雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキMX・OB会 二輪車新聞の記事

2018-12-20 13:36:31 | 発想$感想

 

★ 二輪車新聞の『編集部便り』というネット記事があることはあまりご存じないと思う。

 そんな『編集部便り』という記事をカワサキを担当されてもう60年もにもなろうとしている衛藤誠記者も発信されている。衛藤さん、ネットはどうも不得手のようでこの記事を書かれるのも大変なご苦労のようなのである。

先日と言ってももうだいぶ前の10月13日に開催された『カワサキモトクロスOB会の記事』がやっとアップされたようなので、『出席者の方々に知らせてあげて下さい』とわざわざ私に電話があったのだが、皆さんに電話をするのも大変なので、そのままここに転載しますので、是非お読みください。

 

   

 

 

 

2018-12-17

カワサキMX・OB会開く “KD”誕生から45周年に集う

「2018年・カワサキ・モトクロスOB有志の会」(大津信代表世話人)が10月13日(土)、兵庫県明石市内のホテルで開催され、関東、九州など全国各地から100人を超える同OBたちが出席した。

この会は、カワサキ・モトクロスの車両開発、レースライダーおよび同関係者などを中心としたOBたちの集まりで今度が2回目の開催。初回はカワサキモトクロスマシン「KD」が誕生して40周年の2013年に、今回はその45周年の節目での開催になったもの。特に今回は、”米寿”(88歳)を迎えなおかくしゃくとした大槻幸雄氏(工学博士/元川崎重工業常務取締役)をはじめカワサキ・モトクロス黎明期の車輌開発に携わった人たちや、往年の活躍したライダーなども多数顔を見せた。

当日は、冒頭、百合草三佐雄氏(川崎重工業/以下KHI・OB)が「本日の集まりを御世話頂いた人たちのご苦労に感謝申し上げる。ここにご出席の皆様は、共にカワサキ・モトクロスに情熱を燃やした仲間たちで、お会いする人たちのお顔に接するごと、その時の場面や出来事が次々と想いだされ、気持ちも若返る思いである」旨のあいさつを行った。

このあと、KHI・MC&Eの太田和男カンパニープレジデントから寄せられた「カワサキ・モトクロスOB有志の会が盛大に開催されたことを心よりお祝い申し上げます。おかげさまで当社のモーターサイクル事業は堅調に推移していますが、これも皆様が築き上げてくださった礎あってのことであり、感謝を申し上げます。今後とも事業のさらなる発展のために、皆様のお力添えをよろしくお願い申し上げますーー」(概要)としたメッセージを大津代表世話人が代読した。

会場ではこのあと、出席者の紹介に続いて▼大槻氏による「マシン開発の想い出」(氏はモトクロスマシンのほか、オンロードの”Z1”開発の父として知られる)▼種子島経氏(KHI・OB)による「モトクロス世界GP挑戦記」(氏はKHI退職後BMWジャパンのMC事業部長・社長を歴任)▼井上一美(KHI・OB)による「レース参戦の思い出」▼平井稔男氏(カワサキモータースジャパン/以下KMJ・OB)による「裾野を広げるチームグリーン」などの講演があった。

このほか古谷錬太郎氏(KHI・OB/米国旅行中のため欠席)から託された特別寄稿「カワサキ・モトクロスの始まりとその意義」を大津代表世話役が代読した。さらに出席者の中には、元ホンダのモトクロスチーム責任者の渡辺信義氏や日本二輪車文化協会会長・前AJ会長の吉田純一氏(カワサキモータースジャパン/以下KMJ・OB)などの顔もあった。

また、カワサキ・モトクロスファクトリーライダー(以下KRT)として活躍した往年の名選手▽立脇美樹夫氏▽福本敏夫氏▽鈴木都良夫氏▽塚本昭一氏(後にロードレースに転向して活躍)のほか、元KRT監督の安井隆志氏、元カワサキ・ロードレースファクトリーライダーの多田喜代一氏(KRT・OB)も特別参加した。さらに現在、モトクロス日本GPや全国各地区のブロック選手権レースで活躍する若いライダーたちもゲストとして招かれ紹介された。

なお、記念パーティーではKMJ・OBの渡部達也氏が乾杯の発声を行い、また最後の閉会にあたっての締めのあいさつでは、KRT・OBの岡部篤史氏が行った。このあと会場内で出席者全員の記念写真の撮影をして閉会となった。

二輪車新聞 大阪支社顧問 衛藤誠


代表世話人の大津信氏


大槻幸雄氏


百合草三佐雄氏


種子島経氏


出席した往年のライダーたち(KRTファクトリー)。右から、立脇美樹夫氏、岡部篤氏、藤秀信氏、福本敏夫氏、安井隆志氏(元KRT監督)、鈴木都良夫氏、多田喜代一氏、塚本昭一氏


出席者全員で乾杯。発声は渡部達也氏


出席者で記念撮影


ゲスト参加した元ホンダモトクロスチームの責任者だった渡辺信義氏


立脇美樹夫氏㊨と福本敏夫氏


多田喜代一氏㊨と塚本昭一氏

 

 こんな吉田純一さんの記事もあったので・・・

 

2018-11-30

二輪車業界団体で初 吉田純一氏が旭日小綬章を受章

経済産業省推薦 平成30年秋の勲章

平成30年秋の勲章において、経済産業省推薦で、全国オートバイ協同組合連合会(AJ)元会長の吉田純一氏が、二輪車業界団体では初となる旭日小綬章を受章した。1112日午後1時から東京プリンスホテル(東京都港区)で開催された伝達式で勲章の伝達を受けたのち、皇居に参内して拝謁した。

吉田氏の今回の受章は、それまで存在していなかった全国的な二輪車販売店の集まりを、「全国オートバイ協同組合連合会」として、全国組織団体としてまとめあげてきたことなど、長年にわたるその功績をたたえたもの。経済産業省製造産業局推薦により、二輪車業界団体として初の受章となる。

伝達式では、211人の受章者(参加は197人)全員、経済産業省からは磯﨑仁彦経済産業副大臣および幹部らの出席のもと、受章者に勲章が手渡された。

今回の受章について、吉田氏は「自分たちで自分たちの地位向上と二輪車を取り巻く環境改善をしよう、そのために二輪車販売店の全国組織を作ろうとやってきたが、今回その働きで旭日小綬章を受章ということで、公に認めてもらえたことは嬉しい」と喜びの言葉を述べるともに、「今回の受章はひとえに福井君(福井二朗氏・元AJ専務理事、現大阪オートバイ事業協同組合専務理事)が私の片腕となって働いてくれたおかげであり、彼がいなかったらここまで来られなかったと思う。今やAJは大きな組織になることができたが、これからは次の大村直幸会長にリーダーとして頑張ってもらい、自分は側面から、特に政治面で力になっていきたい。AJは最初から政治に関わってきた。二輪車業界の人は政治的なことにあまり関心がなかったが、もしAJがなかったら、今の二輪車業界はどうなっていたかと思うことばかりだ。AJという全国組織を作って、政治的なことをやってきたことが結果、二輪車業界にとってプラスになっている」と、受章はあくまで通過点であり、まだやるべきことが数多く残っているとした。

他、今後について「日本二輪車文化協会会長として、今年初となる『日本バイクオブザイヤー』を開催するが、二輪車の安全な発展推進を目指し、二輪車を文化面でも盛り上げていきたい」と語った。


吉田純一氏(70歳)

1977年カワサキ堺販売を設立後、84年に大阪オートバイ事業協同組合を設立し理事長に就任。92年には初の二輪車販売店の全国組織・全国オートバイ組合連合会(現全国オートイ協同組合連合会)を設立し、2016年まで24年間にわたり会長として尽力。現在、大阪オートバイ事業協同組合理事長、大阪府中小企業団体中央会常任理事、オートバイ政治連盟会長、日本二輪車文化協会会長など多くの役職を兼務。


吉田氏(勲章伝達式で)


受賞者代表に勲章を伝達する磯﨑経済産業副大臣()


経済産業省推薦において、今回211人が受章(前列右から6番目が吉田氏)


伝達式のようす

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アーカイブス  雑感

2018-12-20 08:19:52 | カワサキ単車の昔話

★『アーカイブス』とはどんなことなのか? ちょっと調べてみたらこのような記述があった。

アーカイブ (archive) とは、日本では一般的に書庫と訳されることが多いが、元来は公記録保管所、公文書、または公文書の保管所、履歴などを意味し、記録を保管しておく場所である。

保存記録としてのアーカイブ
アーカイブの複数形としてアーカイブズがあり、文書保管を目的とした施設や仕組みを指す。なお、過去に放送された番組や関係資料の所蔵・閲覧を目的とした映像拠点として2003年に埼玉県川口市にオープンしたNHKアーカイブスの「アーカイブス」は、「アーカイブズ」では末尾に濁音が続き発音しにくいために、NHKによってつくられた造語

 

★ 突然なぜ『アーカイブス』なのかというと、田﨑雅元さんから、こんなメールと、田崎さんの資料が送られてきたのである。

私の アーカイブス は ビデオ撮りも終わり、ヒストリーメモ も、ほぼ校正が終わりに近づきました。 貴方とのメール交換で80%は出来ていたので助かりました。貴方は、既に100%出来上がっているようなものですね!単車を退職した、ご存じの東大卒MBAの山田淳一さんが (株)メッセイジ オブ ライフ という会社を立ち上げ、今、カワサキ アーカイブス に全力投球中です。私と貴方が済んだら、細部の事例は別として、殆ど全体をカバーしてしまいそうですね!・・・・

 

山田淳一さんは、Z1会のメンバーで、その席でもこの『アーカイブス』のことは話しておられたので、何となくは解っていたのだが、田崎さんからこんな具体的な資料が送られてきたので、調べてみようという気になったのである。

 もうすでにこんなに纏まっているようである。

   

      

 

      

    

 こんな写真も添えられていたし、さらにこんな目次まであってそこには『カワサキ単車の歴史』が時系列に並んでいたのである。

ここにある川崎航空機時代からの約40年間は、田崎さんとは殆ど一緒に仕事をしたので、ここに書かれている項目については、大体のところは理解できて、私にとっても非常に懐かしいのである。

 

     

 

★この企画は、カワサキの二輪事業に関わった方たちから、山田さんが直接話を聞いて、カワサキの単車の歴史の記録を纏めようと取り組まれている『大仕事』で、今年から既に進んでいるようで、Z1会のメンバーに対しても、協力のお願いがあったりしたのである。

 私自身も、このような『記録』には、非常に関心があって、日記は60年も続いているし、カワサキの資料も自分なりにいっぱい整理して持っているのだが、それでも、昔のことを正確に思い出すのは大変なのである。

 田崎さんとは、今年になって過去の話の『やり取り』が続いていたので、『80%は纏まっていたので助かった』と言われているのだが、ホントにその通りで私が今取り組んでいる『カワサキジェットスキー物語』も、福井昇くんや、松口久美子さんに援けて貰って、やっと何とか時系列にほぼ正確になってきたのである。

 私自身の記録というか、カワサキの単車の歴史50年は、このブログにこんなカテゴリー別にアップしているのである。

   最近のネットはホントに良くできていて、以下をそれぞれクリックすると「読める」とはビックリなのである。

 

  こちらは日記から纏めたものだが『私の履歴書』として『20代から70代までの60年間』の粗っぽい、まとめで、一番詳しいのは日記だが、それまでに3段階ぐらいで、纏まっているので、田崎さんは『100%出来上がっているようなものですね』と言われているのである。

 ご覧になるとお分かりの通り、KHIと国内販社の比率がほぼ同じで、半分は出向期間なのである。 また右の方の ○印は会社としても、私としても、或は世の中でも『全く新しい仕組み』の取り組みで、殆ど生涯『新しいこと』ばかりに取り組んできたので、他の方から『引き継ぎ』を受けた経験が皆無という珍しい現役生活だったのである。

 

          

 

★ カワサキの単車事業の歴史もそのスタートの昭和35年(1960)からはもう60年近いし、逆に言うと解り過ぎていて、それを何十分かで『纏めて話す』のは、逆にムツカシイのかなと思ったりしているのである。

 先日のZ1会の総会には、私は所用で欠席したのだが、その席でも山田さんから、この『アーカイブス』のお話があったようである。この話とは別に、『カワサキの二輪の歴史』を纏めようと、KMJの方たちを中心に動いておられたのだが、これと連動しているのかな? と思ったりもしているのである。

いずれにしても、なかなかの大仕事なので、来年いっぱいに纏まればいいのだが、頑張って欲しいと思っているのである。

 

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