今日は沖縄本土復帰50年です。
1972年5月15日、私は弟と東京の蔵前国技館で大相撲夏場所を観戦していました。
国技館が両国に戻る前です。
当時私は23歳。
相撲好きな私のために横浜の叔父がチケットを手に入れてくれて1階升席の後ろの椅子席で照明が暗い序の口から見ました。
私が飛び入りで対戦しても勝てそうな相撲に思えましたがもちろん適うはずもありません。
十両土俵入りで場内が明るくなって、当時ファンだった大鷲の往復ビンタみたいな張り手を見て興奮しました。
幕の内土俵入りでは照明が全部点いて更に明るくなり、横綱北の富士の土俵入りは8ミリカメラを持って通路の前まで行って撮影!
北の富士さんからも通路でカメラを回している坊やが見えていたと思います。
鮮明に記憶に残っているのが幕の内土俵入りで、当時東前頭3枚目の琉王が土俵に上がるとき「沖縄県出身 琉王」のアナウンスに場内は大歓声。
あの歓声は忘れられません。
沖縄が本土復帰したのだと実感しました。
国技館で相撲を見てから8年後の秋、新婚旅行は沖縄でした。
あれから50年、私は73歳。光陰矢のごとし。
あの日撮影した貴重な8ミリの映像です。
1972年5月15日、私は弟と東京の蔵前国技館で大相撲夏場所を観戦していました。
国技館が両国に戻る前です。
当時私は23歳。
相撲好きな私のために横浜の叔父がチケットを手に入れてくれて1階升席の後ろの椅子席で照明が暗い序の口から見ました。
私が飛び入りで対戦しても勝てそうな相撲に思えましたがもちろん適うはずもありません。
十両土俵入りで場内が明るくなって、当時ファンだった大鷲の往復ビンタみたいな張り手を見て興奮しました。
幕の内土俵入りでは照明が全部点いて更に明るくなり、横綱北の富士の土俵入りは8ミリカメラを持って通路の前まで行って撮影!
北の富士さんからも通路でカメラを回している坊やが見えていたと思います。
鮮明に記憶に残っているのが幕の内土俵入りで、当時東前頭3枚目の琉王が土俵に上がるとき「沖縄県出身 琉王」のアナウンスに場内は大歓声。
あの歓声は忘れられません。
沖縄が本土復帰したのだと実感しました。
国技館で相撲を見てから8年後の秋、新婚旅行は沖縄でした。
あれから50年、私は73歳。光陰矢のごとし。
あの日撮影した貴重な8ミリの映像です。