雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

7万台への挑戦、新しい人新しい話

2008-05-12 04:52:57 | 7万台の挑戦の時代
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89年夏から秋にかけて、販売台数はゼファーなどが堅調に売れて何の心配もなかった。

8月に移動値で50000台を記録し、その後毎月1000台ずつ伸ばして(前年同期を毎月1000台上回って)12月には54200台を記録しているが、目標の7万台にはまだ程遠い実績であった。


それでも、新しいことが周囲にいっぱいだったし、新しい人たちともいっぱい出会っている。
今も付き合いのある当時まだRPMの村島さん(インタナショナルトレーデイング)と出会ったのもこの頃である。

大分ではSPA直入が進行中だったし、関東でもサーキット候補地がいっぱいあって川重商事の松本さんたちと対応に忙しかった。
今はカワサキの所有となっているオートポリスの建設もこの頃で、二輪車新聞の衛さんと一緒に見に行っったりしている。

札幌でオートランド札幌の山崎さんや、札幌二輪館なども始めて訪ねている。


販売関係では当時ではこの業界では夢のまた夢であった『完全仕切制』について西日本で谷沢君たちと検討に入っている。
やりたくてもやれなかった構造改革であったが、西日本がその嚆矢となった。

これは後翌年2月カワサキ西日本独自で、業界初めて『完全受注制度』として中国地区広島1拠点とし物流改革や今も残っている岡山のショップ体制などと絡めての実施に踏み切ることになるのである。


この動きの全国展開を図るべく、
9月25日にはカワサキOBの吉田(明)、島津、吉田(純)、吉永さんら近畿のOB主力と検討会をもっている。

『本当に出来るだろうか?悪くなってからでは、もう遅い。今だからこそやれる。』 その日の日記にそう書いている。


ただ、全てが順調だったわけでもなくて、9月23日のJJSBAの熱海のジェットスキーレースでは、レース中に死亡事故が発生した。
レースには事故はつきものではあるが、一端起これば大変なのである。

ジェットスキー自体が新しい商品で、レースでも初めての死亡事故であったが、それにめげることなく、その後関係者の努力でいろいろと運営方法などの改善が行なわれていった。
そんな先人たちの努力の上に、今のJJSBAやウオータークラフトのレースの世界があるのである。



何事にもチャレンジした、そんな時期であった。
そして、10月からは新販売網構想の『ARK構想』を翌年1月スタートを目標に検討開始したのである。
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