雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

昔の日本の野球 と今の日本のスポーツ  雑感

2019-07-13 06:25:58 | 発想$感想

★ヤクルトの球団創設の50周年を記念するOB戦があったらしい。
 野村克也さんも出場したとか・・・

 


今から50年前というと、昭和24年(1949)で、私は明石高校時代、昔々の話である。
私も野球をやってたが、あの金田正一投手や阪神監督だった吉田義男さんが同期で、野村も長嶋も2年下なのである。


       



★当時のスワローズは、ヤクルトスワローズではなくて、『国鉄スワローズ』だった。
私の母の兄、伯父の楠見幸信が初代の総監督をしていたのでよく覚えているのだが、当時のスワローズはこんなメンバーだった。

  

 
 総監督に伯父の楠見幸信の名前があるが、
楠見幸信は慶応の宮武・山下・水原など黄金時代の不動の一番バッターセンターで、当時の慶応はリーグ戦10戦10勝と圧倒的な強さを誇っていたようだし、日米対抗の全日本メンバーにも選出された、結構有名選手なのである。
 
まだ、プロ野球の始まる前だから、当時の全日本は東京6大学の現役かOBで編成されていて、松木・三原・水原・苅田などプロでも名声を馳せた選手の名前も並んでいる。

  


伯父は大学卒業後当時のノンプロの雄、東鉄にいたことがあった関係で、国鉄スワローズの初代総監督に招かれたようである。

その当時の国鉄スワローズのメンバーには金田正一もいるし、箱田の名前もある。 箱田弘志は、後内野手に転向した箱田淳の本名だとか、盈進高校のピッチャーで、私は明石高校時代に西宮球場で練習試合をしたことがあるので覚えている。

その試合の当日、あの朝鮮戦争が始まって球場放送で、『朝鮮で戦争が始まりました』と場内アナウンスがあった、昭和25年(1950)の確か5月か6月、夏の大会前のことだったのである。


★昭和25年と言えば、私は高校2年生、その夏の甲子園には明石も出場している。

  

 
この写真の後列一番右が大塚健也くん、当時1年生だが背は高い。
川崎重工でも野球をしていたので、川重の方はご存知の方が多いかも知れない。
この写真に写っているチームメートで、現存しているのは4名だけで、みんな逝ってしまって寂しくなった。
ホントに遠い昔のことなのである。


★ヤクルトの50周年から、当時の昔のことをいろいろ思いだした。
 
昔の野球のレベルは、長嶋や金田など個人のレベルは別にして、野球そのものも一般の選手のレベルも、今とは比べることができないくらい低かったと思う。
 
 私はずっとショートをしていて、特別上手くもなかったが、下手でもなかったが、
最近の孫たち、スポーツ選手のトレーニングや練習方法を見て、若し当時にあんな練習をしていたら、私ももう少しましな選手になったかも知れないと思ったりする。

私も最近、ジムトレーニングを1年半、ストレッチは15年も続けていて、野村克也さん、OB戦に出たらしいが、今なら私の方が上手いかも?
少なくとも走らしたりしたら、『圧倒する』自信がある。
 
昔と、今のスポーツ選手のレベルが、こうも違うのは、一言で言うと『基礎体力』の差かなと思うし、そんな基盤が出来る『トレーニング』を積み重ねているからだろう。

野球に限らず、日本のスポーツ界、どの種目も世界レベルに達しているのはビックリである。

10日間ほど、日本に遊びに来てた孫・門野哲也、今日の午後の便でアメリカに帰るのだが、三木での10日間も『よく食った』が、毎朝2時間ほどのハードなトレーニングも欠かさなかった。

サッカーのキーパーをしているが、今年の秋から大学、その後は『プロになる』と言って憚らない。 自信満々なのである。

    

  
  毎朝、こんな体幹トレーニングをした後、この辺りの坂道を選んで1時間ほどのランニングは欠かさなかった。

その体幹トレーニング、短いビデオに纏めたので、ご関心のある方ご覧になってみてください。
  


 私の現役時代、ストレッチや筋トレなど雨の日にだけ、簡単にやるだけだったので、昔と今では、全くトレーニングの基礎が違っているのだと思っている。

 86歳でも、結構元気なのは、この15年間、ストレッチは欠かしたことがないし、この1年半はジム通いをしている。
 50年、生まれてくるのが早かった。


  
 

  
  

コメント
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