雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキの二輪事業と私 その56 昭和60年(1985)

2017-05-31 05:43:14 | 自分史

昭和60年(1985)は、8月12日、日航123便が群馬県の御巣鷹の尾根に墜落。乗客、乗員併せて520名もの犠牲者を出したあの年である。

私は高橋鐵郎さんと一緒に、その翌日8月13日にJALでアメリカに出張したのだが、流石に飛行機はガラガラだった

日本は夏休みの真っ最中だが、海外のカワサキの販社は関係ないので、毎年夏休みの期間に海外出張することも多かったのである。

 

大庭浩本部長の3年目、前年に販売会社30億円、事業本部30億円合計60億円の利益をめざそうと『ATTACK 60』なる目標を掲げたその1年目であった。

長年問題であった海外販売会社の経営は安定し、あとは事業本部の利益をと臨んだのだが、3月に253円であった為替相場は11月には200円を割るという急激な円高で、事業部の利益の黒字化はともかく、目標30億円を確保するのに担当の企画室としては大変な1年であったことを思いだすのである。対策しても次から次に円高になってしまうのである。

この時期になると単車事業部に対する川重本社の信頼も万全なものになって、5月には大庭さんの専務昇格高橋鐵郎さんの取締役昇格が決定した年で、『本社が単車を認めた』と大庭さんは言われたのである。

私自身も企画室長に昇格し、KMCの田崎社長のあとの人事には百合草三雄さんが内定したのである。

前年度に決定したKMCの新社屋構想も具体的に進んで、建設業者は日本の鹿島建設に決まり、5月には地鎮祭が行われて、アメリカの新聞にも取り上げられている。

これらの写真を田崎さんが送ってくれた。

 

 

 

  

 

 模型を前に検討中の大庭本部長と田崎さん、コーヒーを入れているのは、造船からKMCに応援に来てくれた奥寺さんである。

あれほど問題であった単車事業部が見事に再建されたと言っていいそんな昭和60年だったのである。

 

★造船や川重の大きな構造物などを長年担当されてきた大庭さんは単車の量産部門に来られていろんな新しい体験・発見をされるのだが、私にこんなことを言われたことがある。

単車はホントに独りで造ってしまうな』と。 

勿論、いろいろな周りの人たちが関わるのだが、基本設計や構想はホントに主務者が一人で決めていくのである。 この辺りは『決められたものを受注して創る』船や、新幹線とは全く違うのである。

同じような話で、『単車では試作車を何台も造って実際の公道テスト』をやるのだが、この試作車が結構高くつくのである。まだ単車が赤字続きの時に本社の人に言われたことがある。

そんなオモチャみたいなものをいっぱい作って走らせたりするから、単車は赤字になるのだ』と。確かに船も新幹線も試作車などは造らずにぶっつけ本場で1台の船や車両をを創り上げるのである。

この辺りが、受注産業と量産事業の違いだと思うのだが、大庭さんが単車に来られたお蔭で、川崎重工業の中で単車事業が理解される端緒になったと言えるのだろう。

 

大庭さんが単車に来られて、具体的に一番力を入れられたのは『ニューモデルの開発』であったと言っていい。

川重の技術研究所との密接な連携も図られて、これは当時の開発計画書の一部抜粋だが、86年モデルとしてはこんな機種がこんな主務担当者の下に開発されていたのである。

 

  

 

 ★この年から、ジェットスキーも発動機事業部ではなくて、単車事業部の中で開発されるようになるのである。

ジェットスキーは、元々アメリカ人が特許を持っていたものを買い取って、発動機事業部がそのエンジンを作っていてリンカーンで生産し、発売元はKMCだったのである。

正確に言うと川崎重工業製ではなくて、当時の明石の単車事業部にはジェットスキーに関係する人は一人もいなかったのだが、この前の年から企画の武本一郎課長単車事業本来の事業にすべく、企画室企画部の中でいろいろと画策し、まず400・500㏄のエンジンを440・550にボアアップすることからスタートしたのである。

エンジンをボアアップしたからか、そんな時代になったのか販売台数は6000台から一挙に2万台近くまでになったのだが、ジェットスキーに乗れる人は明石工場の単車には一人もいなかったのだが、それを言うと、KMCの田崎社長が『俺が乗れる』とホントに彼はアメリカで、ジェットスキーに乗ったりしていたのである。

 

         

 

当時日本では、西武自動車がアメリカのKMCから輸入して、日本国内でもレースをスタートさせていたのだが、そんなジェットスキーレースに参加していた福井昇くんが発動機にいることが解って、たまたま私と同期の藤川部長のところにいたものだから、彼を貰い受けて企画室・企画課でジェットスキー関連をスタートしたのである。

そしてこの年8月にオーストラリアの社長をしていた鶴谷将俊さんが戻ってきたので彼をジェットスキーの担当になって貰って、ジェットスキーの本格ビジネスに入って行くのである。

そして上記の表にもあるように、JS440の車体にKX250ベースの300ccの高性能エンジンをつけた新ジェットスキーの開発に取り組んだのだが、これは見事に失敗するのである。

その機種の基本コンセプトに『底辺層(初心者や女性等)の需要創造のためのエントリーレベル型のジェットスキー』と書かれているのだが、この辺りが二輪車と『海の乗り物』との決定的な違いで、二輪のモペットのように量販しようと思ったのだと思うのだが、海では小型は安定しないのである。

 

この時のことを田崎さんはこのように書いてくれている。

 300CCは、大きな問題だった。

もう少し小型でコストも安いものをと、モトクロス用エンジンを搭載して明石で開発し、試作艇がKMCに持ち込まれた。 ところが、陸上のバイクとは違って、浮力不足で小型になると非常に乗りにくく、私なんかではとても乗れないし、全然面白くない。日本の福井さんからも、内々で、乗りにくいという評価が寄せられ、KMCは販売しないと決めた。 これには安藤さんがかなり怒って、間に入った武本さん(九大の後輩)が板挟みになり困っていた。

結局KMMで生産させヨーロッパで売るという技術部主導の意思決定で、佐伯さんには、KMCは売らないから生産しないようにと忠告したが明石からのプレッシャーで結局、KMMは生産させられた。何台生産したのかは覚えていないが、殆ど売れなかったと思う。

 

こんな裏話があったのを私は知らなかったのだが、安藤佶郎さんが『何とかものにしたかった』という気持ちはよく解るのだが、やはりこれは難しかったのである。

 こんな失敗もあったのだが、当時のジェットスキービジネスは利益性もよかったし、アメリカでは2万台近くも売れたし、鶴谷課長がそれこそ熱心に日本市場や、ヨーロッパ市場の開拓をやったので、ジェットスキーがカワサキの本来の事業として世界展開されることになったし、当時の事業部の利益にも大いに貢献するようになるのである。

そういう意味では、カワサキの『ジェットスキー元年』とも言える年で、その担当部門は営業部門ではなく、企画室・企画部だったのである。

私もそういう意味では、ジェットスキービジネスは『企画室・企画部』が言い出した話なので、この年以降10年程は鶴谷さんと一緒にジェットスキー・ビジネスには、大いに関与して、この年の9月には鶴谷課長とヨーロッパのジェットスキーの市場調査にドイツ―スイスースペイン―フランスーUKと回って、スペインではジブラルタル海峡からの避暑地の有名な海岸線を延々と走ったりしているのである。

そのあと日本市場の開拓には、鶴谷さんはレース協会JJSBAの会長もしてくれたし、私も国内のジェットスキー販売網の設定には自ら担当して、国内でも最盛期には年間7000台を販売するビジネスにまで発展するのである。

 

★この年の12月には、クライスラーのトップが明石工場に来られて、大庭本部長以下出席して『小型スポーツカーの共同開発』の話があったのだが、これは陽の目を見なかったのである。

このプロジェクトを担当した百合草三佐雄さんは『カワサキZの源流と軌跡』の中で書いておられるが、その概要をご紹介する。

1985年KMCの田崎社長とクライスラー本社を訪ね、スパーリック社長と面談した。「クライスラーは若者に弱い。若者にアピールする車を若者に評判のカワサキのエンジンを搭載した小型スポーツ車を共同開発したい』という

先方からの申し出でこの話はスタートし、

明石工場にも招待した。・・・そしてカワサキとの話も急ピッチで進んだ。早速プロジェクトが組まれ、クライスラー社ではボルツ副社長が担当、川崎重工業側からはKMC社長に就任した私が担当することになった

この車には6気筒のKG1300エンジンが搭載されることになり、『・・・一次試作車がつくられ・・・』と順調に進んでいたのだが、クライスラーのアイアコッカ会長とスパーリック社長との間で、この車の開発についての意見があわなかったのか、スパーリック社長の突然の退任でこの話も消えてしまうのである。

大庭本部長も乗り気だったし、百合草さんも一生懸命だったのだが・・・残念なプロジェクトだったのである。

 

そんないろいろなことがあった1985年なのである。

 

 

★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

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