雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキ メグロの話など  昔話を

2020-11-22 04:50:23 | カワサキ単車の昔話

★カワサキのこんなニュースが流れた。

 カワサキが『メグロブランド』を復活させたという。

  

 

 カワサキ500メグロK2  私にとっても懐かしいバイクである。
 
 1965年発売とあるが、当時は広告宣伝課で広告やレースを担当していたし、
 1967年からは第1線でこのバイクの販売を実際に担当したりした。

  

 
 当時の白バイは殆どがメグロで、ホンダは少なかった時代。
 カワサキも国内だけの販売の時代だが、
 国内の代理店網も旧メグロと旧メイハツの代理店で構成されていた。

 川崎航空機工業の明石工場は元々エンジン工場で、
 そんなことから二輪のエンジンは開発・生産しメイハツに供給してたのだが、
 車体のことは、というよりオートバイのことはあまり解っていなかったと言ってもいい、そんな旧い時代もあったのである。

 
 そんなカワサキがメイハツ・メグロを吸収して
 メイハツやメグロの人たちもカワサキの仲間になったので、
 何とか二輪事業が成り立ったのだと言っていい。


★私はその営業がスタートした頃から単車営業にいて、
 その営業先は『カワサキ自動車販売』で、社長・専務は川崎航空機の方だったが、
 そこは殆どがメイハツ・メグロからの方たちだった。
 そんなことで、旧いメイハツ・メグロの方とは親しかったのである。

 
 この写真はずっと後のものなのだが、
 その最右翼と言ってもいい、メイハツからの平井稔男さん
 メグロのサービスからの北見紀さん

 そんなスリーショットのこんな貴重な写真もある。


  



 平井稔男さんとは、ずっと最近までいろんなことで一緒だし、
 北見紀生くんは、今はちょっとした有名人だが、
 彼は、私が東京営業所長時代のサービス担当なのである。



★カワサキの誇る世界の名車Zのエンジン開発は稲村暁一さんだが、
 その車体設計を担当されたのはメグロから来た富樫俊雄さんなのである。


  



★ 1965年5月、初めて鈴鹿を走ったのは山本隆で、
 これがカワサキの初めてのロードレース出場なのだが、
 当時北陸にいて一緒に手伝ってくれたのが、メグロから来た内田道男さんである。

 彼はその後、川崎航空機に異動して
 カワサキがヨーロッパ市場を開拓した時の先駆者なのである。
 開発・生産は兎も角、販売会社設立などの営業面が解る人材がいなかったのだろう。

 彼は、カワサキが最初にヨーロッパで販売会社を設立したUKの初代社長だし、
 ドイツ市場も彼が最初に手を付け、さらにその後カナダの開拓も手掛けたのである。

 
 私が初めてヨーロッパ市場やアフリカ・ナイジェリアに出向いた時も、
 いろいろとロンドンで面倒を見てくれた。

 レースが好きで、UKでもレースを手掛けていたし、
 ヨーロッパのGPレース運営もUKで『ケン・鈴木』さんと組んでの展開だったのである。
 そんな彼も若くして逝ってしまった。

     
 

   
  

 そんな『ケン・鈴木』ご夫妻ともいろんなことから繋がって
 昨年は軽井沢Silver Stone で楽しい時間を過ごしたりしたのである。

 鈴木さんは元トーハツから、BSのレースチームに移り
 その後UKでのカワサキGP監督を務められたのである。

 カワサキのレースでいえば、初代監督が大槻幸雄さん 
 2代目が、安藤佶郎さん
 そしてそれを受け継がれたのはメグロから来られた糠谷監督だったのである。



★そんなことでカワサキの二輪事業はメイハツやメグロや、
さらに言えばトーハツやなどかっての旧い二輪業界の方々の方々の協力でのスタートだった。

そんなカワサキが、新しく『メグロブランドの復活!』
これはそんな時代を生きてきた私にとって、なかなか嬉しいことなのである。

 
 

コメント
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