東京都の陽性率が昨日の段階で44.7%になりました。
異常です。
PCRなどの検査は陽性者を見つけるためと思われがちですが、それももちろん正しいのですが、同時に陰性者を発見するためのものでもあります。
検査を多く行えば、陰性者を多く見つけることができます。当然陰性者の方が多いのですから、陽性率は下がるでしょう。
ですから、陽性率が5%以下になる程度検査数を増加させなくてはいけません。
もちろんこの段階で陽性者も多く見つけられるのですから、隔離も多くなる。
これがゼロコロナでしょう。
いつまでたっても積極的疫学検査として濃厚接触者の後追い検査ばかりをしていれば陽性率はうなぎのぼりです。これは多くの市中感染者を野放し状態にすることになります。ここに限界が出てきます。
ですから最終的には行動規制をせざるを得なくなる。
ゼロコロナでも行動規制は起きますが、野放し状態でも経済規制につながる。
問題なのはこの行動規制をどの程度に抑えるかにありますね。
積極的疫学調査の限界から抜け出さねばならないことは確かです
疫学調査の矛盾は禁煙運動に見てきたところですが、この矛盾がコロナという社会問題にもなっている
以上ツイッターより
異常です。
PCRなどの検査は陽性者を見つけるためと思われがちですが、それももちろん正しいのですが、同時に陰性者を発見するためのものでもあります。
検査を多く行えば、陰性者を多く見つけることができます。当然陰性者の方が多いのですから、陽性率は下がるでしょう。
ですから、陽性率が5%以下になる程度検査数を増加させなくてはいけません。
もちろんこの段階で陽性者も多く見つけられるのですから、隔離も多くなる。
これがゼロコロナでしょう。
いつまでたっても積極的疫学検査として濃厚接触者の後追い検査ばかりをしていれば陽性率はうなぎのぼりです。これは多くの市中感染者を野放し状態にすることになります。ここに限界が出てきます。
ですから最終的には行動規制をせざるを得なくなる。
ゼロコロナでも行動規制は起きますが、野放し状態でも経済規制につながる。
問題なのはこの行動規制をどの程度に抑えるかにありますね。
積極的疫学調査の限界から抜け出さねばならないことは確かです
疫学調査の矛盾は禁煙運動に見てきたところですが、この矛盾がコロナという社会問題にもなっている
以上ツイッターより