音楽の喜び フルートとともに

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触れる

2010-02-12 20:15:23 | 哲学

実家の葉牡丹は、お正月が終わっても、元気に咲いています。この色の組み合わせが、母らしい。よくこんな色の服を着ています。

「肉親を亡くした時、触れることができますか?」

そう聞かれて考え込んでしまいました。
子ども、もちろん触れます。夫、大丈夫。母、触れることができます。父…???

「触れる」と、言うことはコミュニケーションと密接に関係しているそうです。
人間関係の基本は家族だそうです。「怖れ」が大きいと「触れる」のは難しくなります。

「怖れ」はその人を理解しているかどうか?と言うことに結びついています。
理解できないもの、知らないことが一番人を怖れさせます。

理屈無しに、鳥肌が立つほど苦手なもの、身の毛のよだつほど、嫌なものとか、この世から抹殺したいものを思い出してみると、私はそれを理解しているだろうか?あるいは理解したいと思っているのだろうか?
答えは「ノー」

ヒトラーがあおったユダヤ人への、「怖れ」は人々の理性や知性をあっさりと飛ばし、他民族の人々を理解し共存し、触れ合うことを拒否させ、抹殺する許可を与えました。

肉親に触れる。というのは感情をブロックして職業的に触れることとは、違います。

私は父を理解しているのだろうか?父の好きなこと、やりたいこと、夢、哲学。
年老いた父に、まだ、理解されたい、愛されたいばかりの私がいます。
まだ、この年になっても私は大人になりきっていないようです。今度実家に行った時には、しっかりと父に触れようと思います。