音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

友達

2010-02-18 21:40:13 | Weblog
午前中、茨木でカルテットの練習。
息のスピード、音が何処につながっているか?音のコアをつかむ。筋肉の使い方など、研究して、明確に言葉にできるKYさんには、本当に感心してしまいます。
一緒に練習すると本当に勉強になります。とっても、おもしろい。
今日は残念ながら、お昼までしか時間がありませんでしたが。
帰って早速、練習。プロコフィエフにも適用してみたら、なかなか良い感じ。
ほんとにありがたいなぁ。
それに、KMさん、Iさん他のメンバーも、研究熱心。こういう仲間に入っていると、すごく啓発されます。

夕方、買い物にでたら、近所の子育て友達Gさんに会いました。スーパーで30分も話し込んでしまった。
同じ年の息子の進学が決まる時期です。情報交換はありがたいです。
Mさんにエプロンのお礼をするので、旧知のYさんも一緒に家に招いて久しぶりにお茶をしました。
やっぱり話題は息子達の将来。
むかしは、子育てのノウハウを語っていたけれど、今は、ただ心配な気持ちを共有するだけ。
もう、息子達には情報を流すくらいで、何も出来ないとわかっているから、それでも、ちょっと不安になったり、手出ししたくなったり。そんな気持ちをお互いに話しているうちに、息子達の行く方向は違っていても、一人ではないと思えてきます。

そう思うと、いつのまにか少し気持ちにゆとりが生まれていたり、潤っていたり。始終会えるわけではないし、仕事を成したりするわけではないけれど、このひと時は、本当に貴重です。
友達っていいなあ。感謝

なぞなぞ

2010-02-17 21:31:45 | 子ども
今日は、午後から児童会。
「先生、なぞなぞです。第一問、朝は4本足、昼は二本足、夜は三本足なあに?」
Aくんはなぞなぞ大好き。しかし、出題するのは、大人限定。友達とはうまくいきません。いつも一人で遊ぶか、「先生、先生。」と一人大人を捕まえます。今日は、私。

「えー?何かな?ちょっと、Bくんわかる?先生わからへわ。教えて?」
近くにいたBくんを呼び止めて聞くと、「え、なに?うーんと、にんげん。」と応えてくれました。
「ピンポン!大正解。」こどもはなぞなぞ好き、すぐに乗ってきました。
『やった!』
なぞなぞ作戦は大成功。気付いたら、その辺にいた子どもがみんな入っています。
そーっと私が離れてももう、気付かない。
輪の真中で、なぞなぞを出しているAくんを見ていると、ポッと心の中が暖かくなりました。


コンサートのおしらせ

2010-02-16 20:56:01 | コンサート

朝から茨木でカルテット。忙しいのによく集まれます。10時半に集まって4時頃まで。

リズムを縦に取るか、横に取るか。ブレスの位置、息のスピード、減衰するか、増幅するか。
やることは一杯あります。
KMさんの的確な分析で、演奏レベルがどんどん上がってきています。
いろんなバックボーンを持った4人の集まりなので、言葉の意味一つとっても、違います。
同じ楽譜も、リズムや、テンポ、アウフタクトの取り方、解釈など読み取り方によって、違うところがたくさんあります。だから言葉によるすり合わせは、絶対に必要です。
言葉の意味を聞くところからはじめなくてはなりません。
それが、4人分。
おもしろい。

家に帰ると、さっき聞いてきた理屈で、プロコフィエフもチェック。なんて刺激的。

2月28日(日)11時から
ドルチェミュージックアカデミーのコンサートにプロコフィエフで出ます。他のアカデミーの生徒さん、S先生も出演されます。私のピアノ伴奏は中田百合子さん。

場所は梅田ドルチェ楽器9階 アーティストサロン 小さなホールですが、音響がいいです。
チケット1000円、残り十数枚。
個メールくだされば、取りおきますので、よろしくお願いします。

申し込み:久米素子
moto-fl-angel@nifty.com


プロコフィエフがいっぱい

2010-02-15 22:13:01 | 音楽

朝、ピアノのSさんとアンサンブル。
プロコフィエフのソナタop.94

「プロコフィエフってどんな感じがする?」Sさんの、問いに、「うーん。情的じゃない。勇ましいじゃなくて、勇ましさ。みたいな。ピーターとおおかみの小鳥なんか、本当に鳥だもん。人がやっている鳥って感じじゃない。感情が無いというか。」

「私は、この最初のところなんて、草原で少年が一人で笛を吹いてるって感じがするわ。」とSさん。
「情景っていう感じじゃなくて、風景の一部って感じかなぁ。」

「大きな人じゃなかったのかな?」
「えーっと。写真見たけどやさおとこだったよ。結構ハンサム。」と私。
「和音押さえられないから。」「ああ、手足は長い感じ。きっと指なんか長かったよ。」
「平気で幅の広い和音おさえるなんてそうでなかったら無理やから。」

「ちょっと想像できないような組み合わせ。何でこんな音使うんだろう?」
いくつか、弾いてくれました。

「はーん。そうか。新しいことやってるんじゃないんだ。ロシアの民謡だね。これ。右手の音にわざと左手の音でにごる。三味線のさわりみたいなかんじ、民俗音楽の野性的な空気を出すためのにごりの音だね。この音自体に意味はないのかも。」

「プロコフィエフって一人っ子だったんだって。姉が二人いたけれど、彼が生まれる前に亡くなったらしいよ。」

「そうか、一人でずっと遊んでたんだね。ここの『F#ADC#』なんて、全く脈絡がなく出てくる感じで、『僕はこの和音が好きだから、おもしろいから
あっちでも、こっちでも使うんだ。』って感じで、子どもみたい好き勝手にやってる感じがするわ。意外性が楽しいっていうか。」

なるほど、大きな子どもプロコフィエフ。誰にも解けないような複雑ななぞなぞを出しては、べーっと舌を出して喜んでいるような感じ?!

午後から児童会。やんちゃで手がつけられないプロコフィエフがいっぱい。

「先生、大変!大出血!すんげぇー!」と自分でりかちゃん人形を泥んこに突っ込んでおいて言いにきたのはプロコフィエフ1号。

「先生、赤ちゃんが、隠れたから探しに来て!」シルヴァニアファミリーのかわいい赤ちゃんは椅子と机のバリケードの下のオーブンの中。プロコフィエフ2号はとっても楽しそう。

プロコフィエフ3号と4号は脱いであった育成さんのスリッパで、さんざんままごとの籠を打ち合ってから、「くさっ!手がくさなったぞ。こんなんいらんわ。空き箱に持ち替えろ。」なんて言いあっています。

すごい意外性たっぷり、大作曲家だらけ。すばらしい!





価値

2010-02-14 20:43:31 | 哲学

千両の実がみごとになっていました。変種の黄色も一緒に植えられていてきれいです。
冬、花の少ない時に、圧巻の赤い色。万両、百両も赤い実をつけます。冬の日本庭園には欠かせない木たちです。

ウィーン少年合唱団が、入団希望者が減って存続の危機だそうです。
昨年見たNHK爆問学問で、東京芸大に行った編で、パイプオルガン科にいた大学生が、「やるものも少ない、聴く人も少ない、演奏の機会も少ない、将来が不安。」と言う質問をしたとき、
太田さんが「50人とか、100人の前でやったからって、どうなるの?と言う気持ちはある。俺たちは、何万人と言う人たちが見る。」

今の子ども達は大変です。選択肢はたくさんある。ほんものはいろいろなジャンル、いろいろなメディアの中に散らばっています。何処でも、本物になれるチャンスはある。けれど、選んで力を集中しなければ、どんなジャンルでも質をあげることはできない。

どういう方向にいること、どうあることが自分が幸福で、人と、社会ともそこそこつきあえるのか?
テレビにでることが成功で幸福という人もいるけれど、そうでもない人もいます。
子ども時に学んだ価値観はおいそれとは変りません。今や、劇場に足を運んだりするのは年に数回でも、スイッチをいれるだけで、飛び込んでくるメディアの情報は、簡単で毎日手に入れることができます。

そこでの価値観が今や自分達の価値観を作っているようなものです。しかし、そこで流されている情報は、本当に、洗練され、美しいものでしょうか?
「ゴミのような情報がたくさん流れているのに社会に必要な情報は少ししかない。」といったのは、WHOの疾病予防担当の女性でした。

芸術は予防薬のようなものだと思います。日常をより良く、健康でいるための心のあり方を提示するもの。どのようなジャンルにおいても、追求される普遍的な美や真理というようなものは、人のいのちを輝かせるに違いないと思います。誰にも理解できないけれど、理解できる。理屈では説明できないけれど、涙が出るといったもの。
大勢が見ようが、見まいが、私は価値があると思うようなもの、そういうことでいいのだと思います。


音楽であそぼう!2月

2010-02-13 21:15:12 | 音楽で遊ぼう

音楽であそぼう!2月。

寒い朝ですが、子ども達は元気でした

2月と聞いて思いつくことを、あげてもらいました。

ゆきだるま ゆきがっせん ゆきうさぎ ゆき おもち 2月のおせち 水仙 まどが真っ白になる 節分 おに 

「今度はフルートとピアノの演奏で、ラフマニノフと言う人が作曲したヴォカリーズを聞いてください。もともとは違いますが、私はこの曲を聞くと、ここにもでてきた「雪」が降っているような気がします。みんなはどうかな?って思いながら聞いてくださいね。」

「どうだった?」
「雪が降ってるような気がした。」

それから、ミッキーマウスマーチケンパ。
マーチにあわせて、ケンパの形に床に置いた丸いパッドの上を「ケンケンパ、ケンケンパ、ケンパ、ケンパ、ケンパッパ」初めはゆっくり、ゆっくりって結構難しいんです。ついつい、つんのめってしまいます。うまく跳べるようになったら、段々早くなって、最後は、超早くなって。それでも、「まだできるよ!」と言う子がいて、びっくり。本当に子どもは元気。

それから、メロディベルでミッキーマウスマーチ。
最後は音楽室の好きな楽器で練習して合奏します。
木琴、鉄琴、シンバル、ピアニカ。準備室からいろんな楽器を出してきて、練習。難しい付点のリズムも何度も練習してクリア。

「好きなところに入れていいよ。」と言ったシンバルを入れるタイミングもばっちり。

今日も力を合わせて生き生きした楽しい演奏ができました。



触れる

2010-02-12 20:15:23 | 哲学

実家の葉牡丹は、お正月が終わっても、元気に咲いています。この色の組み合わせが、母らしい。よくこんな色の服を着ています。

「肉親を亡くした時、触れることができますか?」

そう聞かれて考え込んでしまいました。
子ども、もちろん触れます。夫、大丈夫。母、触れることができます。父…???

「触れる」と、言うことはコミュニケーションと密接に関係しているそうです。
人間関係の基本は家族だそうです。「怖れ」が大きいと「触れる」のは難しくなります。

「怖れ」はその人を理解しているかどうか?と言うことに結びついています。
理解できないもの、知らないことが一番人を怖れさせます。

理屈無しに、鳥肌が立つほど苦手なもの、身の毛のよだつほど、嫌なものとか、この世から抹殺したいものを思い出してみると、私はそれを理解しているだろうか?あるいは理解したいと思っているのだろうか?
答えは「ノー」

ヒトラーがあおったユダヤ人への、「怖れ」は人々の理性や知性をあっさりと飛ばし、他民族の人々を理解し共存し、触れ合うことを拒否させ、抹殺する許可を与えました。

肉親に触れる。というのは感情をブロックして職業的に触れることとは、違います。

私は父を理解しているのだろうか?父の好きなこと、やりたいこと、夢、哲学。
年老いた父に、まだ、理解されたい、愛されたいばかりの私がいます。
まだ、この年になっても私は大人になりきっていないようです。今度実家に行った時には、しっかりと父に触れようと思います。





心と体のワーク

2010-02-11 21:12:33 | レクチャー、マスタークラス

心と体のワーク。島本ふれあいセンターで参加してきました。

心をひらく体のレッスン、フェルデンクライスメソッドを作ったモーシェの言葉です。

『耳は忘れ、目はうつろい、行えば悟る』

レッスンをやらないで、学ぶことはできない。
レッスンには、自分にとって、何が正しいかを感じとり体験させてくれるプロセスがある。
からだは快くなければ、決して学ぶことはなく 受け入れることを拒否します。
-モーシェ・フェルデンクライス(1904-1984)

「チベットの寓話がある。それによると、Awareness(覚醒した意識)を持たない人間は欲望と言う何人もの乗客が乗り込み、筋肉で馬とつながり、馬車そのものが骨格となった旅人たちの一行に例えることができると言う。

意識は居眠りする御者に当たる、御者がねむっているかぎり馬車はあてどなくあちこちひきまわされるであろう。乗客はみな勝手な方角を目指し、馬はでたらめな道をとる。

けれども御者がばっちりと目を覚まして手綱を取れば、馬は正しく馬車をひき、すべての乗客をそれぞれの目的地へはこんでくれるだろう。

このようにAwarenessが、感情 感覚 運動 思考と一つになることができたときには、馬車は道をあやまたずにひた走る。

すると発見が、創造が、革新が、そして「悟り」が可能になる。おのれの小さな世界とまわりの大きな世界とまわりの大きな世界が一つのものにほかならず、この統一の中で自分がもはやひとりではないことを体得するのである。」-フェルデンクライス身体訓練法より

生活していると、ちゃんと、聞こえているし、見えているから意識が眠っているとは気付きません。
でも、見たこと、聞いたことを再現しようとしてみると、ほとんどできないと言うことに気付きます。

だから「行えば悟る。」レッスンする。
光は光だけで見えなくて、影があるから、光りが何処までさしているのかわかります。影も同じで影だけでは、影とは何であるかを知ることはできません。それと同じで、人も、誰か、他の人の存在があって、初めて自分がどういう特徴がある人間であるのかがわかります。

レッスンとは世界中の自分以外の人との出会いであり、自分を知る作業なのだと思います。


けんか

2010-02-10 22:20:15 | 子ども
今日は次男の私学受験。朝からお弁当を持って、4時に帰ってきました。
疲れたのか、夕食を食べながら「眠たい、眠たい。」と言って、いつもは餓鬼のように食べるのに、半分残してもう、寝てしまいました。
今朝は、Mさんに縫ってもらったかっぽうぎを母に届けてきました。早速手にとって、「百貨店でも売ってない。」と喜んでいました。着られなくなった祖母の着物を、「洋服に仕立て直ししてもらえないかなぁ?」と次の企画を構想中。どこまで続くやら。

午後から児童会。
指導員の一人が、お古のおもちゃを寄贈してくれました。シルヴァニア・ファミリーの小物が大きなビニール袋に2袋入っていて、学校、パン屋さん、ショッピングセンターのハウスもあります。
小さな、本棚に小さな本。アイスクリーム屋さんのワゴンにアイスクリーム。パン屋さん、ジュース屋さん。1年生の男子たちが見つけて遊びだし、気がつくと4年生まで男の子ばかりが大勢楽しんでいます。

そのうち宿題をしていた4年生のAくんが「お前、そんなんであそんでるんか。女のあそびやんけ。」と、同じ4年生のBくんに言いました。今まで楽しそうにしていたBくんはがっくりと肩を落としました。
ここぞとばかりに「おまえ、おかしいんとちゃうか?女か。」Aくんは何度もひつこくくいさがります。
ついに、Bくんはおもちゃを捨ててAくんにつかみかかります。

二人を分けて、Bくんに「どんなおもちゃで遊んでもいいんだよ。それに、本当に賢い人は挑発にはのらないよ。」と言うとふくれながらもがまんしているので、他の先生に任せて、Aくんの話を聴きます。
「あいつはおかしいんや。あんなんやったら、大人になられへんで。」Bくんを向いて「B、いつまで、それであそんでんねん。」と合いの手が入ります。
「Bくんのこと心配してくれてるの?」
「ふん。」
やりたくない宿題をするのがおもしろくなくての、やつあたりらしい。
ためしに「4年生になったら、こんなにたくさん宿題あるんや。たいへんやなぁ。」といってみました。
「むずかしい?」
「ふん。たいしたことない。」
「すごいなぁ。」横に座って、宿題をしているところをみていると、だんだん収まって、宿題が終わると、もう、Bくんのことは忘れたように、漫画を読み出しました。

暴力の原因ってなんだろう?暴力を振るう人は、みんな目の前の相手が、自分のことをイライラさせるからだと考えているように思います。でも、どんなに腹が立っても、自分の身が危険になるような相手に、怒りを爆発させることは小さな子どもでもありません。そういう相手には怒りの気配を感じただけで、慰めの空気を出したり、前向きな行動をとったり。

怒りを爆発させたり、軽蔑の言動をとるのは、ほとんど自分がやられても安全な相手に限られています。被害者は目の前にいたためにストレス解消の対象にされただけで、加害者は本当は怒りを口にすることも、態度に出すことも赦されない相手から有言、無言の暴力を受けているのかもしれない。そんなことを最近考えています。

世界をとらえなおす

2010-02-09 21:31:42 | 音楽

朝は子育てサロンのお手伝い。
久しぶりにやってきた2歳の男の子は、しばらく見ないうちにお兄ちゃんになっていて2ヶ月の弟を紹介してくれました。
下の子が生まれると落ち着かなくなる子もいますが、終始ニコニコしていて、おもちゃがあれば、おもちゃに、手遊びをすると手遊びに興味津々で集中しています。
下の子を抱っこさせてもらって、お母さんとおしゃべりしていると、私の腕の中で眠ってしまいました。

お久しぶりの、新生児の柔らかい感触。子どもを抱いていると、まっすぐでいようという気持ちが沸いてきます。世界中の美しいところ、明るいところ、いいところを見せてあげたい。と言う気持ちになってきます。
自分があきらめていた世界に希望の火が灯ります。
前向きでなければ、って単純に脳天気に思えます。一ヶ月に一回、私には世界を明るくとらえなおす、何にも変えがたい貴重な時間です。

午後は茨木でカルテットの練習。今日は3人。初対面に近い緊張が徐々に取れて、リラックスしてきました。
今日は、KYさんに楽器の構え方。歌口の位置など、目からうろこの理論をいくつも聴きました。私とはまた違ったアプローチで音楽を追求しているKMさんとの練習は本当に刺激的です。
自分の演奏に、何を足したらいいのか?他の人の演奏にどのようにアプローチしたらいいのか?一瞬一瞬、一言一言が興味深いです。一人で練習している時の数倍学んでいる感じ。
カルテットを組んでよかった。また、練習します。