の薔薇三種 左から”うらら フリージア ファビュラス”

全てフロリパンダ種、四季咲き

うどん粉病って薔薇だけではないのですね。お隣のビオラが感染、すっかり弱って汚くなってしまいました。

種を採取するつもりでしたが、諦め、すべて抜き取りました。近日中にインパチエンスと入れ替えるつもりです。

ベランダが狭く、思うように植物を育て置くことができませんが、手広くすると必ず後で後悔する私。

これぐらいでちょうど良いのかもしれません。

 

いつもお読みいただきありがとうございます。                   

 お帰りにバーナーをクリックしていただけると、書く励みになります。

今日からまた承認制ではありますが、コメント欄を開けてみます(気ままですが)。

どうぞ宜しくお願いいたします。     

  にほんブログ村                           

 

 

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫たちに捧げるブログ

2017年05月14日 | 家族

私には孫が三人おります。

長女の子供が、今年大学生になったお姉ちゃんと高校2年生の妹ちゃん、そして長男の息子はちびっこアルピニストのY君。

3人ともとっても可愛い私の大事な大事な宝者です。

今回あるきっかけで、大学生になった一番上の孫娘が私のブログを楽しみに時々読んでいること知りました。

おばあちゃんのブログなんて興味ないだろうと思っていた私は意外でした。まさか読んでいるとは!

と言っても私の毎日に興味があるわけではなく、私が綴る自分たちの話題に関心があるようです。

私がブログを綴り始めたのは以前のブログから通算で今9年目になります。

お姉ちゃん孫はまだ小学校4年生、現在小学校5年生の一番下の孫息子は1歳10ヶ月でした。

その頃の自分たちを簡単に振りかえられるのが私のブログ!彼らにとっては思い出がいっぱいのブログなのですね。

そこで私はあることを思いつきました。

2008年4月からの孫たちとの触れ合いを綴った記事だけを抜粋コピーして、新しいブログを立ち上げること。

しかしぼかしを入れているとはいえ、さすがにそのようなブログを公開するのは憚られます。

それに読んでほしいのは子供たち家族だけですし、子供たち家族が読みやすくするためのブログ。

公開する必要性は全く感じません。鍵付きブログにするにはどうしたらよいのかしら?

goo事務局に尋ねてみましたが、gooブログにはブログそのものに鍵を付けることはできないそうです。

しかしカテゴリーごとにパスワードを設定し、非公開にできることを知りました。

gooブログをご利用の皆様、ご存じでしたか?そんなことができるなんて、私は全く知りませんでした。

孫専用の新しいブログはカテゴリーをひとつに統一し、パスワードをかけました。

孫関連だけでも、9年間分、100以上にのぼる記事を多少編集を加えながらコピペすることは大変でしたが、

昔を振り返り、思いがけず楽しい作業となりました。

これからも孫関連記事は本来のブログにアップすると同時に、孫専用のパスワード付きブログにもアップし続けるつもりです。

そして私の最終目的は・・・・・・?

私がブログをやめるとき、この孫たちとの思い出を綴ったブログを「本」にして、3人の孫たちにプレゼントすることです。

おばあちゃんとの大切な思い出として!


            

子供たちから母の日のプレゼントが届きました。

娘夫婦からは豪華な鰻セット、息子夫婦からはペアのランチ券。

皆仲良く円満に暮らしてくれていることが、何よりの母へのプレゼント、それで十分です。

本当にありがとう!感謝、感謝の母です。

 


いつもお読みいただきありがとうございます。                   

 お帰りにバーナーをクリックしていただけると、書く励みになります。     

        にほんブログ村                           

 



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れ物

2017年05月12日 | 日常の生活

ここ二日間、続けて忘れ物をした。雨傘と日傘!

落としたというのではなく、完璧に置き忘れたというべきだろう。

雨傘は一昨日の水曜日のこと、バスの中に忘れてしまった。手から外し、座席横のポールに掛けたのがいけなかった。

バスから降り、数歩あるいたところで気づいたが、すでにバスは発車、間に合わなかった。

すぐにバス会社の忘れ物取り扱い部署に電話をしたが、10分もたっていないのだから届いているはずがない。

傘の特徴と、自分の名前と電話番号を告げ、届いた場合は電話をかけてくれることになっていた。

きっと車庫に入るまで誰も気づかなかったのか、夜遅く電話があった。

結局運転手がバスを降りるとき車内を確認、傘の忘れ物に気づいたのだろう。でてきて良かった!

子供たちからプレゼントの少し高価な雨傘だったから。ビニール傘なら放っておくのだけれど。

お取り置き期間は1週間、それまでに某営業所に身分証明書をもって取りに来てほしいとのことだった。

それで今日、とりに行った。ここまではよかったが、ここからが、私の頓馬なお話!

無事傘を受け取りほっとして、帰路についたのはいいのだけれど・・・・・・。

そのバス会社某営業所の前にバス停があった。普段は利用しない路線だったが、寄り道の予定があったので、バスを待った。

バスを待つ乗客は私ひとり、薄汚れたベンチがひとつ置いてあった。そこにヨイショと腰を掛けた。これがいけなかった!

傘をベンチ横に立てかけた。暑いので丁度上着を脱ぎかけているそのとき、バスが来た。

慌ててて、片腕をまだジャケットの袖に突っ込んだまま、バスに飛び乗った。しまった!

数分前に受け取ったばかりの傘をまたもや置き去りしてしまったではないか。なんというおバカさんな私!

しかし今回もすぐに気づいた。次のバス停で降りUターン。

傘はまたまた置き去りにした私を怒るでもなく、チョコンとベンチに立てかけられていた。ごめん、Umbrella!

もう決してあなたに寂しい思いをさせることはしません。大事にします。


もう一つの傘の忘れ物は今度は日傘!雨傘を忘れた翌日のこと。

秋葉原の眼科の傘立てに。これもはっきり記憶にあったので即電話をし、次回の診察日まで預かってもらうことにした。

二日間も連続で傘の忘れ物をするなんて、我ながら呆れ情けなかった

自慢ではないが、あまり忘れ物、落とし物をすることのなかった私。これも老化?そう思いたくないが・・・・。


70歳になりシルバーパスを持つことができ、気軽にバスを利用するようになった。

バスはのどかで楽しい。地下鉄や電車にはないホットな空気が車内に流れている。みんなゆったりしている。

「隣は何をする人ぞ」の大都会東京なのに、お隣の席に座ったおばあちゃんと世間話をしたりもする。

子供たちは降車するとき、必ず「ありがとうございました」と大きな声で挨拶をする。見ていてとてもさわやかな気持ちになる。

バスの中に忘れ物をしたけれど、バスはいいな~と思う今日この頃。


 

いつもお読みいただきありがとうございます。                  

 お帰りにバーナーをクリックしていただけると、書く励みになります。    

      にほんブログ村                          



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月丘夢路さんと私

2017年05月10日 | 読書&映画&ドラマ

先日往年の大女優月丘夢路さんがお亡くなりになりました。享年とって95歳でいらしたそうです。

「月丘夢路さんと私」などという大それたタイトルを付けると、まるで大女優と私が知り合いであるかのように誤解なさる方がいらっしゃるかもしれませんね。

いえいえ全く存じ上げない雲の上のお人でして、このようなタイトルをつけることも失礼、おこがましいことかもしれません。

ただ私は小学校1年生の時、彼女の代表作とも言える映画「ひろしま」にエキストラとして出演しました。

そしてそれがご縁で月丘さんが私の母校広島市立F小学校を撮影の合間に訪問なさったとき、児童代表で花束を差し上げました。

子供心になんて美しい方だろうと感動したことを今でも鮮明に覚えています。

月丘さんも同じF小学校の卒業生で私の大先輩にあたります。

私がエキストラとして映画に出演することに決まり、一番喜んだのはまだうら若き母でしたかしら?(笑)

月丘夢路、山田五十鈴、二枚目俳優岡田英二などに会えるかもしれないと・・・・。会えたかどうかは知りませんが。

当時月丘夢路さんはほぼ母と同年齢であったと思います。

その当時のおぼろげに覚えていることを3年前の8月9日の記事に綴っています。

タイトルは「あなたはこの映画を直視できますか?」

横着をしてここに当時の記事をコピーいたします。

その記事の再度のアップをもって心からの月丘さんへの哀悼の意を表したいと思います。

 

今日は長崎に原爆が投下された日、8月9日です。

前回の記事に続き、心からの平和を願って、原爆に関する記事をもうひとつアップすることにいたしました。

皆さんはこの映画をご存知でしょうか?1953年に製作された「ひろしま」という映画です。

この映画の紹介には、被爆シーンがあまりにもリアルで悲惨ゆえ躊躇われましたが、被爆2世のひとりとして、

核の恐ろしさを直視して頂きたく、勇気を持ってYU-TUBEの映像をお借りし、アップいたしました。

被爆者である母の話では、この映画の興行に当たっては、配給元である松竹がGHQとの軋轢を恐れ、協力を拒んだとか。

それゆえ、長い間「幻の映画」と言われてきました。

この映画には沢山の広島市民がエキストラとして協力しています。

広島出身の女優「月丘夢路」さんも、ノーギャラの無報酬で出演したと聞いています。

詳しくはコチラをご覧下さい。(色に変わっている部分をクリックしてください)

映画「ひろしま」予告編_修正版(ムシカ) 、


画面右下の全画面をくりっくし、フルスクリーンでご覧下さい。 

実は私も姉もこの映画に出演しています。私は小学校1年生、姉は3年生でした。

出演することになったきっかけは・・・・・

1年生の時の担任の先生(今でも覚えています、林先生)が市民劇団の一員であったことにより、
オーディションに参加(なかば強制的)、選ばれました。

監督(助監督だったかな?)が小学校にやってきて、歩いたり声をだしたりのいくつかのテストがあったことを、
今でも鮮明に覚えています。

姉は私の撮影に母と共について来て、監督の目に留まり、スカウト(?)され、出演することになりました。

2人とも、ちゃんと「セリフ」もあったんですよ。私は原爆投下前、姉は投下後の子供としての出演でした

そんなこともあって、全編観てみたい気がしますが、都内では上映されていませんし、DVDの貸し出しもありません。

広島在住の叔母の話では広島では希望すればいつでも観賞することができるとのことですが・・・・。

機会があれば姉と共に是非観てみたいものです。

 

「核の恐怖」を知り、「戦争と平和」について考えさせられる幻の映画「ひろしま」!

皆様にも観賞する機会がありますことを、被爆2世のひとりとして、願ってやみません。


いつもお読みいただきありがとうございます。                 

 お帰りにバーナーをクリックしていただけると、書く励みになります。   

      にほんブログ村                         



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする