雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

日航ジャンボ機御巣鷹事故から25年と私との関係

2010-08-13 06:10:17 | カワサキ単車の昔話
この記事を書くのはどうしようかと思ったが、御巣鷹の事故25年と言うので書くことにした。


★日航機の御巣鷹の事故は1985年8月12日、25年前のことである。

当時の伊丹―羽田便は、JALもANAもほとんどが、ジャンボだった。
ジャンボと言っても細かく言えば、幾つかの機種があったのだろうが、
『私の思っているジャンボ機』も間違いなくJALは伊丹―羽田で運航していたのである。
ひょっとしたら御巣鷹に墜落したジャンボ機は、その機種のその飛行機でなかったのか?
と私は、秘かに思っているのである。

★日航ジャンボの事故があった翌日、
私は当時の事業本部長の高橋鉄郎さんのお伴をして、それこそ日航ジャンボ機で、アメリカに出張しているのである。
お盆の夏休みがあるのは日本だけで、海外販社はお盆休みなど関係ないものだから、世界的な事業展開の単車事業部の幹部たちは、特に高橋さんはお盆休みは海外販社出張が定番だったのである。
アメリカ現地では、レンタカーを借りて自分で運転して行動する、そんなスタイルであった。

その時のJALは流石に大事故の翌日で、キャンセル続出でガラガラだった。
機内サービスは非常によかったが、正直あまり気持ちのよいものでもなかった。
ただ、乗って直ぐ後部トイレの仕様を確かめて、このジャンボは大丈夫と勝手に決めていた。

これは私の勝手な仮説なので、書くことをためらったのだが、非常に高い確率でそうだと信じている。
出張先のアメリカのKMCの社長をしていたのが田崎さんである。
私の今から書く話を一番よく知っているし、理解をしてくれる人と言えば、高橋さんと田崎さんなのである。


★話はさらにさかのぼって、1976年の話からスタートするのである。

そのころ、私は川重の単車企画にいて、東南アジアへのCKD事業の起案者であった。
当時はまだ技術本部長であった高橋鉄郎さんを団長に担ぎ出して、東南アジアの市場調査団を構成して、台湾、タイ、イラン、マレーシア、インドネシアなど各国の市場調査を行ったのだが、

イランのテヘランからタイのバンコックへの飛行機がパンナムのジャンボ機、その機内のトイレからこの話は始まる。
1976年6月10日のことである。

この飛行機の最後部のトイレの中で事故は起こったのである。読者諸氏は想像力をたくましくして、私の説明を理解してほしい。
この説明は帰国後いろんな人にしてもなかなか理解して貰えなかったのである。

●飛行機の最後部のトイレである。
●飛行機の最後部はだんだん後部になるほど細くなる。
●トイレは幾つかあるが一番機体の外側に近いトイレである。
●トイレには紙を捨てたりする、なんというのかゴミ捨ての場所がある。
●普通はその蓋は上を起点に奥に開くものである。
●ところが最後部でだんだん狭くなるので、この蓋は右を軸に壁に沿って開くように造られていた。
●紙を捨てようとして、私の指がそれこそ一瞬のうちに吸い込まれ壁と蓋の間に挟まって抜けなくなってしまったのである。
●空気圧などの問題がなければ、構造としても何の問題もない。
●一瞬のうちに指が吸い込まれるような気圧の変化など想像できないのである。

それは一瞬の出来事であった。何が起こったのか解らなかった。
機体の壁とアルミの蓋の間に挟まれた指は独りではどうすることもできず。
乗務員たちが来てくれたが、それでも駄目で最後に何人かで蓋を引っ張ったら何とか抜けたが、挟まれた中指は1cmほど深く切れたのである。

これはどう考えても空気圧の仕業だと思った。
パンナムだったので、事故報告書は『Door bite his finger』と書かれた。
事故後は、ただ一人乗っていた日本人のスチュアーデスが直ぐファーストクラスに席を移してくれて、最上級の対応だったし、
バンコックの空港でも空軍病院では、患者があふれているなかで、掛りの人に目の前で現金を渡してVIPなみの待遇と素早い処置がなされた。
すべてフリーパスの最高の処置、待遇だったのである。
ずっと昔のことだが、アメリカの航空会社だったし訴訟などにされたら大変と思ったのだろう。
手術も3人の医者で大層におこなわれた。
帰国後糸を抜いたのだが、医者に『何処でしました?』と聞かれた。ダメなのかと思ったら、こんなに丁寧な縫い方見たことがないと言われた。

そんなことで、指には今も傷跡がある。
もし、日本人のスチュアーデスがいなかったら、ひょっとしたら訴訟を起こしたかも知れない。
それくらい、一部の隙もない素晴らしい対応であった。
このあたりの話をよくご存じなのは、団長であった高橋さんである。


★その後何年も経って、東京ー伊丹便で、私が事故にあったトイレと同じジャンボの機体に出会ったのである。
その後ジャンボに乗るたびに、あんな仕様の最後尾トイレはないかとチェックしていたのだが、出会うことはなかったのである。
同じ仕様のトイレのあった飛行機はJALのジャンボだったのである。
確か84年か85年だと思うが、たまたま一緒に乗っていた田崎さんをトイレまで引っ張って行って、こんな仕様だと確認したのである。

御巣鷹の事故の原因は、いろいろ言われているが、
『最後尾の』とか『後部圧力隔壁下部』などの記述がある。

私の事故も『一瞬に吸い込まれた』という表現があたっている。
こんな危ない仕様のジャンボがJALにあったのは間違いない。
あの御巣鷹での事故機の最後尾のトイレは、どんな仕様のジャンボだったのだろうか?
私は、田崎さんと一緒に乗った 『あのジャンボ』ではないかなと思っている。





コメント (5)
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