千一夜第3章第253夜 最近の読書27

2020-11-27 18:37:34 | 読書

2020.11.27(金)

7月30日に漸く梅雨明け宣言、平年より10日以上遅い。梅雨が開けたと同時に気温も33.5度に急上昇、戸外で煙草を吸うのも命がけとなったが、9月に入ると台風が秋を運んできた。9月のシルバーウイークには早朝は震えるくらいだった。10月にはインフルエンザの予防接種をしたが、これが頗る痛かったし数日間痒くて仕方がなかった。11月に入ると8日に秋篠宮さまの立皇嗣の礼の儀式が行われ、当局からの要請もあり国旗掲揚した。また新型コロナウイルス感染症の感染スピードが上がり、11日には東京、大阪、北海道などが多く、全国で1.645人の感染者の記録更新をしその後も連日の記録更新となっている。クラスターの発生場所が歓楽街から一般の職場など多様化してきた。オリンピックも危うい感が増す。アメリカではワクチンの開発が進んでおり、来年末までにはコロナ終息の見通しを立てている。この時季、雪が降っている地域もあるが、下松市では18日に25℃越えの夏日で、11年振りに観測史上最も遅い夏日の記録更新となった。

最近読んだ本。記載するのは今回で27回目、評価を付けるのも気が引けるが、最も面白く読んだものは☆5つである。ここ5か月余りで8冊しか読了できなかったが、私にはちょっと重くて苦手な本を読んだこと、夏場は暑くて読書する気にならなかったこと、孫の守りで疲れ切ったことなどが挙げられる。釣行も同じような状況下、体力の低下で回数は激減した。今週末は予定があり釣行出来ないが、12月1日(火)に船釣りでハマチ狙いの予定が入っている。


Wooo  WANTED!
ヒョウモンダコに注意!とのことだが、私は恐らく未だ見たことがないように思う。フグと同じ猛毒のテトロドトキシンを持っているとのこと。噛まれると死に至ることもあると書いてある。見つけたら漁協を通じて知らせることになっている。

『日本人の常識133のウソ』 話題の達人倶楽部編 青春出版社 評価☆☆☆ ’20年7月6日読了 IM文庫
 寸評:日本人が「常識」と信じている知識には、一見科学的でもっともらしい話も多いが、その中には無数のウソが混ざり込んでいるということが改めて解かった。根も葉もない、全く根拠のない迷信が大昔から現代まで堂々とはびこっているのだ。例えば、「手先を使うとボケない」「毛は剃ると濃くなる」「新車に乗る時は慣らし運転が必要」「目薬は眠り薬に使える」などがそれに当たる。また「酒をちゃんぽんで飲むと悪酔いしやすい」わけでもないし、「恐ろしい体験をすると髪の毛が真っ白になる」「辛い物を食べると痔になる」わけでもない。この本では「それ、ジョーシキね」と思い込んでいる133話についてメスが入れられている。

『渋沢栄一 人生意気に感ず』 童門冬二著 PHP文庫 評価☆☆☆☆☆ ’20年7月10日読了 再読 IM文庫
寸評:「士魂商才」を貫いた明治経済界の巨人で日本の資本主義の父と言われる渋沢栄一の伝記である。’24年度から刷新される新紙幣の1万円札の表の図柄が渋沢栄一である。因みに5千円札が津田梅子、千円札が北里柴三郎になる。読み進めるに連れ、何か読んだ事があるように思ったが、よくよく本棚を調べてみるとやはり同じ本があった。それは兎も角、この本では栄一が徳川慶喜に仕えた頃から、約1千社近い会社の役員や社会事業団体の責任者を務めた頃までを描く。大蔵省の官僚から東京府立養育院、第一国立銀行、商法講習所、東京会議所 などの設立の頃、明治9年頃までを詳細に書いている。その多くの会社や団体は今日も名称は変われどその殆どが存続している。再読ではあるが面白く読んだ。

 
8月6日に柳井市の船釣りメンバーが釣行。岩谷氏は生餌を付けて高級魚アコウを釣ったようだ(左)。もみじ屋敷の主、引退宣言された井向氏もご老体に鞭打っての釣行か(右)、たまには良いですよね。全体の釣果がよく解からないが、暑い時だし大して釣れてないだろうと想像する。

『零戦燃ゆ』 柳田邦男著 文芸春秋 評価☆☆☆ ’20年8月27日読了  IM文庫
寸評:私は近代の戦記物は苦手である。読書自体が苦行になる。大日本帝国が負け戦ということも大いにある。従って、盆時期の新聞紙面などもあまり見たくない方である。かと言って、敗戦の歴史を忘れ闇に葬り去っていいと言うことではない。寧ろ私はこうした詳細な敗戦の記録を読むことを若い人達に薦めたい。何処かの国のようにご都合主義で歴史を歪曲してはならない。目下、私は昭和天皇実録全18巻、別巻19冊を読み進めている(誤植を数か所発見)が、遅々として進まない。面白い本ではないが、昭和天皇を知る上では最上の史料である。まだ大東亜戦争の頃まで読み進めていない。

本書は日米航空戦史を追う「零戦燃ゆ」の第2編にあたる。昭和18年4月の山本五十六連合艦隊司令長官の戦死直後から、19年6月のマリアナ沖海戦までの記録である。それは、ニューギニア、ソロモン方面から中部太平洋に至る太平洋の島々で、激烈な陸海空戦が展開された時期の記録である。また、日本空母部隊終焉の戦史でもある。

この本の最終章にマリアナ沖海戦のことが書いてあるが、私の祖父もこのマリアナ海戦時に戦艦榛名に乗船しており、負傷後帰還し昭和50年8月26日まで戦後30年を70歳まで生きた。祖父からは戦争の話は殆ど聞いていないが、祖父の部屋には戦艦榛名の艦上にずらりと並んだ、乗船全員(千人以上だろうか)の集合写真が飾ってあったのを想い出す。

この本も私の苦手意識を払拭すべく読破に挑戦したが、読了までに1か月半も掛った。この本を井向氏から頂かなければ絶対に読むことは無かったと思う。しかし読了感は充分にあった。


8月23日(日)孫等と下松市栽培漁業センターに行った。ヒラメの養殖をしている所でもある。大きな円形のプールが8つくらいあっただろうか。中にはヒラメがうようよ居る。餌を投げ入れると、我先にと群がってくる。ヒラメの生態を知る上ではこの上なく良い所だ。

『玉砕の島々』 平塚柾緒著 洋泉社 評価☆☆☆ ’20年9月23日読了 IM文庫
寸評:前読「零戦燃ゆ」と大半が被るため復習の意味において本作を読み始めた。近代戦記物が苦手な私はやはり、読了まで1か月近くを要した。大東亜戦争のターニングポイントは海上ではミッドウエー海戦だったが、陸上ではガダルカナルの戦いだったと言われる。前読の「零戦燃ゆ」は空母を主体とした空戦、海戦の記録だったが、本書は陸上での敗戦記録である。

タラワ島・マキン島・クェゼリン島(米軍の本格抗戦との戦い)、サイパン島・テニアン島(絶対国防圏最前線の戦い)、グアム島(緒戦で玉砕した島での戦い)、ペリリュー島(34人の終わらなかった戦い)、硫黄島(初めから全滅を強いられた戦い)、沖縄戦と本土決戦準備(1億玉砕への帰結)という流れで書かれている。防衛庁に保存されている資料を始めとして膨大な戦史叢書、文献に基づいて書かれているドキュメンタリーである。ガダルカナル島などでは戦闘での死者よりも餓死の方が3倍も多く、硫黄島などでは壕に投げ込まれた爆薬で殺傷され、火炎放射器、手榴弾によって壕の中で焼かれた者が多かったようだ。沖縄然りである。降伏することが許されなかった故の惨劇である。

徴兵は17歳から40歳までだったようだが、死んでいったのは殆どが二十歳前後の若者である。私は現代での徴兵制度には賛成の方だったが、本書などを読むとどうも考えを改めるべきかとも思う。この本も井向氏から頂かなければ生涯読むことが無かった本である。

『半沢直樹 アルルカンと道化師』 池井戸潤著 講談社 評価☆☆☆☆☆ ’20年9月29日読了
寸評:お馴染みの半沢直樹シリーズ最新版である。先週日曜日に半沢直樹のTVドラマが終了したが、視聴率は32%越えだったとか。ご多分に漏れず私も面白く視聴した。役者の演技はとても良かったと思うが、大臣や自民党幹事長まで巻き込むと、ちょっと話が大きくなり過ぎたかなと思う。さて今回の本だが、今度は一転、一支店の融資課長での活躍だ。大手IT企業ジャッカルが、業績低迷中の美術系出版社「仙波工芸社」を買収したいというM&Aの案件から、大阪本部による強引な買収工作に抵抗する半沢を描く。有名な絵に隠された謎を解いていき、やがてその背後に潜む秘密の存在に気付く。ミステリー仕立てになっていて面白い。読み進めるにしたがって私も推理するが、やはり私の推理通りに進展することなどあり得なかった。


8月26日(水)仕事帰りに第2埠頭南端東側に寄ってみた。海面に木切れが浮かんでいるが、その周りには産まれたばかりと思われるアオリイカの赤ちゃんが一杯居た。アオリイカは成長が早く、1か月も経てば10㎝くらいにはなる。9月に入ってから光市室積の西の浜漁港辺りでアオリイカを狙ってみたが餌木を恐れて逃げて行った。

『天皇謚号が語る古代史の真相』 関裕二監修 祥伝社新書 評価☆☆☆☆☆ ’20年10月2日読了
寸評:古代史のジャンル、私は特に古事記が好きである。逆説の井沢、並木、由良、梅原、戸部、家村氏などの著書も多く読んでいるが、私は著者の書籍が好きだ。と言ってもまだ10冊程度だが、本屋や古本屋で見かければ購入するが、あまり多くは置いてない。本書は天皇謚合を読み解く。そもそも著者は「聖徳太子は蘇我入鹿である」でデビューしているが、本書においてもその説を貫いている。従って、古代における一般的な系図などというものとは違った系図が出来上がるところが面白い。と言っても出鱈目の推理ではなく、しっかりと裏付け史料も提示している。古事記は神代から推古天皇までが書かれているが、正史である日本書紀は持統天皇までが書かれている。記紀の成立は僅か8年差であるのにこの差は何だろう。また、両書とも女帝で終わっているところも気になるところだが、本書は単に両書を解説するのではなく、全編、著者の推理によって書かれているため、所謂通説とは違うのである。記紀の登場人物で少ない記述の人ほど裏読みが必要だという著者の考え方は好きである。まあ、こういった史書というものは、時の権力者に都合よく書かれたものだろうから、こうした裏読みも必要だろう。本書もまる3年掛けて面白く読んだ。

『新説「古事記」「日本書紀」でわかった大和統一』家村和幸著 宝島社新書 評価☆☆☆☆☆ ’20年10月29日再読了
寸評:凡そ3年前に初版を購入し文字を追う程度の読み方をした。今回は再読となるがしっかり読み込んだ。「古事記」「日本書紀」の成立については書面の関係上省く。本書では記紀どちらにも記述があるが内容が全く異なるもの、また古事記にだけ記述があるものを中心に読み解いていく。日本書紀では正史として取り上げず、或いは削除した話が古事記には残っており、そちらが真実だと思われるケースも多い。それは上古の日本人が神代文字で書いた「帝紀」や「旧辞」により近い内容が古事記だからである。また、孝霊天皇御代における徐福の来日や、仲哀天皇が戦場で崩御されたことはどちらにも記述が無い。故意に消されたと思われる。 

本書では記紀両書を重ね合わせて読み、パズルを解くように再整理してあり、更に、古文書や漢土、朝鮮半島などで編纂された史書などから同じ年次の重要事項を併記し、記紀で欠落している当時の国内外の事情も補足されている。補完史料として主なものは「竹内文書」「後漢書」「三国志」「晋書」「梁書」「宋史」「百済記」「宋書倭国伝」などであるが、著者は「三国志の魏志倭人伝」及び「宋書倭国伝」は偽書、偽史だと断定している。これらを無視すると古代史が実に単純明快となるのだ。

本書では、西暦200年にタブラツヒメ(後漢の帰化人公孫氏)こと卑弥呼が福岡で神功皇后に成敗されたと断定されており、卑弥呼論争などあり得ない。これにより魏志倭人伝が偽書・偽史とされる。倭の五王についても、吉備下道臣サキツヤが賛・珍・済・興などといった漢風の名を詐称して漢土の皇帝に使者を遣わして貢物を送り、安東将軍、倭国王に認めてもらったものであり、西暦462年に雄略天皇が物部の兵士30人を吉備に遣わしサキツヤと同族70人を皆殺しにしている。これにより宋書倭国伝は歴史を無視したお粗末な本だということになる。私にはどうも本書が日本の古代史の真実を突いているような気がしてならない。非常に面白く読み込んだ。

 
11月3日、久し振りに獺祭の本社に行ってみた。今は立派なビルが建ち、昔のひなびた情緒ある社屋の面影は全くない。昔が懐かしい。


本社の前の小川を挟んで売店がある。この建物も建て替わっている。この日は獺祭のお菓子を買い、獺祭のアイスを買って食べた。アイスは酒の風味が強く酔いそうだった。

『笹まくら』 丸谷才一著 河出書房新社 評価☆☆☆☆ ’20年11月11日読了 IM文庫
寸評:徴兵忌避をした青年のその後の四半世紀を描いた作品である。著者は芥川賞作家ではあるが、私の中では文芸評論家という位置付けである。本書は、東京で官立高等工業を卒業し、父は医者、女中も雇う所謂両家の子息が20歳の時に徴兵忌避を行い、香具師や時計、ラジオの修理で糊口を繋ぎ終戦まで忌避を成し遂げる。終戦後は大学の庶務課に就職し、20年経って管理職(課長)に昇格しようかという時に、ライバル同僚が妨害し徴兵忌避のことを赤新聞に密告される。そのために大学の付属高校への左遷人事の憂き目に会うが、小説中では結末は無いが恐らく依願退職したであろうことは想像できる。しかし、戦時中に国家、社会、体制に反抗したが、昭和40年代、学生運動盛んな頃に徴兵忌避が社会問題になったかどうか私には疑問である。終戦と同時に逃げ回り身を隠す生活は終わったはずである。主人公の心の中には最後まで反抗を貫き通す覚悟が出来ており、終生危険な、不安な旅人、笹まくらであるしかないとの思いがある。小説では忌避時代の恋愛事情や終戦後の結婚に対しても暗い影が落ちる。

【11月27日過去の釣行記録】
・2004年上関港防波堤、17:30~19:30、大潮、釣果=アジ50
・2010年洲鼻港防波堤、06:10~11:20、小潮、釣果=メバル4・タナゴ2・ギザミ5

【この日の釣り情報】
・2005年新日鉄波止場、06:00~15:00、若潮、釣果=カレイ1
・2018年上荷内島沖、06:30~14:00、中潮、船釣り、釣果=9.5kgハマチ1・ヤズ1

【旧暦10月13日釣行記録】
・2005年11月14日、柳井池の浦港、昼間、中潮、釣果=アオリイカ1・コウイカ1
・2013年11月15日、徳山築港、16:00~18:30、中潮、釣果=25㎝級アジ大漁
・2016年11月12日、徳山築港、06:00~09:20、中潮、釣果=キス5・小ダイ1

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千一夜第3章第252夜 感動!告井延隆ライブ

2020-11-25 21:44:20 | 音楽

2020.11.25(水)

11月24日(火)、隣市の徳山市のライブハウス「ガンボ」で「告井延隆」氏のライブがあり、久し振りにライブ体験した。

そもそも私は「告井延隆」なるアーティストなど全く持って知らない人物であった。地元紙の紹介で「ビートルズ弾き語らず」という記事を見つけて、そのタイトルだけでこりゃ行かねばと思っただけである。早速「ガンボ」というライブハウスに電話を掛けると、寺ちゃんことマスターが電話に出られ、「告井延隆」の素晴らしさを滔滔と述べられる。そして最後に絶対に感動しますよと付け加えられた。私は告井氏を知らなかったので、そうですかとだけ言い、それよりもチケットを購入しに行く暇が無いのだがと言うと、電話予約でOKですと言われる。まだ席は空いているのかと確かめると大丈夫だと言われる。聞いてみると定員は10人だとのこと。えっ!と思ったが、「ガンボ」というライブハウスでさえ行ったことが無いのでネットで調べて見ると80人入る会場だと書いてある。そうか、コロナのこともありそういう事かと何となく納得。

電話予約で当日地図を見ながら、ほぼ迷うことも無く開演30分前に会場に着いた。想像していたよりも遥かに小さい地下のライブハウスだった。恐る恐るドアを押し開け、ちょっと早かったかなあと言うと、寺ちゃんことマスターはそんなことは無いですよと迎え入れてくれた。そして目の前には告井氏と思われる人物も座っておられた。ドリンクのハイボールを作ってもらい時間までマスターに「ガンボ」のことなど聞く。その内1人2人と客が入って来て開演時間には全員(きっかり10人)が揃った。そして、さあ始めますかと言って立ち上がったのは、やはり入った時に目の前に座っておられた人物であった。

ステージの椅子に座ると直ぐにオープニングの曲、「サージェント・ペパー・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を弾かれる。オープニングでは歌詞を唄われたので、おや?っと思った。「弾き語らず」じゃなかったかいなと。だがそれはオープニングの1曲だけだった。

告井氏は2008年にビートルズの曲をアコースティックギター1本でコピーするプロジェクトを始め、57歳で初のソロアルバム「SGT. TSUGEI'S ONLY ONE CLUB BAND」を発表、Beatlesの曲のメロディーを引きベースも入れる、ジョン・ポール・ジョージのパーツを1人でこなすだけでなく、メロディーも入る訳だ。まず最初にそのギターテクニックに圧倒された。まず頭に浮かんだのは、何だこのおっさんは・・・いや失礼、何故こんな人がメジャーになれないんだ?ということ。実際はとてもメジャーな人なのかも知れないが、私が知らないのだからメジャーでは無いと勝手に決めつける。コピーは所詮コピーなのか。いやそんなことは無い。ライブで聞いた人でないと解らないと思うが、素晴らしい演奏である。通常の楽譜では決して弾けない奏法である。

私は告井氏の演奏を見逃すまいとギターに釘付けになる。YAMAHAのアコースティック・ギターでベース音も素晴らしく良い。私も大学生時代の3年間くらいYAMAHAのアコギを持っていたことがあるが、音は頗る良かったもののボディーが大き過ぎて弾き難かったのを覚えている。告井氏のYAMAHAはとてもスリムだった。それよりも、メロディーを弾きながらベースを効かせる正しく弾き語らずだった。ボキャブラリーの少ない私には演奏の素晴らしさを伝えることが出来ないもどかしさがあるが、興味のある人には是非ライブをお勧めしたい。

ライブの前半は告井氏のペースで進んでいったが、休憩を挟み後半からはリクエストタイムである。休憩時間に告井氏が弾かれた「ブラック・バード」について、ポール・マッカートニーはツー・フィンガーで弾いていますが、私はツー・フィンガーの練習はしたことがないのでスリー・フィンガーで弾いていると言うと、それで十分ですよと言われた。しかしツー・フィンガーの方が音に重みがありますよねというと氏も頷かれる。氏は私のはメロディーを弾くので通常の演奏とは違いますけどねと付け加えられた。

リクエスト・タイムでは、まず最初に私がジョン・レノンの「イン・マイ・ライフ」をリクエストする。期待通りの演奏で十分に満足。その後も私は「マザー・ネイチャーズ・サン」や「オール・マイ・ラビング」などリクエスト、特に「オール・マイ・リビング」はまだアルバムにも入れていないので、次のアルバムには入れたいと言われた。

19時30分から3時間強のライブをされたが、最後の曲を演奏し終わってステージから降りられた時に、私が最後の曲はやはり「ジ・エンド」じゃないんですかと言うと、氏もそうだねと頷かれた。ステージ終了後、氏のCDを3枚購入し支援する。後でCDをかけてみたが、やはりライブには敵わない。

告井氏の主な略歴を紹介しておく(ウイキペディアより)

告井延隆 1950.12.19生 もう直ぐよわい70歳。通称「つーさ」
1972年に乱魔堂のギタリストを経て1973ロックバンド「センチメンタル・シティ・ロマンス」を結成。元リーダーである。
1995加藤登紀子のツアー・サポートで函館に向かった際に加藤らと乗った搭乗機が全日空857便ハイジャック事件に遭遇、告井自ら機内のトイレから携帯電話で警察に状況を伝えて事件解決に貢献した。
2008年にビートルズの曲をアコースティックギター1本でコピーするプロジェクトを始め、57歳で初のソロアルバム「SGT. TSUGEI'S ONLY ONE CLUB BAND」を発表。
2013年センチメンタル・シティ・ロマンスを脱退。
加藤登紀子、竹内まりや、中島みゆき、氷室京介など他のアーティストのライブサポート、レコーディング、編曲を手掛ける。
現在は主にソロ活動 加藤登紀子のサポートを務める。
アルバムは代表作 「SGT. TSUGEI'S ONLY ONE CLUB BAND」

私にとってライブを観るのは久し振りのことである。私のライブ体験履歴は高校時代の西岡たかしと五つの赤い風船や高石ともやとナターシャセブンのライブに始まり、大学生時代(昭和49年度~52年度まで)には外タレ中心に最も盛んにライブに行っている。日本武道館や中野サンプラザに最も多く通っているが、特にエリック・クラプトンは5~6回行った。大学時代には帰省する度に縁あって隣市のレコード店でバイトしていたので、キャンペーンで訪れるタレント等と多く接している。特に印象に残っているのは、”たんぽぽ”という女性2人組のシンガーソングライターで、ステージの設定やギターのチューニングを任され、2人と打ち合わせもしたので記憶に残っている。大学卒業後40数年間は滅多にライブなど行く暇も無かったが、数少ないライブ体験では”憂歌団”のライブが素晴らしかったと記憶に残る。

今回のライブは久し振りだったが、私は一番前の席に座り奏者とは2m程度の距離だったこともあり、ギターテクニックもさることながらCDで聞くのとは全く違う臨場感があり良かった。私は告井氏を無形重要文化財(人間国宝)に指定しても良いくらいだと思った。氏も今年でよわい70歳、後継者はいるのだろうかと気掛かりである。私は既に後継者になる年齢では無いが、弟子入りしてせめて1曲でもマスターしたいものだと願う。

最後に、引退する前に是非とも、日本のビートルズの聖地でもある「日本武道館ライブ」をやってもらいたい。
尚、当ブログ掲載は「告井延隆」氏及びライブハウス「ガンボ」共了承済であります。

【11月25日過去の釣行記録】
・2007年第2埠頭東側、06:20~16:10、大潮、釣果=カレイ3・コウイカ1・キス6・キビレ1・チダイ1
・2017年徳山築港、06:20~12:20、小潮、釣果=カレイ4・ハゼ2・イイダコ1・マダイ1・メゴチ2R

【この日の釣り情報】
・この日の釣り情報はありません。

【旧暦10月11日釣行記録】
・2005年11月12日、新日鐵波止場、昼間、若潮、釣果=カレイ1・キス・ハゼ・サンバソウ
・2005年11月12日、庄の浦港、17:30~22:40、若潮、釣果=2人でメバル4・アジ1・キス1
・2006年12月01日、大島居守、19:00~22:00、若潮、釣果=メバル8・アジ3
・2008年11月08日、笠佐島周辺、06:30~14:00、若潮、船釣り、釣果=ハマチ2・ヤズ1・マダイ1・アジ1
・2012年11月24日、神代港防波堤、12:30~15:30、若潮、釣果=ギザミ1

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千一夜第3章第251夜 6月以来の30㎝マコガレイ

2020-11-21 23:21:55 | サーフ

2020.11.21(土)

今朝は早く起きたが、コーヒーを飲んだりでグズグズしていたので家を出るのが遅くなった。先週のメバル釣行時の餌が大量に余っていたのを冷蔵庫で保存していたのだが、朝見て見るとまだ何とか使えそうだったので釣具店に寄らずにそれを持って釣り場に直行した。私が目指した釣り場は上の写真の桟橋の所だったが、既に先客が入っていたので200mくらい過ぎた所から竿を出すことにした。今の時季頃からは次第にカレイ・シーズンに入っていくので投げ釣り人が多くなる。

今朝は干潮時からの釣行である。潮は小さいが上げ潮の釣りは期待が持てる。干潮時はちょい投げは厳禁である。この釣り場の前方の海底には小岩が沢山あり、手前では仕掛けが根掛かりする可能性が高いからだ。従って6本の竿全て遠投した。投げ終わってからは車中でコーヒーとサンドの軽い朝食を摂った。車を横付けに竿を出す、こういう釣りが私の目指す釣りである。重い道具を持って距離を歩くには年齢が行き過ぎた。

7時に餌替えのため全部の竿を巻き戻す。仕掛けを巻き戻すとどの仕掛けにも餌は欠片も残っていない。それに相変わらず小ダイが良く釣れる。4本目の竿を引いた時、明らかに海底でカレイの翻る感触が手に伝わってきた。それに何時もより重い。これはちょと期待できるかもと慎重になる。リールを巻くにつれ、カレイも必死の抵抗を試みる。潜ったり、身体をくの時に曲げたりする姿が目には見えないが十分に想像できる。手前まで巻き戻した時にやはり小岩にカレイが掛かる。ちょっと不安だったがもう強引に巻き上げる。何とか小岩を抜けて寄って来て海面に姿を認めると、やはり30㎝クラスのカレイだった。波返しの上によじ登って慎重に揚げた。久し振りの30㎝カレイゲットである。

8時10分、22㎝のギザミと小マダイのダブルが釣れたが即リリース。今日の餌取は主に小マダイだった。

旧暦:10月7日
場所:日立製作所南方岸壁
時間:06:20~12:00
天候:晴れ
外気温:10℃
風 :北西弱風
月齢:5.9
潮   :小潮 満潮13:39潮位270cm 干潮06:34潮位68cm
狙い目:カレイ
釣り方:サーフ
餌   :アオムシ
釣果:28、30cmカレイ2・22㎝ギザミ1R・小マダイ多数R

8時30分、2枚目のカレイが釣り揚げる寸前に砂浜の部分(2枚目の写真)に抜け落ちた。1枚目の写真の桟橋の付け根辺りで、私と同じく投げ釣りをしていた若いし2人組を呼んだ。もしもタモを持っていれば借りようと思った次第である。持っていなければロープを出して下に降りようかと思っていたが、1人が波返しの出っ張った所から滑り降りて拾ってくれた。釣ったのは私だが回収したのは若いしである。3枚目のカレイだったら若いしに進呈していたところだが、2枚は私の最低限の自分に課せたノルマなので進呈できなかった。

釣って海面から揚げる途中で抜け落ちることはままあることだが、やはり何時も口惜しい。今回は落ちた所が砂地だったので回収出来たが、若いしのお蔭である。この1時間後にはもう砂地は海底に隠れていたので危ない所だった。写真は若いしが拾ってくれた28㎝のマコガレイ。写真掲載は本人の了解済み。

若いしの写真を撮った序に、私が7時25分に釣り揚げた30㎝のマコガレイを持っているところも撮ってもらった。

夏は過ぎたがまだウミケムシが釣れる。海水温が下がると釣れなくなるものだが、まだまだ水温は高いのだろう。以前から思っていたのだが、ポケモン・ゴーに出て来るアノプスや進化系のアーマルドは、ひょっとするとこのウミケムシをデフォルメしたものかも知れない。色合いや形状が非常に良く似ている。

先々週辺りから漸くカレイが釣れ出した。これからは来年5月一杯まではシーズンになる。最近は孫の守りやらなんやらで用事が多くて釣行も儘ならないが、暇な時には出来るだけ出掛けようと思っている。今日も孫が夕食を食べに来ていたので記事をアップするのがこの時間になってしまった。

【11月21日過去の釣行記録】
・2009年櫛ヶ浜港旧防波堤、18:10~22:30、中潮、釣果=メバル4・シマイサキ3・タナゴ5
・2015年徳山築港、06:10~16:40、長潮、釣果=32㎝カレイ2・27㎝アイナメ1・キス3・ハゼ2・イイダコ3・マダコ1

【この日の釣り情報】
・2004年新日鉄波止、06:00~16:00、長潮、釣果=カレイ3・キス2・メゴチ2
・2005年大島居守海岸、夜、中潮、釣果=メバル2

【旧暦10月7日釣行記録】
・2007年11月16日、櫛ヶ浜港防波堤、20:25~00:10、小潮、釣果=メバル1・アジ7
・2008年11月04日、室積西の浜漁港、19:30~22:10、小潮、釣果=アジ12
・2009年11月23日、粭島小瀬戸橋、19:00~21:40、小潮、釣果=メバル3・アジ4・チダイ1・タナゴ1

 

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千一夜第3章第250夜 大島郡諸島メバル釣行 後編

2020-11-16 21:48:00 | 磯釣り

2020.11.16(月) 

藤谷渡船で諸島(もろしま)に渡してもらって無事上陸。初めての場所でどんな所か解らなかったが、上陸してみると意外や意外、平坦な岩場でそれに広い。これは楽そうである。楽と言っても岩場での楽であって普段の楽とは相当な違いがある。それに裏にスパイクが付いた重い磯靴、これがジワーっと後から足に効いて来るのだ。まあ、上陸時にはそんなことは大して気にならないが。

比較的平坦な岩場をベースキャンプに決めた後で、周りの岩場の状況を見る。この写真以下3枚の岩場が主な釣り場となる。私は各岩場でほぼ均等に竿を出す。上の写真の岩場、如何にもメバルが居そうな湾だが中盤頃まで殆ど釣れなかった。終盤に掛けて風も落ち、波静かになった頃からメバルが浮いて来て良型のものが揚がりだした。Tはここでかなり揚げたように思う。

一番左手の岩場、海面から頭を出している小岩は満潮時には全て沈み瀬となる。この小岩の周りもポイントとなる。私は動き回るのが大儀なのでこの岩場の上から竿を出したが、風が強かったことやラインの弛みでラインが岩に引っ掛かったりした。やはり小まめに岩場の下に降りて行ってやらなければならないと痛感した。

17時頃、さあ釣行開始だ。まだ陽落ちしていないのでメバルの反応は無く、Sはイソベラを数尾揚げていた。陽が沈んでからもなかなかメバルの反応は無かったが、間もなく私が小さいがメバルを1尾揚げる。その後Sも自分のポイントを見つけたようで良型のメバルを数尾揚げ始めた。Tも左手の岩場でやっていたが、型が小さいのを数尾揚げたようである。今宵は新月なのでメバルの絶好の釣り日和であるが、出だしはみんな悪かった。時間の経過と共にTが実力発揮。前半は写真3枚目の岩場で、後半は2枚目の写真の岩場での釣果が好調だったようだ。終盤にはSもTと共に2枚目の写真の岩場の下に降りてやっていたが、私は既に力尽き下に降りていく元気も気力も失せていた。

最初、私はここら辺りで胴付き仕掛けに浮きを付けて流したり誘ったりしていたが、際近くは水深が浅く浮き下を1尋しか取っていないのに根掛かりも多かった。潮の流れは速く右へ左へと流れは目まぐるしく変わる。それに西風が強かったので風力によってラインが吹け、手前の岩に掛ったりもする。潮の流れが速いのと風によるラインのフケとでより浮きの流れる速度が増す場合もある。風が落ちてからは潮の流れも緩くなりここではメバルのアタリも少なくなった。釣行前半に主にここでやり数尾のメバルを揚げた。

22時頃から夜食タイム。Tが得意のキャンプ道具ですき焼きやサザエのつぼ焼きなど作る。夜は思ったより暖かかったが、11月中旬なのでそれなり冷え込んできた。こういう日は熱燗に限る。孤島の岩場での食事、誰が想像できよう。旨いんだなあこれが!

0時頃まで岩上のパーティーは続いたが、もう満腹状態。今度は動くのが大儀になる。元気だったのはこの辺りまでだ。酔いも少し回り、腰や背中は痛いし足は萎えでは動くのも儘ならない。それでも気力を振り絞り5時頃までひたむきに竿を出し続けた。

6時頃の朝まずめ時、6時30分頃に迎えの船が来ると言うことだったので、この頃には既に帰り支度が完了していた。Tが言うには、この時間帯が一番よく釣れると言うが、本人は5時過ぎに一番に納竿していた。体力の限界もさることながら、私はハリスがラインに絡みそれを機に納竿していたし、Sも私より少し遅くではあったがやはり同じくラインの絡みで納竿した。時すでに遅しである。この日は、私は背中や腰が非常に痛く、Sもえらい、えらいと言って夜中には1~2時間程度岩の上で寝ころんでいた。釣り初めから中盤に掛けて釣果が思わしくなかったため、疲れの方が優先的に身体を支配してしまったようだ。釣り初めの釣果が思わしく無いと、体力・気力を削がれ釣行に本気モードで望めなくなる。

ほぼ定刻の6時38分に迎えの船がやって来た。上げ潮6分頃だったので水位はかなり上がっていて、重い荷物を持って岩場を降りて行くことも無く乗船するには楽だった。我々のグループを最初に回収し、次は向かいの島である情島にて1人を回収した。下関市から来た2人組は今日の昼までやるということだったので別便になる。

帰りは朝日を背に約40分の航行だったが、みんな疲れ切って船の座席にもたれ掛かり目を瞑っていた。島を出て暫くして私が気付いたのだが、操舵室に船長の姿が無い。船のレバーは自動で動いている。私がSに船長は何処に行ったのか聞くと、Sも船長を見ていないと言い、この船は自動操縦で走行しているのだと尤もらしいことを言う。島から船に乗船する時に船長の声を聴いているので、そんあことがあろうかと私は訝しく不可解だったが、暫くして船長が2階から階段を降りて来た。な~んだ、2階からでも操舵出来るのかと納得。Sもいい加減なことを言う。

写真の釣果は私の持ち帰り分、Tは持ち帰らないためSと私のクーラーに適当に入れていた。後で計算してみると、総合計がメバル53尾、カサゴが9尾だった。私はメバル13尾とカサゴ1尾、Sはメバルとカサゴの合計が15尾くらいと言うので、Tはメバル、カサゴを33尾釣り揚げたことになる。ここら辺りは流石と言わざるを得ない。

片添ヶ浜から昨日の集合場所まで1時間15分掛けて帰った。帰りも当然私が運転したので疲れは倍加した。散会して家に帰った時には腰や背中が痛くて暫く按摩器にかかる。
夕方には娘や孫も来て今日のメバルを食す。刺身と煮付けにしてもらったが非常に美味だった。1歳5か月の孫にメバルの煮付けの骨が無い所を食べさせてみると、おいしいと言って皿を覗き込み次を要求する。魚は初めて食べさせたということだったが、20㎝程度のメバルをほぼ1尾食べた。こんなに食べるとは思わなかった。

釣行日:11月14日 ~15日
旧暦:9月29日~10月1日
場所:諸島岩場
時間:14日17:30~15日05:20
天候:晴れ
風 : 時々西風
月齢:29.3 新月
潮 :大潮 沖家室(徳山に+10分) 14日満潮19:59潮位318cm 干潮14:06潮位68cm  15日満潮08:48潮位341cm 干潮02:23潮位12cm
狙い目:メバル
釣り方:浮釣り
餌 :アオムシ
釣果:メバル13・カサゴ1
釣友:同僚T=メバルとカサゴ33尾
釣友:同僚S=メバルとカサゴ15尾

【11月16日過去の釣行記録】
・1996年笠戸上コーズ、船釣り、07:00~13:30、中潮、釣果=アジ大漁
・2005年庄の浦港、19:50~22:00、大潮、釣果=メバル5・アジ2・チヌ1
・2006年華西岸壁、19:00~22:10、若潮、釣果=メバル11
・2007年櫛ヶ浜港防波堤、20:25~00:10、小潮、釣果=メバル1・アジ7
・2013年徳山築港、06:10~12:10、大潮、釣果=キス21・キビレ1・ハゼ1・メバル1

【この日の釣り情報】
・1993年池の浦港防波堤、04:15~17:15、中潮、釣果=カレイ1・ヒラメ1・チヌ1・アジ多数

【旧暦10月2日釣行記録】
・2005年11月03日、大島庄の浦港、17:00~22:10、大潮、釣果=2人でメバル16・アジ6・クロ1
・2005年11月03日、粭島港防波堤、16:00頃、大潮、釣果=アオリイカ釣り大勢
・2006年11月22日、華西岸壁、19:00~22:30、大潮、釣果=メバル2・アジ7・タナゴ1R
・2007年11月11日、中電西側岸壁、06:15~14:00、大潮、釣果=カレイ2・キス1
・2013年11月04日、徳山築港、06:15~12:10、大潮、釣果=カレイ1・キス7・トラハゼ1・ハゼ6・チヌ1
・2017年11月19日、徳山築港、06:00~15:00、大潮、釣果=マダコ3・カレイ1・キス4・ハゼ2

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千一夜第3章第249夜 大島郡諸島メバル釣行 前編

2020-11-15 15:49:20 | 磯釣り

2020.11.15(日)

 
今回の釣り場は大島郡東和町の諸島(もろしま)である。私も釣友Sも初めての釣り場だ。左の地図では一番右端の白抜き数字25の島である。右の写真は諸島の全景、今回の我々の釣り場は左下の湾になっている岩場である。

これまでに何度か磯釣り釣行計画が持ち上がっては没になったが、今回漸く釣行の日の目を見た。諸島での釣行と決まったが、今回のメンバーは同僚Tと同じく同僚Sで、まず気が置けないメンバーである。1週間前に決めたので天候だけが気掛かりだったが、風は少し強かったが天気晴朗だった。今月10日から朝晩は急激に冷え込んできた(8日7時は15℃だったが10日7時は3℃)ので、通し釣りはちょっときついかなと思案もしたが天候は直ぐに回復し、週末は20℃程度まで上がった。半夜釣りではちょっと物足りないのでやはりやるなら通し釣りだと奮い立つ。会社の女性らは私と釣友らとの電話でのやり取りを聞いて、まるで小学校の遠足の前のようですねと冷やかす。まあ、遠からず当たっている。

14日(土)11 時半に釣具店近くの支社に集合し、私の車1台に3人が乗り込み出発する。まず釣具店にて餌や仕掛けなど購入、今夜のメニューはすき焼きと焼肉の予定で、予め当日の準備の役割分担は決めてあったので後はスムーズに出発できた。釣友Tはキャンプ道具一式を揃えているので、食事用の備品一式と食材を準備し、私は前回(7月19日笠戸島沖下コーズの岩場でのメバル釣行で夜BBQ)同様、使捨て用のBBQセットと食材を少々購入し準備した。釣友Sは酒類やおつまみなど購入してきた。

12時頃下松市の釣具店を出発し12時40分に大島大橋に到着、屋代島(大島郡)に入って左回りの県道437号線を東和町方面に進む。13時10分には東和町の道の駅「サザンセトとうわ」に到着。時間的には余裕を持たせてあるので、ここで早生の大島ミカンを購入する。道の駅はミカンを求める客で大賑わいだった。

夜中に孤島でBBQをやる予定だったので、道の駅の対面の鮮魚店にてサザエなどを購入する。

大島郡屋代島は金魚の形をしており、道の駅は金魚の尻尾の付け根辺りとなる。道の駅でゆっくり過ごし山越えで片添ヶ浜へと出る。ここにはサンシャイン・サザンセトというホテルもあり、私も何度か温泉に入りに来ている。海岸の海水浴場は綺麗に整備され、日本のハワイと呼ばれている所である。この海水浴場の隣に漁港があり、藤谷渡船で諸島に瀬渡しをしてもらうことになっている。

今回の瀬渡しは3組で、我々3人と、下関市から来たと言う2人連れ、そして1人で情島(諸島と隣り合わせの島)に渡ると言う若いしの6人である。15時30分出港予定だが、13時50分に着いた我々よりも早く他の2組は既に来ていた。写真は出港を待つ間のひと時、釣行談議に花が咲く。

藤谷渡船は我々が出港する前にも20人程度の釣り客を迎えに行ったりでフル回転である。我々は15時35分、藤谷丸でほぼ予定通りの出港となる。

16時丁度に諸島に到着。3組中、一番最初に降ろされた。

我々3人を降ろして、迎えは明朝6時30分だと告げて次の釣り場に向かう藤谷丸。

前編はここまで。釣果など続きは後編にて記載予定です。

11月10日の夜、同僚OBのMちゃんから、17日に柳井市伊保庄の港から出る何時もの船釣りメンバーでハマチ狙いのお誘いを受けたが、流石に連荘は無理なのでお断りした。若い時分にはこの船釣りメンバーで船釣りをして、明朝朝まずめからカレイ釣行ということは良くあったが、寄る年波には逆らえず最早そんな乱暴なことは無理になった。ハマチ釣りも11月から年末に掛けてシーズンだが、シーズン中に1度はやってみたい。ハマチは回遊魚なので、上手く群に当たらないとなかなか釣れないが、過去には1度の釣行で4~5本揚げた年もある。近年は全く釣っていないので既にハマチの感触を忘れかけている。13日には会社の大先輩OBからも17日は中止になったので24日に行こうと再度のお誘いを受けたが、今回の釣行の具合を見ての回答とし保留した。

【11月15日過去の釣行記録】
・1997年笠戸島周辺、06:30~11:00、船釣り、大潮、釣果=アジ・メバル・メイボ・アコウ・マダイ・クロ等
・2006年華西・居守・大原防波堤、19:00~21:10、長潮、釣果=ボウズ
・2008年徳山築港、06:15~11:30、中潮、釣果=カレイ4・ハゼ3・キス3
・2008年晴海埠頭、18:00~20:00、中潮、釣果=メバル2・アジ10
・2014年徳山築港、06:30~11:00、小潮、釣果=カレイ2・キス5・ハゼ3・キビレ1

【この日の釣り情報】
・2004年新日鉄波止場、釣果=11月中旬から12月中旬まで30~40cmカレイ
・2013年徳山築港入口、16時~、中潮、釣果=25cm級アジ入れ食い
・2015年徳山築港、05:50~10:00、中潮、釣果=カレイ5・キス1・アナゴ1・キビレ1

【旧暦10月1日釣行記録】
・2005年11月02日、笠戸大橋下、18:25~21:10、大潮、釣果=アオリイカボウズ
・2007年11月10日、夜市川河口、06:10~13:40、大潮、釣果=キス5・ハゼ11
・2013年11月03日、徳山築港、午前中、大潮、釣果=カレイ2
・2014年11月22日、徳山築港、06:10~17:00、大潮、釣果=キス8・ハゼ3・イイダコ1・メゴチ2R
・2018年11月08日、上荷内島沖、06:30~12:30、大潮、釣果=ハマチボウズ・全員で4本

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千一夜第3章第248夜 そろそろかな

2020-11-08 20:24:12 | サーフ

2020.11.8(土)

先週、小さいながらもカレイが揚がったので、そろそろシーズン入りかなと思いホームの築港の釣り場にやって来た。釣り場では昨日の雨が残っており、土の部分は雨を含んでサーフ時には足が滑って転びそうで怖かった。早朝は凪ぎだったが、8時頃から北西の風が強くなって、9時頃には白波が立ち竿先は揺れっ放しだった。気温は7時に15℃あり寒くはなかった。今日は風は強かったが天気晴朗で釣り人は多かった。左手の海浜公園内には多い時で20人程度の釣り人が居た。

朝まずめ時は台船の上にも雨が残っていた。台船に横付けしているのがあけぼの丸、写真の時間から2時間後に出港していくが、そのお蔭で今日のカレイが釣れたようなものだった。

8時15分にあけぼの丸が出港すると言うので、8時頃には遠投していた竿2本を手前まで巻き戻した。ラインが船のペラに巻き込まれて切れることが多いからだ。あけぼの丸が出港するまで巻き戻してちょい投げ程度の距離の所で止めていた。定刻通りにあけぼの丸が出港して、遠投し直そうと竿を手に取ると、何だか懐かしい感触が掌に伝わって来た。カレイが海底で翻った感触である。数秒間竿とリールを動かさないでいても動く気配は無い。動く気配があるようだとカレイの可能性は随分と低くなる。後はリールを巻き上げるだけである。割と軽くリールが巻けるので、カレイだとしても大して大きくはない。足元近くに寄って来ると、カレイ独特のノッキングがある。下に潜ろうとするのである。ここまで確認するとほぼ100%カレイであることは間違いない。海面に浮かんできたカレイはやはり大きくはなかったが、25㎝と煮付けサイズには丁度良い。久し振りに揚げたという感じだ。

5分後、手前に寄せていたもう一本の竿を手に取ると、これまた先程と同じ感触。そうか、カレイの時合だったんだと気付く。2本の竿は飛距離は違えど、巻き戻してほぼ同じ距離に戻していたので、仕掛けもほぼ同じ位置にあるはずである。カレイは同じ場所に同サイズのものが2枚は居ると言われるので、両方が餌に喰い付いていた訳だ。2枚のカレイが一斉に餌を捕食するとなると、これはカレイの時合だったということになる。リールを巻き上げてみるとやはり同サイズのカレイだった。正確には後の方が1㎝大きい26㎝だった。

早朝時から納竿の11時20分まで釣れ続けていたのが、小マダイである。掌サイズのものが今日は12尾揚がった。唇に上手く針掛かりしているものは、リリースしても生きているが、大抵は針を呑み込んでいるものが多いので、針を外す時に喉を切ってしまう。可哀そうだが喉を切れば死亡する。今日の餌取はこの小マダイとメゴチだった。餌取はみなリリース、持ち帰りはカレイ2枚のみだ。久し振りにカレイの煮付けが食べられる。

釣行日:11月8日
旧暦:9月23日
場所:徳山築港
時間:06:10~11:20
天候:晴れ
外気温:7時15℃
風 :弱風のち北西強風
月齢:22.3
潮   :小潮 満潮14:19潮位260cm 干潮07:01潮位89cm
狙い目:カレイ
釣り方:サーフ
餌   :アオムシ・ホンムシ
釣果:25、26㎝カレイ2・小マダイ12・メゴチ3・カワハギ1

【11月8日過去の釣行記録】
・2008年笠佐島周辺、06:30~14:00、若潮、船釣り、釣果=ハマチ2・ヤズ1・マダイ1・アジ1
・2018年上荷内島沖、06:30~12:30、大潮、船釣り、釣果=ハマチボウズ(2回ばらし)

【この日の釣り情報】
・この日の釣り情報はありません。

【旧暦9月23日釣行記録】
・1999年10月31日、奈切大気暴露試験場前、08:00~12:00、小潮、釣果=キス4・アイナメ1・アナゴ1
・2005年10月25日、笠戸島本浦、夜、小潮、釣果=アオリイカ2
・2007年11月02日、上関室津埋立地、18:25~21:00、小潮、釣果=キス3・チダイ3・アジ1・ハゼ1・アナゴ4
・2013年10月27日、徳山築港、06:30~15:40、小潮、釣果=カレイ1・キス27・イイダコ2・ハゼ4

 

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千一夜第3章第247 TOKYO・2020 第4次オリ・パラ記念硬貨 完結

2020-11-04 23:59:59 | その他

2020.11.04(水)

2020年11月4日(水)、東京2020オリンピック、パラリンピックの記念硬貨9種が発行(第4次の今回が最終回)された。内訳はオリンピックが100円4種、500円1種、パラリンピックが100円3種、500円1種である。

コロナウイルスのパンデミックにより、TOKYO・2020は延期となった。本来なら今年の7月24日にオリンピック開会式が行われたはずだった。私は2019年6月20日の第1回目のチケット抽選で8月5日の陸上男子決勝、女子準決勝・決勝・表彰式をゲットしていたのだが・・・。オリンピックのチケットは延期でも有効だが、ホテル探しなどは最初からやり直しとなる。面倒だが致し方なし。ポケトークの購入も延期した。

私はオリンピックチケットを現物で貰うように手続したのだが、延期後の日程についてはあまり詳しく見ていないので良く解からない。但し、1年延期のため予定を変更せざるを得ない人のために、オリンピックは11月10日から月末まで、パラリンピックは12月1日~21日までの間にキャンセルできるようだ。また、期限を過ぎても新型コロナの影響で観戦出来なくなった場合も別途、払い戻しが出来るということだ。う~ん、どうしようかな。

カルトンの上がオリンピック、下がパラリンピックの記念硬貨の現物。

しかし、このオリンピック・パラリンピックの記念硬貨は歴史的に貴重かも知れない。開会に合わせて発行されたものだが、1年延期、この時点でも1年のずれが発生しており、最悪、今後中止にでもなれば幻のオリンピック記念硬貨ともなるのだ。今年の春頃から、まだ完結していない記念硬貨が、発行済分だけでも市場では10倍の値を付けて販売されていた。別に売るつもりは無いが、もう少し余分に収集しておけば良かったかも。

造幣局が発売した記念硬貨のストックブック、上段のミライトワ(青)がオリンピック、ソメイティ(赤)がパラリンピック用のストックケース。中段の赤がパラリンピック、下段の青がオリンピックの記念硬貨である。第1次から4回に分けて発行された。

発行の詳細を下記に時系列に記す。

※第1次発行 平成30年11月27日(水) 
100円クラッド貨幣 フェンシング (オ1種) ボッチャ (パ1種)

※第2次発行 令和元年7月24日(水)
100円クラッド貨幣 空手 スケートボード スポーツクライミング サーフィン ウエイトリフティング (オ4種)
                                    ゴールボール (パ1種)

※第3次発行 令和2年1月28日(火)
100円クラッド貨幣 アーチェリー カヌー 自転車競技 (オ3種)
             アーチェリー 陸上競技 (パ2種)

※第4次発行 令和2年11月4日(水)(当初7月発行予定だったが延期された)
100円クラッド貨幣 サッカー テニス バレーボール ミライトワ (オ4種)
                            自転車 車いすラグビー ソメイティ (パ3種)
500円バイカラー・クラッド貨幣 雷神 (オ1種) 風神 (パ1種)

計 オリンピック100円クラッド貨幣 13種   500円バイカラー・クラッド貨幣 1種
  パラリンピック100円クラッド貨幣 7種  500円バイカラー・クラッド貨幣 1種

以上、全22種発行されました。

【11月4日過去の釣行記録】
・2006年華西防波堤、17:30~00:45、大潮、釣果=太刀魚14
・2008年室積西の浜港防波堤、19:30~22:10、小潮、釣果=アジ12
・2012年落港防波堤、07:00~11:00、中潮、釣果=キス3
・2013年徳山築港、06:15~12:10、大潮、釣果=カレイ1・キス7・トラハゼ1・ハゼ6・チヌ1R
・2018年徳山築港、06:10~11:00、中潮、釣果=カレイ2・キス4・カサゴ1・マダイ1

【この日の釣り情報】
・2007年櫛ヶ浜港防波堤、19:30~21:30、長潮、釣果=チヌ3
・2010年櫛ヶ浜港防波堤、18:00~20:00、中潮、釣果=シマイサキ1・アジ2・コノシロ1・キス1                     

【旧暦9月19日釣行記録】
・2005年10月21日、上関漁港防波堤、12:30~13:00、中潮、情報=アオリイカは餌木40号、サビキで小アジ100
・2007年10月29日、櫛ヶ浜港防波堤、19:25~23:10、中潮、釣果=メバル16・アジ20・キビレ1・タナゴ2R
・2015年10月31日、徳山築港、06:00~15:00、中潮、釣果=カレイ2・ハゼ1・ギザミ1・マダイ1

 

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