立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

井田川から取水していない?!・・・富山市西部探索・牛ヶ首用水

2011年07月26日 | Zenblog
 井田川の堤防の上にあがって、あちこち見まわしてみましたが取水していそうな形跡は全くありません。堤防のすぐ下から水が大量に流れ出ているのに・・・、狐につままれた気持ちで帰ってきました。
 インターネットで調べて分かりました。コンクリートの塔のようなところから水路が井田川の下をくぐっているのです。どうやら最初の用水の写真も山田川の下をくぐって用水が地上に出たばかりのところだったようです。つまりサイフォンの原理を利用して川を越えていました。先人の知恵には頭が下がります。
 いつかもう一度しっかり、その水源と経路をたどってみなくてはなりませんね。

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井田川から取水か・・・富山市西部探索・牛ヶ首用水

2011年07月26日 | Zenblog
 牛ヶ首用水の前方に見えるのは、井田川の堤防です。井田川はそれほど大きな川でもないのに、こんなに大量の水を取水しているのかと不思議に思いながら、そこへ見に行くことにしました。

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加賀藩の大事業・・・富山市西部探索・牛ヶ首用水

2011年07月26日 | Zenblog
 神通川があっても、直接潅漑には役立たず一帯荒れ地であったため、江戸初期に大規模な新田開発のための用水路工事が計画され、実行されました。この水路を見ただけで、その壮大さがわかります。

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用水発見・・・富山市西部探索・牛ヶ首用水

2011年07月26日 | Zenblog
 思わぬ水量で流れています。「牛ヶ首用水」とありました。以前から気になっていた用水です。江戸時代初めに加賀藩によって開削され、神通川左岸一帯の射水平野を潤して「四万石用水」とも言われました。これだったのかと思い、上流に向かって走ってみます。

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懐かしの昭和の橋「富川橋」・・・富山市西部探索

2011年07月26日 | Zenblog
 富山市の西部(旧婦中町など)をいろいろ見てみたいと、これという当てもなく神通川の婦中大橋を渡って西に向かいました。左にかなり大きな用水路が見えたので「まず、あれだ!」と思いました。山田川を渡ろうと走っていたら、この橋に来ました。まさに昭和の、なつかしい雰囲気です。「昭和38年12月」とありました。当時架けられた中小の橋は、多くがこのような趣のコンクリート橋でした。

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文化革命院別棟(付別件コメント)・・・JingShangの山西南部への旅(洪洞県の大槐樹尋根祭祖園・民俗園)

2011年07月26日 | JingShang君からの上海レポート
 その文化革命院のもう一つの建物です。民間切り紙を売っているようです。

 以下も民俗園とは無関係のコメントの続きです。
 因みに、今回の事故で追突した車両は日本の川崎重工の技術による車両(いわゆる「はやて」型車両)、追突された車両はカナダボンバルディア社の技術による車両だそうです。中国の高速鉄道は川重技術だから、中国が、全部日本の責任と言い出しかねないと仰る方も居られるようですが、今のところその懸念はなさそうです。
 以上で民俗園とは無関係のコメントを終わります。

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文化革命院(付別件コメント)・・・JingShangの山西南部への旅(洪洞県の大槐樹尋根祭祖園・民俗園)

2011年07月26日 | JingShang君からの上海レポート
 文化革命院と名付けられています。文化大革命時代の農村を表現しているそうです。中をみていないのですが、外から見ると普通の民家です。

 以下も民俗園とは無関係のコメントの続きです。
 なお、中国の高速鉄道は、各国技術の良いところ取りプラス自力開発です。具体的には車両は、日本(川崎重工)、フランス(アルストム)、ドイツ(シーメンス)、カナダ(ボンバルディア)等の技術を取り入れ(基幹部品は輸入、他は一部輸入プラス一部国産組合せ、設計だけ輸入して国産等、難度により色々)、運行システム等は中国の状況に合わせて自分で開発したようです。勿論、制御システムのハードはバラ買いしているでしょう。中国の高速鉄道は運行当初から在来線軌道に乗り入れる車両もあり、最近のように専用軌道を走る車両もあり、また軌道が複数絡むところもあり、システム全体としてどこかの国の技術をそっくりそのまま入れることは出来なかったのでしょう。勿論、バラ買いにして、コスト節減、技術移転を図る狙いもあったでしょう。

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工匠院の主屋(付別件コメント)・・・JingShangの山西南部への旅(洪洞県の大槐樹尋根祭祖園・民俗園)

2011年07月26日 | JingShang君からの上海レポート
 これはその工匠院の主屋です。

 以下も民俗園とは無関係のコメントの続きです。
 中国の鉄道は分割民営化どころか、日本の旧国鉄や日本の郵政公社のような行政法人にすらなっておらず、日本の戦前の鉄道省のような組織のままなので、(国有企業ですらない)古い国営現業組織の残滓がまだ残っているようです。また、鉄道部も中央省庁なので、警察、検察が動けないのかも知れません。また動いているという報道は皆無です。中国の新聞によると、中国安全監督局長をリーダーとする事故調査組が発足したと報じていますが、どれだけ独立性を維持できるのか疑問です。今回の事故では古い中国を見てしまった気持ちがします。

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民間工匠院(付別件コメント)・・・JingShangの山西南部への旅(洪洞県の大槐樹尋根祭祖園・民俗園)

2011年07月26日 | JingShang君からの上海レポート
 これには民間工匠院という名前がついています。陶器や瓶を作っている職人の家を表現しています。

 以下も民俗園とは無関係のコメントの続きです。
 鉄道事故現場は上海鉄道局の管轄ということで、上海鉄道局の責任者三名が早々に解任されました、どうして地方の責任者なのでしょうか。この事故が福州でおきていたら福州の責任者が処分されていたのでしょうか。鉄道部長(大臣)が2月に不祥事で更迭されたばかりで、上海鉄道局以上に累が及ばないように尻尾を切ったように思えないでもありません。しかし、中国の新聞によるとこのよう事例は、過去の事故にもあったとのことです。

 また昨日は鉄道が復旧して開通しています。これは間違いなく日本とは違う措置です。

 ともかく、事故車両の埋設といい、地域責任者の早々の処分と言い、鉄道の復旧の早さといい、日本とは随分異なる処理方法で、喫驚することが多くあります。私が過去の中国の鉄道事故処理の手法をよく知らないからかも知れません。

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結婚式の民家(付別件コメント)・・・JingShangの山西南部への旅(洪洞県の大槐樹尋根祭祖園・民俗園)

2011年07月26日 | JingShang君からの上海レポート
 今朝の上海は晴れです。予報は一時雷雨、最高気温は37度、最低は28度です。暑くなりそうです。

 今日も山西洪洞県の大槐樹尋根祭祖園(だいかいじゅじんこんさいそえん)の民俗園です。この建物には結婚式を迎える民家という説明がついています。

 以下は、民俗園とは無関係のコメントです。
 中国の高速鉄道追突事故の続報ですが、昨日の日本の新聞社のニュースによると、事故現場の横に穴を掘り、事故車両をショベルカーで砕いて埋めたと目撃記事が写真付で出ています。私はテレビで、事故直後架橋に斜めに倒れた車両を重機で地表にどんと落として、車両が地表で跳ねるのをテレビで見て、こんな乱暴な落とし方をしたら車体が壊れて事故の検証にならないのではないかと懸念しましたが、それどころか記事によると計器のつまった運転席をシャベルカーのアームで細かく砕いて土に埋めたという記事を見て唖然としました。

 中国新聞報道を見てみると、鉄道部(省)の関係者の説明では、証拠隠滅ではなく、後に来る300トンのクレーン車の準備作業だそうです。現場地表の地盤が脆弱で、クレーン重機を支える為にそうするのだという説明です。事故列車にはブラックボックスがあり、それは回収しているので、原因の調査には支障がない、車両の残骸は事故検証には不要だと説明されています。

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