雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

入社当時の日記から  家内のこと

2020-11-15 05:56:02 | 自分史

★ 私は昭和32年(1957)に川崎航空機工業に入社しているのだが、
 当時の日記を読み返してみると、

 確かに仕事も結構一生懸命やってるのだが、
 家内のことの記載も多く『まさに私の青春だったのかな』と思ったりする。


   4月1日に入社して2週間ほどの研修期間があって、
 財産課に配属になったのが4月15日なのだが、
 その4日後の4月19日の日記に『家内が登場』しているのである。

 『隣の勤労にいる女の子にちょっと惹かれる』 という記述がある。
 この『勤労にいた女の子』が家内なのである。
 

 そして、2か月後の6月5日には、こんな風に書いている。
 

     
   
  
 『電話の取次ぎ』をしてくれただけのことなのだが、
 こんな普通のような出来事を日記に記すということが
 『気があった』と言わざるを得ないのかも知れない。

 この年の11月に初めて話をする機会があって、その時の日記には
 『やはり神戸高校出身だという』と書いている。
 
 私は神戸高校の前身の旧制神戸一中の出身だから、
 彼女は後輩にあたるということなのである。


★この年はこれだけのことだったのだが、
 翌年の5月28日に三宮駅で出会って、映画に誘っている。


         

 
これが初めてのデートで、これを契機に所謂『お付き合い』が始まったのだが、
私は何事もハマると熱中してしまうところがあって、
それからは毎週のようにデートしているのである。

 昭和33年(1957)にスタートして、
 結婚したのは昭和37年12月21日だから5年も付き合っていたのだが、
 その間、私が肺結核で1年間療養所に入院したりした期間もあったので、
 そんなことになったのだと思う。


★ この5年間の日記には、ホントに家内の記述が多くて、
 勿論覚えていることもあるのだが、忘れてしまっていることも多くて、
 読み返してみると、お互い結構熱烈で
 私の療養期間には、『手紙のやり取り』も多いのだが
 それは、手元には残っていない。

 当時は私はカメラは持っていなくて、
 あちこち行ってはいるのだが、そんな写真は1枚もなくて、
 あるのは日記だけである。

     療養期間中は日記帳もこんな小型のものに変えているのだが、


     
    

  

  そんな日記帳の中に、療養所に送ってくれた手紙の中にあった
 こんな写真が挟まれていた。
  1961年2月16日と写真の裏に書かれている。

  これがこの当時の『唯一の写真』だと言っていい。


     

  
  最近のように、写真を撮りまくっている生活から見ると
 ほんとに不思議にさえ思うのである。

 そういう意味では、『よく日記を書いていた』と言えて
 若し、日記がなかったら、当時のことはなんにも残っていないのである。

    その後も、家内と一緒の写真は少なくて
 アメリカの娘のところに遊びに行った時の写真ぐらいしかないのだが、


 

 
 
 
 
 
★ そんな家内とのお付き合いも、もう60年を越えている。
 間違いなく『私の人生の伴侶』と言っていい。

 『伴侶』という意味を引いてみると、以下のように書かれている。

 一緒に連れ立って行く者。つれ。なかま。また、配偶者。
「人生の伴侶を得る」「よき伴侶に恵まれる」
 配偶者を伴侶ということについて。
 かつて男性優位の時代には「伴侶」は夫に従う妻を指したが、
 男女平等の現在では夫・妻どちらについても使う。

 
  いつのまにか『エメラルド婚式』も2017年だったようだが過ぎてしまって
 60周年の『ダイヤモンド婚』が2022年なのである。



    
  
 何とかそのあたりまでは、お互い元気でいたいなと思っているのである。
 
 
コメント
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