雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

Jeff Krause さんからのメッセージ

2018-12-21 16:52:47 | 発想$感想

 こんな写真と一緒にこんなメッセージが Facebook に届いた。

 ずっと昔のKMCの創生期のことである。

 

 

Hello Furuya-San,
I am the son of an AKMC founder. My father was hired in late 1965 or early 1966.
It was perhaps Alan Masek who hired him. The name was Darrel Krause.
Darrel told me some stories which I compiled into a LinkedIn article.
I have some other photos from AKMC in the states.

Darrel worked under Yoji Hamawaki, Alan Masek, Ryozo Iwaki and others.
I would like someone to translate and share this article with KHI fans in Japan.
 
 創設当時のKMCのことが書かれている。
 
Jeff Krause さんから、Facebook でトモダチ申請が来て、OKしたら折り返しこんなメッセージが届いた。 
このブログにアップして、Facebook に流したら、多分 Jeff Krause さんが仰ってることは、日本のみなさんにも通じると思うので、このブログをアップした。
 
このブログは、英文に自動翻訳されたりするので、Jeff Krause へのご返事になるとも思っているのである。
 
リンクをクリックしてみてください。
 
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札幌の大爆発で、なぜ死者が出なかったのか?

2018-12-21 16:27:38 | 発想$感想

★あんな大爆発の事故だったのに『なぜ死者が出なかったのか?』は、みんなが感じた疑問だと思う。

 ちょっと長いがこんな記事が出ていたので読んでみた。

     

       http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55021

 

 『消臭スプレー缶の爆発』はそんなに大したことではなくて、こんな大事故になったのは記事の表題のような大爆発ではなく、『プロパンガスの小爆発による火事だったから』だと書かれているように思うのだが、それで合っているのだろうか?

 

★冒頭の書き出しはこんな記事で始まっている。

 

札幌市豊平区で12月16日夜に発生した雑居ビル爆発火災事故、当初は「プロパンガス」が爆発か、などと見られていました。ところが、不動産仲介業者が「消臭スプレー缶」のガス抜きをしたのち、瞬間湯沸かし器で手を洗おうとして引火したのが実際に起きた爆発で、プロパンガスによる火災は2次災害だった詳細が報道されるに及び、にわかに「スプレー缶は怖い」といった論調の解説があふれ返っているようです。・・・・

こんな文章が続いている。

実際には瞬間的な温度上昇などもあり、インパクトはより大きかったはずです。ただ、窓ガラスなどは割れるかもしれませんが、建物全体に与えるダメージには限界があると思われます。実際、2階の飲食店にいた来客も、ボン!という音は聞いたけれど、それだけでは誰も逃げ出さず、食事を続けていたとの報道がありました。しかし、お客は直後から「ガス臭いぞ・・・」と思い始めます。

そう、この小爆発でプロパンガスの配管が壊れる、あるいは抜けるといった異常が発生したことが考えられます。やがてこのプロパンガスに火がついて、2次災害として火事になった

 こうなって初めて、飲食店のお客は逃げ出そうとし始めますが、火の手が階下から上がっていたので、窓からのはしご車による救出を待ったそうです。その途中でさらに3次災害として、2階の床つまり1階の天井が崩れ、2階に残っていた人が転落したとのことですが、この崩落のおかげで火の手にまかれず、脱出できたケースもあったとのことでした。・・・・・

スプレー缶爆発も、ただ「怖い怖い」と煽るような報道ではなく、その威力の程度を定量的に評価し、また軽微な初期爆発結果生じたプロパンガス漏出による2次被害の拡大を食い止めるなど、現場での冷静な対処があれば結果も違っていた可能性があります。

 

★ このような経緯の爆発だったので、結果はあんな大事故なのに幸いにして死者が一人も出なかったのだと理解したのだが、ホントに合っているのだろうか?  近くのビルの窓ガラスなどが割れているのは、やはり爆発の被害なのだと思うが、それは『スプレー缶』ではなく『プロパンガス』の爆発だったのだろうか?

 全く自信がないので、理科系に強い方はよく読んでみてください。

     

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結婚記念日

2018-12-21 07:42:04 | 発想$感想

★今日は12月21日、56回目の結婚記念日である。

昭和37年(1962)12月21日に結婚したので、50年以上にもなると、1年のうちの単なる1日になってしまっていて、特別な感慨もないのだが、二人とも何とか元気に過ごせているのは何よりだと思っている。

 最近は、二人で写した写真なども殆どなくて、この秋もアメリカに1ヶ月半も一緒に行ってはいたのだが、その時の写真はこんなに沢山あるのに、二人で写した写真など、私のカメラの中には殆どないと言っていい。

 

     

     

 

  これは、ロスの空港に着いた時、娘が撮った写真で、今回のアメリカ旅行第1号の写真で、これは二人で写っている。

     

 

  この2枚も、エンゼルスの球場に、大谷翔平を観に行った時に誰かが写してくれたものである。

      

 

 

娘婿の勤めている会社 JAEがエンゼルスのスポンサーをしている関係で、こんなネット裏の特等席で、ビールを飲みながらの贅沢な観戦経験は、はじめての経験だった。

    

 

★まあ、二人とも何とか今のところ健康なので、何とかなっているのである。

4人いる孫たちも、一番下が18歳になって、3人は来年からは社会人になるということになってしまったが、それでも何となくそんな孫たちと付き合えているのは、私がFacebook などやってるからで、ホントにたまにだが、私のFacebook に『いいね』が届いたりして、それを喜んでいる私なのである。

孫たちが頼りにしてるのは圧倒的に『おばあちゃん』で、何かを頼もうとするときには、私は全く『頼りにならない』と思っているようである。何か欲しいものがあったり、いろんなことで相談する相手は『おばちゃん』なのである。

 

★ それにしても、結婚記念日がなぜ年末のこんな時期に?

56年前の頃は、会社が忙しくて年末の区切りのいい時でないと、結婚式や新婚旅行など、とても言いだせないくらい忙しかったのである。

カワサキの単車事業が始まったばかりで、未だ単車営業課が発動機事業部の一営業部門として初めて出来たころで、大袈裟に言うと今の企画室・関連事業部・品証部・営業部・広告宣伝などの各機能をすべて数人で担当していた時代なのである。カワサキ125B8の時代である。

 因みに、明石工場に単車の一貫工場が出来たのが、昭和35年(1960)、初めて発動機部門の営業部門の中に『単車課』が出来たのが、昭和36年12月、その時私はその単車課に異動して、ちょうど1年目が結婚記念日なのである。

 確かに、会社の仕事も忙しかったのかも知れぬが、家内とのデートも忙しかったのかも知れない。

 それに比べたら、56年後は誠に静かな何もない1日なのである。

 

 

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 雑感日記のEnglish Version です。

 

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