不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Quando sara' sistemata ADSL

2007-01-23 02:06:12 | 日記・エッセイ・コラム

先週の火曜日から突然
我が家のADSLのラインが機能しなくなりました。
そんなわけでブログの更新が遅れ気味ですが…。

今までも数時間繋がらないことはよくあったので
様子をみていたのですが、あまりにも復旧しないし
挙句にはモデムのせいでシステムに「深刻な問題」が発生
とか警告出されるしで困ってしまい
金曜日に電話局に電話して
「土曜日中に調査結果を報告します」といわれたけれど
もちろん音沙汰なし。
月曜日にまたかけてみましたが
今度は「内部システムの問題だと思います」ということで
「ご自宅からコンピューターを繋いだ状態で
またかけなおしてください。」といわれました。

たぶんコールセンターで電話の受け答えしている人より
私のほうがずっとコンピューターに詳しいような気がするのですが。

1月のはじめに4メガから20メガへの乗換えを依頼してから
一向に新しいモデムも届かないし
まったくどうなっているのやら、悪名高きイタリアの電話局。


MonaLisa Mori' a 63anni

2007-01-23 01:43:36 | アート・文化

レオナルド・ダ・ヴィンチの最も有名な作品「モナリザ」。
その謎めいた微笑みが500年近く経った今でも
人々の興味をかきたてています。
いろいろと謎に包まれたこの作品。
この微笑を投げかけるモデルについても、
ロレンツォの弟で暗殺された
ジュリアーノ・デ・メディチの愛人であったという説をはじめ
レオナルドの自画像であるというものまで諸説が語られていますが
昨今ではフィレンツェの裕福な絹織物商の奥さん
という説が有力になっています。
フィレンツェの教会で彼女の死亡を証明する記録が
最近発見されました。

Lisa Gheradini(リザ・ゲラディーニ)は
1479年にVia Maggio(マッジョ通り)に生まれ
1525年に16歳でFrancesco Del Giocondo
(フランチェスコ・デル・ジョコンド)の再婚相手として嫁ぎ、
5人の子供をもうけ
1542年7月15日に63歳でフィレンツェで亡くなりました。
Del Giocondoは当時サン・ロレンツォ教会に程近い
Via Stufa(ストゥーファ通り)に邸宅を構えており、
また彼の一族に司教座聖堂参事会員がいたことなどから
自宅近くのSant'Orsola(サンタ・オルソラ教会)とも
繋がりがあったと考えられます。
実際彼らの末娘はサンタ・オルソラ修道院に入り、
やがてルドヴィカという名の修道女として仕えています。
モナリザよりも4年前に他界しているフランチェスコの遺言により
彼女は末娘のいる修道院で晩年を過ごし看取られました。

フランチェスコは1525年に
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会内の礼拝堂に
親族墓地を作らせています。
当時そこで仕事をしていたAndrea del Sarto
(アンドレア・デル・サルト)の弟子Domenico Puligo
(ドメニコ・プリーゴ)に礼拝堂に飾る絵画の制作を依頼していますが
出来が非常に良かったので、礼拝堂に飾らず自宅に保管していたと
Giorgio Vasari(ジョルジョ・ヴァザーリ)が
列伝の中に書き残しています。
当時の富裕層にはよくみられるように
彼も芸術への関心が高かったようです。
そんな彼が「アンギアーリの戦い」の下絵作成のために
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会にいたレオナルドに
妻の肖像画を依頼したとしても特に不思議はありません。
モナリザを描くためにレオナルドがDel Giocondoの所有する
フィレンツェ郊外の邸宅に逗留していたという繋がり以外に
彼女とレオナルドをつなぐかもしれないもうひとつの点。
それは彼女が嫁ぐころに彼女の一族がVia Ghibellina
(ギベッリーナ通り)に暮らしていたという事実。
彼らの住む宮殿のほぼ正面には
レオナルドの父Ser Piero(セル・ピエロ)の
自宅があったといわれています。
二人がその頃から顔見知りであった可能性もなくはないのです。

ルーブル美術館地下で厳重な警戒のもとに行われた
1時間に及ぶデジタル分析の結果、
描かれた当時の背景はレオナルド特有の
淡いブルーのぼかし表現であったということが解明されました。
長い年月にわたり褪色して現在我々が見るような
ブラウン系になってしまったのだそうです。
またモデルの軽度の斜視をレオナルドが
絵画上に再現しているために
どこから鑑賞しても彼女に見つめられているような
効果を生んでいるのだといわれます。

彼女が葬られているといわれるサンタ・オルソラ修道院は
サン・ロレンツォの中央市場の裏手に当たりますが
長く放置され、最近になってようやく
修復・再利用の計画が持ち上がっています。
いつか一般公開される日が来ることを祈って。