ワンライ参加作品から再掲。お題「海王ダルフィン」
ダルフィンさん初めて書きました。※オリジナル一般人視点。
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その日、彼は一人森を足早に歩いていた。
前日に隣町で仕入れた品物を故郷へと運ばなくてはならなかったからだ。細々と商売を続ける彼の家の店はお世辞にも大きいとは言えず、護衛を雇うような余裕も無い。『治癒』や『明かり』の呪文くらいしか覚えていない彼にとって、明るいうちとはいえ森を一人で歩くのは不安だった。
しかし、生きるためにはこうして稼がねばならない。学も無く、力も無い彼にとってはこうして今一人森を歩く他ないのだ。そう自分に言い聞かせながら、前日の雨で少しぬかるんだ地面を踏みしめていく。
そこで彼は、その「女性(ヒト)」と出会った。
美しく長い黒髪。黒目がちな瞳。華奢な身体に纏うのは、青を基調としたドレス。森に一人佇む彼女の姿は、とても現実離れして彼の目に映った。彼女の周りだけ、しいんとした静謐な空気が漂っている。
小さな泉を眺めていた彼女は、彼の気配に気づいたのか顔を上げた。その目が彼の姿を映す。その瞬間、彼の中で電撃のような衝撃が走った。
「……何かしら?」
立ち止り、黙って彼女の顔を見つめる彼を不審に思ったのか、彼女は首を小さく傾げた。その仕草すらも、彼の目を引き付ける。
――……可憐だ。
「あ、あの……っ」
真っ赤になり、慌てたように口を開いた彼に、彼女は手で口元を覆いくすりと笑う。
「?」
「可愛らしい方ね」
にっこりと微笑んで、彼女はそのまま彼から背を向けた。
このままでは行ってしまう。せっかく出会う事が出来たのに。
慌てた彼は、とっさに声を上げていた。
「あの、貴女のお名前は!? 俺はジョージですっ!」
彼女は立ちどまり、振り返る。
「……ダルフィン、と申しますわ」
「ダルフィン、さん……素敵なお名前ですねっ」
そう返した彼に、彼女は一瞬間を置いてから、にっこりと笑った。
「そう思うかしら?」
「ええ、ええ。とても!」
彼には学が無かった。魔道の心得もほとんど無い。『海王ダルフィン』の名など、聞いた事はあるかもしれないが、記憶に残っていなかった。だからこそ、彼の言葉は本当だった。
そんな彼に、人間の女性の姿を借りた海王ダルフィンは面白そうに笑う。自分の正体を「高位の純魔族」だと明かせば、目の前の青年はどんな表情を浮かべるだろうか。どんな負の感情を見せるだろうか。彼女の中で、抗いがたい好奇心がむくむくと膨れ上がる。
その好奇心に、彼女は抗わなかった。
「わたくしが魔族だとしても?」
「……は?」
彼女の言葉の意味が良く分からない、とばかりに呆けた顔をする彼に、彼女は思い切り邪悪な微笑みを浮かべて見せる。人間の恐怖を煽るように、唇の端をぐいと持ち上げ、にやりと笑う。
「高位の純魔族ならヒトの形を取る事が出来ると、貴方は知っていたかしら?」
「……ほ、本当に? 貴女が魔族?」
驚きで固まった彼を見て、海王はくすくすと笑う。予定外の獲物。殺さずとも、恐怖と絶望の感情はちょっとした間食になるだろう。
「そんな…」
青年は衝撃でその場に膝を付く。
予想通り目の前の青年から流れ込んで来た負の感情に、しかし彼女は驚きで目を見開いた。その感情には、「恐怖」は混じっていなかった。
流れて来たのは、「絶望」と「悲しみ」のみ。
「貴方が魔族なら……俺は、俺は……貴方と結ばれる事は出来ないのか……っ!」
悔しそうな声が、その言葉が森の中に響く。
「……」
彼女はあまりの事に言葉を失っていた。まさか、正体を明かしてなおこんな事を言う人間が居るなどと思わなかったからだ。今までも、彼女の人間の姿に惹かれて寄って来た男は何人も居たものだが、正体を明かせば皆泣きながら命ごいをした。
それなのに。
「俺は貴女に一目惚れしたんです。最後には殺しても構わない。いっときでも良い、一緒になってくれはしないでしょうか……」
まさか。真っ直ぐな目を向けてこんな事を言う人間が居るとは。
――これだから、人間という者は面白い。とても興味深い。
海王ダルフィンは堪え切れず、といった様子で笑いだした。くすくす笑いから、口を開け、胸に手を当てて楽しそうに笑う。
「ふふっ、本当に可愛らしい人ですわね」
二十年程しか生きていない人間の男など、彼女にとっては赤子も同然であった。
「……じゃあっ」
「でも、ごめんなさいね。わたくしには、そういった感情は理解出来ませんの」
肩を落とす青年に音も立てずにするすると近づき、彼女は彼の頬にそっと唇を寄せた。その冷たい感触に、彼は目を見開く。
「サービスですわ。……また、どこかでお逢い出来たら良いですわね」
そう言った途端、彼女は彼の前から姿を消した。
音も無く森から存在を消してみせた彼女に、ようやく彼は、彼女が『魔族』であると、本質的に理解したのだった。
***
「そうして俺は、彼女を探して毎日森に行くようになったんだ……」
「もー、じーちゃん。またその作り話してー」
幼い少年が、道具屋の老人に対し呆れたように笑う。その老人は少年が生まれるずっと前からこの店を構えているが、未だに結婚もしていないという。
「作り話じゃないわいっ!」
怒って杖を振りまわす老人に、彼は肩を竦める。老朽化甚だしいこの店も、この老人が亡くなればきっと取り壊されてしまう事だろう。継ぐ者が居ないのだから仕方が無い。
「……ま、でもそれで毎日森に行くために『烈閃槍(エルメキア・ランス)』まで覚えたってのはすげーと思うけど」
「だろうだろう!」
「でもまだ会えてないわけだろう?」
ジト目で言えば、老人は痛いところを突かれたとばかりに、胸に手を当てて呻いた。
「うぐっ……」
「もー諦めろよ。そんなのどーせ夢だったんだって」
「うるさいっ! 何も買わんなら出て行けっ!」
「あーもう分かった分かった」
朝の日課のような老人とのやりとりを終えて、少年は本来の用事である母親から頼まれた買い物を思い出し、道具屋を飛び出した。
その時。
どん、と音を立てて、彼は何か柔らかい物にぶつかった。
「あ、わっ、ごめんなさいっ!」
それが人間の女性だと気が付いて、彼は慌てて頭を下げる。そんな彼の頭の上から、くすくすと笑い声が降って来る。
「ふふ、良いのですわ。こちらこそごめんなさい」
見上げた女性は、それはそれは美しかった。長く美しい黒髪。黒目がちの瞳。そしてお姫様のような青いドレス。
少年に微笑みかけた彼女は、そのまま背を向けてどこかへ行ってしまう。
「……あっ、あの。この店に用だったんじゃないの?」
慌てて尋ねた少年に、彼女は笑って首を横に振った。
「もう、用は済んだから良いんですの。……彼は、やっぱり可愛らしい方のままだったみたいですわね」
少年には良く分からない言葉を残して、彼女はそのままゆっくりと歩いて行く。
その後ろ姿をずっと見ていた少年が、どこからともなく吹いた風に気を取られて目を逸らした瞬間、彼女の姿は消えていた。
終わり。
ダルフィンさん初めて書きました。※オリジナル一般人視点。
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その日、彼は一人森を足早に歩いていた。
前日に隣町で仕入れた品物を故郷へと運ばなくてはならなかったからだ。細々と商売を続ける彼の家の店はお世辞にも大きいとは言えず、護衛を雇うような余裕も無い。『治癒』や『明かり』の呪文くらいしか覚えていない彼にとって、明るいうちとはいえ森を一人で歩くのは不安だった。
しかし、生きるためにはこうして稼がねばならない。学も無く、力も無い彼にとってはこうして今一人森を歩く他ないのだ。そう自分に言い聞かせながら、前日の雨で少しぬかるんだ地面を踏みしめていく。
そこで彼は、その「女性(ヒト)」と出会った。
美しく長い黒髪。黒目がちな瞳。華奢な身体に纏うのは、青を基調としたドレス。森に一人佇む彼女の姿は、とても現実離れして彼の目に映った。彼女の周りだけ、しいんとした静謐な空気が漂っている。
小さな泉を眺めていた彼女は、彼の気配に気づいたのか顔を上げた。その目が彼の姿を映す。その瞬間、彼の中で電撃のような衝撃が走った。
「……何かしら?」
立ち止り、黙って彼女の顔を見つめる彼を不審に思ったのか、彼女は首を小さく傾げた。その仕草すらも、彼の目を引き付ける。
――……可憐だ。
「あ、あの……っ」
真っ赤になり、慌てたように口を開いた彼に、彼女は手で口元を覆いくすりと笑う。
「?」
「可愛らしい方ね」
にっこりと微笑んで、彼女はそのまま彼から背を向けた。
このままでは行ってしまう。せっかく出会う事が出来たのに。
慌てた彼は、とっさに声を上げていた。
「あの、貴女のお名前は!? 俺はジョージですっ!」
彼女は立ちどまり、振り返る。
「……ダルフィン、と申しますわ」
「ダルフィン、さん……素敵なお名前ですねっ」
そう返した彼に、彼女は一瞬間を置いてから、にっこりと笑った。
「そう思うかしら?」
「ええ、ええ。とても!」
彼には学が無かった。魔道の心得もほとんど無い。『海王ダルフィン』の名など、聞いた事はあるかもしれないが、記憶に残っていなかった。だからこそ、彼の言葉は本当だった。
そんな彼に、人間の女性の姿を借りた海王ダルフィンは面白そうに笑う。自分の正体を「高位の純魔族」だと明かせば、目の前の青年はどんな表情を浮かべるだろうか。どんな負の感情を見せるだろうか。彼女の中で、抗いがたい好奇心がむくむくと膨れ上がる。
その好奇心に、彼女は抗わなかった。
「わたくしが魔族だとしても?」
「……は?」
彼女の言葉の意味が良く分からない、とばかりに呆けた顔をする彼に、彼女は思い切り邪悪な微笑みを浮かべて見せる。人間の恐怖を煽るように、唇の端をぐいと持ち上げ、にやりと笑う。
「高位の純魔族ならヒトの形を取る事が出来ると、貴方は知っていたかしら?」
「……ほ、本当に? 貴女が魔族?」
驚きで固まった彼を見て、海王はくすくすと笑う。予定外の獲物。殺さずとも、恐怖と絶望の感情はちょっとした間食になるだろう。
「そんな…」
青年は衝撃でその場に膝を付く。
予想通り目の前の青年から流れ込んで来た負の感情に、しかし彼女は驚きで目を見開いた。その感情には、「恐怖」は混じっていなかった。
流れて来たのは、「絶望」と「悲しみ」のみ。
「貴方が魔族なら……俺は、俺は……貴方と結ばれる事は出来ないのか……っ!」
悔しそうな声が、その言葉が森の中に響く。
「……」
彼女はあまりの事に言葉を失っていた。まさか、正体を明かしてなおこんな事を言う人間が居るなどと思わなかったからだ。今までも、彼女の人間の姿に惹かれて寄って来た男は何人も居たものだが、正体を明かせば皆泣きながら命ごいをした。
それなのに。
「俺は貴女に一目惚れしたんです。最後には殺しても構わない。いっときでも良い、一緒になってくれはしないでしょうか……」
まさか。真っ直ぐな目を向けてこんな事を言う人間が居るとは。
――これだから、人間という者は面白い。とても興味深い。
海王ダルフィンは堪え切れず、といった様子で笑いだした。くすくす笑いから、口を開け、胸に手を当てて楽しそうに笑う。
「ふふっ、本当に可愛らしい人ですわね」
二十年程しか生きていない人間の男など、彼女にとっては赤子も同然であった。
「……じゃあっ」
「でも、ごめんなさいね。わたくしには、そういった感情は理解出来ませんの」
肩を落とす青年に音も立てずにするすると近づき、彼女は彼の頬にそっと唇を寄せた。その冷たい感触に、彼は目を見開く。
「サービスですわ。……また、どこかでお逢い出来たら良いですわね」
そう言った途端、彼女は彼の前から姿を消した。
音も無く森から存在を消してみせた彼女に、ようやく彼は、彼女が『魔族』であると、本質的に理解したのだった。
***
「そうして俺は、彼女を探して毎日森に行くようになったんだ……」
「もー、じーちゃん。またその作り話してー」
幼い少年が、道具屋の老人に対し呆れたように笑う。その老人は少年が生まれるずっと前からこの店を構えているが、未だに結婚もしていないという。
「作り話じゃないわいっ!」
怒って杖を振りまわす老人に、彼は肩を竦める。老朽化甚だしいこの店も、この老人が亡くなればきっと取り壊されてしまう事だろう。継ぐ者が居ないのだから仕方が無い。
「……ま、でもそれで毎日森に行くために『烈閃槍(エルメキア・ランス)』まで覚えたってのはすげーと思うけど」
「だろうだろう!」
「でもまだ会えてないわけだろう?」
ジト目で言えば、老人は痛いところを突かれたとばかりに、胸に手を当てて呻いた。
「うぐっ……」
「もー諦めろよ。そんなのどーせ夢だったんだって」
「うるさいっ! 何も買わんなら出て行けっ!」
「あーもう分かった分かった」
朝の日課のような老人とのやりとりを終えて、少年は本来の用事である母親から頼まれた買い物を思い出し、道具屋を飛び出した。
その時。
どん、と音を立てて、彼は何か柔らかい物にぶつかった。
「あ、わっ、ごめんなさいっ!」
それが人間の女性だと気が付いて、彼は慌てて頭を下げる。そんな彼の頭の上から、くすくすと笑い声が降って来る。
「ふふ、良いのですわ。こちらこそごめんなさい」
見上げた女性は、それはそれは美しかった。長く美しい黒髪。黒目がちの瞳。そしてお姫様のような青いドレス。
少年に微笑みかけた彼女は、そのまま背を向けてどこかへ行ってしまう。
「……あっ、あの。この店に用だったんじゃないの?」
慌てて尋ねた少年に、彼女は笑って首を横に振った。
「もう、用は済んだから良いんですの。……彼は、やっぱり可愛らしい方のままだったみたいですわね」
少年には良く分からない言葉を残して、彼女はそのままゆっくりと歩いて行く。
その後ろ姿をずっと見ていた少年が、どこからともなく吹いた風に気を取られて目を逸らした瞬間、彼女の姿は消えていた。
終わり。
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