電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

学校の教室でお弁当を食べる習慣についての比較文化論?

2009年08月06日 05時43分08秒 | Weblog
先日、インドネシアから来ている人の話を聞く機会がありました。その中でびっくりしたことが一つあり、学校では教室でものを食べてはいけないのだそうです。日本では、生徒が教室でお弁当を食べているということに、とても驚いていました。むしろ、こちらの方がびっくり。

子どもの頃、教室は勉強の場であると同時に生活の場でもありました。ほぼ50年前の小学校時代には、厳冬期、教室の石炭ストーブには大きなヤカンにお湯が沸いており、各自が持参している湯呑で、給食とともに白湯や麦茶等がいただけるようになっていました。中学校には温飯器というのがあり、冷たくなったお弁当をストーブの熱で温めることができる仕組みになっておりました。教室でお弁当や給食を食べることが、ごく普通のことと思っていただけに、教室でものを食べていいのか、という発想にむしろ驚いたわけです。

ここからは、私の考えです。

(1) 日本の場合、教室での様々な習慣のルーツは、寺子屋にあるのではないか。寺子屋では、教室は勉強の場であると同時に生活の場でもあったのでは。
(2) インドネシアの場合、教室は先生のものであり、生徒は帰宅して食事するか、またはランチルームで食事をするという欧米流が、植民地時代の習慣として引き継がれたのではないか。
(3) 日本の場合、生徒が自分たちで掃除をするという習慣があり、食事の後の始末を先生が指導し点検するため、衛生的な問題は生じにくいのだろう。このような仕組みは、東アジアの仏教(儒教)圏にかなり共通性があるのかも。
(4) 欧米流の場合、生徒たちが自分で掃除するということはなく、掃除をすることは階層(階級)の低い人の仕事という位置づけになっているのでは。したがって、先生は主に授業をするだけで、掃除や生活習慣の指導などの仕事はないのだろう。

もしかすると、インドネシアだけでなく、インドなどにも共通の傾向があるのかもしれません。さて、当たっているのかどうか。うーむ、比較文化論ですなあ(^o^)/

写真は、再度の登場かと思いますが、いつかのお弁当。プラスチックのお弁当箱では、温飯器なんてのは使えませんね。今どき、アルミの弁当箱は流行らないのか。
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