猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

説明くさい。

2013年03月25日 10時43分17秒 | つぶやき

 

大岡川の桜はもうすぐ満開。

 

素人がこんなことを言うのも何だけれど。
 
今どきの歌がダメだ。
 
歌詞が直接的か説明くさく、
『キレイ、キレイ』。
 
ありがとう、とか、頑張れ、とか、
そりゃ言われればそうなのだけれども、
行間、とか、響き、とか、
もう少しなんかあるんじゃないかと。
 
極端なことをいえば、ニュアンスさえ『グッと』伝わるなら、
言葉の構成なんか『どうでもいい』。
 
好みはそれぞれだから、
それがいいという人にはいいのだろうけど…。
 
私はちょい苦手。
 
人の心はもっと後ろ暗く、
秘密めいて、
だからそっと、忍びこんでくるのがいい、と。
 
子供の頃。
 
母は私に一冊の本を与えた。
 
なぜか、それは石川啄木の伝記だったけれど。
 
中には彼の詠んだ歌が散りばめられて、
どういうわけか、私は夢中でそれを諳んじた。
 
たぶんその響きが。
 
私は好きだったのだと思うが、
中にどうしても好きになれないものがあって、
それが『一握の砂』だった。
 
「真面目くさってつまらない」
 
それが、小学校にあがったかあがらないかの、
働くことの意味も苦労も知らない子供の感想だったのだが。
 
反して、その響きの美しさから、
意味もわからず大好きだった歌が二篇。
 
  盛岡の 中学校のバルコンの
  手すりにも一度 我をよらしめ
 
(盛岡の中学校の露台の 欄干に最一度我を倚らしめ)
 
  ふるさとの 訛りなつかし停車場の
  人ごみの中に そを聞きにゆく
 
意味とか、簡単か難しいかではなく、
単純に、流れる響きで子供の心を捉えた二篇。
 
口に出して、何度も何度も周りに聞かせ、
ついには父か母に、
 
「しつこい!やめなさい!」
 
と、叱られたのを思い出す。
 
…美しい響き。
 
言葉の響き。
 
流れるように滑りこむ、
言葉が好きだ。
 
そういえば昔、何かのTVで見たのだが、
『浜辺の歌』を英語に訳すのは、
とても大変なのだということだった。
 
  あした浜辺をさまよえば
  昔のことぞ 忍ばるる
 
なんでも、『浜辺』という言葉にぴったりくる訳を、
見つけることから、なかなか大変なのだそうで。
 
どの国の言葉にも、きっと、
そんな言葉があるのだろう。