雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

武雄市役所のホームページ,Facebookに完全移行おめでとう

2011-08-01 19:32:30 | 樋渡啓祐さんのこと

★武雄の樋渡さんから、私のブログにこんなコメントが届いたのは、7月28日のことだった。

いよいよ (はいびー)
2011-07-28 08:15:32
いつも、関心を持ってくださってありがとうございます。いよいよ、市HPのFacebook化に8月1日、突入します。どうなるか、ワクワクしています。また、いろんなアドバイスお願いします。修正していきたいと思っています。

 

★その後、7月29日に、三木の伊藤英樹さんがツイッターで、

HIDE_HISA_SHI 
@rfuruya1 こんばんは!ご存知かもしれませんが・・・(^_^;)古谷さんがおっしゃっていた武雄市の市のホームページのFacebook化の記事がyahooニュースで掲載されていましたよ♪
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110729-…

とYahooニュースに流れたことを教えてくれたのである。

そんなことで、8月1日の武雄市のFacebookは、私にとって非常に関心事だったのである。

 

★そして昨日8月1日の朝、

武雄市長 日本ツイッター学会長 樋渡啓祐 hiwa1118 今日は夜走る時間が無いのでこれから走ろうっと。今日12時から、武雄市HPのFacebook一元化の会見やります。ユーストでも流しますので、ご覧下さい。

山地壮太あ~る中西 奏★森  泰人 御用聞きSPプロデューサー上竹 佳子 (HN:peach)古谷錬太郎ろったーshin  sasakiかざり まさひこみぞ
と言うツイッターが流れたので、NPO The Good Times の公式ツイッター(フォロワー17万人)で『リツイート』したのである。
『リツイート』するのは、基本的にNPOの会員さんのツイッターだけである。
樋渡さんは、このNPOの個人会員に参加頂いていて、会員カードNO.1118番のカードを差し上げている。
そんなことで、樋渡さんとは、『何となく繋がって』いるのである。 『ユーストでも流しますので』とあったので、慌てずともじっくり見ればいいと、昨晩ゆっくりと44分見せて頂いたのである。
直ぐ、武雄のFacebookに『いいね』と『明日のブログに感想を・・・』とコメントしたので、今頃は樋渡さん、ブログをアップすること、ご存じかも知れないのである。
今はちょうど20時である。 明日早朝このブログは発信されることになる。

 

記者会見のUstremは、これです。 

 44分掛りますが、ご関心のある方、行政の方などは必見です。行政の方には、ぜひ見て頂きたいので、ツイッターで何度か、リンクして『リツイート』しようと思っています。現在はまだ170人ぐらいの方しかご覧になっていませんが、『リツ―ト』すると多分その効果はてきめんだと思います。

 

★武雄のFacebookはプロが手掛けておられるので、現在各市が持っておられるホームページに対して、数段レベルアップしたところで展開されている。

Facebookに絞った理由や、実際の利用方法、優れた点などの具体的なことは、Ustreamの中で樋渡市長自らが説明されているのでそれをお聴きになればいいと思うが、

行政の施策に対して、市民なり関心を持った人たちが、『どのように評価するのか、しないのか』 『どんな意見を持っているのか』が明確に解り、行政の担当者がリアルタイムでそれに応えられる『双方向性』が素晴らしい。

『広報活動=PR=Public Relation=社会におけるいい人間関係づくり』 と言う本来の『広報活動の展開』が出来ることである。

チラシをたくさん作って、広くバラまけば広報活動だなどと思っている、行政の『上から目線の一方通行の情報発信』は、本来の広報活動ではないのである。『関係づくり』相手との関わり合いがあって初めて、『広報活動』が成り立つという点においては、

Facebookのホームページが出来て、初めて行政でも、『広報活動』がスタートしたとも言えるのである。

 

★そう言う意味で、武雄市のFacebookは、日本の行政の『広報元年』と言ってもいい。

各行政に、広報、並びに広聴というセクションが並んで設置されているが、一つは情報発信だけ、もう一つは、苦情処理のような形が現実であり、本来の市民との『いい関係造り』のための双方向の情報発信などと言うコンセプトは、皆無なのが現実なのである。

行政でも、企業の広報担当者でも、『広報とは何ですか?』『英語で何と言いますか?』と聞いて、現実に正しい答えを言える方は殆どいないのである。

Public Relation を『広報』と訳したのが、間違いの元だという気がしてならない。

 

★全然、違う切り口で見ると、

Facebook の機能は本当に素晴らしいのだが、これを採用したら対応に困ってしまう行政も現実に多いのではなかろうか。

市の発信する情報についても、施策でも、今のような『一方通行』だから何とかなっているので、それに対し市民からこんなにオープンに、誰でも解るように、公開の場で意見を言われたら、応えられなくて立ち往生する市も多いはずである。

例えば、私が住んでいる三木市は、市民間では結構ネットの利用なども進んでいるのだが、三木市はさっぱりである。

更に最近は、市の出す施策がどうもおかしいのである。

昨日実は、『武雄市のFacebookスタート』の日に合わせて、

三木市長の薮本さんに送っていた私の『市長メール』をブログ上に公開したのである。Facebookはこのようなことが日常的にどんどん起きるということなのである。

それはちょっと困る、と言うレベルの市では、なかなか実現は難しい。

そう言う意味では、ホームページのFacebook化を行おうとする市は優等生であり、それが出来ない市は落第生なのである。

市長も職員も同じ方向を向いて、信頼関係があるから、Facebook化が出来るのかも知れない。

 

ちなみに、武雄の職員でツイッターをやってる人、300人以上、Facebookも50人くらいはおられるとか。

三木市の職員は、こうは行かないが、

2年前にスタートしたNPO The Good Times の会員さんは、ブログなども含めて、十分対応できる人数なのである。三木市も頑張って欲しいものである。

 

 ★NPO  The Good Times のホ―ムページです。(会員さんの のブログもツイッターもFacebookも見られます)

★Facebookのファンページです。

 

 

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CUSTUM INFECTION

2011-08-01 19:32:19 | NPO The Good Times

★最近はNPO The Good Times 関連で忙しい。 

こんなNPOのことで、忙しくなるなどとは、想定外の出来事だが、8月に入っての第1週の週末は、NPOの件で上京する予定である。

その打ちあわせの内容も、今度アメリカでソフト会社を立ち上げたDANTHREEと関東の団体会員さんとの打ち合わせと、

もう一つは関東地区の総括責任者の大和屋嘉平さんが、NPO活動の専任者をつくるというので、その方を入れての具体的な打ち合わせと言う

どちらも本格的な活動の打ち合わせになってきた。

 

『新しい公共』としての本格的な活動に、本当に入ってゆくかも知れないのである。

 

★このNPO The Good Times はシステムそのものだから、そのシステムは、アマチュア的に何となく楽しむことも出来るし、

本格的にビジネスとして活用することも、また可能なのである。

最近、Facebook を佐賀県武雄市が本格的に市のホームページとして、活用しようとしているし、全日空や鈴鹿サーキットの使い方を見ていても、本格的な方向に変わりつつある。

要は、使う方の方の態度と言うか、姿勢の問題で、NPO The Good Times のシステムは、どんなに大きく本格的に使われても 、それに十分耐え得るように出来ているのである。

 

最近では、兵庫県の『孫中山記念会』でその理事長に就任された元川重社長の田崎さんから具体的な相談を受けたりしている。

それに対して神戸市の観光局を担当されている、ぼっけもんの修さんが、ブログを見て、

『今年は辛亥革命100年ですから、僕のほうでも、東アジアからのマスコミ取材では、必ずといっていいほど紹介していますよ。先日もマスコミではありませんが、香港の財界人も行かれたようです。ただ、マスコミや旅行会社の視察旅行では、短時間に沢山の観光地を視察して、本国で記事や旅行商品にしないとなりませんから、三宮からのアクセスがネックになっているようですね。』 とか

『また、プロジェクトでご一緒できるのを楽しみにしていますよ~。』 とコメントを寄せてくれているのである。

ぼっけもんの修さんは神戸フルーツフラワーパークで、ミニSLフェアでお世話になったりして、もう何年ものお付き合いだから、NPO The Good Times のシステムの実力は十分ご理解されているのである。

 

★3年目に入って、急にあちこちと忙しくなってきたのである。

このほかに、ロスの都ホテルも参加されたし、三木にも話はあるし、川西の『放射能ウオッチャー』の話もオモシロイのだが、

そんな中に割り込んで入ってこられたのが、CUSTOM INFECTION である。

 

先日、加古川の山本レーシングを取材されて、こんな紹介記事を書かれている

60おじさんが、NPO The Good Times のことを話したら、すぐ団体会員に参加されたのである。

CUSTOM INFECTION がどんな会社なのか? そのホームページだけからは、よく解らなかったのだが、NPO は参加すると意思表示をされたら原則断れないのである。

その後、電話で内容をお聞きしたら、オモシロそうなのである。

Facebook でも、ツイッターでも繋がって、これは『ホンモノ』だと思ったのである。

 

★是非、お会いしたいし、三木のカバン屋さんのハーレーも取材したいと仰るものだから、カバン屋さんと調整して、『8日の月曜日午前10時に』と言うことにしたのである。

最近は、もの覚えは悪いし、如何にも耄碌して、どうも月曜日の10時とだけお伝えしたのか、昨日10時、『メディアゼロの綿谷ですが・・』と電話を頂いたのである。

カバン屋さんは今週はハ―レ―の到着で、忙しくてダメなのである。当然不在。

それで急遽、防災公園で私が対応したのだが、この2時間素晴らしかった。

綿谷さん、ネットの専門家であると同時に、ネットワ―クの専門家で、バイクのお店などは持っておられない、すべてホームページ上の対応なのである。

 

意気投合して、7日の理事会に出席されますか?とお誘いしたら、『是非に』と仰るのである。

既にある『メディアゼロ』はソフト会社なのである。

NPO The Good Times の周りに、アメリカのロスにソフト会社が立ちあがって、

ひょっとしたら、東京にも出来るかな? と思っていたら

神戸は既に出来ているところが、参加されることになった。

 

今アドバイザーをしてくれているbunCさんにも、ソフト会社の設立を進めている。

三木のshirokuro もホントに動くかも知れない。

今のところはまだまだ小さいが、

NPO The Good Times も小なりとはいえ『法人』なのだからプロなのである。

このシステムを使って頂くのは、アマの方でもいいのだが、

プロの人たちに、プロのように使って頂きたいと思っている。それによってシステムの真価は発揮できるのである。

 

この話、 アマの人には解り難い話かも知れない。

然し、想定外の順調さで、忙しくなってきた。

 

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昭和61年(1986)仕事に没頭した4年間も終わった

2011-08-01 07:23:42 | 自分史

★昭和57年に企画部門の中枢を引き受けて、58年夏には大庭本部長体制になり、60年(1985)末までに事業再建は実質的に成功したように見えたのだが、

この年260円であった為替相場は年末には200円となり、昭和61年(1986)に入ってからは更に円高は進んで、150円のレベルにまでなったのである。

輸出主体の二輪事業は、大きな打撃を受けるのだが、4年前と違って悪化の原因が為替問題だけであったので、社長以下本社の信頼も揺るがなかったし、7月の役員人事では、大庭さんは川重副社長に昇格され、単車事業本部長は高橋鉄郎さんに引き継がれたのである。

今になって振り返ってみると、この大庭本部長時代の3年間が、私自身にとってもサラリーマン時代、最も大きな権限も発言力もあった時代だったのかなと思ったりする。

カワサキの二輪事業を再建するために、そのことだけに集中して、自分の思う通りのことを率直に進言したと思う。大庭さんからも全幅の信頼を頂いて、殆どの企案をその通りに進めることが出来た3年間であたっと思う。

『二輪事業のトータルを動かした』と言う実感をいまでも持っているし、『リーダーシップ』とは、上に対して発揮できて初めてホンモノだとも認識した時期でもあった。

この年、大幅な円高で、これに対応する構造対策案をドラスチックに検討していたのである。

 

★その一つが、ジェットスキーの国内並びに欧州、オーストラリアなど、新市場への導入で、

当時の鶴谷課長が専任で担当してくれたのだが、ヨーロッパでは伊藤忠などとの調整なども含め、オランダに拠点進出を行ったし、

日本国内の販売網の新設、JJSBAなどのレース組織の充実などにスタートしている。

国内では、従来西武自動車のボートのネットワ―クでその一商品として取り扱っていたのだが、ボートとは基本的に違う、所謂『パーソナルウオータークラフト』であるから、その遊びに見合った専門の販売網が要ると思ったのである。

始めて売るのにどうして、専門店が出来るのか?などと言う声もあったが、精力的にその検討して、東灘にジェットスキー専門店1号店を翌年早々にスタートさせているのである。

この年6月では山中湖で行われたジェットスキーレースに出かけているが、このころはまだ上流社会と言うか、金持ちのスポーツで、レースの前夜祭はタキシードやイブニングドレスに着飾った女性が集うなど、二輪とはまた違ったレースの世界に驚いたりした。

ヤマハさんが、この業界に入ってこられたのもこの年である。数はまだまだ少なかったが、カワサキには珍しいトップメーカーだったのである。ヤマハさんが参入の挨拶に来られたりした年である。

 

★あまりの円高のひどさに、逆にこの機会を利用して、カワサキの二輪事業の構造的な対策を企画を中心に検討開始せざるを得なかったのである。

結果的に私の任期は実質この年までだったので、この年の年末までに構想そのものは認められていたのだが、結果は実現されていない。

もしこの構造になっていたら・・・・・と今でも残念には思っている。 やり残した仕事と言えば、この三つだろう。

 

●二輪事業としての本社機能の充実

ホンダ、ヤマハ、スズキはそれぞれ本社を持って事業展開をしている。川崎にも勿論本社はあるがそれは全事業のためのもので、世界に事業展開する二輪事業のためのものではない。二輪事業独自の本社機能が是非必要だと今でも思っている。関連事業部は残ってはいるが、当時のような権限はないと思うし、法務班なども消えてしまった。本社機能なしでの事業経営はいろいろと問題があるはずで、それが表面化しているのだが、気付いていないだけである。この本社機能の充実がまず第一だと思っていた。

●円高対策のための『円建て』への移行

この年の円高は凄まじかった。 この年の短期的な対策ではなくて構造的に『円建て』可能な仕組みの再構築を行うことが、事業の安定化に絶対に必要だと思った。カワサキの場合は売り上げの大部分が100%出資の直販会社である。 まず直販会社が円建てに耐えうるような経営体質の強化=剰余金の増加さえ行えば可能である。二輪事業の特に海外は半年分ほどの在庫を持っている。一般に円高は値上げで対策するので、その在庫は円高で有利に働くのである。この方策は販社の剰余金を積み増す分=事業部の利益は減少する。従って事業部の損益ばかりを考えるような経営をやったのでは、実現しない。当時の本社財務担当の松本新さんも100%賛成して頂いた方策なのだが、結果的には逆の方向に実績は動いている。当時の管理の小川優君などと一緒に進めていたプロジェクトである。円建てにしてあれば、今の円高なども何の影響もないはずである。

●もう一つは、労務問題も含めた、生産サイド工場の別会社化構想である。アメリカにあるKMMは別会社である。販売会社も全て別会社である。

世界展開を進めるうえで、世界各国に工場展開する方向になるはずである。明石だけが別会社でないために、事業部の事業全体を見なければならない企画がどうしても工場主体の考えになってしまうという理由で、本社機能の充実とともに、生産別会社構想も本社の経営会議の承認までは取れていたのである。大庭さんは最初は賛成ではなかったが、発動機との合併の際の検討の時に、了承頂いたのである。現在も明石を除いて海外生産はみんな別会社になっている。

 

★時代は変わったが、今の時代国内の『メーカー』機能は弱小化する方向である。『メーカーからの脱皮=二輪事業展開の再構築』が必要なのである。

今の現役諸君のためにも、提言しておきたいと思っている。

ただ、これは構造問題だから、簡単には出来ない。『確固たる意志』が要る対策である。

 

★この月毎の実績表の内容を見ても、

4年ほどの激動期を経て、事業の形態も平時に戻りつつある、そんな時期であった。4年前はまだまだ若手部長であった私や田崎さんも、それなりの年次を経て、KMCも後身にゆずらねばならず、更に単車、発動機の合併と言うことで、事業規模では圧倒的に単車なのだが、だからと言って同じ会社の人たちだから、なかなかその人事配分なども、現実には難しいのである。

単車内の人事や組織構造は、殆ど任されて私がやってきたのだが、事業部同志の合併となれば、高橋鉄郎さんにお願いせざるを得ないのである。

そう言う意味では、なかなか複雑な時期だったと思う。特に発動機の企画室長をされていた柏木さんが私の1年先輩だったし、個人的には非常に近かったので、余計にやり難かったのかも知れない。当時柏木さんには非常に気を遣って頂いたが、それが逆に重荷になったりした。

この4年間社長や本社の役員さんと直接に接する機会も多く、それがどんなものかと言うこともよく解った。前年企画室長になった一瞬は、そんな職位のこともアタマをよぎったが、それ以降はむしろ役員は面倒だなと思うようになった。高橋鉄郎さんに生産や技術的な分野にも関心を持てとしょっちゅう言われたのだが、逃げてしまうのでよく怒られたものである。

 長く、小さいけれども二輪販売店などのオーナー社長のやり方に接してきたが、このようなトップは本当に長期の政策がやれるのだが。大企業は意外に方針が一貫しないのも、トップの座が4年間などと短いからだと思う。

前任者の方針を引き継いでやるというのは、簡単なようだが、どうしても独自性を出したがるので、継続性はあまりない。

結局は時代が良くて運よく利益が上がり易い問題のない時期を担当した人は幸せなのである。そう言う意味では、電力会社の社長さんがたも、今の時代は大変だろう。

 

★会社の中で、職制変更と人事は、大きな関心事である。

 それを動かせるのが権限、権力なのだろう。そんな権限みたいなものを実質的に持てた3年間だったと思う。若手の部長だったのにそれが可能だったのは、事業が継続できるかどうかの激動期の危機対策がメインであったから、『純粋に』その方策に基づいた組織改革であったり、それに対応した人事であったから、『出来た』のだと思っている。

殆ど周囲に気を遣わずに、実行できた。『本社からの若手人材導入』で事業部にも小川、中村君など新しい血が混じったし、『海外販社人事』など予想外と言う人を充てたりした。一番びっくりされたのが、勤労の三原君のUK社長で労働組合からもホントに大丈夫か?と心配されたりした。販社の社長など資質さえあればそんなに経験など不要だと思っている。三原さん、今年の6月で川重副社長を引かれたが、UK社長時代はみんなが心配したが大丈夫成功されたのである。その後、事業部の人事が特に海外販社関係で自由な発想で行われる端緒になったのは、『労働の三原でも出来た』と言うことがよかったのだと思っている。

それが4年目には、事業も改善されて、安定してきたのである。従来の大会社の人事異動になるのは当然なのである。特に単車と発動機の統合と言うようなことになると、これはやはりトップの専権事項で、私自身はあまり興味関心の薄い分野だったこともあって、自ら引いてしまったような気がする。

そんなこともあって、私の『単車事業再建』と言う大テーマに対応した時期は、大庭さんが引かれたのと一緒に終わってしまった。

この年の7月からは、高橋本部長の時代がスタートするのだが、今から思うと高橋鉄郎さんも、いろいろ悩まれたに違いない。

 

 ★この年、家庭では長男が大学を卒業し就職をしたので、実質家を出た。

娘は、大学に入ってこれは1年生から、芦屋の45000円もするいいところから、通うようになった。

長男が就職して幾らか、家計にも余力が出たのかも知れない。

家は急に静かになって、家内とおばあちゃんの3人家族になったのである。

 

まだ53歳なのである。

背負い切れるかなと思ったようなものが、運よく何となく終わって、私自身もちょっと拍子抜けしたような、この年の終わりころだったように思う。

4年前のように鮮明に覚えていないのは、ホッとしていたのかも知れない。

男はまだ会社で仕事があるのだが、専業主婦は急にすることが少なくなって、拍子抜けするのかも知れない。

家内もそのころどうだったのか?

芦屋に下宿した娘と一緒に、ちょくちょくあちこち出かけていたようである。

 

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