白雲去来

蜷川正大の日々是口実

書店の好き嫌い。

2011-11-29 09:36:03 | インポート

十一月二十八日(月)晴れ。

 目を覚ますと一人。慌てて起きて、掃除に洗濯、キッチンの片付け。(冗談ではなく本当です)メールの確認や朝食を済ますと、何ともう十一時。機関誌に使用する紙を注文したり、郵便局、銀行と回り月末の支払いの手当てや、お歳暮の注文などして、自宅に戻ったのが二時半。

 

 みなとみらいの歯医者に行くので、上の子供を連れて行く。子供が、先週誕生日だったが、何も買ってやらなかったので、ランドマークタワーの中にある書店に行きたいというので、そのリクエストに答えた。私は、この書店が好きではない。場所柄かビジネス関連の本は充実しているが、私好みのノンフィクションやエッセイ、あるいは文学書の品揃えが少ないのだ。加えて、本にするカバーが雑で、本屋のクセに本を大切にしていない感じがする。

 

 伊勢佐木町の有隣堂は、本のカバーをするときに、本のカバーをとって、きちんと包装してくれる。これだと、読んでいてカバーがずれなくていい。また、本を入れる袋もしっかりしていて本が傷まない。ランドマークの書店は、子供が買った本を、小さい袋にギュウギュウ詰めに入れてあり、子供が怒っていた。上の子供は、私に似て、本を大切に扱う。

 

 夕食の買い物をして帰宅。今日は、夜の七時から町内のジジ・ババたちとの月に一度の飲み会がある。出かける前に、子供達にオムライスと餃子、キノコのスープを作ってあげた。

 

 九時過ぎに帰宅。休肝日にしようと思ったが、いしのまこ、ではなく意思が弱い。それにしても、大坂のダブル選挙での維新の会のパワーには恐れ入った。「文春」も「新潮」も男を下げた(女もいるが)感がある。これから既成政党は戦々恐々とするに違いあるまい。民主、自民、共産党の相乗りとはひどすぎる。こういった人達に常識を説いても無駄なような気がする。結局、国会もこのように出来レースなんだろうな。

 それにしても三日分のブログの更新はしんどい。


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忙しい一日だった。

2011-11-29 09:14:49 | インポート

十一月二十七日(日)晴れ。

 午前中に、菊水国防連合の大塚正美氏迎えに来て頂き、戸塚のレストランにて行なわれる菊水国防連合の新役員の顔合わせ会に出席した。

 

 実は、この菊水国防連合は、私の出身母体である。菊水国防連合の前身、菊水国防隊に正式に入隊したのが昭和四十七年のこと。その後に、野村先生の後を継いで大悲会の会長となった。平成の二年に、大悲会を後進に譲り、先生の出版社を引き継いだ。

 

 菊水国防連合は、創始者の小早川久之総裁と会長の三田忠充氏のお二人が相次いで亡くなられた。これは単に、菊水国防連合だけの痛みではなく、神奈川県の民族派にとっても大きな痛みでもあった。お二人の衣鉢を継いで代表となったのが田代厚氏である。執行部も一新され、その顔合わせがあり、相談役に名を連ねている私が招待をされた。

 

 会場には、周本昌山氏や三田会長のご夫人や懐かしい人たちが大勢いて、楽しい食事会となった。相談役としてご挨拶をさせて頂いた。夜に、忘年会があるので、酒は飲まずに、ウーロン茶のみで失礼した。

 

 夜は、周本昌山氏に送って頂き、二子玉川のレストランへ行く。二子玉川へ来るのは久しぶりの事だ。随分前の事だが、玉川高島屋の前に、「菩提樹」というレストランがあって、良く通った。地下に降りて行く階段の壁には日本鋼管の溶鉱炉のレンガや、日本工業倶楽部で使用していた椅子。あるいは蒋介石が愛用していたという椅子などがあり、壁には書画骨董が沢山飾ってあった。

 

 エビフライや、サービスのおしんこがとても美味しかった。カメちゃんの奥さんが、その近くで仕事をしているので、教えてあげたら、今はやっていないとのこと。いいお店だったのに残念。

 

 忘年会では、大行社の会長や執行部の方たちと歓談しつつ「伊佐美」で酔った。帰りは、仲程通也、大塚正美の両氏に送って頂き帰宅。


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酉の市

2011-11-29 08:39:45 | インポート

十一月二十六日(土)晴れ。三の酉。

 いつも思うのだが、子供の頃は、三の酉の市に行く頃には、寒くてオーバーなどを着て十分な防寒をして行ったものだ。それを考えると、最近は随分と暖かくなったような気がする。昔は、マンションなど少なく、商業ビルもこれほど多くなかった。人口の増加もあるだろうが、それらの人たちが一斉に冷暖房はもとより、電気を使用するのだから、それが環境に変化を与えているのだろう。

 

 サリーたちから誘われて下の子供を連れて三時に酉の市に出かける。まだ時間が早いのか、のんびりと屋台を冷やかして回ったが、最近は子供も大きくなって、金魚すくいや射的などに殆ど興味を示さない。それでも、たこ焼き、アンコ巻き、大判焼などを買ってあげると喜んでいた。その後は、サリーたちと「かつ半」というトンカツ屋さんに流れて食事会。

 

 「かつ半」に、カメ&アコちゃん、大工のヒデちゃん、京子とアイリちゃんたちが合流して、食後に再び、酉の市へ行くが、先ほどとは違って、凄い人で歩くのも大変。とても屋台で一杯、というわけには行かずに、仕方がないので藤棚商店街にある「愛福楼」という中華料理屋に転戦。土曜日とあってか、この店も忙しかった。皆で、紹興酒を三本あけて解散。

 

 今年は三の酉まであった。三の酉まである年は昔から火事が多いと言われている。立冬の前に一の酉が来た年は、三の酉まである。今年は、一の酉が二日で、立冬が八日。従って三の酉まであったわけだ。この酉の市に行かないと、どうも年末という気になれない。酉の市が終わると、横浜も本格的な寒さに包まれる。

 


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憂国忌

2011-11-27 08:43:39 | インポート

十一月二十五日(金)晴れ。憂国忌。

 歳のせいか、何時に寝ても七時ぐらいには目が覚めてしまう。食後にパソコンに向っていると、寝不足と目が疲れて、ついウトウトしてしまう。気がつくと椅子で寝ている。気をつけなければ。

 

 今日は、憂国忌である。言うまでもなく昭和四十五年のこの日、市ヶ谷台の自衛隊東部方面総監室において自決なされた三島由紀夫、森田必勝両烈士のご命日。元日本学生同盟(日学同)の人たちが中心となって追悼祭「憂国忌」を開催している。そして今日、その「憂国忌」は季語となって定着している。

Photo

  三島由紀夫烈士辞世
 益荒男がたばさむ太刀の鞘なりに 幾年耐えて今日の初霜
 散るをいとふ 世にも人にも先駆けて 散るこそ花と吹く小夜嵐

 

 私は、この、いわゆる「楯の会事件」に触発されて民族派運動に入った。人生に「もし」はないが、敢えて言うならば、もしその事件がなかったならば、きっと私の人生も違ったものになっていたのに違いあるまい。当然、野村先生との出会いもなかった。もちろん我が人生に悔いなどない・・・。

 

 久し振りに「朝まで生テレビ」を見た。例の「暴排条例」の特集で、木村三浩氏や宮崎学氏など旧知の方が出演して、治安維持法に変わろうとする稀代の悪法(条例)に対して、堂々と論戦を展開していた。私は、警察官は好きだが、現場を知らない警察官僚などの作る条例や法律は、最初から「危ない」という先入観がある。久し振りに見ごたえがあった。それでも、その場に野村先生や遠藤誠先生がいてくれたならばと、しみじみ思った。


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野分祭

2011-11-27 08:04:46 | インポート

十一月二十四日(木)晴れ。野分祭。

 今日にかけてかねて誓ひし我が胸の 思ひを知るは野分のみかは

 

 昭和四十五年十一月二十五日に、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室において、憲法の改正、自衛隊の国軍化などを訴えて三島由紀夫烈士と共に自決なされた、森田必勝烈士の決起前夜に思いを馳せて毎年この日に「野分祭」が行なわれる。

 

 随分と前の事だが、私も発起人に名前を連ねたことがあった。何回目の野分祭か失念したが、正座してお祭りを行なったことがあった。だらしないことに一時間以上も正座する生活など殆どしたことがない私には、足が痺れて本当に辛かった。正直言って、玉串奉奠に指名されないようにと下を向いていた。ある同志が、指名され立とうと思ったら倒れてしまったのを見て、ますます身をすくめた。

 

 そんな会場の雰囲気を察したのだろう、司会の犬塚博英さんが、「森田烈士が腹を切った痛みに比べたら、足の痺れぐらい何だ」と言うようなことを話された。それを聞いた途端、足の痺れを感じなくなった。というのは嘘で、這ってでもその場から逃げ出したくなった。

 野分祭に参加すると、いつもその時の事が頭に浮かぶ。そして私の腸の腐り止めとなっていてる。

 

 一水会の若い人が読む檄文を聞いていて、自堕落な日々を過ごしている自身を反省するばかりである。三島烈士が市ヶ谷台において自衛隊員を前に訴えた言葉を今一度噛みしめて見たいと思っている。

 

 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。

 

 終了後に、大熊雄次氏に誘われて、松本佳展君と共に湯島のお蕎麦屋さんにて食事。


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