暑かった日も傾いて、立山上空に盛り上がった雲が赤く染まっています。「今日も暑かったなあ」と語りかけています。
62年前のあの日、つまり1945年8月15日も暑い日でした。私は8歳の小学校3年生、父はまだ30歳を越えたところでした。でもすでに4年近く兵隊に行って帰っていました。その日は山へ松の油(戦闘機の燃料用に使うと言って集めさせられていました)を採取しに行って、昼に帰ってきたときにあの天皇が戦争を終結するという国民向けの放送(玉音放送といいました)があったのです。
父は茫然としていました。そのとき私には何のことか分かりませんでした。でも、戦争が人間にどれだけの悲惨さをもたらしたのかは、まだ全体像は分からなくても実感として身にしみています。その後戦争の全体像が少しずつ分かってきました。「正義の戦争」とか「防衛のための戦争」というのは、実際にはあり得ません。「戦争」は悪そのものです。よい戦争なんてものがあるとしたら、悪魔に魂を売った人たちの世界のお話でしょう。
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