雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

60歳からの5年間 仕上げの時代    自分史

2020-12-23 07:07:53 | 自分史

★ 前回の自分史は私の現役最後の勤めの札幌での
 『北海道川重建機』時代のことを書いたのだが、

 昭和36年(1961)から35年間関係のあった二輪事業だが、
 60歳にもなったこの時期の5年間は、
 世は平成に変わり、まさに『最後の仕上げの時代』であったと言っていい。
 
 個人的にもこの前年の1991年に息子は結婚しているし、
 92年の6月には娘も結婚して、家庭の生活も様変わりした時期である。
 子どもたちが大学を出るまでは、経済的にも汲々としていたのだが、
 この時期になると何となく余裕も出来た生活となっていた。

 会社での状況も最後の国内市場担当1988年10月からなのだが、
 遮二無二頑張って、与えられた目標『7万台の販売目標』も達成できて、
 公私ともにちょっと『落ち着いた時期』だと言っていい。

 『7万台の目標』などはなかなか達成するのはムツカシイのだが、
 目標自体は単純で、質的には大した目標でもないとも言えるのである。

 この目標を達成したとしても、喜ぶのは企業であり
 販売会社であって、末端ユーザーにとっては大したことでもないのである。


★この『7万台の目標は』は私が国内販社を担当する際に
 髙橋鐵郎さんに与えらえた『目標』であったのだがそれは達成できたので、
 
 この時期に私自らが立てた事業展開の目標は、
 『ユーザーの満足が全ての思考の基準です
 と一段と質的にも高い
 『末端ユーザーの満足』を目標に掲げたのである。


  

  
 こんな目標を立てる『日本企業』は少ないと言っていい。
 仕組み・システムから根本的に変えないと達成できないし、
 実現が『難しすぎる』のである。

 ちょっと理屈っぽくて、お解り難い面があると思うが、
 この時期に挑戦した『高い基準の目標』について述べてみたい。
 
 質的にも『高い目標を達成』するために
 グループ全体のシステムというか組織体制を
 単に販売だけではなくて、
 むしろ、それ以外のKAZE活動など、
 末端ユーザーの満足=Consumer Satisfaction に集中しているのである。

 
 これはその当時の組織・機能図だが、


  


 CS(ユーザーの満足)と日本でも言われるのだが、 
 日本のCSのCは、同じCでも Customer Satisfaction が使われていて、
 Customer は確かにお客様ではあるのだが『取引先』という概念が強くて、
 末端消費者(Consumer)ではないである。

 事実、日本の場合は、末端消費者の満足よりは、
 『取引先』や『業界団体』の満足を優先する場合が殆どなのである。

 当時のカワサキの場合は、取引先である『販売店の満足』ではなくて
 あくまでも『末端ユーザーの満足』を求めての活動であったのである。

 その実現のために『販売会社グループ』ではありながら
 『販売そのもの』よりはむしろその周辺の
 末端ユーザーが喜ぶ仕組みシステムを重点の活動としたのである。

 曰く
KAZE活動』『レース活動
末端ユーザーが走れるサーキット=SPA直入の建設』
ジェット・スキーのJJSBA活動
ショールームの全国展開』などで
 その象徴が『新宿のショールーム』であった。

 こんな末端のユーザーを大事にすることで、
 カワサキを買ったユーザーの満足や、遊びのお手伝いを最優先し、
 当時の遊び会社KSSグループの先頭を走ったのである。

 それにより、
 遊んでいても『自然に売れる仕組みの構築』を第一目標としたのである。



  


  
  その象徴でもあった『新宿のショールーム』は
  JRからの車窓からも、真正面に見える最高の立地にあって、


   


   Kawasaki. Let the Good Times roll! 
  (Kawasaki  に出会う人たちがハッピーになるような活動を続けます)
  
        という基本コンセプトを観ることが出来たのである。


★ この辺の発想は、基本的な問題で、
  この1990年代のカワサキの活動は、
  間違いなく『末端消費者』に焦点を当てていたのだが、
  昨今の販社戦略の焦点は、『末端消費者=ユーザー』よりは
 『取引先』ばかりに焦点が当たっているような気がしてならないのである。

  
   

 基本的には、『専門家の高いレベルのソフト』と言っているのだが、
 『専門家』にならないと、『本物のソフト提供』は無理なのだが、
 汎用的なシステムからは『専門家』は産まれようがないのである。

 ちょっと本質的なムツカシイ理屈の分野になったが、
 この時代、一般に解り易い『8時間耐久レースの優勝』も実現できているし

 
 

 
 4時間耐久や6時間耐久など
 Team Green を中心としたレース活動なども華やかな時代であった。 
 当時のライダーたち、多田・宗和・塚本や、鶴田・北川・林くんなど
 今でもFacebook で毎日のように繋がっているのである。

 最後の仕事として挑戦したのが、
 『二輪専門の自動車学校』で
 この認可を取ることは不可能と言ってもいいほどの難しいものだったが、
 阪神ライデイングスクールの献身的なお手伝いをして頂いた結果、
 認可が取れて、二輪専門の自動車学校は実現したのだが、

 2000年に入って、これらの機能はKAZEを除いて
 すべて消滅してしまったのである。
 その理由はよく解らないが、遊んでいても自然に売れるのが、
 『気に入らなかった』のかも知れない。
 『一生懸命売る努力』をすることが解り易いのだと思う。
 『一生懸命販売に努力』されるようになって、
 現在の販売台数はホントに減少してしまっている。
 
 健全経営・黒字のようだが、
 販売会社の経営はどんなに規模が小さくても、
 黒字経営は成り立つので、
 二輪業界がかって『本田宗一郎さんが目指した=世界』というような
 壮大な目標が消え失せてしまっているのは非常に『残念なこ』である。 


  
 
 
  
 
コメント
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