夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2022年 7月21日(木)「川柳」

2022年07月21日 22時07分06秒 | 「政治・経済」
岸田首相が閣議決定で「民主主義を断固守り抜く」として安倍元総理の国葬を行うとした。
国葬を閣議決定で押し通すのということ自体民主主義に反するでしょう。
安倍元総理が殺害されたのは、政治的な主張に対するものではなくある宗教がらみからのものであることから民主主義が破壊されたわけではない。たしかに選挙運動中ではあったが、候補者でもなく演説内容によって殺害されたわけではなく、殺害するために近づける手段の場であったにすぎない。
これを民主主義への挑戦のような形にもっていくこと自体が詭弁であり反民主的な方法です。
日本の民主主義を守るには、国葬を行い国民の分断を行うのではなく、安倍政治および自公政権の民主主義における総括を行うべきである。
これから先も数の力である何でもありの国会運営を行うのか。
何も実現しなかった「国民への説明責任」という美辞麗句を繰り返すのか。
岸田首相は安倍元総理の政治路線を引継ごうとしている中で、民主主義を守り抜くという言葉自体が事実を曲げた言葉となる。
安倍総理の死に対して朝日新聞の川柳コーナーが批判されているようです。
「たとえば「忖度はどこまで続くあの世まで」など安倍氏を揶揄したものだ。」(FNNプライムオンライン)と川柳までが問題視される。
川柳とは、国民の日本国家への自虐的表現を含む文学的表現だ。
文学的表現を揶揄とすること自体が無粋である。川柳のようなものでも批判的に国葬を取り上げればその批判に対して「暗殺された安倍総理をあざ笑うかのよう」などというお門違いの言葉が出される。
暗殺というよりも殺害が正しいでしょう。川柳はあざ笑う道具ではない。忖度政治への会議は常にいまだに国民の疑念がある。
川柳も民主主義を破壊するものなのか、川柳表現を「あざ笑う」とすることが民主主義を破壊するものか。


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池に浮かぶ月1621【7月21日】

2022年07月21日 11時38分29秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は気温が上がり室内も30度越え。
その中でのオリンピックが。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2021年 7月21日(水)「室温32℃」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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