私は思い出長者かも。
近頃よく、そう思う。
季節の行事や風物詩を見みかけるたび、
それらについての思い出がしっかり自分にあることに......
今さらながら驚くことが多くて。
ゆずジャムに酢と塩、昆布粉を加えて、
塩もみしたキャベツと大根とで和え。
『即席ゆず大根』
若き日の父とその仲間と、恒例だった餅つきに、
春には海苔巻き、牡丹餅をたずさえた墓参り。
花見に川遊び、それに山登り。
魚釣り、バーベキュー。
祖父の庭でとれた渋柿を利用した干し柿作りに、
取っ手のついた箱網で、父が炒ってくれたくるみや栗......。
ストーブで炙ったさんまの骨。
あっ、そうそう!
先日紹介したピーターラビットマヨネーズ(キューピー)の、
バージョン違いを見つけ、買ってしまいました(笑)
母の田舎では、夏に美しいイトトンボを眺め、
すばしっこいカジカの影を、川面に追った。
農道の真ん中では、ぺったんこに潰れたヤマカガシを見つけ、
夏には蛍をネギの葉に閉じ込め。
冬には......
窓の外のつららを折っては、その輝きを飽きずに見つめたものだった。
見上げれば、あまりに多すぎて、ホコリのように見える星たち。
一本だけ生えた漆の木。
薪で焚いたお風呂の匂いに、湿った朝の濃密な空気......
ほんの、短い時間に詰め込んだ。
......人は、思い出で出来ている。
ところで.....左側の絵。
きっとボタンをしめてあげているんだと思うんだけど.....
正直、「オラオラ~!」と
首をしめているようにしか見えないのは私だけか?(笑)
ゴンザに問いかけ、私は驚く。
「ねぇねぇ、干し柿って作ったことある?」
「餅つき、したことある?」
その答えがNOであるたびに。
『私は最後の世代かも』と、
そう思う。
干し柿や餅つき、凧揚げ、羽根つき、
薪のお風呂の最後の世代かもと。
そして、そう思うたび、胸の奥で私は感謝するのだ。
悪いことも多い家だったけど、
同じぐらい、いいこともあったのかもなぁと。
人は思い出で出来ている。