今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

友の優しさに、我が身を反省する日々

2014-07-20 07:44:24 | 

今日はいきなり、画像のアップから始めます。

当ブログで、つい先日もご紹介した親友のKさんが、お忙しい暮らしの中、わざわざ我が家にお届け下さった、数々のお心づくしのものです。

 

 おこわ・野菜のマリネ・玉ねぎの酢漬け・煮豆・色々な和菓子の詰め合わせ・おかき等

容器にもKさんのお気遣いが感じられ胸が熱くなりました。

この器について、Kさんの思いが綴られたメールの文を最後にご紹介しています。

 

私は、このように心が込もった頂きものを手にしたことが、今まであったでしょうか。

そう思い、感極まってしまいました。

所用でお出かけの途中にお寄り下さり、ご主人様が運転する車の助手席から降り、私に紙袋を手渡すなり、慌ててまた車に乗って我が家を後にされたKさん。

 

 

袋の中をみる間もない数分の出来事でしたので、一言、お礼を申し上げるのが精一杯の私でした。。

その時、K君の野球練習後、我が家に寄った次女家族がいました。

私は、Kさんがいらっしゃる事を伝え、家族でご挨拶をするように言い、束の間でしたが久しぶりにMちゃんも、Kさんご夫婦に会う事ができました。

 

ロスアンゼルスに、夫の赴任で渡った時、次女のMちゃんは、まだ幼稚園の年少さんの年頃でした。

長女は、小学校1年生。

夫から、海外転勤を知らされた時、社宅の襖の陰ですすり泣いた、今と違い、純な自分を、懐かしく思い出します。(笑)

その一番の理由は、孫達を生き甲斐のように可愛がっていた母を置き去りにする悲しさからでした。

無論、私自身、異国で暮らす心細さもあったに違いありません。

 

頂戴したものは、その日の昼食と夕食の食卓に。

いずれもとても美味しくて、Kさんの温かなお気持ちで、改めて胸がいっぱいになりました。

 

母の見送りを受けて羽田を発ち、機上の人となった私たち。

娘二人がおばあちゃまとの別離の悲しみを抑え難く、当分泣きじゃくっていました。

私も、孫をもぎ取られたような母の胸中を何よりも察し、もらい泣きしたのは言うまでもありません。

 

そんな少々暗い旅立ちで、夫の待つロスアンゼルスへ向かった私と子供たちです。

いよいよロスの暮らしが始まり、異国の世界では、何もかも戸惑うことばかり。

娘達の緊張は、親さえ想像に余るものがあったかもしれません。

私も同様でしたが、極力普通の態度で明るく振る舞い、子供達の不安を和らげようと努めましたが・・・・・・

幼くても、ママでは頼りないと思ったようで、日が暮れはじめると、異常にパパの帰宅を待ち望んだものです。

「パパ、まだ帰ってこないの?」「パパは、まだ?」

の連発。

パパが帰ってくると、心から安堵したような表情で、喜びを隠しませんでした。

 

このような不安な気持ちでスタートした海外暮らしでしたが、そこへ救世主のごとく現れて、私達に温かな手を差し伸べて下さったのが、Kさんです。

海外暮らしに慣れ、英語は実に堪能でいらっしゃり、アメリカンスクールのボランテイアにも積極的に参加。

日本の駐在員の家族とアメリカ人のかけ橋のような存在の方でした。

そのご家族に、次女のMちゃんと同い年のお嬢さんがいました。

或る日、お声をかけて下さったのがきっかけで、みるみる親しくなった私達。

未だ三歳くらいの坊やもおられましたが、私の長女も一緒で、4人がとても仲良くなり、アメリカンスクール後の日本人学校通いの送り迎えを交替でするようになりました。

それから帰国するまでの4年間、私達は、Kさんご家族に、言葉では言い尽くせないほどのお世話になりました。

娘達は、わが子のように可愛がていただき、私の知らない場所やイベントに四季を通じていろいろご案内下さいました

 

ハロインの衣装を着て、Kさんのお子様達と一緒に写真撮影。

前の年は、私手製のウイッチの衣装。

この年は天使になった娘達です。

 

私は、日常の会話は何とかできるまに英語が上達しましたが、なお不自由な事に遭遇することは度々。

そんな時、いつも私に優しい手を差し伸べて下さったのもKさんです。

 

Kさん同様に、とても親しくなり、お互いに支え合い協力しあって暮らした素敵な友人達が他にもいます。

当ブログでも、ご紹介した事がありますが、今日はKさんとの思い出のみにとどめます。

 

私達家族が帰国後間もなく、彼女はニューヨーク生活となり、その後、日本に戻られました。

手紙、メールのやり取りで、お互いの近況を知らせ合い、お会いするのは年に数度でしたでしょうか。

専業主婦の私と大違いです。

彼女は帰国後も、得意の英語を生かし、つい最近まで働き続けておられ、大層ご多忙な身でいらっしゃったのです。

 

何と、ご主人様の方が先にご退職。

その後は主夫となって奥様を支え、その傍ら、ふた駅先の介護施設にいらっしゃるお母様を毎日見舞われていました。

このご主人様は、かの世界的に名の知れた大企業の副社長さんでいらしたことは、以前にも触れました。

正に時代の先端を行くような御夫婦の暮らし方ですが、お二方とも、実に気さくなお人柄。

 

Kさんから頂戴したお菓子で一服の、至福のひと時

 

そのKさんも、65歳になられ、愛して止まなかったお仕事を、後ろ髪惹かれる思いで退職されました。

娘達も、幼い頃から大好きで、慕っていたkさん。

心から楽しみ、生き生きと働かれるKさんの姿は、憧れの存在で、目標にも励みにしていた事でしょう。

 

しかし、このKさん。

専業主婦の私とは正反対のお暮らしだったにもかかわらず、2人が会うと、瞬く間に意気投合し、お話しが尽きません。。

価値観も、驚くほど似ていて、お互いに深く理解しあえます。

私の今の状況を思いやって、この度のような優しいお心遣いを示して下さいましたが、

私だけでなく、周りの方皆さんに、心を尽くして接するKさんご家族です。

御両家の90歳になられるお母様への献身的なお世話には、本当に頭が下がる思いがしています。

 

見習う事がいっぱいの、Kさんご家族。

薫陶を受けて、私もKさんのように麗しい人格の人になれるように、もっともっと自分磨きに努めなければ、といつも思うこの頃です。

今の私の暮らしの状況では、如何にして、心のゆとりと、時間のゆとりを持つかが、一番の課題。

そう思うと、日々時間を取られているブログ綴りが、問題化してしまうのですよね~

バーチャルの世界に時間を取られ、現実社会のお付き合いを疎かにするなんて、余りに不本意な事ですから。

悩み多いかれん桜ですが、今日は、スローテンポな我が身を改造して、あっという間に日課の家事とデスクワークを済ませましょう。

夫の第六回目の抗がん剤治療の入院日も決まりました。

 

 

最後に、私の性格をよくご存じの彼女のメールの1文をご紹介させていただきますね。

上に掲載した画像の器は、今も大切に取ってあります。(笑)

 

「主人には、使い古しの容器に入れてお届けするのは失礼ではないかといわれましたが、プラスチックよりは~さんには喜ばれるからと言いましたが、喜んでいただけたようでホッとしました。

お疲れが少しでも和らげばとの気持はいっぱいでしたが、お料理下手ですのでお恥ずかしいものばかりでした。」
 
 
私のブログは、ご覧になっていないと思いますが、Kさん、本当に有難うございました。
 
 

      

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