夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「7月17日という日」

2024年07月17日 08時15分36秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
円が156円台まで急騰した。
また為替介入があったのか。河野さんが利上げを口にしたからとも。
日銀が為替介入を何回でも行うとしたことに対して政府が利上げ容認を、もちろん低い利上げ率ですが、利上げを行うことをにおわせて円安を止めようとしているのでしょう。
しかしこれも一時的な見せかけでしかないでしょう。
円高も利上げも企業利益を下げますから政府も日銀も本気ではできない。

≪過去の記事≫

【2004年】
外も家の中も、まるで脱衣場状態です。
風もない。。。。
天気予報では夜は雨だったのですがね。
朝早く雨季に向かって歩いていると、駅に向かう人たちよりも多くの若い人たちが駅から住宅地へと歩いていました。なんか、みんな朝帰りか。。。。?
若い女の子が歩きながら携帯のメールチェックをし、読みながら満面の笑顔。幸せそうです。
そんな中、僕の前をリュックが歩いている?リュックから足と手が生えたように歩いているのです。近づいてみると、まだ1年生になるかならないかのやせた小さな女の子でした。その後姿、ほんとかわいかったです。
しかしどこへ行くのだったのだろ?

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
ううう。。。食いきれない。
買い物に行き、商店街の八百屋さんの前を通ったら、大きなポリバケツの中にキンピラごぼう用のごぼうとにんじんを細く切ったものがあった。なんだかキンピラごぼうが食いたくなったので2皿買った。
ところが。。。。
八百屋のおやじ。。。。
何を血迷ったか、「おまけだよう!!」と、皿の上に鷲づかみにしたごぼうとにんじんをどさっと乗せた。今まで皿の上に盛られたものが倍以上に。それが2皿だからすごい量になってしまいびっくり。おまけしてくれるなら1皿でよかったのに。。。ううう
いちおう全部金平ゴボウにしてみましたが、やはり見ただけでうんざりしてます。
今夜は、この金平ゴボウと回鍋肉です。
回鍋肉のタレは市販のものを使い簡単に。。。
最近このような炒め物をするときには、やさいをさっと油通しします。この油通しというのがすごいものでして、野菜がパリっとおいしくなります。この前、酢豚を作ったときにやはりやさいを油通ししたら、いつもは残る野菜も完食。
一夜明け、新潟の地震災害の規模がはっきりしてきましたが、大きな災害だったようです。。。。新潟はこの前の自信から完全には立ち直っていない買ったと思うのですが、今度またですからねぇ。亡くなった方へのお悔やみと災害にあわれた方々へお見舞い申し上げます。
柏崎原発。。。。
ほんとに大丈夫なのかな。。。?ううう・・・
夏生さんのサイン会がどうなっているのかと思い、Papyrusの感想と一緒に手紙で問い合わせてみました。
サイン会がどのような形になるのか。。。。
まだ発表になっていませんね。
でも、おじさんが目立ちそうならちょっと躊躇しちゃいます。
サイン会も気になりますが、感想を書くというチャンスもそうはないので、夏生さんに読んでいただけるかどうか?(笑)
まぁ、中身は簡単なものですが。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
「五霞」とかいて「ごか」です。もう少し北に「古河」(こが)という地名があるのではじめは「うん?」と勘違いをしてしまいました。
施設内には地元五霞の物産もたくさんありました。お土産もたくさんあり、ドライブインという雰囲気が強かったです。農産物は別として、おいしかったのが「シュガーフランス」というラスクでした。バターかマーガリンの風味が強くて甘さも控えめでおいしかったです。おすすめですよ。。。。。
ちょうど昼飯の時間だったのでレストランに入りました。「レストラン華こぶし」
正直言ってあまり期待をして入ったのではないのですが、入ってメニューを見たらどうも豚肉料理が多い。。。。店内の張り紙やメニューをもう一度よく見たら「ローズ ポーク」という地元のブランド肉を使っているようでした。僕は久しぶりのソースカツ丼、娘は高い(ううう。。。。)ポークステーキを頼みました。肉はすごくやわらかくておいしかったです。娘が食べたステーキは厚みもありおいしそう。。。。柔らかだったそうです。
値段もそこそこでボリュームがあり、米も地元産コシヒカリ。たしか御代わりも?(記憶違いでしたらごめんなさい)
駐車場は広くて大きなトラックがたくさん止まっていました。レストランのおいしさとボリュームにトラックの運転手さんも立ち寄るのか。。。。。。
今度はポークステーキにしよう。。。。。。高いといってもほかのメニューに比べて少し高いというだけで良心的な値段でした。
ラスクとローズポークによリ、ABCで言うならAに少し近いBかな。。。。。。。

駅のホームでカレーを食べた
ルーはまずくはないが
小さな肉が二つだけ
とろりと煮込んでいない肉
いつも食い終わってガックリくることがある
どうしてもカレーのルーが少なくて
ご飯が二口三口残ってしまうのである
いつもルーを節約しながら食べるのだが
途中で「これではおいしくない!」と
ルーをたくさんつけてしまう
福神漬けでご飯というのも侘しすぎる
やはりご飯は残る
ご飯はいいが、カレールー大盛りを
つくれば売れると思う
この間食ったカツカレー丼は悲惨だった
ご飯が半分残ってしまった

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
今後の原発依存をどのくらいにするかを決めるための意見聴取会が名古屋で行われ、20~25%を支持する立場で中部電力の社員と名乗る人が発言をしたという。
このような市民の考え方を聴く聴取会に一市民だとは言え電力会社の社員を入れること自体がおかしいでしょう。電力会社は市民の意見を聞く立場でしょう。無作為に発言者は決められているとはいえ、他の聴取会でも電力会社関連の人が選ばれているし、本当に無作為なのでしょうか。また、いろいろな意見を聴くために電力会社の人も入れたというものもあるようですが、それなら無作為の人選ではない。また、この電力会社の日との意見を違憲として集約するわけですから「やらせ」と言われても否定できないでしょう。
このような聴取会で8月末には原発依存度の結果を出すという。
市民は馬鹿にされています。
依存度を20~25%にするということでの安全性の意見として、福島の原発事故で放射能による直接的な志望者はいないし、今後もいないと信じるという考え方は狂っています。
僕たちは志望者がいるかいないかは確かにわからない。しかし健康への危険性は確かなものです。この危険性はいろいろな形であらわされていますし、政府自体も除染の必要性を言い、いまだに帰宅できない地域を定めて避難生活をさせています。放射能で死なないために除染や避難生活をしているわけでしょう。
このことを見ないで「ひとりも死んでいない」といった発言をすることは何を意味しているのでしょうか。
原発事故で死者が出ないから再稼働をして原発依存を維持するというそうとう軽々しい発想に電力会社があるということです。政府も。。。。。。
以前酪農家の方が自殺しましたが、それも風評被害で死んだで片付けられる。
慣れない場所で非難中に心労などで死期を早めた方も個人的原因でしょうか。
原発事故が東電の責任であろうが国の責任であろうが、賠償問題などのしりぬぐいをするのは、電気料金(家庭用電力料金値上げです)や税金という形で負担する国民です。
東電は独占企業であることから破たんはさせないという政府の手厚い保護(国民負担での)の基に再生が図られ、原発という固定資産を残すことからの電力会社の儲けを保障され、そのうちにまた以前のように株主配当も始まるでしょう。
あとに残るのは除染もされない山々に囲まれて山の水を使用しながら生きていく福島の人々と、思い電力料金や電力関連の税と増税される電気料金にかかる消費税を負担していく国民が残る。
この悲惨さを見ないで平気な顔で安全性を確認できない原発を20%以上も残すといえる厚顔さ。

【2013年】ツイッターつぶやき
今の社会では過労死などというまさに生存そのものが脅かされる事態も出ていますし、仕事上での自殺やもっと幅を広げれば経済上の問題での自殺者も増えているわけです。そしてその多くが若い人や高齢者。このような労働の場以外にも様々な意味において生存そのものが脅かされています。犯罪の増加による殺人事件が毎日のように起きていてその中にも経済的なものや金がらみです。
しかし、「生存の不安定性の増大」と言っても命がどうのということだけではありません。日々の生活が年々下がっていくこと自体も生存の不安定性です。あるいは下がっていなくてもその不安が常に付きまとうことも含めて。ドラマでシングルマザーやシングルファザーを題材にしたものがあるようですが、離婚や死別ひとつとっても片親だけで子育てをしていくにはほとんど公助的なものが見えずに苦しんでいる実態があります。離婚と言わずとも片方の親が重い病気になったら。。。。
正社員数は減少していき不安定労働が多くなっています。この不安定労働も生存の不安定性の一つでしょう。
まださまざまな問題があると思いますが、そしてそれは一人ひとり違う環境の中にあると思いますが、「生存の不安定性の増大」が今の社会に増え続けてきてこれからも増える心配が共有できないでしょうか?国や企業が安心を与えてくれる政策や要素が見当たるでしょうか?逆に限定正社員制度というものが出はじめていますし、ホワイトカラーエグゼンプション、公務員給与の減額や人減らしなど中間層と言われている人々にもその生存の不安定性が増す要素の方が強いのではないでしょうか?
今、世代間格差だ、官民格差だ、男女間格差といろいろと国民間を分断するようなものがはやっていますが、中身は例えば男女間格差をなくすために女性が働き続けて賃金も平等化するといった良い方向には向かわずに、だいたいがこの格差が言いだされたときには低いほうに合わせろでしょう。今はこのようなもので分断されている場合ではないはずです。
格差といえば、社会的に弱い人たちへの福祉や社会保障に対してそれを保証するための財源としての税の問題では、あんがい中間層は「なぜ貧乏人(ときには競争に負けたやつら)に俺が増税されなくてはならないんだ」といった意識が生まれます。これは昔からあったプチ・ブル的な意識を引き継いでいます。しかし上にも書いてきましたように中間層と言われている人々もその数を減らし続けて場合によっては生存の不安定性に巻き込まれるわけです。このような庶民の中にもある経済格差からのいがみ合いもどうにか克服して、社会全体のシステムの中で起きている「生存の不安定性の増大」を確認しあわなければならないのでは。
もちろんそれには今の政治が中間層を大切にしながら弱い立場の生活も保証するというシステムを取り戻さねばなりません。そこに向けての統一した意識形成が必要ではないでしょうか?

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
しばらく忙しい日々が続きます。
東京は猛暑日だそうです。
朝から雷が鳴ってさっと通り雨が降りました。
その後陽が射してきてかなり蒸しています。
なんだか、どっと疲れが出そう。。。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
資本主義が発達するほど商品価値は低下すると聞くと「えっ?」と思ってしまうと思います。
商品価値の低下というのはその商品が劣悪なものになっていくというのではなくて、その商品を生産するために労働力量が少なくなるという事から、現象面としては価格が安くなるという事です。
商品自体が劣悪になるというのは「商品価値」の低下ではなくて「商品の使用価値の低下」です。
資本主義はより安くてより良い商品を大量生産することが競争として行われます。現在も生産性の向上が言われています。この生産性の向上がその商品を生産するのに必要な労働力量を削減します。同じ労働力量でより多くの商品が生産されれば1個当たりの商品価値は下がるという事です。
ある企業の商品価値が下がることにより、同じ商品を生産する企業に対して競争力がつきますし、商品自体を価値以上に高く売ることができます。他の同業企業がその生産性からの商品価値から100円で売っているとき、生産性が上がった企業は90円で売れるところをほかの企業と同じように100円で売ることができます。90円で売れば市場を独占できます。もちろん商品の使用価値は同業各社ともに同じ場合ですが。
他の企業も生産性が上がっていくとその商品の市場での価格は90円となっていきます。
ある商品は100円から90円となりますから物価が下がったことになります。日本中の企業で同じことが起きればデフレという状態になります。
物価安、デフレは資本主義経済の法則です。ですからこの放送句に従う事しかできません。ですからアベノミクスだ日銀緩和だと言っても物価は上がりません。90円になった商品を100円で売れるようになったとしても商品価値は90円のままですから貨幣価値が10%低下しただけとなります。これは悪性の物価高以外のものではありません。そのうえ社会保障や賃金が10%上がらないのですから貧困が進むだけで個人消費は低下します。
デフレが法則であるとすれば、その中での経済の発展を考えるべきなのです。
デフレ経済のもう一つの現象面は、労働者がより安くなった商品を買うことになりますから個人消費は延びます。同時に生産性の向上は労働力量を一定に保てば商品量を増加させます。安くなった商品をより多く消費する社会となります。同時に労働力量の過剰が生じますが、これは労働者の労働時間の削減が行えるという基礎となります。
これこそが資本主義経済が求めている経済の発展の状態なのです。
ここに待ったをかけるのが、企業の経営者や株主や富裕層や政治家などその他企業に寄生する人々です。
この人々がアベノミクスやら日銀緩和を進めている。現在の経済矛盾は政治矛盾なのです。政治さえ変えていけば資本主義経済は生き生きと発展するのです。

【2019年】ツイッターつぶやき
朝日新聞1面と3面に「「階級社会」中間層を襲う転落不安」という記事があった。
この記事の著者は大きな誤りをしている。
労働者の階層化を「階級」として扱っている。
階級という場合は、労働者階級という労働力を売ることでしか生活ができない階級を言う。
中間層も下層の階層も同じ労働者階級である。これを見誤ると、今の社会の中で「正社員(中間層)が派遣やパートなどを搾取している」といったとんでもない論理が生まれる。
昔から「労働貴族」という言葉があった。労働者階級の中でも恵まれた階層で下層の階層を見下したり、低賃金を当たり前のように思う労働者の階層である。この意味で労働貴族ともいうべき階層が増加をして下層の階層と対立する場面が生まれているでしょう。
しかし、この労働貴族(中間層の一部)もその不安定さが増大をする社会になっている。これまでの企業の省力化(人減らしと低賃金化)はブルーカラー層で行われてきた。しかし今の社会は正社員の減少と非正規労働者の増加に向かっている。この中でホワイトカラーという比較的恵まれた階層も非正規労働者化をし、IT革命といわれる社会はさらに非正規労働者化と省力化が進む。すでに経団連は終身雇用を否定している。民間労働者の中間層の不安定化と公務員労働者の労働貴族化が進むでしょう。
これを階級社会とよんだらひどい結末が待っているでしょう。労働者階級の階層化に反対をしなくてはいけないのです。

【2020年】ツイッターつぶやき
東京での新感染者数は293人でした。
全国的にも感染者数は増加傾向を示しています。東京ほどではないとはいえ感染拡大が大都市圏に集中しています。
東京も7月に入ってから50人程度の感染者でしたが一気に300人ほどに増加をしてしまいましたが、東京隣接県や大阪と大阪に隣接する県愛知そして福岡とその感染者数を見るといつ東京と同じ感染拡大が発生するかわかりません。
東京は検査数が多いから新規感染者数も多いとされますが、検査数が多くなっても陽性率は高まっておりそれは潜在的な感染者数の多さを示しています。他の大都市圏でも同じように潜在的な感染拡大があると見たほうがよいでしょう。
東京はGo Toトラベルから除外されましたが、すでに東京都は都外への移動の自粛を言っています。神奈川も何らかの自粛を求めるようです。他の大都市圏も同じ状態になる可能性が大きくなっています。東京ほどでもないとしても大都市圏としては何らかの自粛を求めるならばそれはGo Toトラベルへの懸念となるでしょう。
国は東京だけを除外している中で他の大都市圏の状態を今後検討することになる。旅行等は人口の多い大都市圏からの人の移動ですから、ここが立たれればGo Toトラベルの経済効果の意義もなくなってきます。
7月23日から4日間連休となりますが、この連休に人の移動を促進させるのか、人の移動を抑えるのか。ここは重要でしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
イギリスで1日の新規感染者数が5万人を超えたらしい。
昨日が4万人程度ですから急激な感染者増になっています。サッカーの試合では数万人の観客が入り試合後にも街中で森がったようですが、このような状態が感染の拡大につながったかのせいがあると言われています。それでもロンドンでは公共機関などをのぞいてマスクはもちろん規制の撤廃がされるそうです。
なぜこのような規制の撤廃が感染者増の中で行うのか。5万人もの新規感染者数があるにもかかわらず死亡者数は50人弱だそうですから、感染者が多く出ても死亡する人が少ないのだから構わないといった論理でしょうか。
イギリスでは去年感染拡大がはじまったころ、集団免疫をつくるのだと規制を行いませんでしたが、その後失敗だったとしてロックアウトにもなりました。そして最近ではワクチンのシュッシュ率が進み規制の撤廃がされはじめていました。しかしこのワクチンに頼った規制の緩和も集団免疫ですから、イギリスはまた集団免疫の論理に戻ったのでしょう。
日本でも感染拡大が決定的になり大木派が言われはじめ、東京では新規感染者が1400人を超えました。
その中で、感染拡大はしているが重症者や死亡者がそれほど増加をしていないということで、問題は死亡者が増加をしないことを見るべきだという意見が多くなっています。オリンピックは無観客でと決まっていますが、この無観客への批判も出始めてIOCバッハ会長が有観客を要望しはじめています。すでに開会式まで1週間無い状態ですがすでに子供たちにはオリンピックを見せようという動きになっています。
尾荒リンピックまでにはワクチン接種もさらに進むでしょうからイギリスの様にワクチンに頼った集団免疫がはじまるかもしれません。
しかしワクチンは感染予防には役立たずで重症化死亡を減らすものでしかないということがはっきりしはじめています。それはイギリスやイスラエルを見てもわかります。しかし感染拡大がはじまってから重症者や死亡者数は時間差を置いて増加します。ワクチンがどのくらい死亡者を減らすかはわからないでしょう。ですからイギリスでは3回目のワクチンを言い出しています。
世界の中で、アメリカ、イギリス、イスラエルそして日本などがワクチン依存を深めながらのコロナ対策に移って生きのかもしれません。
しかしワクチンに依存するということはワクチンの人への副作用も大きくなっていき、コロナ自体もまた耐性を強めるかもしれません。
人間は負けるでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
岸田総理の看板は新しい資本主義でした。
しかし格差是正や賃上げを行う中で経済の好転を目指すということから、経済の好転がなければ賃上げも格差是正もできないとトンダウンしました。トーンダウンしたというよりも逆立ちをしてしまいました。
結局はアベノミクスを引継ぐことになります。
安倍元総理もアベノミクスの成果を国民生活にも行き渡らせるというようなことを言っていましたが、賃上げはもちろん男女平等も何も国民生活の豊かさには結びつきませんでした。
結局は株価に見るように企業や富裕層への優遇経済でした。
岸田総理の新しい資本主義も同じ道をたどるでしょう。
政治的には改憲を中心に、ロシアとの対立をさらに悪化をさせ、エネルギー問題を原発の再稼働に結びつける。防衛費の増額に走る。
新しい資本主義は、野党が自民党政治のブレーキとして機能していた時代の資本主義をやめて新しい資本主義にするということで、資本主義の戦線のような昔帰りに向かうということです。

【2023年】ツイッターつぶやき
オーストラリアでは、ベーコンエッグロールが3000円。
平均賃金額がどのくらい上がっているかはわかりませんが、ちょっとした軽食が3000円では食えませんなぁ。
日本でも有名ホテルで軽食となればこのくらいとられるかもしれませんが、カフェで軽食ならコーヒーがついて半額でしょうか。まぁ、これでも高いほうですね。
西側と言われてい売るすべての国でロシア制裁から激しいインフレになっている。
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2024年 7月16日(火)「虫」

2024年07月16日 22時05分30秒 | 「思うこと」
土蜂というのでしょうか?
公園のコンクリートの塀の下にありにしては大きい穴が開いていて黒い蜂が出たり入ったりしていました。近くに立っていると、威嚇でしょうか僕の周りを2匹ほどの蜂が飛び回っていました。この公園では時々小さめのスズメバチがいきなり飛んできてびっくりします。怖いですなぁ。。。。。。
ここ数日は涼しくなり減ってきていますが、網戸にコガネムシやらカメムシ、カメムシを数倍大きくした形の茶色い虫が飛んできます。これからはたくさん蝉がとまります。
虫が嫌いな僕はいきなり飛んでくるとびっくりして首をひねってしばらく筋が痛くなるのも時々。
我が家には殺虫剤がないので、霧状に噴射するアルコール消毒液を使います。
殺虫能力はないのですが、虫は動かなくなりポトンと落ちます。それを足で踏みつけます。去年ゴキブリが出た時にやってみたら、さすがゴキブリ、一瞬ひるんだのですが逃げていきました。
もうすぐ8月ですなぁ。。。。立秋も近い。
たくさん虫が出てくる・・・・ウウウ
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池に浮かぶ月2308【7月16日】

2024年07月16日 20時15分38秒 | 「池に浮かぶ月」
広告料全体は増加しているのでしょうか?
しかし新聞やテレビの広告料は減り、インターネット広告が増加しています。
NHKは広告料は取っていませんが、受信料もBSとか良い番組を流すものに受診料を取っている。
インターネットも広告料だけではなく有料サイトも増えていますね。ここから先は有料ですとか。。。。。
昔から広告量が少なくなかったラジオが盛り返しているようです。我が家も日中や夕方はラジオを聴く機会が増えています。
しかし広告も売り上げに反映されないと減る一方ですが、やはりデフレ傾向の経済では買う人も少なくなるでしょう。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 7月16日(日)「広告費」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「7月16日という日」

2024年07月16日 08時02分48秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
土蜂というのでしょうか?
公園のコンクリートの塀の下にありにしては大きい穴が開いていて黒い蜂が出たり入ったりしていました。近くに立っていると、威嚇でしょうか僕の周りを2匹ほどの蜂が飛び回っていました。この公園では時々小さめのスズメバチがいきなり飛んできてびっくりします。怖いですなぁ。。。。。。
ここ数日は涼しくなり減ってきていますが、網戸にコガネムシやらカメムシ、カメムシを数倍大きくした形の茶色い虫が飛んできます。これからはたくさん蝉がとまります。
虫が嫌いな僕はいきなり飛んでくるとびっくりして首をひねってしばらく筋が痛くなるのも時々。
我が家には殺虫剤がないので、霧状に噴射するアルコール消毒液を使います。
殺虫能力はないのですが、虫は動かなくなりポトンと落ちます。それを足で踏みつけます。去年ゴキブリが出た時にやってみたら、さすがゴキブリ、一瞬ひるんだのですが逃げていきました。
もうすぐ8月ですなぁ。。。。立秋も近い。
たくさん虫が出てくる・・・・ウウウ

≪過去の記事≫

【2004年】
もうすぐ子供たちが夏休みですね。。。。
うらやましい。。。。
そういえば、昔は先生方も夏休みがあり(と言っても自宅で研究だったのでしょうが)時間的な余裕もあったと思うのですが、今は夏休みがなくなり学校に出勤するらしいですね。先生という職業の唯一の?楽しみもなくなったのかな?
なんかこの世の中働く人たちの余裕(時間も金銭面も)がなくなっていると思う。本来、社会は働いている人たち、その時間にいる人たちが一番大切にされなくてはならないはずなのに、今はさかさまになっています。金を出す客が偉いのだと。。。。
社会の中で労働してサービスを提供する側が頭を下げ、サービスを受け取る側が威張っている。店で、小学生の客がわがままを言い、店員の大人が敬語を使って頭を下げる。。。醜いです。
金と言うものがすべてをさかさまにしてしまっています。拝金主義もきわまった感があります。

青のフェルマータ
Fermata in Blue
                           集英社文庫
            村山 由佳  著
両親からの精神的な虐待から声をなくした里緒。
里緒は父親に連れられオーストラリアの海にやってくる。そこにイルカとのふれあいの中で心を癒し、心の傷を治すためにさまざまな子供もがやって来た。里緒は19歳。
心の傷がなかなか癒えない里緒は、そこのイルカの施設を手伝ったり、今は引退したチェロの名手JBにチェロを習ったりしている。
里緒は、JBから「青のフェルマータ」(青の永遠)という曲を贈られる。
本なので、この曲がどのような音色のチェロ曲なのかはわからないが、冒頭に書かれる里緒が裸体のままに海と戯れるそんな海と少女の美しさを想像するような曲なのだと思う。あるいは、イルカをはじめJBや施設に働く人たちから暖かく囲まれる、そんな人々の中に心が癒される野と同じように癒しの曲なのかもしれない。作品は「青のフェルマータ」という曲と、美しい海の映像を思う存分想像できるように描いている。
美しい作品です。
しかし、冒頭の裸体で海と戯れる美しさの跡に、島の男に乱暴をされかかる。このはじめに描かれる美しさと醜さあるいは恐怖、この二つのものがまたこの作品全体が何を言わんとしているかを暗示している。心が癒されると同時に心は傷つけられる。人を癒すと同時に人を傷つける。心が癒されることでそれは同時に癒されている人が癒す人を傷つける。人と人とは互いに癒されつつ傷つけあい、傷つけ合いながらも癒されている。
この作品の持つすごさは、ラストシーンで里緒がJBとの電話で「イエス」という言葉を取り戻すというハッピーエンドを描くだけではなく、癒されると同時にある傷つけ合いが同時に描かれていると言うところにある。
だからこの作品をイルカによるセラピー(人とイルカとのふれあいの美しさ)、人と人とのかかわりの美しさと言うものだけで読んではならないのではないかと思う。
村上さんは「あとがき」に、イルカのことを書きたかったと書くと同時に「私は「癒す」側のことを書きたいと思った。(中略)バカがつくほどお人よしな人間たちのことを書きたいと思った。」と書いている。
だからこの作品から受けるある種の感動は、19歳の少女が言葉を取り戻すという感動とともに、その少女を暖かく囲む、自身も傷ついている中でも少女を暖かく囲む人たちなのであり、人に飼われたイルカは、自分からはもう自由に海で暮らせなく、野生のイルカも人に慣れてしまうとどのような仕打ちを受けるか、そんなイルカにも心があるとすれば傷ついているのであり、そのイルカが人を癒すのである。
自分自身が傷つき、傷つけられながらも人を癒さずにはおけない人たち。ここに美しさが有り、感動があるのかもしれない。
自然な無意識なうちの自己犠牲。。。。
村上さんの作品は、他にはまだ「天子の卵」しか読んでいないが、この作品の主人公であるやはり19歳の少年(青年)の持つ純粋さに僕の中にある親心を感じたし、大人になったばかりの少年少女(青年)に対する大人、傷つけもする大人もいるが、まだひとり立ちのできない(経済的にも、精神的にも)青年を見守ろうとする自己犠牲的なものも大人にはある。この辺が村上作品の特徴かもしれない。
里緒は、自分が傷つけられたその傷を癒されることに感謝しながらも、周りの大人を里緒自身が傷つけているということを知る。これを苦しむ。それもまた許されていく中に里緒はたくましく成長するのではないかと思う。
こんな里緒に、周りで暖かく取り囲む人々の癒しにもなっていくのだろう。

【2005年】
蒸し暑い一日でしたぁ。。。。
めったにクーラーなんて使わないのですが、お昼前頃からぴったりと風がやんでしまったのでつけました。
やっと心地よい風が吹いてきました。これから風呂に入って焼酎。。。^^!
というか、ソーメンの薬味をきざみながらもう飲んでます。。。。ハハハ
娘と車で買い物に行きました。
キーを差し込んでドアをあけ、娘を先に乗せましたが、娘が息が苦しいと。。。。
僕も乗り込んでみたらたしかに息苦しい。。。。ものすごい暑さ。。。。
太陽光発電で小さなファンでもまわして換気するシステムをつけた車ができないかなぁ?だいぶちがうと思うのですが。。。。
屋根にソーラーシステムや、熱発電機をつける!
省エネの今の時代、売れると思うのですが。。。。
我が家の車には、太陽光を利用した空気清浄機が(ハハハ・・・たんなる匂い消しですが)付いてます。タバコなどの匂いはすっかり消えてます。青空駐車場の利点か!(屋根つきを借りられない負け惜しみ。。。。ハハハ)
屋根につけても目立たない車専用のソーラーシステムは急務だと思います。できればその発電でクーラーでも回っていて欲しいけど。。。。充電の要らないハイブリッドカーも普及してきたし、だんだんとそういう車も増えてくると思います。

【2006年】
家族でドライブに行ってきました。近いうちに「ぶらり旅」に書きます。とはいえ。。。前回のドライブにつ老いても書いていなかったかぁ。。。。ハハハ
帰りの高速道路で、いつもがらがらのインターで渋滞していました。たしか今夜は佐野市の花火大会だったか?
花火シーズンですなぁ。。。。
それにしてもまだ梅雨が明けない頃にやらなくてもいいのではと思いますがぁ。
朝顔が咲き始めました。
小さな苗をもらって育てていたので、何色の花が咲くか楽しみにしていました。花の茎のほうがピンクで花自体は紫でした。これからたくさん咲くと思います。
たくさん種が採れると思うのですが、来年撒くのが大変。。。。
朝顔も子どもたちの夏休みの宿題で育てた時以来です。
そういえば入谷の朝顔市は終わったのか?
夏の風物詩。。。
祭りや盆踊り、そしてその時の縁日。。。。
子供の頃は楽しみがたくさんありました。連休中に女性の浴衣姿をよく見ました。いいですなぁ。。。。どこかでお祭りや花火大会でもあったのかな?
蕎麦  2006年7月16日
「なんなのぉ?!ここは!!」
妻が車の隣座席でむっとしたように。。。。
数日前から息子も珍しく暇だというし、家族でドライブに行こうかということになり、「それなら蕎麦を食いに行こう」となりました。僕のお薦めの栃木県万願寺とその門前の里にある蕎麦屋さん。そこに向う山道にある石灰とおもわれる工場が立ち並ぶところを通過中の妻の言葉。。。
山は切り崩されて一体は白く石灰のようなものが舞っている所。。。
妻はだいぶびっくりしたようです。ハンドルを握る息子も「何だよ。。。これ~」
僕と娘は去年の9月に一度来ているのでもうすぐ緑濃い山に入るのを知っていましたが。
やっと工場の中を抜けてまた山道へ。門前の里を抜けて満願寺の門が見えました。
高速を走っていると、栃木県に入ったら雨が降り出し、満願寺についても小雨が降っていました。暑くもなく小雨の中の緑はきれいですし、川の流れる音が山に響いていました。傘をさして本堂へ。
妻はドライブに行くなら川のある山がいいと言っていたので、この満願寺の雰囲気は気に入ったみたいです。
「ホッ!」(僕の心の中で(笑))
本道にお参りをして、さて、奥の院へ~
でも小雨が。。。。
せっかく来たのだから登ろうという妻の言葉に家族そろって横を川が流れる山道に入っていきました。入山料300円だったかな?
去年の9月、ミゾ蕎麦がきれいに咲いていたのですが、やはり7月では早かったようです。それでも流れの速い川の音が気持ちおかったです。歩いてすぐに小雨もやみはじめ、蝉の声が聞こえはじめました。
2,30分歩いて奥の院へ。滝の音が古木の中に響きます。
前回は、娘がサンダル履きだったので、奥の院のお堂には登れなかったのですが、今回は登ってみました。山にへばりつくような舞台造りのお堂。。。。
登りずらい階段を登りお堂に入りました。
ご本尊は、何と鍾乳石!山肌に露出した洞窟の中にある鍾乳石、これをご本尊として祭るためにすごい舞台造りのお堂を建てたようです。鍾乳石は、「後ろから拝んだ十一面観音」たしかに顔がたくさん付いているように見えます。洞窟の中は寒いぐらい。お参りをしておりました。
少し滝壺で遊び蕎麦屋さんへ。
元祖手打ち蕎麦「いづるや」さん。。。
満願寺の山号は「出流山」、これを「いづるさん」と読みます。「いづるや」さんもこの出流からの屋号だと思います。
駐車場も広いですが、いつも混雑してます。1時近くに行ったら店の前も行列。3,40分待ってやっと席につけました。「いづるや」さんのHPの写真にあるように蕎麦は大きなざるに乗って出てきます(もちろん普通のザル蕎麦もありますが、家族連れなら大きなザルのほうがおいしく感じます)。1升ザルを注文。あとおいしい天麩羅の盛り合わせ。そして僕はビール。。。。
出て来ました1升ザルの蕎麦。。。。
「こんなに食えるの?」といいながらも、家族4人もくもくと食べ続けました。完食。。。。
ハハハ・・・息子の食いがよかったです。
おいしかったです。
この後は、石仏で有名な大谷寺と大谷石の切り出し場「大谷資料館」へ。
大矢資料館は地底に入っていきます。入り口には「ただ今の地底温度9度」とありました。12月上旬並です。涼を求めたい方は是非!すごく広くてびっくりしますよ!

【2007年】
久しぶりに一句。。。。

    道迷い
      入梅鰯
        有りますと

    港小路(みち)
      入梅鰯
        脂のり

    海荒れて
      入梅鰯
        恋しけり
7月は、僕の誕生月なので、妻がおいしい鰯を食べさせてあげると行ってくれました。行くところはと聞けば千葉県銚子市。早い話がおいしい鰯を食べに行こうよということ。。。。
それども今日は息子が運転をしてくれるというので、鰯の刺身を食いながらビールを楽しみに出かけました。
詳しくは「ぶらり旅」にそのうち書きますが。。。。
有りました。。。。入梅鰯。
今のシーズン、脂が乗ってうまいそうです。
たしかに刺身はおいしかったです。寿司屋さんだったので、お寿司も注文しましたが、地魚を使いネタも大きくておいしかったです。
心配した台風も15日には関東沖を通り過ぎたようでした。
     
(追記)Pm23
ぶじゅさんからお聞きしていたのを思い出して、フルーティー梅干を試食してみました。いや。。。。おいしい梅干になっていました。塩分はだいぶ強いですが、この味です!僕の求めていた梅干の味!!(笑)
後は梅雨明けを待って土用干しをするだけ!!楽しみです。。。

【2008年】
「ゆるく巻くかたつむりの殻」
                    新潮社「yom yom」2008年7月号
                   川上 弘美  著
ホームページだったか?ブログだったか?
なぜ僕は死を恐れるのかを書いたことがある。何が恐ろしいって、死への苦もあるが夕螺という自我がこのよからなくなって無になってしまうことである。僕という意識が僕から離れていってしまう事。。。。これは恐ろしいことではないかな。
今回の川上さんの作品は、そんな僕に問いかけるような作品でした。
漱石は書いています。人は喜劇を演じると。しかし悲劇は死であると。
陽とは、どう死と向き合うのか。。。。そんな事を考える事ができる小品でした。
もちろん「人」といってもその人によってこの社会の中に残すものが違う。死に方によっても違うのかもしれない。川上さんが描く一人の女性は、人生を思い出しても平凡な女性である。
思いだしてもそうは特別な思い出、楽しかったこと、幸せだったことはあまりない女性。その女性のラストがどうなのか、それはお楽しみという事で。。。。川上さんの初期の作品が好きな方は「うん、うん」とうなるでしょう。。。。。
「私」は、「こわい」と思う。
この怖いという言葉の中に何があるんだろ?
人は生まれてしまったらいつか死ぬという死刑判決を受けてこの世に生を受けたようなものであり、一番先に書いた僕の死への恐怖を常に感じつつ生き、一方ではそれを忘れたかのように漱石風に書くなら喜劇を演じながら生きる。でも主人公の女性は、そうは考えずに生きたのかな?「かたつむりの殻」のような部屋で新婚を送り、人の死と向き合いながら生きていった「私」。でも、特別な私ではなくても限られた人の心には「私」は生き続ける。。。。。
その中に「私」は生き続けるのである。
人の生や死には区別はないのかもしれない。
魚屋の3階にちんまりと作られたかたつむりの殻ような部屋に幸せを感じた私なのだから。。。。その幸せと残された人々に差はないのである。人の死に特別はない。。。。。僕もそうは恐れなくてもいいのかもしれない。こうして今生きている僕があるのだから。
こんなことを感じられる小品でした。

(追記)
最後に「私」の名前が出てきます。
春田真紀という一人の女。。。。
夕螺は夕螺として何某かの本名そのままにブログ世界で生きております。。。。うううう・・・・・ハハハハ

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
昨日書いた「消費税問題はどこから議論すべきか」の続きのようなものになるかと思うのですが、朝日新聞15日朝刊「耕論」に「民意はどこに」という分析に「迷った末に、少し心痛めた」という分析が載せられていた。
「世論が、政治家にすごく冷たく当たっているように見える」とあります。
たしかに上げ足取りのような批判が世論としてあるのも事実ですが、今回の民主党敗北の世論はそんな生やさしいものではないでしょう。
消費税問題も、先の総選挙での民主党のマニフェストが実現されたようには見えない中で、参議院選挙ではマニフェストも死語となり、「国民生活の重視」が忘れ去られたごとく唐突に消費税率のアップが出てきた。総選挙後の国民生活が安定をして向上し、福祉の先行きに安心感が出たという材料は何もない中に消費税率の問題が出たのではない。逆に国民生活は厳しさを増しつつあるというのが現実である。
こう見ると、「冷たく当たっている」のは、国民が議員(政党)にではなくて、国や議員や民主党もが国民に冷たく当たっているというのが現実なわけです。総選挙では票をたくさんもらったのに、蓋を開けたらマニフェストなど見えなくなりそれにわをかけて消費税率アップ。。。。国民の生活重視ってなんだったの?と冷たく切り捨てられた国民の悲しさ。。。。それでもなお国を思い消費税を考えましょうとなっている国民。菅総理の悲壮感溢れるお顔にもし、この国民の悲しみや期待感が残っているという国民のけなげさを感じた「少し心痛めた」悲壮感なら良いのですが。
しかし、まずは消費税ありきから議論が進む社会の流れ。。。。悲しいことです。
このような状態で、国民はもっと政治家を褒めてやれと?
うううう。。。。
コマーシャルならいざ知らず、マスコミがそのときの政権を褒めてやれとなったならマスコミのの自殺行為でしょう。。。。。消費税税率アップは、誰かしら政治家がいわなくてはならないことだ。菅総理はよくぞ言ったというところからの消費税率アップの議論では先が見えている。

心は揺れる
揺れる心に意思などない
気付いて意思が追いつく
心の事後処理の連続
気持ち
人を愛する気持ち
深まることもあれば
消えることもある
でも今が大切
事後処理をしながら
僕は心を見つめる
見つめて今、君を思う
今に生きよう

【2011年】ツイッターつぶやき
夏生さんの「偶然」(幻冬社)が発売になっているのですが、本屋さんへ行ったらありませんでしたので注文してきました。
単行本の写真詩集です。今回は同題のCDも付いてきます。
最近たくさん本が出るので読むのが遅れ遅れ。。。。
読書のスピードアップをしなければ。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
僕が小・中学校の頃、通信簿は5段階でした。今もそうだと思いますが、絶対評価ではなくて相対評価だったと思います。みんなが競争してテストの点数がアップしてもやはり一定の割合で5をもらう生徒と1や2をもらう生徒が必ずできます。全体的にアップした点数の中間あたりが3だったのでしょうか?
競争というのはこのような面が必ずあると思います。
今の世の中自体もこの競争による社会となっています。一つの企業内においての競争から全体の経済もこの競争になっている。企業内の役職などはその定員が決まっていますから競争でみんなが頑張って成績を上げてもその頑張った競争の結果において役職に登る人は限られる。役職だけではなくて一般社員にもいろいろな階級のようなものがあるでしょう。そこには成績だけではなくていろいろな人間関係のしがらみもあり差別化はされていく。そして今の時代は正社員が減少して派遣労働などの不安定なおようが多くなり、そしてパートやバイトなどという階級制度化がされています。そして新たに限定正社員といったものまでつくられる。この中で5をもらう階級と1や2をもらう階級が制度化されている。早く正社員になれという競争社会。あとは職種や性差別の問題もそこに入ってきます。
1や2をもらっても案外昔はそれなりの生活をしてある年齢になれば家を買ったりもできましたが、今の階級制度は生活を最低限度(ワーキングプアーなど)にまで引き下げるのが社会的に認められてしまった。競争に負けたなら野垂れ死にもあり得るというのが国家の論理にもなり公助から自助(自己責任論)となっている。
こういった社会のシステムが出来上がってしまっていますからそこでの競争は熾烈になりますね。
滅私奉公は当たり前で雇ってくれる企業は神様のようになってしまう。ある意味支配社会が出来上がってしまったのです。その中で競争が言われるわけです。これが今の時代の競争主義で、新自由主義的な自由と民主主義なのです。
競争は社会自体を発展させる要素ですし、一人ひとりの国民が豊かになるための社会整備ともいえます。しかし先進国特に日本は労働者の生活を犠牲にしなければ企業や富裕層の利益を確保できない社会となってしまった。特に日本は賃下げが激しくそれによって日本だけがデフレから抜け出せなくなり、そのデフレからの脱却をいうアベノミクスが逆に将来的なデフレ経済を準備している。安倍のmクスに反対をする人が「デフレ社会擁護」ではなくて、アベノミクスを応援する人が「デフレ社会擁護」なのです。競争は下りゆく経済下の中で小さくなるパイの分捕り合戦となる。その競争がもたらすのが上に書いた競争社会と言えます。こうなると頑張ったから皆の生活がよくなるといった本来の競争の意義が消えうせます。そしてその経済システムにおいて企業は低賃金層をなくすことは損をして企業が成り立たないといった論理になりますから、こういった低賃金層がいなくては困る人間までつくってしまいます。
1%の4や5をもらう人間と、3という中間層はますます減少をして1や2をもらう人々の増加が99%を構成する社会はこうしてできあがる。
子供たちも競争をして高賃金の企業へと思うのでしょうが、今は有名大学を出ても1や2になる確率が高まる。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】>ツイッターつぶやき衆議院における安保関連法案の強行採決に見るように数の力による与党政治がすべてを決めていけるような政治になっている。野党の力のなさは数の力として国会内においては無力化されている。
この状態を打破するには何が必要か。
野党は国家以外の世論との結びつきを強めようとしているが、これをもっと広げて統一戦線も模索すべき時期に来ているでしょう。
野党は政党の独自の主張を維持しながら当面国民の生活や諸権利そして平和という権利を取り戻すために統一した運動にする。そこには公明党や自民党内の一定の賛同もあり得る形で統一していく。
その主張はこれまでの安倍政権で国民が失ったものを総括して国民に知らせることである。
その失ったものを取り戻すための第一歩が統一戦線である。
またこの統一戦線は政党だけではなくて労働組合や市民団体あるいは知識層や文化人などの賛同が不可欠である。
毎日の生活に追われ政治どころではないという人々の賛同が必要である。
今の日本社会の実態を様々な角度から総括をしましょう。それを統一しなければならない。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2018年】ツイッターつぶやき
朝、7時、朝食の支度も済んでベランダで一服。
すでに朝日がベランダに射し込み始めていました。
朝の空気が動き始めて涼しい風になります。
今年は小さな花を集めてみました。
寄せ植えではなくて「寄せ鉢」
ピンクと白のフェアリースター
赤と黄色のポーチュラカ
紫の舞のうす紫色の花
そしてぽつんと少し大きめの花のマリーゴールド
2本ほど松葉ボタンが去年の種が残っていたようで咲きだしました。
涼しい風に揺れる小さな花たち。。。。。。

【2019年】>ツイッターつぶやき
政治というのは案外ごまかしがきくもので、数の力が多いというだけで黒を白にもできる。
暴言や統計、公文書をいい加減に取り扱っても数の力さえあれば大丈夫です。
しかし経済というのは人の経済的な営みの中にあるとはいえ、人がこう望むからこうなるといったものではない。好景気にあるといっても現実はデフレ不況が続いている。
政治は上部構造で、経済は下部構造といわれる。経済が土台であ。
経済の法則性を人の行いとして実現するから経済はうまく回っていく。
今の社会は貧困をはじめとした格差を縮めることが求められているが、現実はその逆を行ってしまった。すると経済の好転は起きずにデフレ不況がさらに深まっている。

【2020年】ツイッターつぶやき
東京の新感染者数拡大により政府が行おうとしているGo Toトラベルに対して批判が出ていたが、政府はこれに対してGo Toトラベルから東京を除外した。
しかし新感染者拡大は東京が突出しているとはいえ全国てな拡大があり、4月の最高値に追いつく勢いである。この中で東京だけを除外しても感染拡大を防げるのかという懸念が残る。
しかしこのGo Toトラベルから東京を除外したとしても、これは税金により旅行代金を補助しないというだけで都民に旅行での移動を規制するものではない。税金での補助をしないよということからの都民の旅行を控えさせようとするだけのものです。生活にゆとりのない人は旅行に行けなくなってしまいますが、余裕のある方は何も国の補助が無くても旅行に行けるわけです。都民に旅行数は減ってゆったりと。
東京とは都外への移動を自粛するよう呼びかけましたが、国は経済政策のために都民にも協力してほしいということに何ら変わりはないです。
もちろん自己責任となりますが、宿泊費の高い感染防止が整うホテルなどには何の遠慮もなく行けるでしょう。
しかし多くの都民は税金からの補助がなくなり行きたくてもいけない状態におかれます。国のキャンペーンは平等でなければなりません。この平等さを保つためにはキャンペーンの時期を変更すべきです。

【2021年】ツイッターつぶやき
何歳まで働く?
男性だと10人に8人は64歳まで働いているそうです。
農家や自営業などでは昔から家業として働いていると思いますが、定年のあるサラリーマンも今では65歳まで働くのが当たり前になっています。今後は70歳まで働くようになっていきます。
なぜ働くか。。。生きがいとか仕事が生きがいとという人もいるでしょうが、多くの人は生活のためです。
生活のためという理由では、公的年金の支給年齢が65歳からになりましたから、現実は働かざるを得なくなっているのでしょう。
今は70歳まで働く人が増えているようですが、そのうちに70歳年金支給となっていくでしょうから働かざるを得ない状態になるでしょう。
まだ厚生年金プラス主婦年金の生活なら良いですが、国民年金だけではさらに働かざるを得ないでしょう。
しかし働かざるを得ない状態ですと、そうは楽な生活を送ることはできません。
60歳で定年となり再雇用などで働いたとしても賃金は相当安くなります。
豊かな老後には60歳からの年金支給と働きたいならばはたくことにより豊かな生活ができるようにならないとだめです。こうしないと経済も回りません。

【2022年】ツイッターつぶやき
安倍元総理の国葬が行われそうです。
国葬というのも一つの国家権力の発動です。時の政権による個人の評価による。
自民党政権は安倍内閣時代を評価するということでしょう。
しかし何を評価するのか?
マスコミでは最近ではない長期政権だったとか、外交で多くの国々を訪問したとか抽象的な評価しか行わない。
岸田総理も安倍総理の「実績」を強調する。その実績の中身はマスコミとそうは変わらないでしょう。
たしかに長期政権だったことは事実ですが、その政権で何を国民が評価する材料があるのか。
国家主義的な国民統制を評価するのか。
政治面では、国会の民主主義を中心に民主主義が形骸化され、経済では国民の間の貧富の格差を拡大した。
このような負の遺産を含めて国葬はそれを承認する。
死ねば皆仏という言葉があるが、死んだ人を批判するな、今までの事は一時は忘れて長く政権を維持した人の死を悼もう。これこそが国民統制です。

【2023年】ツイッターつぶやき
インターネット特にスマホの普及により広告費は増加しているようです。
ただ増加をしているにしてもテレビからインターネットへ移ったようです。
もちろん新聞や雑誌は減っている。
その中でラジオというのは面白いですね。少し減っていたものがまた微増しています。
広告費が増加しているというのは、金の動きですから広告料が値上げされれば増加もする。広告本数というのはどうなんでしょ。しかし大手企業から小さな企業の広告も増えていますから広告料は値下げ気味で本数を増やしているのか?
企業も値上げする中で広告というのは重要になっているのかもしれません。でも、消えていった広告も?
インターネットでは、ツイッターの広告収入が50%落ちているようです。マスクさんの件からいろいろありましたからね。他のコンテンツはどうなんでしょ。
そういえば新聞などのネット記事は有料になってきています。ツイッターも一部有料ですね。
広告料は増加しているがいろいろなものが有料化すればここでもネット上新聞広告等の効果は薄くなるでしょう。
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2024年 7月15日(月)「エンゲル係数」

2024年07月15日 22時11分57秒 | 「思うこと」
アベノミクスと日銀緩和がはじまり1年ほどたつと、2024年あたりからエンゲル係数がすごい勢いで高くなった。25%台が29%になっている。特に年金生活に入った高齢者はその伸びが大きい。
ここ数年、毎年食料品の値上げが発表され、5%10%以上の値上げが断続的に起きている。もちろんこの影響で外食の値段が上がり、ラーメン屋カレーも1000円時代に。外食はインバウンドの影響もあり、ぼったくりではないかと思うような値段がついている。今後は米不足だとして値上げされていくでしょう。
スーパーに買い物に行けば3000円なんてほんの少ししか買えない。
円安は輸出産業に有利だとされているが、そのために国民生活は窮乏化する。
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池に浮かぶ月2307【7月15日】

2024年07月15日 21時15分20秒 | 「池に浮かぶ月」
去年はマイナカードのトラブルが続き、保険証や住民票申請に見ず知らずの人の情報が出てきたりしてこのようなトラブルが多発しました。そこで動いたのが第三者委員会の個人情報保護委員会。
さて動いてみたら、その委員長がデジタル用長官河野さんでした。
・・・・おあとが寄ろう強いようでぇ。。。。。。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 7月15日(土)「自分で自分を追及?」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「7月15日という日」

2024年07月15日 10時30分18秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
アベノミクスと日銀緩和がはじまり1年ほどたつと、2024年あたりからエンゲル係数がすごい勢いで高くなった。25%台が29%になっている。特に年金生活に入った高齢者はその伸びが大きい。
ここ数年、毎年食料品の値上げが発表され、5%10%以上の値上げが断続的に起きている。もちろんこの影響で外食の値段が上がり、ラーメン屋カレーも1000円時代に。外食はインバウンドの影響もあり、ぼったくりではないかと思うような値段がついている。今後は米不足だとして値上げされていくでしょう。
スーパーに買い物に行けば3000円なんてほんの少ししか買えない。
円安は輸出産業に有利だとされているが、そのために国民生活は窮乏化する。

≪過去の記事≫

【2004年】
昨夜行ったラーメン屋さんのつけ麺はおいしかったです。
少し濃い目のラーメンの汁にきざみ海苔をふった麺。スープはちょうどよい濃さで、具は普通のラーメンの具でした。
以前自宅近くのラーメン屋さんでつけ麺を食べたのですが、ここのはスープが普通のラーメンと同じ濃さのスープで、なんだか生ぬるいラーメンを食べた気分でした。
この次期の楽しみ、冷やし中華とともに、あのラーメン屋さんのつけ麺も加わり楽しみが増えました。
スズちゃん(ハムスター)がゲリゲリです。。。。
急に暑くなり夏ばてかな?

【2005年】
「パレード」
         平凡社
         川上 弘美  著
「物語を書きおえてしまった後、わたしはふと考えたりするわけです。」
「初夏のある日、ツキコさんとセンセイは、この本に書いてあるような日を過ごしたかもしれません。」
                       (以上「あとがき」より引用)
ツキコさんとセンセイの物語「センセイの鞄」は、年の離れたセンセイが死んでしまい空っぽのセンセイの鞄が一つツキコさんに残されます。センセイがいつも持ち歩いていた鞄、いろいろな物を入れていた鞄。。。。過ぎ去った時間はすべて過去となって消えてしまいます。
川上さんにとっても、「センセイの鞄」というひとつの物語がひとつの世界として思い出になってしまうのであり、その思い出としてセンセイやツキコさんを思い出すと書いています。
空っぽになった先生の鞄には思い出はいっぱい詰まっているのでしょうね。。。ツキコさんにも、そして川上さんにも。
ツキコさんとセンセイは、二人でソーメンをゆでます。
センセイは生姜をすったり、ねぎやミョウガをきざみ、茹でナスを作ったりしておいしそうな薬味を作ります。ツキコさんが茹で上がったそうめんを大雑把に器に入れようとしたら、センセイが丁寧に一口大にソーメンをつまんでまとめながら器にきれいに並べます。
満腹になったツキコさんとセンセイは昼寝。。。。
そんな「センセイの鞄」には書かれていなかったセンセイとツキコさんのある一日の時間がのどかに流れていきます。この雰囲気は「センセイの鞄」に描かれた同じ世界です。
川上さんは、「センセイの鞄」というひとつの作品を出版して、時間の流れの中にか異なり思い出となったこの作品をふと思い出し、センセイとツキコさんという二人の恋を思い出す。そしてそんな二人にこんな夏の一日もあったのだろうと空想したのでしょう。
これは、読者にも「センセイの鞄」という作品の余韻というものを与えてくれます。
しかし川上さんは、「センセイの鞄」という作品の余韻というものだけを思ったのではないでしょう。
川上さんにとってはすでに過去の時間に残された作品であり、ツキコさんにとっては死んでしまったセンセイも過去となってそこに過去の時間の中だけに残された人である。時間の流れ。。。。
残された空っぽの先生の鞄には、川上さんにとっては「センセイの鞄」という作品自体の思い出であり、ツキコさんにとってはセンセイの思い出だけなのである。そこには、時間が流れ去った後の今しか残っていないのである。
時間の流れという切なさがあります。
この時間の流れを意識したかのように、昼寝から覚めた先生は、ツキコさんの手を握って「昔の話をしてください」と言います。
ツキコさんは子供の頃を語り始めますが、この作品自体は、このツキコさんの昔の話が主として書かれます。ですからこの作品は、単に「センセイの鞄」の番外編というような作品ではなく、ツキコさんの昔話というものを題材としたひとつの独立した作品でもあります。70ページほどの挿絵の入った絵本のような本です。
しかし、独立した作品という中の主題こそが、先生の「昔の話をしてください」という言葉にある時間の流れなのだと思う。川上さんにとっての「センセイの鞄」の余韻、もしツキコさんが夏の日の一日を思い出したとしたらそのセンセイの余韻。読者にとってもセンセイが死んでしまったとういうラストシーンの余韻でもあり、その余韻を共通項としてはじめてこの「パレード」という作品のよさが理解できるのではないか。
もしこの作品を読んで、「センセイの鞄」の物語的な面での続編と期待したり、続編になぜ多くのツキコさんの思い出話だけなのか?と、そればかりを読んだとしたらこの作品は相当つまらないものとなるだろう。
ツキコさんの昔の話は、女の子同士のいじめを題材にし、ある日突然現れてツキコさんにくっついて歩く二人のというのか「天狗」が現れる、いじめられている同じクラスの女の子を見て病気になってしまう。ツキコさんはその女の子を救ってはあげられない。救ってあげたいけど自分もかわいいので何もできない。天狗は、ツキコさんの悲しいこんな気持ちによって病気になってしまうのだろう。
その女の子は、自分といると同じようにいじめられるから離れて歩いてもいいよと言う。ツキコさんは恥ずかしくなる。そんな元気な女の子を見た天狗も元気になっていく。
天狗というのは、心が大きく動いているときに現れるのかもしれない。そしてその心の動きが自分で制御できないところに現れるのだろう。女の子同士のいじめというのはひとつの題材でしょう。その題材からツキコさんの制御不能となった大きく揺れる心を書き表したのかもしれない。そして時間が過ぎていく間には大きな心の動きも過去になって天狗も消える。時間が過ぎる中に自分の心も落ち着き場所を取り戻し天狗も消えていくのかもしれない。
ツキコさんは、今では女の子の声も天狗の声も覚えていないという。
ツキコさんのお母さんにも天狗が付いていたという。いつごろまで付いていたのかと聞いたら「ひみつ」。。。
ツキコさんに天狗がいつまで付いたかはセンセイにも「ひみつ」。。。
ツキコさんにとっては、センセイと過ごす時間の中には天狗は必要なかったのかもしれない。心が揺れ動くような恋から日常の中にある幸せ感にはもう揺れ動く心はない。落ち着いた制御できる心にある。そして死んでしまったセンセイを思い出すことは、この心の動きはなお一層純化されるのだろう。
センセイは優しい声だったというのは覚えてはいるが具体的な声はもうどんなだったかは残っていないのである。
センセイは、ツキコさんに昔の話をしてというが、その中には、「私のほうが先に死んでしまいますよ。私も昔の話の中に生きるしかないのです」と言いたげです。
空っぽの鞄は、何もしゃべってはくれない。ツキコさんは、先生の優しい言葉を思い出すがその声自体は聞こえないのである。
しかしセンセイはツキコさんの心の中に多くのものを残したのです。同時に川上さんにとっても「センセイの鞄」という作品は忘れえぬ作品となったのでしょう。そんな作品だからこそ読者の心の中にも深い刻みを残すのです。
大げさな言葉の羅列ではなく、生きるの死ぬのというドラマなどはない恋。「パレード」の夏の日に一日を思い起こすような二人の恋と日常の生活。ここに心の穏やかさがあります。これを読まされたら、読者にも天狗は現れないでしょう。。。。
川上さんは、やはり「あとがき」の中で、
「作者も知らなかった。物語の背後にある世界。そんなものを思いながら、本書を作りました。」と書いている。
「センセイの鞄」を執筆した当時は、素敵な恋を描いたのかもしれない。しかしこの物語を川上さん自身が思い出として思い描いたとき、恋の物語としての二人の心の動きは当然にあるが、こうして思い出したときには、二人で酒を飲み、退屈なおデートをしたり、先生の部屋で過ごしたり、先生のなくなった奥さんの墓参りをしたり、そして「パレード」の中のように一緒見そうめんを食って昼寝をしたりという日常が背後にはあるのではないかと思う。過ぎ去った時間の中では思い出すことというものなどはこんなものである。
「センセイの鞄」の感想では、今まで読んだ作品のような不思議な世界が少なくなっていると書きましたが、ツキコさんと同じような天狗がいたというお母さんの「ひみつ」という言葉や、ゆき子さんの先生への「ひみつ」という言葉が川上さんの作風としても気になります。
川上さんの作品には、その不思議な世界に激しい心の動きが読み取れます。そのような作品に対して「センセイの鞄」の平凡さというのか日常性というのか。。。。心の激しさを感じさせないものがあります。
日常そのもののとらえ方でしょうか?作品上においても川上さんから天狗が消えたように思います。
どう解釈したらよいのか難しい作品でした。
だいぶ個人的な思い込みの多い感想となってしまい、的外れでは?という気持ちが離れません。いろいろな方の感想を時間があったら読ませていただこうとおもいまし、再読しながらもう一度考えたいです。
2005年7月18日 わかりにくい感想だったので多くを書き加えました。
(今度もそうは分かりやすいとはいえないけど。。。)
僕にはこれ以上に伝えることができません。

先日行った湯津上村や馬頭町より少し上流にある黒羽町に行きました。
那珂川も流れの音が聞こえるほどに山の中の川という風情が出てきます。
<城址山公園と芭蕉の館>
黒羽は、関東から東北へ抜ける交通の要所でもあったようで、松尾芭蕉も黒羽に立ち寄ったそうです。いくつかの句碑が残っています。町で作られた芭蕉の館が、町から少しはずれた黒羽城址の小高い山の中にあります。城址は公園となっていました。
公園には紫陽花がきれいに咲いていました。整備された公園というところではなく、小高い山の傾斜に一面咲いていました。自然の中の紫陽花の花という感じがとてもよかったです。城址を廻る感じで遊歩道もありゆっくりと探索できました。
その遊歩道の途中に芭蕉の館という美術館があります。
芭蕉の「奥の細道」の紹介と、黒羽で読まれた句を写真とともに展示してありました。黒羽藩の紹介が主となる美術館であるようで、芭蕉関係は少なかったです。ちょっと期待はずれ。。。
立派な美術館です。。。
城址公園は、紅葉の季節も楽しいかもしれません。
<雲巌寺>
黒羽町の町から那珂川の支流をしばらく遡った所にある古刹です。
ここまで来るともう山の中です。静けさの中に門前のせせらぎの音が気持ちよかったです。一度焼けてしまったそうですが、再建されて今でも荘厳さのあるお寺でした。
こちらにも芭蕉が立ち寄ったそうで句碑が残されています。
「木啄も 庵は破らず 夏木立」
数百年の古木が立ち並んでいました。
今回は時間がなくて2箇所しか廻れませんでしたが、縄文の遺跡だったか?もありますのでまた行きたいと思います。これといって感動するような場所ではありませんでしたが、芭蕉の旅を思い、静けさの中の古刹を味わい、心静かに黒羽を後にしました。

昨夜行ったラーメン屋さんのつけ麺はおいしかったです。
少し濃い目のラーメンの汁にきざみ海苔をふった麺。スープはちょうどよい濃さで、具は普通のラーメンの具でした。
以前自宅近くのラーメン屋さんでつけ麺を食べたのですが、ここのはスープが普通のラーメンと同じ濃さのスープで、なんだか生ぬるいラーメンを食べた気分でした。
この次期の楽しみ、冷やし中華とともに、あのラーメン屋さんのつけ麺も加わり楽しみが増えました。
スズちゃん(ハムスター)がゲリゲリです。。。。
急に暑くなり夏ばてかな?

【2006年】
今日も暑かったです。朝から30度もあったそうで、最高気温37度?
娘はやはり僕の遺伝子を引き継いでいるらしい。夏になり今日のように熱いと食欲が出てくる。最近の食いっぷりには驚きます。まぁ、女の子とはいえ食い盛りですからなぁ。。。
やっと梅雨も終わりに近づいてきたようですが、この梅雨という時期もある意味本格的な夏になる前の季節の変わり目です。この季節の変わり目というのがだめで、体調を壊してしまう。夏本番。。。好きです!!ハハハ。。。暑いけどね♪
今日も雷雨のようでしたが、雷雨が来るほどに梅雨晴れですね。
秋の訪れにも雷雨が。冬の雷というのもあるし、雷雨というのは、季節感あふれるからこそなのかな?
外を歩いてコーヒーショップに入った。
汗をかいた体に心地よい冷房。しかし10分もすると汗も引き始めてぞくっとする。暑さ本番とはいえ薄い上着は手放せません。
タンクトップというのか?若い女性が肩から上がほとんど裸状態で歩いていますが、やはり冷房のきいた電車の中ではぞくっとするようです。僕が年をとったというだけでぞくっとするのではないようです。
冷房をゆるくすると、外から中に入ったばかりの人や暑がりには物足りないでしょうが、ずっと中にいる者や冷え性には体にこたえます。冷房というのも難しいものですね。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
今日はやたらと
駅のホームで立ち食いする女性を見た
ハンバーガー。。。。
おにぎり。。。。。
栄養スナックというのかな。。。。
電車の中でというのはもうだいぶ見慣れてきたが
今度は駅のホームでの立ち食い。。。
これもファッションなのか
自分らしさの表現なのか。。。。

今日(15日)の朝日新聞に「消費税論議 気迫込めよ」という論説が載せられていた。
消費税論議はどこから始めるべきかがまず必要だろう。
日本をギリシャ化してはならぬ、借金依存度は先進国で最悪、毎年新たに40兆円の借金、出口調査では2人に1人は消費税10%やむなし、社会保障建て直し、国民に安心を、成長にやさしい財政健全化。。。。。
これらの言葉が並べられているなか、これを読めばなるほどと思ってしまうだろう。
しかしこの「なるほど」の中身といえば何もわかっていない。というのか積極的に知らされていないというのが実情だろう。今の国家財政などの危機を並べられて「なるほど」となるのではなく、まずは借金の具体的な中身がどうなっており、国家財政の支出の中身がどうなっているのか、社会保障費のためとはいうがなぜに社会保障費が膨らまざるを得ないのかなど、さまざまな視点から今の社会を見直さなければ気迫のこもった消費税論議とはならずに、現象面だけを見た薄っぺらな論議になるのではないか?
借金問題は、まずはどこからいくら借りてどのくらいの利率で返しているのかをはっきりさせるというのがまず第一にやらねばならないことだろう。国も借金は、国債という形をとる。毎年40兆円もの金を国に貸し付ける大金持ちは誰で、その大金持ちは外国人なのか日本人なのか?あるいは郵便貯金や年金の積立金から幅広く間接的に国民が貸し付けているのか?企業が死に金にならないように国債という形で内部留保しているのか。まずはここがはっきりしないでは借金整理のフリダシにも立てないはずである。
このことがはっきりした中で、国債の返還にどのくらいの利率でいくら支払っているかが問題である。国債を返還するためにまた新たな借金をするなどという自転車操業になっていないか、あるいは、その利率が0金利時代の今べらぼうな率になっていないかも問題である。
こういうことがしっかり知らされている中での国民意識としての「10%やむなし」なのだろうか?ここが一番大切だろう。
社会保障費を確保するためとはいうが、国家財政はある意味国民相互間の所得の再配分という役割をする。この国民とは個人もあれば企業も株主もなどの不労所得者も入る。いろいろな個人的な職業もある。このどこかに金が吹き貯まっていてそれを市場という中でうまく配分できないときに国家財政の支出というものが大きな役割をして所得の再配分を行う。こう考えると国家予算は、ある意味社会保障費なのである。
社会保障費を少なくして国家予算を身軽にするには、何が必要か?同じ15日付の朝日新聞6面には、「最低賃金が生活保護費以下 2県増え12都道府県」という記事がある。ワーキングプアーという言葉が一般化して久しいが、このような賃金の実態が問題なのである。低賃金化は当然にして所得税を減らすだろう。失業、派遣労働、季節労働、パートやバイト。。。。。このような低賃金化は、中流といわれるそうにも浸透をしてくる。この流れの中でのリストラ経済が株価を支えている面がないだろうか?格差の拡大は進む。子供手当てなどというバラまきが必要になってくる。個人消費を維持させるために。。。。消費税論議は経済学の問題でもある。
消費税率のアップと経済成長の両立。。。。上に書いた実態の中にそのような夢物語を語れる状態なのだろうか?経済成長をますます増長された格差社会に求める。これが本音ではないか?そこで貧しいなら貧しいなりに相互扶助をしろという消費税問題がいわれるわけである。企業が労働力の消費に対して(給与)消費税は支払わない理由もここにあるのではないか?
消費税論議を始める。。。。。まずは消費税論議はどこから始めるべきかなのではないか?

【2011年】ツイッターつぶやき
アメリカが保有するヨーロッパの核の撤去に向け協議を始めるという。
核兵器の削減は以前から叫ばれてきましたし、一定の核削減がアメリカとロシアの間で行われてきた。しかし核の削減はそうは簡単なものではなかった。しかしここにきてアメリカの経済の悪化はこのままでは債務不履行になる恐れも出てきたりこれまでタブーとさえされていた3Aの格下げも言われ始めている。アメリカは自国の政策の中において財政再建は急務になっている。この経済情勢の中で格が重い負担となってきており削減に踏み切る議論がされるようである。
アメリカにとっては戦略核の優位性は崩してはならないものであったが、それでも経済的な理由による合理性は受け入れる。合理性というのは正義とかというものではなくて(もちろんこれは悲しいことです)経済を土台とした中での分析からくるも現れるものである。その合理性に対して議論の中から認めていくという方向転換はアメリカを評価すべきだろう。
村上春樹さんが文学賞授賞式で「原発」といわないで「核」という言葉を使いましたが、原発問題も核の問題なわけです。日本もこの核の問題に今四苦八苦しているわけです。しかしこの議論や方向性となると合理的に考えるというものが少なく、不毛な管おろしや姑息な原発温存を言う。
日本人はどうも変な誤った誇りの高さというのか「俺の顔に泥を塗った」的な合理性に欠けるものがある。そこに議論ではない根回しやそこからの多数派工作を良しとしてしまう。
アメリカにも批判すべきことはたくさんあるだろうが、一度矛盾が出ると合理的に解決をする。大企業トップだからといえども安心はできない。それが一つのアメリカ型の民主主義でもある。合理的に考えること、民主主義がアメリカの誇りなのだろう。

【2012年】ツイッターつぶやき
民間の低賃金化の中で公務員は高い賃金を受け取っているとして怒れ!と扇動することで何が生まれるだろうか?公務員賃金が下がったとしてその民間の実態がどう変わるのだろうか?ただ現在進んでいる中間層の低賃金化を扇動しているだけである。低賃金はなぜか、どう見るかを考えるべきである。
このような扇動を政治家が行うようになると大変だ。民間が年収400万で公務員が700万としても、政治家はこの400万という年収をどう見るかをまず考えるべきだ。この400万で社会を支える労働者が十分な生活ができるというのならそこで初めて700万を問題にすべき。
格差社会が広がると、この格差の中で賃金などの高いか低いかを只その金額だけで比較してしまう。そうすると当然格差是正は中間層の低下となる。そうではないのである。格差自体がなぜ広がってしまったかの格差そのもののシステムを見るべきなのだ。それが政治家だろう。
だいたい格差を金額の比較だけで見る人々は、公務員がどうのというところには目を向けるが、社会のシステム全体の格差を見ない。アメリカなどの格差反対は、1%と99%を問題にしている。その中で政策にも富裕層の増税というものも出る。民間労働者を低賃金に押し込み我慢をしろと扇動するだけでは。
1%の富裕層というが、その家族や近い年収を得る人々の家族も含めれば、10%と90%の格差でしょう。その90%の中に中間層もいて低所得層もいる。低所得層をどうにかしなければならないとして中間層への税や低賃金化などを強化するというのが今の社会である。それが自助・共助である。
社会保障は、自助・共助・公助というが、それには限界がある。どうしても10%の人々を考えなければならない。同時にこの10%の人々はその富を企業活動に依拠している。だから当然企業の社会的役割を考えた「企(業)助」とも言えるものを導入しなければならないだろう。それは雇用・賃金・雇用形態
アメリカは寄付社会が根強くてまだ良心のかけらが残っているし、チップという労働に対する感謝の気持ちも残っている。日本はどうだろう。原発の立地の市町村には色のついた寄付はあるが。。。。「ツリはいらねぇ~よ」という金持ちも少なくなり、逆に「お前の態度が悪い」と怒りまくることも。
脱原発・再稼働反対。。。消費増税反対。。。TPP反対。。。首切り(貧困化)反対。。。基地反対。。。それぞれには根拠がある。その根拠から反対の声は大きくなる。その一つ一つの声はバラバラに起きているようであるが、だんだんとそれらの声には根っこがあることに気づく。生活実態の怒りなのだ。
国民みんなが貧しいなら生活実態(貧困)を改善しようと国は一丸となれる。しかし一方における生活実態の悪化と、一方における富裕層の生活(企業活動の儲けからの)があり、国がこの富裕層(企業)を守ろうとすることだけで動くから国民はその生活実態(貧困)に怒りを持つのだ。民主主義を意識する。
自民党から民主党への政権交代は、反自民党・自民党政権打倒という政局からのものではなくて、生活実態(貧困化)そして政治主導という民主主義を求める国民の意思の結果なのである。今の野田政権への怒りも政局での倒閣を求めるのではない。
生活実態・民主主義を無視する野田政権を民主党内の民主主義に依拠をした今の政治の方向転換を求めているのである。国民は。民主党内の方向転換が国民の声を大切にして野田政権を否定するのである。これが議会制民主主義でしょう。野田政権の「決める政治」が民主主義ではない。白紙委任状は渡してない
白紙委任状を渡していないというのが、再稼働反対のデモである。消費増税や反貧困化の声である。国民の権利なのです。
「国民の生活が第一」この民主党党外と党内の結集が必要でしょう。そして自民党政権(政策)には戻れないということを基本に。
もちろん自民党だって国民生活が第一と考えている議員の方もいらっしゃるでしょう。しかし同じ国民生活が第一といってもそこに政策の違いがあるわけです。企業を助けてそこからの雇用に依拠するのか、国民生活の向上(格差是正)からの内需に企業活動の再生を行うのか。この政策議論が必要なのです。
野田政権は、自民党と組んで推し進めようとしているのは、企業を助けてそこからの雇用に依拠することです。しかしバブル崩壊後の失敗はここにあったはずです。企業を助けるために雇用形態を悪化させ低所得層を増やした。当然社会保障の負担が増えて財政に影響が出る。

【2013年】ツイッターつぶやき
経済成長率はこれまで経済的な発展登場の国が成長し始めたときは高くて、ある程度経済成長が達成され始められれば成長率自体は低くなるというのが自然でしょう。それは先進国の成長率が鈍化して安定成長と言われるようになり、ときにはマイナス成長にも転じる。
今の中国に対しては経済成長率も下がり始めたと言われていますが、やはり世界第2位の経済大国になったという意味において成長率は鈍化するでしょう。
しかしアメリカのリーマンショックというものがあり先進国が軒並み経済不安に陥った時に中国の立ち直りは早かったと言われます。そして7.5%に下がったとはいえある程度の成長は維持されています。
金融経済中心の伸びではなくて実体経済の伸びが大切なわけです。
でも中国もシャドーバンキングといった金融バブルが起きていたとされます。その中で成長率も維持されていた面もあるのでしょうか?
この中で中国のソフトランディングがうまくいくかどうか。。。。。
たしかアメリカは中国の内需を拡大しろと言っていると記憶するのですが、中国自体もこれまでの貿易などの成長から内需を意識した政策をうちたててその内需の拡大から国民生活の格差(農村と都市など)を是正すると言っていると思います。これがうまくできればそれがソフトランディングとなるでしょう。国民全体の豊かさの広がりにも。
中国経済は先進国の常識とは少し違う形での独自性が出てくるかもしれませんし、特に日本のデフレ経済の継続とは違いが出てくるでしょう。日本はアベノミクスに反対するとデフレ論者とレッテルを張られる場合がありますが、本来のデフレ主義者は、企業利益優先のために労働者の賃下げに頼った結果です。ですからある意味アベノミクスがデフレ論者になるかもしれません。デフレ下のインフレ政策、これが通貨安と株式中心の金融政策で終わればそれは当然金融バブルを引き起こすでしょう。
中国もまだまだ発展段階にありますが、膨らんだ経済を抱えている。日本はデフレ下のインフレ政策。アジアが世界経済の通信と鳴ろうとしているときにどちらがより正しい経済政策なのでしょうか。
これは経済成長率が必然的に下がって安定化する先進国の向うべき方向性にあるでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】6a href="https://twilog.org/yuura2/date-160715/allasc">ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2018年】ツイッターつぶやき
朝日新聞4面に「年5万減った中小企業」という記事があった。
「中小企業は、経済を牽引する力であり、社会の主役である。」(民主党政権時「中小企業憲章」)
残念ながら民主党政権は短命に終わった。
安倍政権になってからも2014年15年に中小企業対策での補正予算が組まれましたが、その効果はどうだったのか?結果としてはアベノミクスの「成果」は中小企業にはおよばなかったという事です。
そして年5万減っていく中小企業。
民主党政権での「憲章」は生かされなかった。
日本の企業の99.7%が中小企業と言われ、労働者の70%がそこに雇用されている。ここに経済効果が現れなかったとすればやはりアベノミクスというものは失敗だったと言える。労働者を中心とした個人消費は延びずに中小企業も5万も減っていく社会。
銀行も阿日銀緩和に苦しんでいるという金融緩和の副作用が言われていますが、その銀行が「貸しはがし」「貸し渋り」を行う。経営が苦しいとなれば後継者不足は労働人口の減少がだけが問題ではないと言えるでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
震災や大雨など避難所の役割がより大切になっています。
お年寄りや病人は避難所で過ごすのは大変でしょう。水害などで電力が使えても体育館も空調がありませんし。。。。
そもそも避難所が満員だったら
冷静に考えたら、居住している地域の避難所を思い描けばみんなが避難などするスペースなどありませんね。行政やテレビニュースができるだけ早い避難を呼び掛けできるのも避難する人たちが少ないからです。皆が避難することを前提にするなら単純に避難してくださいばかり言ってられないでしょう。
上記リンクページに、すごい論理がありました。
「『避難所が満員になることもある』と知った人たちが率先して、満員になるより前に誰よりも早く避難所に行くようになれば、『命を守る』という最も大切な目的が、より確実に達成できるのではないでしょうか」」(引用)
避難するのも競争で、競争に負ければ「満員です」と断られる。。。。
せっかく避難しても競争に負ければ路頭に迷いますから避難をする人も少なくなるのでは?

【2020年】ツイッターつぶやき
東京都は不要不急の都外への移動をしないようにと。他県の方は都民を受け入れるか受け入れないかの自己判断。国はGo Toキャンペーンで都民の移動もOK。
都民は自己規制したり他県から断られたらGo Toキャンペーンでの税の戻しの恩恵はなくなる。
政治はめちゃくちゃです。
数日前から政府と東京都の意見(対策)のぶつかりといった報道がされていましたが、実はこの政治の曖昧さやいい加減さは国民の自己責任というものを結果としては引き出されます。
上記したように国からは他県の移動はよいと言われ、東京都方は他県への「不要不急の移動」は自粛しろと言われています。不要不急の移動という言葉にいい加減さとあいまいさがありますね。国が旅行などをしてくださいと金を出すのだから旅行も不要不急ではないとも解釈できます。しかし旅行一般は緊急事態宣言でも東京アラートでも不要不急です。この中で都民が旅行に行って感染を広げてしまったらそれは自己責任にされるでしょう。実際、今東京からの移動者が感染源していたというものが多く報道されています。
実は政府と東京都は対立しているのではなくて都民(国民)の自己責任を意図的に作り出しているのではないでしょうか?
都民も税金が戻ってくる旅行の補助金は魅力的でしょう。そして受け取るために都民だから駄目だと差別はされたくない。すると自己責任において出かけてしまうでしょう。もちろん国がいいよと言っているんだからという理由はつきますが。しかし東京からの旅行者が感染していたという報道は大きく取り上げられる。すると国や都の責任は薄くなるのです。ここに政治の曖昧さといい加減さがあるのです。

【2021年】ツイッターつぶやき
IOCバッハ会長と都知事との会見後「お前はうそつきだ」と罵声を浴びせた人がいたそうです。
以下、ツイッターを元に
嘘つきじゃないとすれば支離滅裂です。「日本の皆様の安全に貢献」と言いつつ有観客を要望。日本人はバカにされているのか?
以前には東京オリンピックには「犠牲が必要」発言も
バッハ会長の笑顔。。。。。
笑顔は人間しかできない心の表情だ。
しかし汚い心から生まれる笑顔もある。
その笑顔は人を蔑ろにしたり馬鹿にしたりする心からにじみ出る。
IOCがオリンピックを汚していく。。。。。
それともスポーツを利用したオリンピックの本性なのか。
汚い金の疑惑は解決しない。

【2022年】ツイッターつぶやき
東京の新規感染者数が19000人を超えました。
第六波の21000人を超えるのは近いかもしれません。第七波といってよいのか、第六波の再拡大といってよいのかわかりませんが、感染拡大のスピードがけた外れです。第六波自体がけた外れでしたが更に桁外れでしょうか。
陽性率が36%を超えていますから市中感染はだいぶ進んでいると思われます。
政府も東京とも新たな規制は行わないようですが、このまま感染管区代を傍観するのでしょうか。
ワクチン接種を急ぐと言っていますが、3回目のワクチン接種後間もない時期でもあり高齢者中心ですかし、医療従事者や若い人たちへの接種はピークを過ぎてからになるでしょう。
あとは国民の自己責任で感染予防を行うしかない。
オミクロンよりも変位したウイルスは重症化しやすいとも言われています。病床利用率は36%弱となっています。
9月までは最悪の状態になるかもしれません。
この東京の実態は全国的です。
経済優先も今後どうなるか。。。。
結局感染防止も経済も共倒れとなるでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
マイナカードの不手際が重なりデジタル庁に個人情報保護委員会(第三者機関)が立ち入り調査をするらしい。
しかしこの個人情報保護委員会の長がデジタル庁の長官(笑)
自分で自分を調査する。
下っ端の官僚や富士通などへの厳重注意ぐらいかな?結局自分の責任ではなく誰かに責任を負わせる。
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2024年 7月14日(日)「トランプ前大統領狙撃」

2024年07月14日 22時23分27秒 | 「政治・経済」
トランプ大統領が演説中に狙撃されました。
幸いに情報では右耳に銃弾が貫通したとのことで命には別条がないようです。しかし雛壇に並んだ支持者が1名死亡したという情報があります。
バイデンさんとトランプさんの大統領選は熾烈で非難合戦となっています。バイデンさんは高齢で、ゼレンスキーとプーチンの名前を間違えたりその大統領としての資質が問われはじめています。バイデンさんが追い込まれようとしている中、対ウクライナも関連し支持者がトランプさんを狙撃したのか?
アメリカを見ていると国際的にも武力を背景とした力の政治に突き進んでいます。銃社会の国民生活にも暴力が正当化されることがあります。銃を使った犯罪が増加する中で銃による自己防衛。これはイタチごっこです。
一部の人たちの間では、内戦を心配する声も出ています。トランプさんは前回選挙での負けを認めていませんからね。
今回の狙撃事件でトランプさんの優位が増すかもしれません。そこで民主党の暴力性がどのような価値で出てくるか?もちろん共和党内の支持者がどのような行動をとるか。それとも今回の狙撃事件で民主主義を改めてアメリカは立て直すか。
しばらくは混乱するでしょうね。
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池に浮かぶ月2306(7月14日)

2024年07月14日 20時01分35秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は円安が続く中、145円から140円と急に円高となりました。
やはり為替介入があったのでしょうか。
しかしアメリカもインフレが激しくなりドルの価値低下も起きていたはずです。
どうにか基軸通貨としての地位がありますが。
しかしドル離れが進みつつありました。

≪去年の今日はこんな子尾を・・・≫
2023年 7月14日(金)「ドル安傾向」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「7月14日という日」

2024年07月14日 08時06分57秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
トランプ大統領が演説中に狙撃されました。
幸いに情報では右耳に銃弾が貫通したとのことで命には別条がないようです。しかし雛壇に並んだ支持者が1名死亡したという情報があります。
バイデンさんとトランプさんの大統領選は熾烈で非難合戦となっています。バイデンさんは高齢で、ゼレンスキーとプーチンの名前を間違えたりその大統領としての資質が問われはじめています。バイデンさんが追い込まれようとしている中、対ウクライナも関連し支持者がトランプさんを狙撃したのか?
アメリカを見ていると国際的にも武力を背景とした力の政治に突き進んでいます。銃社会の国民生活にも暴力が正当化されることがあります。銃を使った犯罪が増加する中で銃による自己防衛。これはイタチごっこです。
一部の人たちの間では、内戦を心配する声も出ています。トランプさんは前回選挙での負けを認めていませんからね。
今回の狙撃事件でトランプさんの優位が増すかもしれません。そこで民主党の暴力性がどのような価値で出てくるか?もちろん共和党内の支持者がどのような行動をとるか。それとも今回の狙撃事件で民主主義を改めてアメリカは立て直すか。
しばらくは混乱するでしょうね。

≪過去の記事≫

【2004年】
昨夜は涼しかったです。北側の窓から風が入り、風呂上りに五ロットしていたら気持ちよさに寝込んでしまいました。さすがに日中は35度近くもありまいりますが、夏が好きな僕にとっては噴出す汗も気持ちがよいものです。
新潟の集中豪雨はすごかったですね。被害にあわれた方、お見舞い申しあげます。
遅い夕食をラーメン屋さんで食べました。チャーシューつまみに一人カウンターに座りビール。。。ハハハむなしい。でも、こんな男の後姿には自身がるのだが(笑)

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
まるで温泉の脱衣場状態。。。。
気温も高くすごい湿度です。
冷房は苦手なのであまり冷房は使わないのですが、さすがに今夜はスイッチオン!
パソコンも暑いらしく中のほうで扇風機のような音が。。。。

「女っておもしろい
(ギンイロナツヲ×トゥトゥ)」
                             角川文庫
                銀色 夏生  著
「おしゃべり本その1」
先に出版された「メール交換(銀色夏生×HARCO)」に見られるメール交換とは形のちがった「コラボシリーズ」第二弾だと思います。
トゥトゥさんは、出版会などとは関係のない一般人ですが、夏生さんとは長い友人関係にある方のようです。これは憶測ですが、夏生さんが「つれづれノート」に書いている「恋の師匠」とするツーさんかなと思うのですが。。。。
でも、誰ということは別にしても夏生さんのご主人(たち)やお子さんたちをよくご存知の方であり、シングルマザーとしてお子さんを育て、経済的には事業をして自立した女性です。ある独特な人生観をお持ちで、この人生観という面で夏生さんとは長く友人関係を続けられているのだと感じます。
「メール交換」は、ネットによるメールのやり取りをそのまま本の形にしていましたが、この作品は、トゥトゥさんとのおしゃべりを録音してそのまま文字にして出版されました。作品のはじめのページのプロフィールページには、
「私がふだん、どんなことをしゃべっているのか、興味がある人は、読んでみてください。」
と、書いていらっしゃいますが、その意味では、詩集や「つれづれノート」という日記エッセイとは違う夏生さんの顔が見えるのかもしれません。
お二人の「おしゃべり」は、恋愛、結婚、出産、性、子育て、離婚そしてお二人の共通点であるシングルマザーについてと、多岐にわたります。様々なことについてお話があるのですが、どこに集約されていくかを見ると、お二人の男性観や女性観と言ったものにつながるのではないかと思います。
女性観については、「アウトローな大人の女性に捧げます」(裏表紙より)と、あるように、お二人がシングルマザーとして生きていらっしゃるという特殊な生き方を選んでいるという中にもアウトローというものが見えますが、そこには、「男性に頼る」だけの女性の生き方ではなく、自立性が強調されていると思います。この女性の自立性、ここにアウトローな大人の女性が表現されているのではないかと思います。アウトローでない「普通の女性」という定義もお二人の中にどのような形で考えられているかは難しいのですが、お二人がご自分をアウトローな女としている自立した生き方をしていない女性化とおもうのですが、その意味においての「普通の女性」に対する見方も所々に現れています。
このようなアウトローな女性が自立した女性とすると、そこから様々なお二人のおしゃべりの中身が理解できます。
恋愛と結婚は結び付けない。結婚生活と子育ての分離、離婚についての考え方、性としての男性、仕事などなどすべてが独特な自立した女性の視線で語られてきます。
結婚しないトゥトゥさん、新しい結婚形態に2度失敗をした夏生さん。。。。
子供の所有。。。
トゥトゥさんの自由な恋愛と性。。。。
これらはたしかに自立した女性にしか意識的には(意識的にはというのは、結果としてそうなってしまったという意味ではなくて)できないものです。
これは、
「実は、彼女の男性感を読んで、男性が感じる気持ちっていうのは、ずっと、長いこと、女性が味わされていた気持ちでもあるんだよね。たぶん、」
             (88ページより引用)
たしかに今の世の中は、「男社会」と言われ、人としての経済的自立は男が握るような社会で、この経済的な自立は行動の自由さを男に与える。それに対する同じような女性の自由は、自立でありそれは今の世の中ではアウトローな生き方による女性であるということになる。
結婚とは、女性が嫁として「家」に入ること。子供はその「家」に属すること、男は妾を持つのが甲斐性。。。などなど。
アウトローな女性は、このような世の中には納まらない女性。
このような「普通な女性」やそれに対するアウトローな女性観が現れてきます。
これがこの作品の一つの言いたいことなのだろうと思います。
同時に、ここからお二人の男性像が出てきます。
結婚とは、女性が嫁として「家」に入ること。子供はその「家」に属すること、男は妾を持つのが甲斐性。。。そもそも日本男児とは女子供を養うのが。。。といった典型的な日本の男感や、その逆の女性を性の対象としてしか見ない遊び人の男とか。
男から見ると、こういう男も今の世の中ではある意味アウトローな男ではないか。
お二人のおしゃべりの中に出てくる男の雰囲気は、一つの男性像でしょう。
このような女性像男性像からの恋愛関係や結婚生活そして性などは、どことなくアウトローな男に対してのアウトロー女としての駆け引きのような気もしてくる。
そして結論としては、今の(今までの)男たちがこういうことをしているのだから女も同じことをする。その中で
「男もおもしろいだろうけど、女もおもしろい。このおもしろさを、生きようよ。」(89ページ)
という論法に聞こえてしまいます。
たしかに夏生さんは、夏生さんの結婚と離婚経験やトゥトゥさん風のシングルマザーの生き方をそのままに真似をしろと言っているわけではなくて、男も女も自分の生き方を尊重しあいながら互いに成長していけるような関係を大切にすること、お互いに自立した関係の中の自由な男女関係をお書きになりたかったのだと思います。そしてその上に立った「男もおもしろいだろうけど、女もおもしろい。このおもしろさを、生きようよ。」という結論なのだと思います。この中にアウトローな男と女という以上のアウトローな男女の関係と婚姻関係があるはずです。
しかし、どうもそのようなアウトローな男女関係が、夏生さんの2回の離婚とトゥトゥさんのシングルマザーのお話だけから結論を出すというのが難しいのではないでしょうか。どうも夏生さんの離婚経験とトゥトゥさんの男女関係の武勇伝的なものが目立ってしまう。だからこそ、夏生さんは、編集部の「スガワラくん」にフォローを頼んだり、それがだめなときはご自身で会話の外にご自身のお考えを書いたのでは?
やはり「普通の女」もいれば「普通の男」もいるわけで、この「普通な」という中身がその時代時代によって変わってくるということではないか。
この「普通な」という中身がその時代時代によって変わってくるというのが大切なわけで、江戸時代以前は別にしても、近代国家と言われはじめた明治と今とでもこの「普通な」というものが違ってきています。その時代時代によって変わるというよりも発展してきたはずです。その中に男女関係の平等さや婚姻関係の中身も変化しているはずです。
その時代時代には進歩的な女性たちがいた。
文学などによってその新しい女性を表現もしたし、現実の中にその生き方を現した女性もいたと思う。明治や大正の銀色夏生がその時代にいたのだろうと思う。一方では、このような文学の世界などのセンセーショナルな世界ではないところで地味に政治制度を変えようとした女性もいた。
このような先駆的な女性たちの後ろには無数の「普通な」女性たちがいた。その普通な女性たちは、その時代時代に働き先や家庭の中でその時代の女性像を作っていった。それがまた先駆的な女性たちをも刺激していったのである。
たしかに今の時代も女性たちは自立できない。本を出したり起業できる女性はほんの一握りの女性たちで、ほとんどの女性たちは「普通な」女性でいる。でも、そんな普通な女性も日々変化をしている。そして婚姻関係も。。。
先駆的な女性をアウトローとよんで良いのか?
アウトローはいつかアウトローではなくなる日が来なくては先駆的とはいえない。

【2007年】
ブログで、「東京日記『幻の月』」をはじめてみました。
ちょっと不思議な一言日記。。。
台風が関東にもやってきそうです。
夜になり、雨脚が強くなってきました。
地域の寄り合いで遅くなりました。選挙関係ではありません(笑)
この寄り合いに出るため、夕食は外食。
小さな日本蕎麦屋さんへ入ったのですが、そのお蕎麦屋さんは親子二代で経営をし、三代目の小さな男の子の兄弟がいます。
僕が店に入った時間が早かったのでしょうか、店の中ではその男の子たちも夕食中。僕が食べ始めた頃には園子たちの食事は終わったのですが、その後がうるさい(笑)店の中をうろちょろ歩くし。。。。僕が食べているものをチラッと覗いたり(笑)
まぁ、子供のうるさいのはわが子の子育てで慣れているので笑いながら見ていたのですが、そのうちに下の子が「ウンチ」。。。ううう
お母さんがトイレに引っ張っていく。
出てきたなと思ったら、座敷テーブルの前でパンツをはかせていた。。。
なんだか、これが下町のお蕎麦屋さんなんでしょうね。。。。昔ながらの
とはいえ、いやな感じは受けませんでした。これが見慣れた庶民的なお店だったから。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
毎日が過ぎていく。毎日。。。。区切りがわかりやすい。
朝起きて日中をそれぞれに過ごし夜になれば寝る。これは自然界の営みで人もこの営みの中に生きているわけだからわかりやすいのである。
そして一週間やひと月が過ぎい年が過ぎていく。人はいつしか老化をしていく。
毎日はわかりやすいのだが、1週間、ひと月、一年と、過ぎていく時間の流れが長くなるとその区切りは曖昧になっていく。振り返り過ぎた時間を振り返って眺めると長い時間の過去ほど朦朧としてくる。
これは毎日の「生活」の具体的なものの人の記憶や時間の流れの中においての瞬間瞬間の未来へ向かっている中でのものだが、この毎日の中での「心の動き」となるともう過ぎ去った時間のすぐ後ろがすでに曖昧になっていく。
夏生さんのダ・ヴィンチのインタビュー「いま話したいことがたくさんあります」で「つれづれノート」20年を振り返ったり、一時中断をした頃を振り返って
「日付がないと、それがいつなのかわからないじゃないですか。考える過程、変わっていく課程が大事。」 (ダ・ヴィンチ2010年8月号175ページより引用)と「つれづれノート」の形の大切さをお話しになっています。
毎日の生活とその中での心の動きをすべて書き記すのは無理ですが、一日の時間の流れの中にははっとしたりぐっと集中して考えたり、逆にインスピレーションのように不意に頭の中に現れたり、一つの事柄をもしかしてこうも考えられるとか、感情の変化から変わったとか。。。。さまざまな心の動きの中での大切なものがあるわけでして、そのようなものを書きしるしていく中にある程度の自分を残すことができる。毎日の中に過ぎていく「生活そのもの」それ以上に「心の動き」を書き残すからこそ(毎日の生活を書き記すこと自体に生活の中に浮かび上がる心が写真のように心に残るというものも含めて)「つれづれノート」の意味もあり、読者の心をつかむわけです。
こう考えると、ブログなど書きたいというものの中には、いろいろな人と触れ合いたい(文章の中での心のふれあい)というものが大きいわけですが、それ以上に「書きたい」というあるいは表現をしたいという心を残すことに無意識ながらも毎日キーボードをたたく動機となるわけです。これは昔から日記というものがありましたからね。
毎日ということ。。。。
この毎日が愛しくなるわけです。
これはすごく大切なものなのではないかな。。。。
自分を見つめるなんて大げさなことではなくても無意識に一週間前の自分を見て思うこともあるわけです。長く続ければ一年前の自分を霞んだ世界の中に何か一つはっきりと見ることができるのではないかな。文章が写真のような役割をしてそのときのあれやこれやを思い描けるはずです。

今、川上弘美さんの「東京日記」(このブログにブックマークしてます)を読んできた。
先ほど夏生さんの「つれづれノート」に触れて毎日のことをどう思うかを書いたのですが、川上弘美さんもまたこの毎日のことを独特な日記形式でお書きになっています。
ここでは夏生さんと川上さんを比較するという意味で書くのではなくて、その個性というのか心の捉え方をどう表現するのかの違いを感じることができます。もちろん「つれづれノート」のなつおさんと詩の世界の夏生さんがいるわけですから。。。。。
川上さんの「東京日記には何月はあるが日にちは「某日」である。日記の形式的な使い方による表現世界である。同時に日記であることには変わりなく、日記なのである。
「7月某日」。。。。川上さんの作品を読んでこられた方にはこの某日にすでに川上さんの世界への誘いを感じる。目医者に行き視力検査を受けること。。。。日記である。しかしその日常の中にあるものは、この一日の瞬間が曖昧になるというのか、まごまごするというのか、すでに心の曖昧さ、まごまご感が出てきて読者もそのまごまご菅を通じた心を見てムフフフ。。。。と何かを曖昧に感じたり考えたりしてしまう。小説家の書く表現としての日記ではもちろんその作家である川上さんの独特な世界に引き込まれるのである。
毎日ということ。。。。。
まごまごと過ごしているというのも、ぼうっとしている中にも外界からはいろいろな物が飛び込んでくるという受身的なものが心を動かす。なんてこともないものが心を動かし、何も考えないがアハハハ・・・と。
しかし川上さんの世界は、このアハハハ・・・・の中に深いものを感じさせる。
こんな毎日のこと。。。。。

(追記)
川上さんは俳句をされていました。うん、俳句の要素が強いかな。。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
菅総理の脱原発への方向性をめぐっていまだに菅辞めろコールだけを言う方々は別にしてもいろいろと意見が出ているようだ。
国会内はやはり脱原発の方向性を薄めるような意見が出ているように思う。これは積極的な原発推進を言う人々が後退をしているということでしょうあ。マスコミも脱原発をいろいろな角度から報道せざるを得なくなっている。
財界や官僚は根強く原発からの脱却は言えないようだが。。。。。。
菅総理の一連の発言(国民への呼びかけ)は、独りよがりだとか思い付きだとかという言い方で否定をして部分があるが、ここでも管総理にやめろという事につなげる人はいるがかといって原発をどうするかという議論という批判はないような気がする。
たしかに国会内や財界官僚には受け入れられない状況があるにもかかわらず方向性としては脱原発に社会は動きつつあるのではないか。国民世論も。
ここに一連の菅総理の発現は生きているのである。
白黒をつける結論を今求められている情勢では社会全体としてはないだろう。しかしゆっくりとではあるが、脱原発への方向性は見え始めているわけです。
原発に変わるエネルギーをどこに求めるか、原発と自然エネルギーや代替エネルギーの経済性や電力料金などなどこの検証すべき事柄を真摯に科学的に議論すること自体が有意義なのである。この新してあるいは科学的にという中には、やらせメールや停電という脅しなどはもちろん排除しなければならないということである。放射能の危険性がどこまであるのかとか、食料品の不安や子供への危険性などなお、こういうものを真摯に議論されなければならない。
今現在のこれらすべての事柄について真剣に話し合えること自体が脱原発への一歩である。
ツイッターなどは過激な脱原発発言があるが、こういう勇ましい言葉が脱原発の方向性を強めるとは限らない。今の実態とその実態についての考え方をとつとつと書いているものが強い力となるでしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
人は、何に怒りを一番感じるかといえば、ばかにされることではないか?
真面目に考えなくてはいけないこと、実際の生活や労働その他日常の中できつい思いをしている事柄に対して、その事柄を茶化されたり、嘘を言われたり、変な期待を持たされたり、様々なやり方で裏切られながらバカにされる。
今の政治や社会の中にそれを感じないだろうか?
円安で輸出産業が潤い、株価は上がっている。これが進めばいつかは国民の生活もよくなると。しかし現実を見れば、円安は輸入材や輸入商品が値上げされるだけ。これを経済の復活だと言われる。
消費増税は社会保障のために使われると言われるが、中身は社会保障の充実ではなくて今までの社会干す用の予算を削って他に流用するだけ。
流用といえば、復興予算は所得税の2%強のアップにも支えられているが、その社会保障費は被災地の方には回らないところで流用をされる。
原発事故では除染が終わるまでと避難を余儀なくされていたが、除染はこれ以上できないが帰ってもいいよと。
ブラック企業という言葉が多く見受けられるが、今の働き方や条件にバカにされているんじゃないかと感じることはないでしょうか?
団塊の世代を中心に将来高齢化になるのだからと年金は積み立てましょうと一生懸命に当時のお年寄りの年金を支えながら積立もした。いざ受け取る今になって100年は大丈夫と言われた年金制度改悪によって積立金は将来の若い人のためにも残した方がいいのではないかと言われ、一方では若い人は老人を支えろと。
だれが見てもおかしいのではないかと思ったり、ばかにされていると思ったりすることばかりでしょう。
結局はバカにされながらさらに苦しい犠牲を強いられていくわけです。こうしなければ国や企業や富裕層の利益を守れない社会ってなんでしょうか?犠牲になることを憲法上も正当化されていく。

【2014年】ツイッターつぶやき
ロイターに「2年で2%の修正提言相次ぐ、財政状況が物価に追い付かず」という気になる記事が出ていた。
「供給力低下で物価上昇ペースが予想より早まる気配が出てきた中で、2年で2%の物価上昇を目標にする日銀の量的質的金融緩和(QQE)に対し、金融政策に詳しい民間識者の一部から、より長期間での達成へと切り替えるべきだとの声が相次いでいる。」(上記リンクページからの引用)
供給力の低下による物価上昇かといえば、今労働力不足が言われる中での供給力の不足が言われている。しかしこの物価上昇はアベノミクスと日銀の緩和という政策インフレ自体が急速に物価を上昇させているだけでしょう。供給力は消費力と対ですから消費が供給を規定する。政策インフレと消費増税そしていまだに実質賃金が下がり続け、消費増税は社会保障にという公約も破られているわけですから当然消費は「節約」に走る。この中で企業の設備投資も鈍くなりますから供給は国内的には伸びない。この状態の中で2%達成が早まっているということは政策インフレという悪性の物価上昇が続いているということです。この矛盾した物価上昇ですからちょっと待てよという声は当然でしょう。
もちろん日銀は2%を達成すれば中身はどうでもよいわけで達成自体が日銀の責任です。達成されればもちろん出口論が出てきます。アメリカも本格的な出口が近いといわれている中いつまでも緩和を続けることもできないでしょう。日銀の緩和策で長期国債を買い入れているわけですがそれが出口を迎えれば金利はどうなるでしょうか?同時にインフレと長期金利の関係から急激な物価上昇は長期金利を上げる。国債の金利が上がれば損をする投資家も出てくるでしょう。そして何よりもきぎゅへのばらまきである公共事業や今後の法人減税もあり財政再建も見えないわけですから金利上昇は国の借金も増える。
物価2%目標はデフレからの脱却というアベノミクスの柱ですから2%達成を先延ばしするということはアベノミクス自体の後退を意味します。「物価・金利と、成長・税収のバランスが取れるよう、いかにソフトランディングさせるかが、この先の最大の課題となりそうだ。 」(引用)
国家財政を見ますとこのままアベノミクスが盲進していけば国家財政の健全化はまた社会保障にしわ寄せがくるでしょう。
アベノミクスの修正か、それとも更なる社会保障の後退か。。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
明日強行採決がされるという安保法制そして新国立競技場など、民意から離れたあるいは少なくとも国民の理解を得ない政策が決定をされていく。
この状態を一つひとつの政策の是非から離れてみても政策決定の方法として見た現在の政治は、民主主義から離れた国家主義的(全体主義的)なもに近づいている。
この土台となっているのがやはり経済でしょう。
経済的に日本は貧しくなっている。国の経済的な力が落ちている。国民が作り出すパイは小さくなっている。この小さくなっているパイの内、どう巨大企業や富裕層が受け取るパイの大きさを変えないようにするかがアベノミクスでしょう。ここから国民が受け取るパイの大きさは小さくなる。このような経済政策を日本の中で行うには政治的な国家主義が必要となっているという事である。国家主義的な方法でしか今の政権は維持できなくなっているという事である。
国家主義というものは力においては強い政治の力となる。
しかしこの強い力には内部矛盾としての脆弱性がある。
アベノミクスは失敗ではないかという意見も出始めている。安保法制には多くの疑問や不信が出ている。
脆弱性や内部矛盾は自壊を起こす。しかしこの次回の中で更なる国民の犠牲が強まる。
自壊する過程にどう民意(民主主義)をいち早くか取り戻すかが課題となるでしょう。選挙権が18歳以上になる。若い方の民主主義意識が問われるtでしょう。その意識は今現在の政治をどう感じ取り考えるかにある。その材料は自壊と内部矛盾の広がりにある。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
政治家というのは自信の思想や信念そして政策を持っていますからその中身については政治家それぞれにおいて大きな違いも小さな違いもあるでしょう。そして政治家はその違いを一定のルールに基づいて国民に訴え、政治家同市あるいは政党を通じて討議を行います。その中で自信の政策等が国民に受け入れられ政治全体を動かすことにその使命を果たすことができますし、それを政治家はよろこびと誇りとするでしょう。
しかし政治や職業ですから利益を優先させる。ひどい場合には税金を私利私欲のために使ってしまう。そして政治屋の力は国民を抑え込んだり騙したりしながら力を誇示する。この中で政治の力を数の力とする。
政治家も失敗をすることがあるが、それは単なる失敗です。政治屋は失敗ではなくて目的意識的に正しくないものを行う。利益のために。
国民の多くも政治家を求めているのですが、中には私利私欲のために政治屋を支持する。
政治家の力が弱くなり、政治屋の力が強くなると社会は悲惨さを増す。
政治にマニフェストが消えた。そして選挙の勝ち負けがすべてとなり、あとは海とも山ともなれと。。。。。著名人も選挙に受かれば政治家とよばれるが、下手をすれば政治屋に成り下がる。

【2018年】ツイッターつぶやき
東京も今日は酷暑?
暑かったです。
僕は大汗かきです。今もそうは太ってはいないし昔はやせていました。それでも大汗かきです。
たぶんお袋の血を引いたのでしょう。親父が流れるほどの汗をかいていた記憶は皆無です。
お袋も夏になると額、首そして胸あたりに汗が流れていました。
朝起きるとすでにパジャマがビショビショ。
そうじをすれば汗が流れ、花の世話をすればTシャツが重くなるほど汗をかく。そういえば高校生のときサッカー部でしたが、試合の前半が終わり水を飲むとユニフォームを脱いで絞ると汗がぼたぼたと。絞るほどの汗は現実に存在します。
今は風呂上がり。汗が引きません。
人は汗をかくというのは健康に良いのでしょうか?
大汗をかいて水分補給をして梅干をかじる。体がすごく軽くなってだるさを感じません。
汗かきというのはあまり清潔感がありませんが、出るものは出した方が良いと思っています。

【2019年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記 人間でないかもしれない。」が更新されました。
「毀誉褒貶」なんか難しい言葉ですなぁ。
悪口を言ったりほめたり、世間の中には評判が広がっています。
たしかに100%悪人も善人もいないわけですし、同じ事柄の言動も人によって評判の中身は違ってくる。
評判というもののつかみどころのないものは実態があるわけではなくて、広がりつつ漂うようなものです。
口から出た言葉、書いた文字、行動など、一度発信をしてしまったらそれはもう自分のものではなくなって人の評判の中に漂うしかなくなります。
まぁ、この評判がでかく広く広まれば、神とも言われれば悪魔ともいわれる。そして人間ではないとも。。。。。。
ただ自分自身に真実を見つめてくれることができるのは母親からの評判なのかも。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
一人10万円の支給がスピード感なくだらだらと遅くなっている。
同時に緊急事態宣言も東京アラートも足早に解除されて人の動きが活発となってきた。そしてGo Toキャンペーンが始まる。
10万円は経済政策ではないとたしか麻生さんは言っていたと記憶しますが、結局10万円はコロナ対策ではなくて経済対策になりつつあるということでしょう。
国民の生活の維持が目的だったが、その金を間接的に企業にばらまくことであり、休業補償の肩代わりをさせるのが目的になっている。
ここからコロナウィルスの感染防止と企業へのバラマキと天秤にかけられるわけですが、感染防止がおろそかになり感染拡大が懸念される。緊急事態宣言や東京アラートが異常ともいえるタイミングで足早に解除されたことにも大きく関連しています。
カネが入り不要不急の外出の自粛もなくなり。。。。
コロナ感染が拡大する。。。。。
いわゆる夜の街感染と感染拡大がセットになっている同じことが日本全体に起こりうります。
コロナ対策と経済の両立といえば納得するところがありますが、企業へのバラマキと休業補償負担をなくすという経済対策は誤りです。
コロナ対策を行いながらこれまでの利益を得られない中でのコロナ対策への補助の方がよいでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京の新規感染者数が1149人でした。
10万人当たりの新規感染者数も40人を超えました。
感染経路不明者の率も50%を超えました。
陽性率も7.2%と7%を超えました。
急激な感染拡大です。
すでに緊急事態宣言が発令されていますのでこれ以上の国民へのアピールもできないでしょうし、都知事の例によってカタカナ英語と標語も発表されません。
こんな中分科会の尾身会長が今の東京都の状態は想定内だと言っています。
たしかに政府が躊躇する中で緊急事態宣言を強く提示したのは尾身会長とも言われていますし、オリンピックの無観客も尾身会長の意見とも。
専門家委員会が文化下記に改編され、その分科会の専門家は政府の意向を現すようになっていましたが、最後に専門家としての意思を表したのでしょう。
これは評価されるべきです。
その中で今日は今の東京都の感染実態を「想定内だ」。
まぁ、だれでもが今の実態を見ればひどい実態ですからなんとでもいえると思いますが、、、、
無観客や緊急事態宣言の方向性を立てたのもこの想定があったからかもしれません。
でも、第四波の下げ止まりから増加傾向の始まりを見れば誰でもが第五波かと思っていたでしょう。
まぁ、いやな想定が当たってしまったのですからどうにか乗り切らねばならないのですが、官僚や政治家関係で夜の飲み会で感染が出ている。オリンピックの水際作戦はざるのようなものか。分科会を蔑ろにする姿勢はいろいろなところに弊害として現れている。ですから乗り切れるかという不安や不信が国民の中に

【2022年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
味のしないカレーの商品名をつけねばならぬ。。。。。。
隣町が滅びかかっているので助けに行かねばならないが、線状降水帯が来てしまう。。。。
夢の中のお話とはいえ無意識がそこに現れるのか。
毎日はぼうっとしている間に通り過ぎる。
それでもそのぼうっとした頭の中ではいろいろと考えている。
味のしないカレーの商品名を考えるようなことも無意識の中で行っているのかもしれない。
これをやらねばと考えるがいろいろとやらねばならぬことをやらないことに頭を使っているのかもしれない。
川上さんは自分に喝を入れる。
しかしその喝もふにゃぁとしてしまう。
「生きていることを無駄にしない!」。。。。喝

【2023年】ツイッターつぶやき
ドルが一時145年まで高くなりましたが一気に140円まで下げた。
このドル安というのはアメリカの長期金利の動向もありますが、基軸通貨としての信頼が弱まっていることにもあるでしょう。ロシア制裁では自らドル決済をなくした。中国は元の力を広げている。途上国もドル決済から互いの自国通貨決済に動き始めている。基軸通貨としての信頼がなくなればドル買いの少なくなりドル安となるでしょう。
これがドル安傾向なのでしょう。
インフレの中で長期金利を上げたのですが、インフレは続いた。ソフトランディングとはいかなかったようです。ドル安になってもインフレ傾向が続けば経済は落ち込むでしょう。日本のように。日本とは違うところはすでに金利が上がるだけ上がってしまっているということです。
ドルは悪貨となる。それは基軸通貨としての信頼をさらに落とす。
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2024年 7月13日(土)「食料自給率」

2024年07月13日 22時15分05秒 | 「政治・経済」
日本の食料自給率は30数パーセントだといわれる。むかしから食料自給率の低さは問題視されていた。
しかし野菜を作るにも豚や鶏(肉も卵も)を育てるには肥料や飼料そして種やヒヨコが必要。これらのほとんどは輸入だそうですからこれを考慮すれば自給率は10%台になるという。コメが余ると言われていたが米も例外ではない。野菜や米、肉だけではなく、スーパーに並ぶものすべてが輸入に頼っている。戦争などをやったらスーパーに並ぶ商品は10%程度しか並ばなくなる。だからアメリカの言いなりになっていれば大丈夫だというのが今の日本の政治ですが、アメリカの武器は軍事力だけではなく食糧や資料などが武器でもある。武器を突き付けられているという面では、アメリカに食料という武器を突き付けられているということです。ですから沖縄の婦女暴行も横田基地からの有価フッ素も隠され、発覚しても何もできない。地位協定があるから。
ウクライナについてもNATOからすれば日本はATMです。
お札はどんどん発行すれば、海外にばらまける。円の価値は低下しますね。
食糧危機に至らなくても高い買い物をしなければならないため、日本人は飢えもはじまる。
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池に浮かぶ月2305【7月13日】

2024年07月13日 21時51分27秒 | 「池に浮かぶ月」
遠雷。。。。。
その遠雷の音も伝わらない遠くの激しい雷。
夜だから遠い空の黒い雲は見えない。
去年は茨城県に線状降水多が。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 7月13日(木)「遠い雨雲」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「7月13日という日」

2024年07月13日 08時53分38秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
日本の食料自給率は30数パーセントだといわれる。むかしから食料自給率の低さは問題視されていた。
しかし野菜を作るにも豚や鶏(肉も卵も)を育てるには肥料や飼料そして種やヒヨコが必要。これらのほとんどは輸入だそうですからこれを考慮すれば自給率は10%台になるという。コメが余ると言われていたが米も例外ではない。野菜や米、肉だけではなく、スーパーに並ぶものすべてが輸入に頼っている。戦争などをやったらスーパーに並ぶ商品は10%程度しか並ばなくなる。だからアメリカの言いなりになっていれば大丈夫だというのが今の日本の政治ですが、アメリカの武器は軍事力だけではなく食糧や資料などが武器でもある。武器を突き付けられているという面では、アメリカに食料という武器を突き付けられているということです。ですから沖縄の婦女暴行も横田基地からの有価フッ素も隠され、発覚しても何もできない。地位協定があるから。
ウクライナについてもNATOからすれば日本はATMです。
お札はどんどん発行すれば、海外にばらまける。円の価値は低下しますね。
食糧危機に至らなくても高い買い物をしなければならないため、日本人は飢えもはじまる。

≪過去の記事≫

【2004年】
東京も梅雨明けです。
暑いですが夏の好きな僕としては梅雨明けはうれしいです。わくわくします。そんなわけで夕食の支度をしながら買ってきた焼き鳥とビール。。。ハハハ、うまい!
野球はほとんど観ないのですが、プロ野球の1リーグ制を巡ってどこかの球団のオーナーが、選手の申し出を「たかが選手のくせに・・・・」というような発言をしていましたが、なんかどよん~としてしまいます。
野球の好きな(僕も子供の頃は長嶋や王にあこがれましたが)ファンを「たかが選手のファンではないか」と言っているようなもんで、野球選手に夢を持つファンで食っているオーナーも結局はたかが野球球団のオーナーでしかないと自ら言っているようなものです。
あるチケット売り場の前を通ったら、巨人戦チケットありますと大きな張り紙がありました。少し前は巨人戦となるとチケットを手に入れるのも大変だったのに。。。。なんかプロ野球も経営を含め成り立たなくなっているのかな?改革による景気野回復が見えてきたとはいうが。。。。

【2005年】
凍蒟蒻(シミコンニャク)
煮付けて食べました。
食感は、なんとなく油揚げ。。。。蒟蒻を薄く切り、寒い中外で凍らせそれを天日で干す。これを数回繰り返すそうです。
高野豆腐の蒟蒻版かな?
しかし失敗をして味が濃すぎました。汁を吸い込んでしまうので味付けは薄いほうがよいそうでした(作り終わってから食べ方の解説を読んでしまった)
また挑戦したいです。
しかし関東でもなかなか売っていません。

【2006年】
梅雨も明けそうです。
本格的な夏といった暑さです。昨日の夕方蝉の声を聞いたような?空耳だったかな?気持ちの良い暑さです。
昼に昨日の残りのヒジキご飯を食べました。ううう。。。うまくない。炊き込みご飯の残り物というのはまずいですなぁ。。。電気釜に入れっぱなしで保温しておいたのがいけないのか?臭いだけで腹がいっぱいになってしまった。
残り物だけでは淋しいので、スーパーに行きアジフライを買ってきました。これもまた油がきつくて胃がもたれました。
「女っておもしろい」の感想を書いています。もう少しで出来上がると思うのですが、難しいです。

【2007年】
台風が関東にも来そう。。。。
関東に来るなんてこの季節の台風ではありません。
沖縄では大きな被害が。。。お見舞い申し上げます。
なんだかすごく涼しい風が吹いています。台風接近の風ではない。
梅干の重石を取りました。梅干は元気です。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
子供手当てをばら撒いたから。。。。
それもマニフェストを半分値切って
事業仕分けで財政の節約をしたから。。。。
途中から天下りに論点変化?
だから国民は消費税を認めてくれる?
「菅」違いである
カイワレ大根を思い出した。。。。。
坊主頭の四国巡礼を思い出した。。。
って、菅総理には初心に戻ってほしいという期待なんです
政治センスや政治力は
小沢前幹事長や自民党のほうが老練です
菅総理にできることは国民の信頼を得られること

【2011年】ツイッターつぶやき
管総理が今日の記者会見で脱原発への一定の方向性を出した。
世論調査でもその支持率は20%を切っているわけだが、この中で脱原発の方向性を出せたことをどのように見たらよいのか。
それは管総理義自身が記者会見で言われていたように原発事故後においてのご自身の変化にあることに間違いないでしょう。人が一度メルトダウンといった原発事故をどうにも制御できずにその禍とは数十年の闘いにならざるを得ないという中にその変化があったようです。このご自身の考え方の変化は、相当強い心の変化ではなかったかと思います。もちろん総理大臣だからというものもありますがこれだけやめろコールの包囲網の中どうにか自分の意思を通していけるものはなんでしょうか。
やめろコールをしている議員や評論家マスコミにはやめろという中身の合理性がないということである。同時に国民意識も見なくてはいけない。まるで幼稚な辞めろコールは国民の心には響かないでしょう。そこで出てくるのは、辞めるべきという国民意識づくりである。抽象的でもなんでも毎日毎日いつ辞めるのか、総理の椅子にしがみつくなといった中身のない不毛なものが垂れ流される。
こういった世論作りも結局は同じ世論として存在する脱原発の方向性の前には力は弱いだろう。
ドイツのような国民投票とその国民の声を反映した国会における脱原発という民主的な手続きはまだ日本には無理なのです。特に国民投票制は憲法改悪の手段でもあります。ここに日本の特殊性がある。民主主義の発達の弱い中ではっきりした答えはなかなか得られない。議論ができない状況なのである。その中で大切なのは、どうにか方向性を出すことである。これははっきりした脱原発宣言ではない。いろいろな障害を加味した方向性としての脱原発である。
この意味においては管総理のお話はよかったのではないかと思う。
方向性を出しながら国民意識をどう物理的な力にするか。これが将来の解散でしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
まずツイッターから
「北九州を中心に雨の被害が大きいですが、避難準備などが出たときに避難所に行く勇気が出るでしょうか?エアコンもない畳もない食い物もない。。。。。避難生活で体調を崩すことも多いでしょう。ペットもつれていけないし。毎年自然災害で避難する方が多数います。避難所について考え直すべきです。
戦闘機を買ったりオリンピックで金を使ったり、昔から無駄遣いについての非難が多いです。各都道府県にきちんとした設備の整った避難所をつくるべきですね。食堂や大浴場もつくり、普段は海外の旅行者も含めた安価な宿泊所に使い、いざというときには避難所として早い時期に避難してもらう。」
設備の良い多くの避難所をつくることは公共事業にもなるでしょう。そしてこの公共事業は国民の命に大きくかかわるものとなります。
いつまでたっても避難所=学校の体育館では。。。。
二度と原発事故は起きてはならないのですが、火山被害もありますし、長い年月故郷に戻れない方たちの住宅も兼ねることができるでしょう。
避難所や仮設住宅で体調などを崩して死ぬという二次被害ほど悲惨なことはありません。

【2018年】ツイッターつぶやき
禁煙運動は国民の健康のためが目的だったのでしょう。その中で煙草に視点を集中したのでしょう。しかしいつの間にか国民の健康保持から離れて禁煙運動が目的化されてしまったのかもしれません。その方法が強権的になり、煙草については原理主義的に。心筋梗塞を防ぐには原因を煙草に特化してはいけない(ツイッターより)
禁煙自体が目的化される過程において禁煙運動は原理主義に陥ってしまったのかもしれない。
禁煙運動は例えば喫煙者の肺がんリスクは非喫煙者の5倍とか、受動喫煙は1.3倍とか、こういった『研究結果』が経典のようになって喫煙者が肺癌に罹病したり死ねばタバコを吸っていたからという考え方しかできなくなる。実は禁煙者でも非喫煙者が肺癌になった場合の原因にさらされていることは見えなくなるしたばこが原因だ出済ますことができるようになる。
こういったものがたくさん積み上げられているとさらに原理主義は深化していく。
厚労省の研究班というものがありそこで政治と原理主義は結び付く。結果東京との室内完全禁煙条例にむすびつ。
また、福島県の郡山市長が禁煙に関連して批判を受けたとき(発言内容は)専門家や辞書にも出ている。私が訂正や撤回できるものではないという発言となる。すなわち原理主義からの発言でしょう。
そして一般の人々も、受動喫煙で肺癌になったと「思う」等となります。
「ヤニカス」と言った喫煙者への憎悪発言ともなり、この憎悪は原理主義と一体になったものではないかと思います。たばこ税を増税して禁煙をさせろ、タバコを吸い終わったら数分雰囲気するな。。。。。。臭い喫煙者が来ただけで受動喫煙だ。エレベーター禁止。
何も今の日本社会において原理主義は禁煙運動に限ったものではないのかもしれない。憎悪運動のようなものは相当広がりを持っているでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
日本の外交の成果と言って思いつくことって何ですか?
たしかに世界を動かす各国の首脳との会談は実現をして、とくにアメリカのトランプさんとはお友達のようになっています。
しかしこれが外交の成果でしょうか?
中国とは経済関係においては互恵関係としてうまくいっている部分がありますが、最近ではアメリカと中国との貿易戦争のとばっちりを受けてぎくしゃくし始めています。そして尖閣諸島ではさらなる協議の場をつくれません。
ロシアとの北方領土問題は平和条約も二島返還も立ち消え気味です。
良い関係にあったイランともアメリカの使いっパシリにより関係悪化につながりかねません。
北朝鮮との協議は先行きが見えずにアメリカが米朝会談で拉致問題や日朝会談のお膳立てをしているだけのように見える。
韓国とも韓国の徴用工での司法判断に対して圧力をかけることから日韓関係もその密接さがなくなりつつあります。
アメリカともお友達関係ですが、アメリカの貿易赤字から参院選後には無理な二国間協定に向かいつつあり、多額の武器の購入によってお友達関係は保たれているにすぎない。
こう見てくると、日本の外交成果は何だったのか?
結局は成果らしきものは何もないと言ことになる。マスコミも親密な関係作りは言うが成果といったものははっきりさせない。
首脳会談や国際的な会議の場での握手の写真で外交を語ってはいけないでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
東京は今のところ線状降水帯やゲリラ雷雨も来ないで風は強めですが梅雨らしい雨が降っています。木々の緑も濃くなり植物は目を離すと生い茂ります。朝はオナガのうるさい声濃い緑の木々に響きます。
わが家にもイモリが出ました。
狭いベランダの花の中に隠れています。先日ゼラニウムに水をあげたらイモリがびっくりして隣の鉢へ逃げ込みました。
川上さんも活発な生物界に棲息して暗くなれば寝て夜明け前とは言っても3時だそうですが夜が明ければ動き出すようです。僕も5時には必ず目が覚めてしまうのですが、コーヒーなど飲んでいるとだんだんと道路に人が出はじめて散歩などをしています。車も数台行き来し始めます。6時という時間の面白さ。
人間も生物の仲間ですから自然の時の流れに身を任せなくてはね。
「どうか人間も生物界の一隅に住みつづけられますようにと祈りつつ、ヤモリが走りこんだあたりの雑草にふれてみる」(引用)
人間はコロナウィルスに翻弄されて右往左往しています。
人間は集団をなして生息する生物です。そんな人間が生き残るにはどうすればいいのか。
生物界の片隅に自然の姿で仲間に入れてもらうしかないのだが。それを忘れてしまっている。

【2021年】ツイッターつぶやき
プランターに花の茎が伸びてきた。
6月ごろだったか、アスターと桔梗の種をまいた覚えがある。
時期的に少し遅かったので目が出るか心配をしていたのですがどうにカメが出て今では25センチほどに伸びている。
桔梗は無理かな。
種をまいたところから数本伸びているので多分アウターだと思う。3色ほどの花をつけるはずです。
しかし花が咲きませんなぁ。。。。。
花芽らしきものも出てこない。
ただの雑草だったらどうしよ。
数本まとまって出てきていますからアスター種だと思う。
でもアスターの花を検索したらどうも葉っぱの形が違うような?
そういえばアスターと桔梗と後もうひつつ種をまいた記憶がある。
花の名前は忘れたのですが、もしかしたらその花かもしれない。
どうなんでしょ。。。。。
今年は雑草を育てて終わりなのか。。。。。
ううう・・・・

【2022年】ツイッターつぶやき
月曜日に群馬の方へドライブに行きましたが道の駅で「おかわかめ」という野菜を見つけたので買ってきました。
丘ひじきというのは何度かゴマ味噌あえで食ったことがありますがおかわかめというのは初めてです。
少し厚肉の7センチほどの丸みを帯びた葉っぱです。どことなく観葉植物のようです。
調べてみたら、百薬として中国から伝わった野菜だそうで、百薬といわれるようにヨウ素やミネラルたっぷりで栄養価が高いそうです。
東京ではスーパーでも見かけたことがない野菜です。
さっと塩茹でして冷たい水に戻して食べやすい大きさに切って中華ドレッシングを作って食べました。ボリュームがないので胡瓜の千切りとミニトマトを入れました。
見た目は確かにわかめですし、少し粘りもあり食感もわかめ。
クセもなくおいしかったです。

【2023年】ツイッターつぶやき
ベランダから茨城県の方向を見たらカミナリが光っていた。
遠雷といっても遠くで音すら届かない遠雷。
部屋に入ってしばらくしてテレビを見たら、茨城県を線状降水帯のような雨雲が通り過ぎていた。
さっき見たカミナリがあの辺なんでしょうね。
そういえば、そのカミナリが光る雲の中を飛行機が通り過ぎて行った。
一瞬飛行機、危ないんじゃないかなと驚いたのですが、飛行機は羽田空港の着陸態勢ですから、危なくはないですなぁ。
東京は雨らしい雨がないままに来週には梅雨明けになりそうです。
日曜日から月曜日に少し降るぐらいかな。
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2024年 7月12日(金)「一夜明ければ…」

2024年07月12日 21時54分55秒 | 「政治・経済」
昨日、生きなる157円まで円が急騰した。
ドル安気配はあったのでしょうが、円高になるという経済的予測はほぼゼロでしたから介入があったようです。
介入規模は3兆円と言われています、これまでも介入により円高を作り出しましたがすぐに161円を超えるかという事態に戻っています。そこでまた介入をしたわけですが、一夜明ければ159円と円は急落しました。
投資家には心理的圧力となるでしょうが、経済的な円高慶応はないわけですからすぐに160円代に戻るでしょう。3兆円だ5兆円だと年に何回も行っているだけではオオカミ少年のように偽りの経済がばれるでしょう。
かといって日銀の動きも縛られるわけでそうは高金利まではできない。高金利に国民生活や企業が耐えられるか?スタグフレーションですから経済の過熱はありませんからね。それどころか、大幅賃上げと言われたものは、現実では実質賃金の低下で、年金額が上がったとしても介護保険料などの負担で年金受取額は減ってしまう。だから介入しか手がないわけです。
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池に浮かぶ月2304【7月12日】

2024年07月12日 20時36分14秒 | 「池に浮かぶ月」
去年はフランスもドイツも中国を訪問し接近していました。しかしアメリカの巻き返しとロシアに対する制裁もありロシアに接近する中国との関係からも経済的つながりも希薄になりつつありました。
今では中国から離れたアメリカ中心の同盟関係に益々固執するようになりました。
一方では制裁されるロシアや中国の経済は伸びている。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年7月12日(水)中国とヨーロッパ

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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