雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

田崎雅元さん

2017-01-17 20:23:02 | 発想$感想

 

★ 夕方の6時、突然電話が鳴った。

 受話器をとってその声を聞いてホントにびっくりした。 

 その声は、田崎雅元さんだった。 全く昔とおなじ田崎さんで、それから7時15分まで、1時間以上喋っていた。

 田崎さんの電話はいつも長いのだが、その電話もこの4年間全くなかったのである。ちょっと体調を壊していて、電話もできないぐらい悪かったのに、昨年末あたりから復調したという。

延々1時間以上話していたが、話ぶりからは100%昔の田崎雅元さんがそこにいたのである

いろんなカワサキの仲間がいるが、一番腹を割って『話が出来る』のは田崎さんかも知れない。なかなか1時間の長電話など普通では出来ないものである。長い電話と言えば、大槻幸雄さんとも、長い電話をすることがある。

お二人とも、創世期のカワサキのレース仲間だし、一緒にいろんなことをした仲間だから長電話も大丈夫なのである。

カワサキがレースで初めて『監督というポジション』を創ってレースをしたのは、昭和40年(1965)の鈴鹿6時間耐久レースで、大槻幸雄監督・田崎雅元副監督だったのである。

これは、たまたま次回の『カワサキの二輪事業と私 昭和40年』の年のことなのである。そして同じ年の8月、大槻さんはドイツへ、田崎さんはアメリカへ行くことになって二人の送別会をやったりしてるのだが、そんな田崎さんが、戻ってきて、私は本当にうれしいのである。

 

★実は、電話がある前に、田崎さんには、手紙を書いて出したところなのである。

私は、2年ほど前から年賀状を出すのを止めてしまったのだが、田崎さんから早々と賀状を頂いていたのである。

どうしようかなと、思っていたのだが、『寒中見舞い』ということで、結構長文の手紙をしたためたのである。その中にも『もしできるのなら電話でも下さい』と書いたので、それで掛かってきたのかと思ったが、手紙の投函は昼過ぎだったから、それが着いているわけはないのである。

そういう意味ではいいタイミングだった。

電話でいろいろ話す前に書いているので、『よかった』と思っている。

 

   

 

 これは、何年前になるのだろう。 東日本大震災のあった年の同じ3月の初めに、平井さんが主宰した『カワサキの想い出、そして未来』での幕開けの挨拶をしてくれた田崎さんである。

 

その後も彼とはいろいろあって、毎年開催されているカワサキワールド主催の『ミニ・トレイン』もそれを起案したのは、福井昇くんと私だし、それを田崎さんが、神戸市に繋いでくれて実現したのである。

   

 

 私の現役時代、レース時代からずっと密接に関係があって、いろんなことを二人のコンビで仕上げたプロジェクトもいっぱいなのである。そういう意味では、一番長く付き合ったのが田崎さんなのだが、この数年体調を崩して、表に出てこなかったのだが、電話の調子は、全く以前と変わりはなかったのである。

 

 今年はどんな年になるのかな? と思っていたが、年初から想定外のことが、中山和子さんの『ビオ・ファーム丹波』に続いて『田崎雅元さんの復活』と二つ続いている。

 酉年の年男なのだが、今年はオモシロくなるかも知れない。

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船場モータース 岡田博さんのこと

2017-01-17 06:47:27 | カワサキ単車の昔話

★今週送られてきた二輪車新聞に、衛藤誠さんのこんな記事が載っていた。

船場 今年で創業70周年』 とある。

    http://www.semba.co.jp/index.html

 

      

 

記者の名前は載っていないが、衛藤誠さんにしか書けない内容になっているからそう断定するのである。

大阪の二輪販売店の老舗、今は『船場』となっているが、かって『船場モータース』と称したこの写真の店のオーナー岡田博さんとは、数多いカワサキの販売店の店主の中でも、カワサキが一番お世話になった方だと言ってもいい。

岡田さん一流の『見識』を持ち、何故か中国語の先生などをしていた岡田博さんと私は親しくお付き合いがあったのだが、それは今の『船場』の経営を引き継いでいるご兄弟がまだ学生さんだった、1970年、大阪万博が行われたその頃からである。

今年は『船場70周年』とあるからその時すでに20年以上も経っていた老舗なのである。私は結構親しくさせて頂いたが、端的に云うとなかなか『とっつきにくい』ところがあって、岡田博さんにこちらから近づいて行った方は数少ないのだが、この記事を書かれてる衛藤誠さんなどは、何故か岡田さんと波長が合って、衛藤さんの書かれた『船場の記事』も沢山あるのである。

 

★船場モータースの岡田博さんと、カワサキが密接に繋がったのは、昭和45年(1970)年末大阪万博の年、私が大阪営業所所長になってからのことである。

それまでは、船場モータースとのお取引もあったのだが、どちらかというと『スズキ主体』に売られていて、カワサキのことを『ホンダは別格、世界のヤマハ、日本のスズキ、明石のカワサキ』と私に言われていたのである。

カワサキは当時はW1の時代で、それまでの125cc主体の『実用車のカワサキ』から、A1,H1,など『中大型のスポーツのカワサキ』に脱皮しようとしていたころなのである。従来地方の東北や九州がカワサキの主力市場だったのだが、ようやく東京・名古屋・大阪など大都会の販売に力を入れようとしていた時期だったのである。

岡田博さんは、なかなかムツカシクて並のセールスでは、もう一つ上手く行かなかったのだが、当時大阪にいた宮本進くん(後滋賀カワサキ)は旧い代理店の出身者だったので、当時のカワ販の人たちにない独特なものを持っていたし、私自身も大阪に来るまでの4年間、東北の代理店営業担当だったので、そんなちょっと変わった二人で『船場モータース』を担当したら、岡田博さんは一転『猛烈なカワサキ推進者』に変貌したのである。当時は、岡田さんとは言わずに。みんな『船場さん』と呼んでいたし、私も『岡田さん』と言ったことはなかったかも知れない。

そこで創ったのが、記事にもある『大阪共栄会』を立ち上げその会長に就任して推進して頂いたのである。この『大阪共栄会』はその辺にある一般の会とは違って、大阪のうるさいけど猛烈に熱心なカワサキファンの販売店の集まりみたいな会だった。『堺の徳野三兄弟のおやじさんの浜寺モータース』、現在もカワサキをやってる『堺の当時は伊藤モータースの伊藤さん』、今でも慕う人の多い『野崎モータースの野崎さん』かっては近畿メイハツにいた『吉永オートサービスの吉永さん』当時の販売店でけた違いに『大きな業容だった西形さん』、『AJで活躍されてる須川さん』などなど、そんな人たちをまとめてくれたのが岡田博さんなのである。

大阪で25店ほどのお店だったが、めちゃくちゃ熱心で、共栄会の会合はいつも夕方から営業所の2階でやっていたのだが、夜中にまでなることも珍しくなかったのである。

その『大阪共栄会』からスタートしたのが『カワサキ特約店制度』なのだが、私が大阪営業所長からカワ販本社に戻って『特約店制度の全国展開』を担当した時に、その『特約店制度説明会』に講師の一人として全国を飛び回ってくれたのが岡田博さんで、実際にやってる特約店の店主の話だったので、非常に説得力があったのである。

衛藤さんの記事はそのことを書いているのである。

 

カワサキ特約店制度は、大阪を皮切りに昭和48年(1973)Z1の発売を機に展開されていくのだが、Z1の発売があったおかげで各特約店の経営は飛躍的に拡大していくのだが、船場―モータースも含め、大阪の特約店も、当時一緒にスタートした京都も名古屋も、順調に推移しカワサキ独特の販売網となっていくのである。

このカワサキ特約店制度の成功に、岡田博さんは、大いに貢献して頂いたし、この制度のスタートに当たっての記事を二輪車新聞の一面に大々的に取り上げて頂いたのが、衛藤誠さんなのである。

衛藤さんとは今でもお付き合いがあるので、もう50年以上になるのだが、彼はまだ現役で頑張っていて、『カワサキについて一番詳しい人』は衛藤誠さんかも知れないのである。私にとってもこの大阪共栄会・特約店制度時代は懐かしく、この当時お付き合いのあった方たちはいまでもお付き合いが続いている。

岡田博さんの息子さんご兄弟の弟さんとは何度もお会いして面識もあるし、もう亡くなってしまわれた方も多いのだが、古石喜代司・竹内優・宮本進・伊藤彰・藤田孝明・吉川健一・柏原久・平井稔男・関初太郎さんなどなど、今でもFacebookで繋がっていたりして、懐かしい想い出いっぱいなのである。

 

★ 昨年暮れ、かってハーレージャパンの社長をされていた奥井俊史さんにお会いする機会があった。

お会いしたのは今回が初めてなのだが、私と奥井さんを繋いで下さったのは岡田博さんで、奥井さんがトヨタからハーレージャパンに来られた頃、あまりにも4輪と違う二輪の世界にビックリされてた頃、『カワサキの古谷さんに・・』と繋いでいただいたのである。先日お会いした時もその頃の話に花が咲いた。

 

  

 

 岡田博さんを師と仰ぐ株・忍者の伊藤彰さんもいて、奥井さんとの話が弾んだのである。

 

 

 

 船場70周年、船場さんがもう一度『繋いでくれた』のかも知れない。

 奥井さんとは、『もう一度どこかで、話の続きをしましょう』ということでお別れしているのだが、

 果たして、そんな機会があるのかどうか楽しみにしているのである。

 

 『船場70周年』 益々のご発展を祈念したいと思っている。

 

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マスコミは常に正しいのかな?

2017-01-16 08:13:25 | 発想$感想

 

★マスコミの力は大きくて、世の中をリードする役割を持っていることは確かである。

先日の、安倍さんのハワイ訪問とそのスピーチは『よかったな』というのが大方の人たちの率直な感想なのだが、日本の新聞社でも その評価は2分されたようである。

一般に産経や読売は右朝日、毎日は左というのは今は常識のようになっている。

 

朝日など、安倍さんのスピーチには戦争の反省というか謝罪がないとか言ってるが、この東大の先生は戦時中あれだけ戦争を賛美した朝日新聞自体に『謝罪があったのかどうか?』と指摘しているのである。

何故か我が家は私の子どものころから朝日新聞なので、戦時中の朝日の論調がどうだったのかは私はよく解っている。終戦時私は中学1年生だが、小学校時代から結構新聞は、読んでいたのである。

今の朝日新聞はそんなに好きではないが、今でも朝日一紙を取っているのは、子どものころからの習慣みたいなものである。

 

 

 

http://www.sankei.com/column/news/170115/clm1701150007-n1.html 

ご一読されてみればいい

 その一部である。

  戦争当時は、朝日と毎日(東京日日)が2大紙であって、読売の部数はずっと少なかった。その両紙が満州事変を機に、戦争を積極的に賛美する報道を展開したのは、まぎれもない事実である。新聞は戦争の遂行にあたって、絶大な貢献をしたのである。戦争によって新聞は部数を大幅に伸ばした。特に朝日は昭和6年の140万部から同17年の370万部にまで、倍以上に増加して毎日を追い抜いた。

 

この先生の言っておられるのが真実で、説得力があるように思う。

国や、総理にばかり責任を押し付けずに、反省するところは反省しなければと思うのである。

 

 

★ごく最近の、『トランプさんの記者会見』これもどうかとは思うが、アメリカ国民が『トランプさんを選択』したのは、今のマスコミの体質が、従来の政治に密着しすぎていて、それに嫌気がさして『トランプさんに一票』を入れたという事実に対するマスコミ自体の反省みたいなものも、もう少しなければと思うのである。

選挙中、本来は中立であるべきマスコミの論調は、その殆どのマスコミが、ヒラリー・クリントン・サイドについてたのは間違いない事実なのである。

マスコミは、権力者の独走をチェックするなどと言ってはいるが、自らが権力者のような力を持っていることを忘れて、選挙などであからさまに一人の候補を応援するなどは、やはり暴走に近いのである。

マスコミは世の中の流れを、末端の人たちの意識を『読み間違った』のである。或は解ってはいたが、『従来の利権構造欲しさ』にクリントンを応援したのだろうか?

そんな『マスコミのいうこと』を100%信じよというような傲慢な論調は、それこそ『マスコミの身勝手』のようにも思える。

世の中の意見は、常に『賛成・反対』があって成り立っていて、意見が分かれるのは当然のことで、トランプ大統領の態度も、もう一つだとは思うのだが、その原因をわざわざ創っているのはマスコミで、マスコミのほうから喧嘩を売っているような気がしてならない

昨年は、イギリス・小池さんの東京・そしてトランプと、『世の中の常識を覆す』ようなことの連続で、それを支持したのは、『マスコミ』ではなくて『一般の市民』だったのである。

そんな『世の中の流れ』みたいなものを、マスコミはどう評価するのか?

 

★私自身は個人的には『従来の常識の否定』にはどちらかといえば『賛成』である。 それは一言で云えば、従来の常識のベースにあるのは『利権』だからである。

今の日本の政治も、政治家も、官僚も、大企業も、口ではきれいなことを言うが自らの『利権』を守ることにきゅうきゅうとしているように思えてならない。与党だけでなく社民党もほかの政党も・・・

自民党自体の体質は『もう一つ』だと思うが、『安倍さん』はちょっと変わっていて、『橋下さん』や『小池さん』という従来の政治の常識に批判的な人を受け入れる『大きさ』があるからいいなと思っているのである。

もうそろそろ、口ではきれいごとを言うが『利権』まみれの現在の世の中から、ホントに末端の人たちに視線を置いた『新しい方向』に舵を切らないかな思っているのである。

 

★そういう意味では『トランプさん』に大いに期待していて、『一つの中国』など、普通に考えたら、現に『台湾』があるのだからおかしいと思う人は多いと思うが、今までそれを誰も言う人はいなかったのが不思議なくらいである。

いろいろあるが、大統領になれば、大統領らしく振る舞われるのではないかと、20日のスピーチを期待しているのである。

果たして、2017年はどんな年になるのだろう?

 

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一般社団法人 大丹波ふるさとネット  中山和子さん

2017-01-15 08:38:17 | 発想$感想

★ 今年になって突然、以前に大阪ベンチャー研究会でお会いした『中山和子』さんからFacebook でのご挨拶を頂いて、からの具体的なお付き合いだから、日も経っていないし殆ど何にも解ってはいないのだが、

いま私が率直に持っている印象というか感想を述べるなら以下のようなことになるのかも知れない。

 

   

● 世の中に、こんなに熱心に自身がやりたいことをやっている女性がいたのだ。

● そのやろうとしている『コンセプト』は高次元で文句のつけようもなく立派なのである。

● ホントに無茶苦茶 手を広げられている。

     

 

● Facebook 、ブログ、ツイッターなどいろいろおやりで、1日の発信量がまた大変なのである。

   https://twitter.com/biofarmTamba こんな感じである。

● 私は、結構ちゃんと調べるので、少し調べたら大体全貌が解るのだが、中山和子さんの発信量が凄すぎて、ちょっとついて行けない感じなのである。

 

 

★実は先週、わざわざ三木までこられたのでお会いしてお話をお聞きしたのである。 

 今の目標は『京都の南丹市の美山に拠点を持ちたい』ということなんだろうと思っている。

 

 

 

南丹市美山に 『古民家宿』の拠点をまず持ちたいということである。

その資金は『クラウドファンデイング』でと、先週お会いした時に言われていたのだが、こんなサイトに出会ったのである。

 

         

 

  こんなクラウドファンデイングの内容を整備したいと言われてたし、この中山和子さんのプロジェクトを支援しようという若い人たちとも、お会いになったようである。

こんな若い方たちである。 Facebook からである。

 

 

  

昨日、京都 美山に古民家宿を建てたい、
中山和子さんと話していて、すごく実感したこと!

やっぱり地方は子どもを育てるのに
すごくメリットのある環境だと思う(^^)...
 
もちろんデメリットもありますが、
地域ならではの繋がりを活かしながら
みんなで子どもを育てたり、
食費や住居費なんかも都会の1/3程度
なのはやっぱり魅力^^!
 
和子さんがおっしゃっていた、
昔の母親は家電もないし忙しかったから
子どもを見る時間なんてなかったけど、
地域の人が勝手に面倒を見て
ご飯を食べさせてくれた
という言葉がすごく魅力的だなと^^

 

中山和子さんのご紹介で、今年Facebook で繋がった、大崎愛未さんがこのように書かれている。

 

 

★ひょっとしたら、今週 中山和子さんとその美山地区の現地を観に行ったりする ことになるかも知れないのである。

出来れば手伝いたい』とは思っているのだが、計画も発想も相当なスケールだから、私自身ちょっとビックリしているのが、現状なのである。

遊休地の開拓や、農の世界に興味をお持ちのトモダチも沢山いるので、そんな人たちがどう思われるか?

ご紹介を兼ねて、こんなブログをアップしているのである。

 

  そんなこともあって、自分自身も、いろいろ調べているのだが、

一般社団法人 大丹波ふるさとネットhttps://www.facebook.com/biofarmTamba/?pnref=lhc

Facebook にこんなサイトがあって、今年になってからも毎日相当な情報が発信されてはいるのだが、正直殆ど読まれていないのである。それなのに毎日発信し続けるエネルギーは一体何なのか?  

若し、ご興味のある方は、ちょっと覗いてみて下さい。

シェアされている内容は、非常にそれぞれは高次元のものなのである。

 

★ 中山和子さん、こんなプロジェクトをお持ちです。

   ● http://www.bio-cafe.jp/concept.html

 ● https://www.facebook.com/biokitchen.Kyoto/?pnref=lhc

 ● https://www.facebook.com/biokitchen/?pnref=lhc

 ● https://www.facebook.com/www.biokitchen.kyoto?pnref=story こちらが中山和子さんのFacebook です。

 

今年に懸けて、一歩前進されようとしているのだが、さて半年後にどのような形になっているのだろうか?

半年後に、私たちの仲間がどのような応援体制になっているのか?どうなのか?

そのあたりは、まだ全く未知数なのだが、非常にコンセプトが確りとした『いいプロジェクト』であることは間違いないのである。

 

 

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週末の寒波

2017-01-14 06:46:11 | 発想$感想

★『この週末寒波が・・』というニュースだが、この三木あたりがどのような状況になるのだろうか?

 世界は温暖化だとか言っているが、この寒波は気象異常と言えるのかも知れない。

こんなニュースが流れている。

 

 

 

 私はずっと昔のことだが、昭和42年から45年(1967~1971)までの4年間東北の仙台の居て、東北6県を担当していたので、当時の東北の冬はよく知っている。

 

  

 

 雪で名高い山形県の尾花沢にも小さな代理店があって、冬でもよく行ってたので状況はよく解っている。もっとひどくて道が屋根のひさしあたりの高さになり、そこから階段を造って入口まで降りていくようなところもあった。

 

   

 

 1998~1999年の2年間は札幌にいて、北海道の冬も大体解っている。

 

雪国は大変だし、雪道を走るのも大変である

そんな雪国でも、昔から人は上手に雪を避けて住んできたのか、東北の大きな町、仙台は殆ど雪がないし、山形市もちょっと離れた尾花沢に比べたら雪は格段に少ない。 盛岡などは寒いけど雪はそんなに積もらない。

青森市は雪で有名だが、地元の人に言わせると、人が住みだしたのは北海道への連絡船が出来てからだというから、そのまちの歴史は新しいと言えるのかも知れない。

 

札幌も寒いけど、雪はそんなに大したことはない

北海道の2年間は、雪の除雪機を販売する北海道川重建機にいたのだが、この会社が健全に発展した要素が北海道の雪なのである。

東北の仙台にいたころと比べて、除雪のスケールはけた違いに大きくなった。札幌にいた2年間は仮に雪が降っても、すぐに除雪ししてしまうので、札幌のまちの通りは常に雪などはない普通の道だった。

 

★世の中の『ニュース』は極端な画面を流すことが多いのだが、あんな状況が冬中続くと大変である。

ただ、『吹雪』の中を何度も走ったことはあるのだが、これは想像以上である。前は見えないし、車が舞い上がっていくような錯覚に陥る。今思うとよくあんな状況の中を走っていて、無事で居れたなと思っている。

それでも、東北にいたころのクルマと、札幌の時に乗ってた車では、そのレベルは大幅に改善されて全く別の乗り物のように思えた。4輪駆動に乗ってたのだが、タイヤもよくなって、極端に云うとアイスバーンの上でもそんなに不安でなく「走行できるレベル」なのである。スゴイなと思ったが、それは雪国で暮らし、雪に慣れてから言えることで、都会で突如雪になったりすると、まず『車には乗らない』ことである。

自分が幾ら『気をつけていても』巻き添えにあう恐れのほうが多い。

 

★例年大学センター試験の時期に大雪になることが多いように思う。

現在の三木はまだ雪は降っていない。

この週末、関西でも雪が積もらぬことを願うものである。

 

    

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Instagram 雑感

2017-01-13 07:20:39 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★Instagram  というのがある。

次のように言われていて

 Instagramは、無料の画像共有アプリケーションソフトウェアである。デジタル画像を撮影し、画像編集をし、同サービスあるいは、Facebook、Twitterといった他のSNS)で共有する。2010年10月6日、アップルのApp Storeに登場したインスタグラムは、同年12月までに100万人の登録ユーザを獲得。同年9月までには、1,000万人に達した。

   

私も一応は登録だけはしているが、所謂 『スマホ』を持っていないので、パソコンからも使えるとは言うのだが、現実には使えないのでただ見ているだけである。

 https://www.instagram.com/rfuruya1/?hl=ja

 

幾らでも自由にフォローできるので、一時は安倍総理や、小池百合子さんなどもフォローしていたのだが、現在は整理して8人だけに絞っている。

身内が殆どだが、その中には孫4人も含まれていて、彼らはそんなに頻繁には写真をアップしたりはしないのだが、今のところ「それを静かに眺めているだけである。

 

    

 

 

 4人の孫たちがアップしている写真である。

 

 

慶応大学、今年の春は卒業する孫、古谷 仁のInstagram は、こんな写真が並んでいる。

 世界を飛び回っていて、ニューヨークやパリで踊っている写真がたくさん載ってて、動画があったりする。

一応は『都会の街角研究』という卒論のテーマだとか言っていた。

  

 

 

 

 こちらも、アメリカから慶応大学に留学中の娘のほうの孫門野力也。

めちゃくちゃネット関係は詳しいのだが、あまり写真などアップしたりはしない。栗林公園は去年の夏休みに一緒に行った時の写真だし、最近の2枚はごく最近の レアル・マドリッドと鹿島アントラーズ の試合を友達と一緒に見に行ったらしい。

 

 

 

 こちらは次男 門野真也 いまアメリカのBerkleyの3回生、サッカーをしている。

最初の写真は、今年の新春初日の出を観に行った時の写真だと思う。そのほかは昨年のイタリヤ遠征の時のものだろう。

 

 

 

そして、こちらは末弟。高校2年生、日本で言えば高校1年生一つ上のクラスのチームでキーパーをしている。アメリカ人達と比べても負けないほど背が高い。小さい時のデブの面影は無くなってしまった。

 

 

 

あまり、アップはしないが、こんな孫たちの成長を楽しんでいるのだが、Instagram  ただ見ているだけではなくて『何とか自分でもやりたい』のだが、『できるのか?できないのか?』もよく解っていないのである。

『スマホ』がないとダメ、なのは解っているのだが、

電話の機能はないが、写真や動画も撮れるこんな『スマホの残骸』は持っているのである。

 

  

 

  

 

 電話以外の機能は、殆ど大丈夫動くのだが、その登録の仕方が解らないのである。

 Facebook は繋がるので、Facebook で改めて登録が出来ないかとチャレンジしてるのだが、今のところ途中までで行き詰まってしまうのである。

門野力也が横にいれば、何とかなるかも知れないので、このブログをそのまま力也にメッセージしようと思って、書いているのである。

上手く行けばいいのだが・・・・

 

   

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カワサキの二輪事業と私 その35 昭和39年(1964)

2017-01-12 07:12:43 | 自分史

★ 昭和39年(1964)は、東京オリンピックのあった年である。

新幹線が開通した年でもある。7月25日に東京ー大阪間に初めて試走車が走ったりした。 オリンピックを機会に東京に高速道路が出来たり戦後の日本から急速に復活しようとしているそんな時期だった。

カワサキの二輪事業は、前年度の日本能率協会の市場調査の結論が、『この事業続けるべし』と出て、その条件の一つに広告宣伝課を創ることがあげられ、その担当を指名されることからこの年が始まっている。

それまではカワサキ自販で担当していた広告宣伝業務が明石の川航に移管され、その予算も年間1億2000万円もの額が、本社開発費で計上されることになったのである。

それまでカワサキ自販で広告を担当されていた小野田滋郎さんと一緒に広告代理店を選考する作業から始まったのである。

 

 

 

小野田滋郎さん、あのフィリッピンの小野田寛郎さんの弟さんである。小野田さんと一緒に仕事ができてその戦略・戦術・戦闘論など多くのことを小野田さんから学んだ。

 サラリーマン生活で、私に一番影響を与えた方が小野田さんだった。ずっとのち、私が39才の時、フィリッピンにお兄さんの捜索に出発された時に、私が日記に書いている文章である。

『小野田滋郎。この人が自分に与えた影響は大きい。
思想的にも、今仕事をしている実務的なやり方も、それに対する態度も。小野田さんは自分がサラリーマン社会に入って以来、この人にはとてもかなわぬと思った数少ない人の一人である。
陸士出身、文学を愛し、酒を好み、人間味あふれる人柄、わるく言う人もいるが、自分は小野田滋郎の物事に向かうときの純朴さと一徹さを見習いたい。
小野田さんの兄さんなら、最も親しかったという兄さんなら、一徹にただ一筋にこの27年,銃を磨き,弾の手入れをし、最後の一人になっても戦う気持ちを失わなかったであろう、と思う。

陸軍中野学校出身のこの秀才の生き方は、その思想の善悪はともかくとして、一筋にひたむきなところに共感を覚える。

箸袋 寛郎と今も 還らぬ子 
小野田さんのおふくろさんが、正月に詠んだという句。このお母さんの話も、小野田さんの話によく出てきた。

その滋郎さんも10月24日、現地に調査と呼びかけに出発した。
新聞に笑う小野田さんの笑顔、人をひきつけずにおかぬ笑顔である。
人生には、いろいろ影響を受ける時期もあり、また人もいる。
自分の39年の人生を振り返ってみて、野球部の先輩の山本治さん、小野田滋郎さん、岩手の久保社長、宮川部長などは、現在の自分の生き方を支えている。
小野田滋郎さんが、あの温かみのある笑顔を更にくしゃくしゃにして、兄とともにタラップを降りて、日本の地を踏まれることを祈るものである。(10月24日夜)』

その小野田さんはこの年の3月にカワサキを離れられたのだが、その送別会の席で私にくれた言葉は『雑音に耳を貸すな』だったのである。いろんなことをやればやるほど『雑音』が入るものである。 自らの『生き方』を信じて小野田さんの教えを守って、生きてこれたと思っている。

 

★日本自体が、新しい時代に入った年だったが、『青野ヶ原モトクロス』で完勝したのちカワサキのモトクロスが実質的にスタートしたのがこの年からである。前年の5月、青野ヶ原で勝って以来、レースは会社公認のイベントとして、私の係の川合寿一さんが担当して、小野田滋郎さんが三橋実に創らせた『カワサキコンバット』で新人選手の育成が始まったのである。

カワサキコンバット』には三橋実のほか安良岡健、梅津次郎、岡部能夫などがいて関西では『神戸木の実クラブ』から歳森康師、山本隆などのメンバーでスタートしたのである。

レース運営は、エンジンは技術部、それをマシンに仕上げるのは製造部に新しく作った『レース職場』その中心は兵庫メグロから来た松尾勇さん、そしてレース運営費用とレースマネージメントは広告宣伝課が担当するという三者の協働体制だったのである。まだ、カワサキにレース監督などはいなくて、レース現場での実戦指揮は三橋実が担当していたそんな時期だった。

 私はこの年の6月MCFAJの全日本モトクロスが富士の裾野の朝霧高原であったのだが、そこで初めてモトクロスレースなるものを見たのである。このオープンクラスで山本隆くんが『優勝』して、カワサキは初めて全日本の優勝を果たしたのである。

50年経った今も、お付き合いのある山本隆くんだが、この年初めて彼と出会っているのである。この6月のMCFAJ 全日本での山本の優勝は、カワサキのレースチームにとってホントの自信らしきものに繋がったのだと思う。

青野ヶ原の1位から6位までの圧勝は「雨によるもの」だったし、その後地方レースでの連戦連勝も、地元ライダー相手のものだったし、この年初めて行われた相馬ヶ原MFJ 第1回モトクロスグランプリでは6位にも入れなくて、自信を失いかけていた時期だったのである。

 

   

 

 そしてこの年の秋 東京オリンピック開催の開会式の当日から伊豆丸の山で開催されたMCFAJ 全日本モトクロスには、カワサキは4種目中3種目に優勝して、『赤タンクのカワサキ』の名を確固たるものにしたのである。

 

    

  当時の大スター久保和夫・荒井市次を従えて真ん中に立ったのが山本隆くんである。

この時期は、広告宣伝課は、中古の下取りのヘリコプターを持っていて、レース場にもヘリ帯同で出かけていて、この全日本でも開会式の花束贈呈などの行事に協力などしていたのである。

 

    

 

ヘリ? と思われるかも知れぬが当時のヘリは新品では1200万円ほどしたのだが、耐用年数が2年ほどなので中古のヘリの簿価は10分の1ぐらいになってしまうので、その運用費用だけでヘリを飛ばすことが出来たのである。そんなヘリを持つようなきっかけは、上司がジェットから二輪に来られた苧野豊秋さんだったので、苧野さんが全部段取りをされたのである。

当時はヘリの部門はまだ明石にいて先日85J1で富士登山に挑戦したことをご紹介したがそのメンバーの一人古谷武くんは、ヘリのメカニックだったのである。

 

 

 

 

★この年は、広告宣伝課の第1年目であったしレースにもイベントにも猛烈に動いた年だったと思う。

 

    

 

 8月にはテレビの人気番組、『源平芸能合戦』に川崎航空機ー三洋電機 で出場したりした。

 

  

 

  後、川重社長にもなった 田崎雅元さんとは、この年からいろんなことで協働している仲間なのである。

『源平芸能合戦』では応援団長みたいな役をやってくれたし、フラダンスを踊る女子を連れてきてくれたりした。またレース関係では、当時は製造部にいて『レース職場』を担当してくれていたのである。

 

 

★ 星野インパルのホームページの 星野一義のRacing Careea にはこのように記述されている。

 

    

 

星野一義が カワサキコンバットに入ったのが前年なのだが、この年の11月までは、レースには出ていなかったし、当日もコンバットの運転手として現地に来ていたのである。

モトクロスに優勝してもなかなか新聞などでは報道されないので、スポニチと組んでスポニチ主催のモトクロス開催を図った広告宣伝の一環としてのレースだったのである。

当日の朝の練習で岡部能夫荒井市次とぶつかって指を骨折したので出場できなかったのだが、星野が岡部の名前のままレースに出場したのである。 開始間もなくジャンプのあと転倒して『脳震盪』で救急車で病院に運ばれたのだが、午後戻ってきて『もう一度走らせてください』というのである。

それが『岡部の名前で走った星野の初レースなのである。

   http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/2c675dcd0452f47d1bcb2c104fc56513

 

★ 昭和39年、私は新しい仕事に、ホントに頑張って没頭していた1年だったと思う。

 

  

 

90㏄の中間車種がよく売れてた時期でカワサキも秋に『85J1』という機種を出すのだが、この機種のモトクロスのデビューが9月10日にあった山梨モトクロスで、私は初めて現場マネージメントをやることになったのだが、『それはどうも頼りない』と当時の製造部の高橋鐵郎係長が、田崎雅元さんをつけてくれたのである。

田崎さんとのコンビでの初レースで、田崎さんも印象に残っているのか、川重の社長になってからもその時の彼のつなぎ姿の写真を送ってくれたりしたのだが、残念ながらなくしてしまっているのである。

広告宣伝と、レースばかりで、二輪事業がどうなっていたのかは、全く頭になかったような1年だったのである。

 

 

★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/

 

 

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2017年 新春NHK 世論調査 雑感

2017-01-11 07:19:04 | 発想$感想

 ★ 2017年新春のNHK世論調査が発表された。

安倍内閣の支持率は55%と 前回より幾らか上昇し、『支持しない』が下降したのでその差は最大になった。

全く安定していて、『安倍総理のあとは安倍総理』などと幹事長だったか言っていたように思う。

世界の国際情勢の激変が予想される2017年だが、日本の政権が安定しているということは、非常にいいと思う。

 

 

    

 

支持する理由では、「他の内閣より良さそうだから」が39%、「実行力があるから」が22%、「政策に期待が持てるから」が14%だったのに対し、

支持しない理由では、「政策に期待が持てないから」が41%、「人柄が信頼できないから」が22%、「支持する政党の内閣でないから」が15%でした。

他の内閣より良さそうだから」という設問は、もう一つ意味が明確でなくて、社民党よりいいかと聞いているのか、自民党のほかの人よりマシかと聞いているのか、もう一つよく解らないが、とにかく55%が『いい』と答えているのは、非常に『高水準』だと思う。歴代総理と比べても圧倒的に安定していると思う。

 

   

先月のハワイ訪問の評価は、非常に高評価である。こんな結果が、安倍内閣の評価につながったのだと思うが、あのスピーチは非常によかったと思っている。

今月20日には新しく『トランプ大統領が誕生』するが、オバマ大統領との最後の会談に、オバマの故郷ハワイで、オバマのヒロシマ訪問の返礼の意味もあったし、時期的にも最高であったと思う。

そんな周囲の情勢を『読む』姿勢も、それを具体的に展開する『実行力』も素晴らしいと思う。

 

 

   

 

 新しくスタートする『トランプ新政権』との日米関係は、『悪くなる』が40%と多いが、個人的には私は『よくなる』と思っている。

世界的に従来の政治常識などが、旧くなり過ぎていて、そういう意味では日本も例外ではないと思う。それを『変える』キッカケをトランプさんは創ると思うし、安倍さんはそれを「自分の考えとして」上手に受け入れ舵を切るのではなかろうかと思うからである。

昨日はたまたま、自民党東京都連と対立している小池さんと会っていたが、年末には維新の橋下さんとも会っていたし、安倍さんが重要視しているのは、『実力者』ばかりだから、『トランプ』さんとも基本的に合うのだと思う。

TOP同志の関係がよくなれば、おのずと国の関係も「よくなる」はずだと思っているなだが・・・・

 

  



安倍総理とロシアのプーチン大統領と日ロ首脳会談の評価は、北方領土交渉がもう一つ進展しなかったので、もっと低い評価かなと思ったが、意外に高い評価だった。

 

★ いずれにしても、今年の世界の政治の鍵は、アメリカのトランプ政権の動きで左右されることは間違いないと思う。

そういう意味では、1月20日が待ち遠しい。

果たして、どのようなスピーチでスタートするのだろうか?

是非、明確なホンネトークの政策 であって欲しいと思う。

従来の政治家のスピーチは、綺麗ごとが並びすぎて、本質的な構造問題などはみんな避けて通ってきている。具体的な目に見える政策で、従来型の政治に横穴を開けたら、戦後長く続いた日本の政治構造や教育体制など、新しい発想で展開するきっかけが生まれるかも知れないと思っている。

 

 

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青森山田日本一  高校サッカー全国優勝おめでとう

2017-01-10 07:02:50 | スポーツ

★点が入らないことが多いサッカーの試合で 全国高校サッカーの優勝戦 青森山田ー前橋育英の名門同士の対戦は結果的には5-0青森山田が初優勝を飾った

 

     

 

試合を通じては、どちらかというと前橋育英のペースだったし、5-0という点差が付くとは思えないような好ゲームだったのだが、青森山田の得点は、すべてがあっという間に入ってしまった瞬間的なものだった。

そのうちの2点は、キーパーからのキックからのものだったし、青森山田のキーパーのレベルの高さは素晴らしかった。

 

 その試合のほんの一部である。

     https://www.youtube.com/watch?v=_EvMPQ4_zAM

 

 

 

★ 本州の北の端、青森の青森山田は、サッカーだけでなく、野球でも、卓球でもいろんなスポーツの名門校である。

昨今は、こんなスポーツ校が各地にあって、日本の各種スポーツのレベルを押し上げているのだが、そんな中でも青森山田は目だった存在であることは間違いない。

 

この青森山田は、昨年末の12月に行われた、高円宮杯U-18サッカーリーグ2016 チャンピオンシップサッカーでも『日本一』チャンピオンになっていることを ご存じだろうか?

その決勝戦は、サンフレッチェ広島F.Cユースと対戦したのだが、延長戦まで戦って0-0.PKの末青森山田が制しているので、青森山田は、まさにこの年代の日本のトップチームと言っていいのである。

そんなこともあって、前橋育英との決勝戦は興味深く観ていたのである。

期待通りの好チームで、守りの固さが抜群だった。

 

   

 

 日本のサッカーレベルはどんどん世界のレベルに近づいていることは、先日の鹿島アントラーズーレアル・マドリッドの試合でも実証されているのだが、それを支えているのは、若い年代の底辺の広さだと思う。

 

★若い頃、東北6県を担当していて、青森にもよく行ったものだが、その頃はまだ青森山田はまだこんなスポーツ校ではなかったのである。

 どのあたりにあるのかな? と調べてみたら青森駅にも近い街中にある。

 サッカー場も、野球のグランドも、テニスコートも整備されている。

 サッカー場は

 

 

 

 天然芝かどうかは解らないが、いずれにしても立派なグランドである。

 

  

    

 

ちょっと脱線だが、

これらの写真は、みんな Google Map からカットしたものである。

 空からの写真でないところは、Google カーが走って写してきているので、道路のある場所は、こんな写真のような状況が、(世界の先進国で)見ることが出来るのである。 開発途上国ではまだそんな状況までにはなってなくて、空からの写真だけである。

サッカー場など、普通は車は入れないところが多いので、こんな写真はみれないことが多いのだが、空からの写真をご覧になると、すぐ横に道路が通っているので、こんな写真が見れるのである。

 

 いずれにしても、青森山田 優勝おめでとう。

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1人の人間が心を通じ合える仲間の数

2017-01-09 07:28:04 | 発想$感想

 ★新聞・テレビ… 「メディア」の予想は何故ハズレっぱなしなのか? という京都大学霊長類研究所教授・正高信男さんの話が産経新聞に載っていて、非常に興味を持って読ましていただいた。

 

 

 

 

 

その冒頭、このようなことから始まっている。

『集団内の結びつきを保つために集団外の人間を排斥する心理がわれわれには生来、備わっており、・・・・・昨年、世界を驚かせた出来事を振り返るとまさに、グローバリゼーションの波がナショナリズムの風潮に拍車をかける事例が次々と起きていたことに気がつく。英国の国民投票ではEU離脱が選択され、米大統領選ではドナルド・トランプ氏が勝利した。いずれも、よそ者を排斥する心理が強く出た現象である。』

 

と述べられている。

いま、いろいろやってるFacebook などネットの世界でも、トモダチの数としては1000を超えたりするのだが、『ホントに繋がってるトモダチ』の数はぐっと少なくなる。そういう意味では、Facebook の『いいね』の数なども、そんなに多くないほうが、むしろいいのかも知れない。

昨年のEU離脱や、トランプさんの問題なども昨年のメディアの予想は大方の予想がはずれっぱなしであった。

 

 『そもそも予断に満ちた報道姿勢が目立ったと評しても差し支えないだろう。

 「あのトランプ氏が選挙に勝つはずがない」「過半数の英国民がEU離脱に賛成するはずがない」と・・・・しかし、こうした主要メディアの論調からは、人間に対する基本的な理解が欠けているように思えてならない。・・・・多くの人と接触する機会が増えるほど、人間はむしろ自らの帰属意識と文化的アイデンティティーに目覚める生き物なのである。』

 

確かに、指摘されてみると、人生の長い部分を過ごした『川崎重工業』の人たちもそれなりの数にはなるのだが、『こころを通じ合えた仲間』となると圧倒的にそれ以外の人たちのほうが多いのである。

さらに、昨今はネット社会の時代で、簡単に『いろんな人たち』との出会いがあって、むしろそんな中に『こころを通じ合える仲間』を見つけることが出来るのは間違いない。その人たちとは、結構毎日のように『会話』らしきものもある状況なので、むしろ会社の職場よりは、『人の気持ち』は理解し合えるのかも知れない。

 

京都大学霊長類研究所教授・正高信男さんは、最後に 国連がそう遠くない将来に機能停止 するかもしれない。

人間の行動を把握できないメディアに存在意義はない と厳しく指摘して締めくくっているのである。

 

『現代は人類史上初めて、地球上で「いつでもどこでも誰とでも」人々がつながることができる通信技術が確立し、普及した時代である。・・・・国連がそう遠くない将来に機能停止に陥る事態すら考えられる状況が生まれてきているように思えてならない。人間の行動を把握できないメディアに存在意義はなく、人々からも見放されるだろう昨年の苦い経験からなにがしかを学び、予断や自己正当化を乗り越えた姿勢が見えてくるのか、注目したい。』

 

同じような意味では、行政も大企業も、従来の発想から脱皮して、そこで働いている人たちも、時代とともにだんだんと変わっていることに気付かないと、メディアの二の舞になりかねないのではなかろうか?

 

 

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私のスマホ

2017-01-08 07:34:00 | 発想$感想

 

★ 殿界寿子さんが、今年84歳になる酉年の二人のことを書いている。

 http://blog.goo.ne.jp/mikisanro-do0501/e/3ee21bb18b2ed19ae467726926208507

 

  暮れにお会いした酉年の83歳、島田さんは、今スマートホーンで、Facebook 練習中なのだが、私の持っているスマホは電話機能は既にないのだが、その残骸というか形だけは持っているのである。

 

    

 

 ちゃんとこんな形で現れて、電話機能はないが、その他の機能は大丈夫なようである。

 そんなことを孫が教えてくれて、ホントに写真や動画が撮れるのか試してきた

 

     

 

 確かに写真も撮れた。 みかんは今年初めて我が家で生った最後の二つである。

公園で試しに『動画』を撮ってきたら、ちゃんとこのように動画も撮れるのである。

    

 

スマートフォーンは実は2年間ほど持っていた。

孫が大学受験にアメリカから来た時に大学に行く地理が解らぬのでと、買ってやったものである。もう何日かすると、新製品が出る時期だったのだが、受験日との関係で、それまで待つことは出来なかったのである。そんなことでそれから2年間は殆ど費用の発生しない『安いスマホ』だったのである。

2年間持ってはいたが電話を掛けたのは2回ほどで、あとは専ら写真や動画を撮るのに使っていた。

2年間経って、月の支払金が高くなるというので、止めてしまって『ガラケイ』にしたのだが、本体だけは残っていたのである。

2年間は、幾らかでもお金を払って持っていたので、1円も払わなくても同じように写真も動画も撮れるのなら『これは丸儲けだ』と思って喜んでいたのだが・・・・

 

★何か触っていると、今は関係ないはずの au の画面が出て、 rfuruya1@ezweb.ne.jp という見たこともナイメールアドレスらしきものが現れて、パスワードを入れて下さい、と表示されるのである。

こうなるともうお手上げである。

このスマホを買った時に、設定などはみんな孫がやってくれたので、多分孫は解っていると思うのだが、こうなると手も足も出ない。

を触ったのが、イケなかったのだろう? つい先ほどまでは写真も動画も撮れていたのに・・・

孫に、パスワードを聞いてはいるのだが、果たしてこのあとどんなことになるのだろうか?

 

★1日経って、何かいろいろ出てくるのを触っていたら、突然元のように出来る様になった。

パスワード など入れずに、いろいろやってたら出来たので、どうして出来たのかはよく解らない。

画面に出てくる指示みたいなのを、いろいろ触っていただけである。

写真も、動画の機能も復活した。

 

    

 

マップもその他電話以外の機能も、クリックするとみんな現れて使えそうである。時計やマップなどは間違いなく使える。

果たして、今は登録だけで使えていないInstagramなど使えるようになるかどうか?

写真と動画は間違いなく撮れそうなので よかった。

 

 ★私のスマホは電話は掛けられないが、いろいろ使えるかも知れないのである。

充電さえしておけば、一切費用など発生しないのがいい。

 

 

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酉年 雑感  

2017-01-07 07:10:55 | 発想$感想

今年は酉年である。   

     

 

84歳になるので単純に12で割ったら7になったので7回目の年男と書いたら、『0歳の時、生まれた年は数えないのですか?』とコメントを頂いて、数えてみたら8回目なのである。

これはどうも8回目というほうが、正しそうである。

まあ、それはともかく、テレビでこんなことを言っていた。

 

 

 

   

 

 犬猿の仲といわれる、犬と猿、ホントに仲が悪いのかどうかは解らぬが、その間に鶏がいて、まあまあと酉年の人はその仲を取り持つのだという。

 

新春に『謹賀新年』と今年の想いをアップしたFacebook に頂いた沢山のコメントの中に岩野昭さんからこんなコメントがあって、その時は、もう一つよく分らなかったのだが、テレビの解説を聞いて『なるほど』と納得したのである。

野昭 古谷さんは酉年ですか。納得です酉年の方は仲介上手。犬猿のなか、猿年と犬年の間の年で両者の仲介役との事ですよ

 84年も生きているだけで、初めて聞くことも結構多いのである。

確かに、もめごとの当事者になるよりは、『仲介の立場』にあるほうが多かったような人生ではある。

 

★昨日の朝、突然Facebook に中山和子さんからこんなメッセージを頂いて、

新年のご挨拶を申し上げます。中山わこと申します。「農と食と観光」の6次産業化による地域活性化事業を立ち上がるべく南丹市は美山で泊まれて食べれて、体験・交流できる場づくり、サロン・ド・ビオを創設します。そこで同じ釜の飯を食ってそれぞれの思いを活かせる起業する仲間を求めています。説明会を企画します。今後ともよろしくお願いします。』

 サロン・ド・ビオ http://www.bio-cafe.jp/concept.html  と題して、その紹介ブログをアップし、

ネットやSNSを活かしましょう』と提案されているし、Facebook もツイッターも   実際に、おやりになっているので、一番最初にお会いした時の私のお話のテーマが『NPO The Good Times のトータルシステム』ということだったので、若し本格的に『やってみよう』というお気持ちがあるのなら、今年の活動の一つのテーマとして、お手伝いしてみてもいいかなと思っているのだが・・・・

と書いているのだが、昨日のうちにFacebookのメッセージでいろんなやり取りもあって、夜には電話もしていろんなお話をお聞きしたのである。

そんなことから、来週の休み明けの10日には、山中和子さん、わざわざ三木までお越しになるというのである

ひょんなことでひょんなことになるものである。なかなかオモシロそうなプロジェクトなので、若しホントにお手伝いができるなら、それは酉年最初の動きになるかも知れないのである。

確かに、これなども『不思議な仲介』が現実に実るかも知れないのである。

 

★ 中山和子さんのFacebook の自己紹介欄には、こんな肩書が並んでいる。

 

  

 

それぞれどんなことをやっておられるのですか? とお聞きした答えが以下である。

 

ビオキッチン料理の提供商品加工流通です。

 泊まれて食べれて体験交流できる場が総称ロン・ド・ビオです。
 
ビオファームは農業です。自社農園貸農園です。
 
一般社団法人は地域活性化事業ですね。
大丹波ふるさとネット、兵庫県と京都府かつての丹波の国で、観光で、ツアー等企画します。
 
 
 

 なかなか壮大で、テーマもいいし面白そうなのだが、果たしてどんな展開になっていくのだろうか?

 

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サロン・ド・ビオ

2017-01-06 11:46:14 | 発想$感想

 ★今朝、突然Facebook にこんなメッセージを頂いた。

新年のご挨拶を申し上げます。中山わこと申します。「農と食と観光」の6次産業化による地域活性化事業を立ち上がるべく南丹市は美山で泊まれて食べれて、体験・交流できる場づくり、サロン・ド・ビオを創設します。そこで同じ釜の飯を食ってそれぞれの思いを活かせる起業する仲間を求めています。説明会を企画します。今後ともよろしくお願いします。』

 

 サロン・ド・ビオ  こんなホームページが現れた。

  http://www.bio-cafe.jp/concept.html

 

 

★ 最近は物忘れがひどくて『中山わこ』さん、どなただったかな? と一瞬思ったのだが、Facebook のメッセージは過去の経歴が解るのがよくて、一番最初のメッセージ交換は

 古谷錬太郎     2015-1-18  昨日はどうも。今朝のブログです。また京都でお会いしましょう。 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/51d9a3f1162fc79a7667f97074a0cd3a

と私のほうからメッセージを差し上げているのである。

このブログ、なかなかきっちりと書いているので、若しご関心のある方は目を通してみて下さい。

 

★2015年の1月17日に、大阪ベンチャー研究会があって、私はその スピーカーを務めたのだが、そのあとのミーテングで私のすぐ横に座られた方である。何となく意気投合してすぐ京都にお帰りになるというのを引き留めて、何分か道端でお話した方だったと思っている。

こんなその時の私が創った動画だが、その1分20秒あたりに登場している方である。

https://www.youtube.com/watch?v=FkE50jdn2U0

 

★そんなご縁で繋がった『中山和子』さんなのだが、京都でいろいろとおやりなのである。

 

    

 

    こんなコンセプト で

 

  

 

  その店主、『中山和子』さんのご挨拶である。

 

    

 

   そして、『ネットやSNSを活かしましょう』と提案されているし、

Facebook も https://www.facebook.com/salonbio.kyoto/ 

ツイッターも   https://twitter.com/biofarmTamba

 

実際に、おやりになっているので、

一番最初にお会いした時の私のお話のテーマが『NPO The Good Times のトータルシステム』ということだったので、若し本格的に『やってみよう』というお気持ちがあるのなら、今年の活動の一つのテーマとして、お手伝いしてみてもいいかなと思っているのだが・・・・

わざわざ、年頭のご挨拶を頂いたので、まずは サロン・ド・ビオ のご紹介ブログである。

 

 

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カワサキの二輪事業と私 その34  昭和38年(1963)

2017-01-06 07:00:05 | 自分史

★ 昭和38年は、カワサキにとっても私自身にとっても、『新しいスタート』の年だったと言える。

前年秋のモーターショーに発表した125ccB8は、地味な実用車なのでショー会場では、そんなに反響もなかったのだが、私の1月30日の日記には『B8の評判がいい』とその感想を書いている。

 

    

 

 このどちらもネットの中にあるブログに掲載された写真からだが、カワサキ125B8とはこんな車なのである。

川崎航空機とカワサキ自販の連名広告になっているが、カワサキ自販からの広告出稿で、あの小野田滋郎広告宣伝課長時代なのである。まだ川航には広告宣伝部門がなかった時代だった。

 

    

  

  ただ、明石サイドでも、そんな広告の写真撮影のお手伝いなどはいろいろとやっていた。

この下の写真は、現在私の住んでる三木市の旧175号線(写真の青い線)のヨコにある池だが、ここでモペットM5の広告写真をカワサキ自販の細さんと一緒に撮りに来たりした。手伝ってくれたのは、当時近畿メイハツにいた吉永さん、往年大阪でちょっと有名だった『吉永オートサービス』の吉永さんである。モデルも社内の女の子という、そんな時代だったのである。

 今は新しく175号線バイパスが出来て殆ど通る方はいないのだが、私にとっては懐かしい想い出の場所なのである。

 

    

 

 

   

 

  この写真はGoogle Map から頂いたが、便利な世の中になったものである。

 

 

★ 前年の12月21日に結婚したばかりで、私自身も新しく家庭を持った年だったし9月末には長男が生まれている。自分のことで言うなら、この年の1月の給料が25900円夏のボーナスが62000円、そんな給料で生活していたのである。

世の中自体が、まだ組合運動が盛んで、賃上げ闘争などで川航でも24時間ストなどが実際に行われていた時代で、組合関係も結構重要な対策事項で、各職場には組合関係の『常任幹事』というポストがあって、何故か若手の平社員がそれにあたっていたのだが、営業部門は私、当時まだジェットにいた田崎雅元さん(後川重社長)はJETの常任幹事で、最初に出会ったのはこの『常任幹事会』だったのである。

この年も4月1日に職制変更があって、営業企画部管理係となって坂口守次さんが係長になっていろいろと業務範囲も広がったのである。先日ちょっと触れた富士登山の福田君などもサービス機能として一緒の仲間だったのである。

 

いろいろあった昭和38年だが、この年あった最大の出来事は5月の『青野ヶ原モトクロス』での1位から6位までの完全制覇である。

 

   

 

カワサキワールドにも飾られていたので、ご覧になった方も多いかと思うが、一番左の中村治道さん、その横の高橋鐵郎さん(後川重副社長)、ライダーたちはみんな社員ライダーなのである。4人のうち左から秋原・加藤・飯原くんの3人はよく知っている。秋原君は一緒に物品税の戻入立ち合い検査をやった仲だし、加藤・飯原コンビはその後も品証のテストライだったし、カワサキの最初の鈴鹿6時間耐久レースにもコンビで出場し、途中トップを走ったりしたのである。

中でも飯原武志くんは、今でも大槻・稲村のZ1開発コンビが主宰するZ1会のゴルフコンペでは、毎年4回お会いするしこの会に私を誘ってくれたのは『いいさん』なのである。このZ1会は当初は開発部門だけのコンペからスタートしたのだが、その後営業部門もレース関係者も販売店も参加しているし、最近は二輪のZファンも参加しているのである。まさにカワサキの二輪事業らしい集まりで、歴代事業本部長もその殆どがメンバーなのである。その特色は、過去の職位などは全く関係のない横一線の繋がりなのである

 

★この青野ヶ原モトクロスに出場するキッカケは、前年度鈴鹿サーキットで行われた第1回全日本ロードレースを製造部門の人たちがバスを仕立てて観戦し、『カワサキもレースを』と立ち上がってこのレース参戦となったのだが、当時はあくまでも有志の参加で、会社からの出場ではなかったのである。

まだ二輪事業を立ち上げたばかりで、レースなど何も解っていなくて、レースをスタートさせるのはなかなか難しかったと思うのだが、これを仕掛けたのは兵庫メグロの西海義治社長で、鈴鹿へのバスを仕立てたのも、この青野ヶ原モトクロスを主催したのも当時MFJの兵庫支部長もしていた西海義治さんなのである。レーサーなどについても何にも解っていなかったので、兵庫メグロにいた子飼いの松尾勇さんをカワサキの製造部に送り込んでいたのである。

この青野ヶ原モトクロスのマシンも、それ以降カワサキがモトクロスにKXという称号をつけるまでの数年間のカワサキのレースマシンはみんな松尾勇さんの手によるものだと言ってもいいのである。

西海さんは、ご自身がプロのオートレーサーで、レースにも技術的にも詳しかったし、当時の技術課長山田煕明さん(後川重副社長)とも親しくてその後も長くカワサキのレースに関与されたのである。

 

★そんなカワサキの明石サイドによる初レースが、なぜこんな最高の結果になったのか?このレースには他メーカーのマシンもライダーも大勢参加していて、後カワサキのエースライダーになる山本隆くんもヤマハのマシンで参加していたのである。

若し天候が晴だったらこんな結果には決してなっていないと思う。1位から6位まで独占という結果は、あとにも先にもこのレースだけだと思う。そんな結果をもたらしたのは雨の水溜りだったのである。

レース場は雨が降って出来た水溜りの連続で、カワサキ以外のマシンはみんな水を被って止まってしまったようである。『水対策』が完璧だったカワサキだけが全て完走して1位~6位独占という結果になったという。(後山本隆くんに聞いた話で、このことだけでも彼に喋らすと延々と喋るのである。)

当時の中村さんや高橋さん、それを支えていた川崎芳夫さんなど、このチームワークは抜群だったし、営業部門からはこのチームのマネージメントということで同じ係にいた元野球部のマネージャーをしていた川合寿一さんが参加し、私は直接関係はしなかったが小野次長の指示で、遅くまでマシン製作などしていたメンバーへのパンなど差し入れをしたぐらいのことなのである。

 

★この青野ヶ原のレースの結果は、当時の明石サイドの二輪部門関係者にとってはまさに朗報だったし、特に製造部門を中心に最高に盛り上がったのである。

 たまたま、この年は前年度のB7などの不振などから、会社としては日本能率協会に大掛かりな調査を依頼していて、長期間に亘って、販売・生産・技術部門などの現場の聞き取り調査が行われていたいた時期なのである。

二輪事業をこのまま続けるべきか否か』 日能のその判断要素の中に、この『青野ヶ原モトクロス』の結果が大きく影響したことは間違いないのである。

その結論は、幾つかの条件を付けて『この事業続けるべし』という結論に至り、昭和39年度1月、『単車再建』を旗印に新組織の立ち上げに繋がっていくのである。

 

昭和38年というのは、そんな特筆すべき年だったのである。

1963年、11月23日にはアメリカ大統領ケネデイが暗殺された、そんな年でもあった。

 

 

★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/

 

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人の生き方 雑感

2017-01-05 07:08:29 | 発想$感想

★人生というのは人それぞれいろいろな生き方があると思う。

どのように生きようとそれは『自由』だと思っている。

私自身の生き方の基本は『差別化』だと思っているし、今もそのように生きている。

今年も自分の思うままに生きることになるだろう。

 

生きる目標が、お金であったり、社会的地位役職であったりする人もいる。

どうもそんな生き方がいやで、『何をやりたい』と思ったことはあるが、『何になりたい』と思ったことはない。

会社の役職などは、オーナー経営者でない限り そんなに魅力のあるものでもないのではなかろうか?

そういう意味では、いろいろお付き合いのあった販売店や、レース関係者のほうが、『オーナー的』で、オモシロい人生かも知れないと思っているし、今でもネット関係で繋がるトモダチは、それぞれがちゃんと想いがあって、なかなかいい。

その規模の大小はともかく『オーナー』であるということは、『自分の想い通り』に生きようという人たちである。私の周りに今おられる人たちは、みんなそんな人たちばかりである。

毎年、毎年、そんな新しいトモダチとの出会いがある生き方はなかなかいい。

 

 

★今年は7回目の年男で84歳にもなるので、ちょっと静かに余生を過ごすほうがいいのかも知れぬが、なかなかそんな気になれないのである。生きてる限り『頑張って』生きるだろう。

多分、今年もネットをベースにいろんなことをやるだろう。私なりにはバラや金魚やメダカなど、結構年寄りらしいことも、これもちょっと『差別化』されたレベルなのである。

ベースは健康、特に『体力』だと思うから、それなりに頑張っているし『体力年齢』は40代をずっと維持できている。これも別に自分で言ってるのではなくて、コンピューターがそんな評価をしてくれるのである。

 

      

 

そんななかで、特に 『ネットの世界』はオモシロい。

特にFacebook はイイ

いろんな意見が発信されるが、それはすべて誰が発信されているのかが明確なのである。匿名の意見などは、ネットの世界では通用しないのである。そこに発信される意見に対しては、それを見る方から、それなりの評価なり感想が戻ってくるのである。

その評価は、Google や Yahoo が 公平に評価してくれる。今の世の中はそんな時代になっていて、従来の『世の中の常識』は過去のものになりつつある。

今年は、それが政治の世界にも及ぶかも知れない。橋下徹さんや小池百合子さん、そしてトランプさん、みんな従来の常識外の方である。特に橋下徹さんは、『役職の外れたいま』も尚いろいろな影響力を持たれている。遊んでいるようで周囲の人たちが、何となくその周りにいっぱいいるのがいい。

 

私自身も、私の周りに集まって繋がっている沢山のトモダチたちと一緒に、毎日ネット上でお会いして、いろんな情報交換ができていて、その方たちは、何十年来のお付き合いのある方もいるし、ごく最近繋がった方もいる。

そんなトモダチたちと共に、この1年も従来と同じような『スタンス』で生きていこうと思っている。

4日は『仕事はじめ』だという。

そんな日に、今年の生き方の雑感である。

『自分の想い』に正直に生きたいと思っている。

 

今年もよろしくお願いします。

 

  

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