白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「デフレ型犯罪」。

2024-06-01 17:36:10 | 日記

5月31日(金)曇り。

朝食は、抜いた。昼は、久しぶりに焼肉ランチに出かけたがあいにく休み。仕方がないので、気になっていた焼き肉屋に入ったが、一人2千円のランチが最悪だった。締まりのない月末となった。食後に有隣堂に行き、産経の「ロングセラーを読む」に掲載されていた本を探すが、「在庫なし」。ついていない。夜は、カツオの刺身、はんぺん焼、総菜の味付け鶏肉焼、お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

帰宅後に、コオヒイを飲みながらひねもす読書。久田将義さんからご恵送頂いた『特殊詐欺と連続強盗』(文春新書)を読む。

「それにしても、特殊詐欺で数十億円も荒稼ぎしていたグループが、リスクの高い強盗にまで手を染めたのは何故か。その理由のひとつには、情報技術(IT)の進化により、「匿名性」の確保が容易になったことがある。詐欺と強盗とでは、捕まって有罪になった際の量刑に大きな差がある。詐欺ならば最長でも懲役10年だが、強盗の場合は20年や30年、被害者を傷つけたり死なせたりすれば無期懲役や死刑もあり得る。しかし、匿名空間の闇に隠れ、実行犯を使い捨てにする黒幕たちは、大した違いを感じなかったのかもしれない。そしてもうひとつ、この特殊詐欺と連続強盗に共通するのは、「現金を手っ取り早く手にする」ことを志向する、日本経済の長い低迷期に生まれた「デフレ型犯罪」だということだ」。とは本文から。まだ、半分くらいしか読んでいないが、こういった本が犯罪の抑止になればと思っている。

 


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不埒な読書三昧。

2024-05-31 18:02:16 | 日記

5月30日(木)晴れ。

朝食は、抜いた。昼は、総菜で買った天ぷらを煮て卵でとじた煮天丼。夜は、湘南餃子、冷食のカレーコロッケ、ナスのかば焼き。500ミリのドライビール1本でやめた。

起きてから、体調が悪く一日どこも出かけずに自宅にいた。昨日、事務所に行くと郵便受けが一杯になっていた。様々な案内状やダイレクトメールの他に『月刊日本』、大東塾の『不二』、愛知の栗野さんが発行している『牛喘荘通信』に加えて旧知の久田将義さんから新刊本『特殊詐欺と連続強盗ー変異する組織と手口』(文春新書)とお世話になっている山平重樹さんからは『山口組のキッシンジャーと呼ばれた男ー黒澤明その激動の生涯』(徳間書店)の二冊の献本。

自宅に帰るのももどかしく、京急の井土ヶ谷駅の近くのマクドナルドで、まず山平さんの本を読んだ。第一章は「政府に見捨てられた青年」。黒澤会長や野村先生が尽力してフィリピンのイスラムゲリラから解放した石川カメラマン救出の一部始終だ。浜松町にあった旧野村事務所にて、石川さんの救出に関して行った週刊誌『プレイボーイ』の編集者や国際浪人とか言うW氏などとの会談。私はその場にいたが、詳しいことはほとんど記憶にない。その時のことが、まるで昨日の出来事のように描写されている。さすがは山平さんと感心した次第。

群青忌などでお世話になっている平早カメラマンなど、身近な人たちが登場するので、あっという間に読了してしまった。本の表紙の写真には、お元気だった頃の黒澤会長の写真が使われている。私は、現役の頃の黒澤会長とはご縁がなく、初めてお会いしたのは昭和60年で、場所はマニラだったと記憶している。もちろん野村先生のご紹介であることは言うまでもない。山平さんの本を読んで、改めて黒澤会長の偉大な人となりを知り、感銘を受けた次第。以下は、その本の帯から。

山口組分裂を機に断腸の思いで渡世から足を洗った男はいまだ胸にたぎる情熱、その燃焼先を求めてフィリピンへと渡った。そこで反政府ゲリラによる「日本人カメラマン人質事件」に直面する。かつて対立してきた組織との間に緊張緩和をもたらした手腕から、現役時代は米国の”外交のプロ”とたとえられた男は、その交渉能力を捕らわれた青年救出のために発揮していく。だが、警察当局は放っておかなかった。男は世間を震憾させた「グリコ・森永事件」の”首謀者”とされて厳しい追及を受けることに……。さらに、縁があった大山倍達の遺言の立会証人となったことから、皮肉にも「極真空手の分裂」に巻き込まれていくー。引退後も波瀾万丈な運命をたどった侠、黒澤明の生涯を丹念に追ったノンフィクション!

しばらくは、不埒な読書三昧が続く。ふふふと頬が緩む。


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ナポリのカゴシマ。

2024-05-30 13:57:28 | 日記

5月29日(水)晴れ。

朝食は、豚肉とキャベツのオイスターソース炒め、小さいチキンラーメン。昼は、メンチカツパン1個。夜は、鶏肉と大根、こんにゃくの煮物、鶏肉の塩焼き、ナポリタン、水ナスの漬物。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

今朝の産経に面白い記事があった。それは、インドネシアのシンガポールから船で50分ほどの距離にあるバタム島という島の港に近い繁華街の地名に「ナゴヤ」があるそうだ。正式な地名は「ルブクパジャ」というが、一帯ではナゴヤが俗称として完全に定着しているそうだ。残念ながら、由来は不明。この記事を読んで思い出したことがあった。それは、今から32年も前の9月。野村先生のお供をしてローマからシチリア、パリを旅した時の思い出。

その途中で寄ったのがナポリ。有名な「ナポリを見てから死ね」という言葉ある。その風光明媚ぶりを評して記した言葉である。一泊しただけではあったが、ホテルは、サンタルチア港に面したエクセルシオール。眼前にはライトアップされた卵城がとても幻想的だった。左側にはベスビオ火山。噴火の際の火砕流でポンペイを埋没させたことで有名な火山である。街灯の下で、若いカップルが抱き合ったまま動かずにいる。映画のワンシーンを見ているようだった。翌日、街を観光した時に見つけたのが、バー・カゴシマ。何でもオーナーが、若い頃に鹿児島にいたことでお店の名前にしたらしい。残念ながらオーナーには会えなかったが、ナポリと言うと、風光明媚な街並みよりも、なぜかそのお店を思い出す。


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楠公祭へ。

2024-05-28 08:28:10 | 日記

5月25日(土)晴れ。楠公祭。

朝食は、抜いた。昼は、仕事が休みの上の子供と一緒にスープカレー。夜は、盟友にお世話になり迎えに来て貰った愚妻と一緒に某ホテルにて夕食。

JRの保土谷駅にて大悲会の志村会長、友人の野澤君と待ち合わせて。一路東京へ。新橋から地下鉄の銀座線、千代田線に乗り換えて乃木坂駅へ。乃木坂と言うと、必ず思い出すことがある。1年前に書いたものを引用します。覚えている方は、笑い飛ばしてください

私が好きな歌に、梓みちよの「メランコリー」というものがある。発売は昭和51(1976)年、私は25歳。その頃は、東京で遊ぶなんてことはほとんどなく、六本木や赤坂など、通り過ぎることはあっても、飲食のために行ったことなどなかった。「メランコリー」の歌詞の中に「それでも乃木坂辺りでは、私はいい女なんだってね」というものがあって、勝手に乃木坂と言う所は、とってもオシャレな場所であると思っていた。梓みちよのような芸能人が、さっそうと歩いているんだろうな、と。

後年、乃木神社で開催される「楠公祭」に参加するために千代田線の乃木坂駅で降りた。頭の中に「メランコリー」の歌詞が何度もリフレーンしていた。外に出た。ん?が目の前をぐるぐると回った。何だよ、神社以外に何もねぇじゃないか。「メランコリー」、「晴れ晴れとしない、落ち込んだ気分」。そのままじゃねぇか。しかし、今でも乃木坂を歩くと、その歌を口づさんでしまう。

3時半に乃木神社着。境内では古式ゆかしく結婚式が行われていた。犬塚博英先輩や先着の諸先輩、同志の方々にご挨拶。先日の伊豆高原の断食でご一緒だった谷田茂氏や「桜応援団」のお花見でご挨拶させて頂いた、本日の講師の元陸将、軍事評論家の福山隆先生、更には、私のこのブログを10年以上読んで頂いている弁護士の先生など、この歳になっても素晴らしい方々との新しい出会いがある。感謝しなければと思っている。

厳粛に楠公祭は行われた。横山孝平氏の「祈願詞」を聞きながら感激しつつも、20数年前に初めて楠公祭に参加したころの自身の熱き思いが蘇り、現在の自分の姿が情けなく思えて仕方がなかった。


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産経の「朝晴れエッセー」が好きだ。

2024-05-26 15:29:29 | 日記

5月24日(金)晴れ。

昨日、余り寝ていなかったので爆睡した。7時に起きた。朝食は、昨夜の残りの牛丼とシジミの味噌汁。昼は、やはり昨日買っておいた「ナンドック」1本。夜は、ピーマンとジャコのオイスターソース炒め、ネギチャーシュー、タンドリーチキン。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

10年ほど前までは、新聞を3紙取っていた。しかし、読了した新聞がどんどんたまって邪魔になるのと、懐の不如意が続いたため、現在では産経一紙のみである。起床後にのんびりと一時間くらいかけて読む。一番最初に目を通すのが、読者の寄稿する「朝晴れエッセー」である。2,3行読んだだけで、お歳が大体わかる。同輩だ、もう少し上の方だ・・・と。しかし皆さん文章がとても上手だ。月末頃に、その「朝晴れエッセー」の月刊賞が決まる。これも楽しみである。自分の予想が当たった時、「やっぱりこれか」と嬉しくなる。

25日(これを書いているのが26日なので)のエッセーは「メジャーリーガーと戦った父」という87歳の方のもの。かつて台湾の中学に学んだ投稿者の方の父は野球の選手で、1921(大正10)年にアメリカのメジャーリーグの一行が日本経由で台湾を訪れ、同年の1月に、台湾1中の校庭でオール台湾と試合をした。その時のピッチャーが投稿者の父で、その時の写真が祖父のアルバムにあった。

試合は、当然ながら24対0でメジャー側の勝ち。その写真の載っているアルバムは日本野球殿堂博物館に寄贈されたそうである。寄贈する前の2017年にそのアルバムを持って台湾の1中を訪ねたそうだ。すると「100年前の卒業生の息子が来てくれた」と台南市長などから大歓迎を受けた。その時、台南市長だったのが、先日、台湾の総統となった頼清徳氏。台北へは何度か行ったことがあるが、台南には行ったことがない。元気なうちに行って見たいと思っている。

 


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