傍にある博物館に掲示してあった漢墓の図面です。前の3枚目の図とは南北逆さまで、下が北、左が東で見にくいのですが、立面図があるのでお見せします。漢墓はこんな構造になっています。
先程2月12日に湖南省博物館に行き、馬王堆の展示をみましたとお話しましたが、帰りに売店で発掘物の写真集と解説本を買いました。解説本は発掘した湖南省博物館の考古学専門員の著書ですが、発見のきっかけは馬王堆近傍の医院が防空壕を掘っていて、地層の変化がおこり、1971年12月30日に湖南省博物館にその連絡が入ったのが最初だそうです。
文化大革命がなければそのまま眠っていたかもしれないという点では甘粛武威の馬踏飛燕も湖南長沙馬王堆も同じです。
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先程2月12日に湖南省博物館に行き、馬王堆の展示をみましたとお話しましたが、帰りに売店で発掘物の写真集と解説本を買いました。解説本は発掘した湖南省博物館の考古学専門員の著書ですが、発見のきっかけは馬王堆近傍の医院が防空壕を掘っていて、地層の変化がおこり、1971年12月30日に湖南省博物館にその連絡が入ったのが最初だそうです。
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現場で見かけた説明図です。現場は撮影禁止ですが、これは宜しいとのことでした。平面図で上が北、右が東で判りやすいです。漢墓は東西に長く、東の端が入り口で斜面から外に出ます。東端の入り口から西に向かって入り、最初の部屋は左右の耳室があります。耳の形をしているので耳室というのでしょう。右耳室と表示がある耳室の側に防空洞とあります。この墓は1969年の発見ですが、当時は文化大革命のさなかで、ソ連の攻撃を予想して上の雷祖殿から防空壕を掘っていて、この右耳室を見つけたのが発見のきっかけです。そして馬踏飛燕を含む231の文物が発見されたのです。
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今朝の上海は曇りです。雨は降っていないようですが、道路は濡れています。予報は小雨、最高気温は11度、最低は7度です。今週は水曜までずっと小雨の予報です。
昨日無事湖南衡陽から戻りました。衡陽は街をぶらぶらしただけなので時間が余り、12日は早めに長沙に戻り、久々に長沙にある湖南省博物館に行き、馬王堆で発掘された2000年前の漢墓の展示を見てきました。ダイ侯夫人の遺体や副葬品が保存状態がよいまま発掘されて展示されています。今回で3度目の見学です。衡陽や馬王堆のことは後日紹介します。
今日から甘粛武威の雷台公園の雷台漢墓です。この写真は雷祖殿の小山を下りて、東側に迂回したところです。写真左手が斜面になっていて人が数人いますが、そこが1号漢墓です。漢墓はその奥にもあります。馬踏飛燕は1号墓から発掘されました。
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