心と体のワーク。島本ふれあいセンターで参加してきました。
心をひらく体のレッスン、フェルデンクライスメソッドを作ったモーシェの言葉です。
『耳は忘れ、目はうつろい、行えば悟る』
レッスンをやらないで、学ぶことはできない。
レッスンには、自分にとって、何が正しいかを感じとり体験させてくれるプロセスがある。
からだは快くなければ、決して学ぶことはなく 受け入れることを拒否します。
-モーシェ・フェルデンクライス(1904-1984)
「チベットの寓話がある。それによると、Awareness(覚醒した意識)を持たない人間は欲望と言う何人もの乗客が乗り込み、筋肉で馬とつながり、馬車そのものが骨格となった旅人たちの一行に例えることができると言う。
意識は居眠りする御者に当たる、御者がねむっているかぎり馬車はあてどなくあちこちひきまわされるであろう。乗客はみな勝手な方角を目指し、馬はでたらめな道をとる。
けれども御者がばっちりと目を覚まして手綱を取れば、馬は正しく馬車をひき、すべての乗客をそれぞれの目的地へはこんでくれるだろう。
このようにAwarenessが、感情 感覚 運動 思考と一つになることができたときには、馬車は道をあやまたずにひた走る。
すると発見が、創造が、革新が、そして「悟り」が可能になる。おのれの小さな世界とまわりの大きな世界とまわりの大きな世界が一つのものにほかならず、この統一の中で自分がもはやひとりではないことを体得するのである。」-フェルデンクライス身体訓練法より
生活していると、ちゃんと、聞こえているし、見えているから意識が眠っているとは気付きません。
でも、見たこと、聞いたことを再現しようとしてみると、ほとんどできないと言うことに気付きます。
だから「行えば悟る。」レッスンする。
光は光だけで見えなくて、影があるから、光りが何処までさしているのかわかります。影も同じで影だけでは、影とは何であるかを知ることはできません。それと同じで、人も、誰か、他の人の存在があって、初めて自分がどういう特徴がある人間であるのかがわかります。
レッスンとは世界中の自分以外の人との出会いであり、自分を知る作業なのだと思います。