白雲去来

蜷川正大の日々是口実

合同歌集「國風」の頃。

2014-02-26 10:29:06 | インポート

二月二十五日(火)晴れ。

昨日、盟友の「断酒」について書いたが、その英断にはただ脱帽した。私何て、意志が弱くてとてもできない。友人氏は、我が道の兄であった元楯の会の故阿部勉さんの歌を引き合いに出していたが、その阿部さんの歌は、今から十六年前の平成十年に森田忠明氏が尽力して展転社から出版した合同歌集「國風」に収録されたものでる。監修は杉田幸三先生。

Photo ※「國風」です。

この「國風」には森田忠明氏が主宰していた「櫻風亭歌會」の同人や氏の友人、八十五名の人たちが、それぞれ十の歌を作って参加している。その中の七割は存じ上げない人で、お付き合いのある三割が民族派運動の同志の人たちである。久ぶりに頁を開けば、阿部さんの他には、本渡諏訪神社の大野康孝氏、木村三浩氏、四宮正貴氏、島田康夫氏、西村修平氏、野呂道則(岡崎一郎)氏、展転社の藤本隆之氏、森田忠明氏、国民新聞の山田惠久氏、もちろん私も駄歌で末席を汚している。


阿部勉さんの「春も酒」と題した歌は、阿部さんがその歌集が出版されてから七年後に亡くなられたことから「辞世」のように言われている。特に、「われ死なば火にはくぶるな「栄川」の二級に浸して土に埋めよ」は、阿部さんの代表歌のようになった。他には、「百万の桜の下に酔ひ臥して恥濃きわれををののき嗤ふ」、「盃に浮かぶ花弁の十重二十重わがあやまちの数に似てをり」、「数知れぬ過失は酒とともにありその酒抱きてけふも堕ちなん」、「五十路を超えて思い満つるは母のこと国のありさま子らの行くすゑ」などが好きだ。


生前の阿部さんを知っている人ならば、この短歌を読んで「さもありなん」と思うに違いあるまい。今や民族派の酒仙の域に達している展転社の藤本氏は、この当時はいくらか自制心が効いていたのだろうか、こんな歌を詠んでいる。「たのしみは奴を肴に酒一合飲み過ぎもせず飯を食ふとき」。ケッ!何言ってんの。と言う感じだが、まあこんな時もあったのでしょう。「さだめなきと辞世詠みたるその人の友へ遺せる言の葉おもし」は、もちろん野村先生のことを詠んだものだ。


猪瀬元東京知事の問題でマスコミを賑わした一水会の木村三浩氏の歌は極めて暗示的である。「憧憬と脚光まじるマスコミに真(まこと)のなくば妙に悲しき」と。もう一首「上を見て下をつゆ見ぬ利己主義を奉ずる輩の小手先の言」とは、元知事かそれとも徳洲会なのか・・・。


我が盟友の野呂道則氏は青森の産。「五能線電車にゆられ野を行けばお岩木山の目に迫り来る」、「津軽富士と称へられたる岩木山わが津軽野を見守りて聳(た)つ」、「藤崎は今は亡き母生(あ)れしとふ町にぞありける母の恋しき」、「西ゆけば深浦町ぞ北させば太宰の里の金木町なり」。ちなみに愚妻の故郷は深浦町です。


私は、「漢家の烽火」と題して同じく十首。題の意味は、秋になると万里の長城を超えて漢の都に攻め入ってくる匈奴(きょうど)の侵略を知らせる烽(のろし)のことです。漢の時代には、道々に「烽火台」という物が作られ、煙を上げて危急を都に知らせたそうです。「月光を背負いて走る青狼の匈奴せまるか漢家の烽火」、「寒風に吼ゆる別れの筑の宴ゆきし壮士のまた還らざる」、「屈原の離騒賦あはれ身を投げし汨羅の淵に春なほ遠し」。とつまらんものを作りました。汗顔、赤面、低頭します。


今日は、二十五日、特に今月は固定資産税、市県民税、法人県民税、印刷機のトナー代(これが結構高い)、紙屋への支払い、まだあるNTT、KDDI・・・。う、う、う、わあっーと叫んでもどうにもならない。友人の情けにすがって何とかクリアーしたが、精神的にへとへとになった。夜は、当然、酔狂亭で、てゃんでぇーベラボウめと月下独酌。酒だけは避けられない。嗚呼!


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酒友が戦線を離脱。

2014-02-25 11:10:02 | インポート

二月二十四日(月)晴れ。

午前中に、盟友から「戦線離脱」のメールが入り、心配になった。そのメールとは「人の世に楽しみ多し、しかれども酒なしにして何の楽しみ!」で始まり、本文は、我が兄、故阿部勉さんの酒の歌「春も酒」の一首、「数知れぬ過失は酒とともにあり その酒抱きてけふも堕ちなん」を引用して「断腸の思いで、酒をやめることにしました」。とあって愕然とした。


テレビのニュースで女流棋士の林葉直子が末期のアルコール性肝硬変で余命いくばくもないことを公表したばかりなので、もしや同じ病気か、それとも酔って何か間違いを犯し、御用となったのか心配になったので、すぐに「なぜ」と返信をした所、「医者として・・自分のカラダの管理が出来てなく情けない限りです」とメールが来た。余計に心配になって、メールでは埒が明かないので直接電話をした。


どんな答えが返ってくるのかドキドキしたが、本人いわく「呑むと度々記憶がなくなる。仕事柄、これでは困るので意を決して酒をやめます」。少し安心した。私だって、そんなことはしょっちゅうある。アルコール性の脳軟化症の前段階で、その気持ちは良く分かる。T転社のF本社長(こう書けば誰だか分からないだろう)なんて、歩く脳軟化症で、電話をしても酒臭い息が伝わってくるくらいだから三分前の約束さえ忘れている。


私もそうだ、「昨日待っていたのに、どうして来なかったのよ」。などと抗議の電話を貰うことがある。どうやら酒席で約束をしたらしい。本人は全く記憶がないので、???となる。だから、最近では飲む前に、何か約束をしたら、確認のために明日また連絡してね。と断りを入れる。若い同志などと飲む場合は、私は酒が入ると秘密が保てないので、大事な話はしないようにと、断ってから飲むようにしている。


たいした日々を過ごしている訳ではないので、酔って記憶が飛んでもそれほど差支えはないが、怪人、H川先生は仕事柄、そうはいかないのかもしれない。これからは「飲んでますかぁー」とメールが入らなくなるのが寂しい。体調を戻して、一日も早い戦線復帰を願うばかりである。


夜は、月に一度の町内のジジババたちとの懇親会を近所のラーメン屋さんの「たつ屋」で行った。途中から愚妻も参戦。H川先生のご冥福、ではなかったご快癒を祈って、中破・良飲の夜でした。

Cimg2916 ※さあーて戦線離脱したのはどなたでしょうか。


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四時間飲めるが、四時間も走れない。

2014-02-24 11:58:15 | インポート

二月二十三日(日)曇りのち晴れ。

ソチオリンピックが終わった。下の子供を小さい頃にアイススケートに通わしていた関係もあって、フィギアスケートは、家族で見た。何と言っても、羽生さんの金メダルに尽きるだろうが。残念だったのは真央ちゃん。このくらいの選手になると、二位も六位も、極端な話ビリでも一緒だ。常に一位であることを期待され、そのように戦ってきた真央ちゃんにとっては、金メダル以外頭にないだろう。とりあえずメダルを取れたことや入賞したことで満足しているような選手とは格が違うのだ。だからこそ彼女の重圧は計り知れないものがあったに違いあるまい。スキーのジャンプの高梨沙羅さんだって同じだ。トップアスリートの宿命かもしれない。それだけに、真生ちゃんのフリーの演技では感動させて頂いた。歳のせいなのか、涙腺が緩んで仕方がなかった。


かつてのメダリストがテレビに出ていて、「楽しんできます。何て言うのは、実力のない選手の逃げ口上だ」と。全くその通りだと思う。古いかもしれないが、国家の代表として出場する以上、国家と国民の期待を背負っている。と言う意識がないのは、選手として失格であると思う。楽しみたいのなら自分のお金で参加してしたら良いと、年寄りは思ってしまうのである。


朝起きて、テレビを観たら「時事放談」と言う番組で、石破さんと前原さんが出ていた。途中から見たので何とも言えないが、まだNHKの経営委員の問題、百田、長谷川両先生のことを話していた。いい加減にしろよ。と言う感じである。番組を最初から見れなかったのが残念。


東京マラソンに、群青忌の実行委員長である隠岐康氏が参加した。ずっーとテレビを見ていたが、あんなに大勢の人たちが走っているのでは、何処にいるのか全くわからなかった。走り終えた隠岐さんからメールがあって、残念ながら四時間切りは達成できなかったとのこと。それでもお疲れ様でした。中学、高校と陸上部に籍を置いていたが、それも遠い昔の話。四時間飲むことはしばしばあっても、四時間も走っていることなんて何て考えられない今の私です。


夜は、久しぶりにカメ&アコちゃんと待ち合わせて西横浜の「颯」へ。ようやく出歩けるような体調に戻った。「颯」では偶然にも知った人ばかりで楽しかった。その後「やまと」へ転戦。何でも近々、「おんな酒場放浪記」の撮影があるとか。楽しみである。十時前に帰宅。体調は九割回復。


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名は体を表すか?

2014-02-24 09:58:20 | インポート

二月二十二日(土)晴れ。

 

お陰様で体調は徐々に回復しつつある。酒が「美味い」と感じる身体になるまでもう一息である。土曜日でもあるし、大事をとって一日自宅にいた。何をしたかと言えば、ただ非生産、非知的な時間を単に浪費していたに過ぎない。

 

先日書いた「名は体を表す」についてだが、大体の親は、子供に「こうあって貰いた」。あるいは、「このような人になって貰いたい」と思って名前をつけるのではないだろうか。世界的に有名な指揮者の小沢征爾氏は旧満州で生まれた。父の小澤開作は歯科医師であったが満州国協和会創設者の一人で、同志で満州事変の立役者となった板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつ貰って第三子を「征爾」と命名した。協和会とは、満州国政府と表裏一体となって建国理想(王道楽土の建設)の実現を図るべく、国民に対する教化を進めた団体である。

 

世界的な指揮者である小沢征爾氏の名前が、関東軍高級参謀として満州事変を決行し、大東亜戦争においては第七方面軍司令官として終戦を迎へ、東京裁判にて死刑判決を受け処刑された板垣征四郎と彼の畏友でもあった石原完爾の名前から一字ずつを取ったことを、彼のファンのどれほどが知っているのだろうか。

 

また、過日、国会の予算委員会にて、野村先生の肩書を誤解して発言をした有田芳生氏の名前は、日本共産党の熱心な活動家だった両親により、ヨシフ・スターリンのファーストネームにちなんで「芳生(よしふ)」と名付けられた。ちなみにご本人も以前は日共の党員であった。

 

残念ながら、現在では、男の子に板垣征四郎や石原完爾の字を取って名前をつける親も、また、自国民を何百万人も粛正した、スターリンの名前を付ける親などまずいないであろう。しかし、これらの名前は、善しあしは別にして、親が子供に対する期待が良く分かり「志」があって良い。恥ずかしながら私の名前の「正大(まさひろ)」は、「正気の歌」の一節、「天地正大の気、粋然として神州に鍾(あつまる)る」からとったそうだ。全く親の期待に反して、名前負けしているのは言うまでもない。

 

リクルーティングスタジオが提供している「無料 赤ちゃん名づけ」アプリのアクセスデータに基づいたキラキラネームランキングについては以前もお伝えしたが、2013年のランキングの中でもっともキラキラした名前はどれか、投票に基づき決定した「2013年ベスト・オブ・キラキラネーム」が発表された。ランキングは以下の通り。

 

2013年 ベスト・オブ・キラキラネーム

 

1位 泡姫  (ありえる) 2位 黄熊  (ぷう) 3位 姫星  (きてぃ) 4位 宝物  (おうじ) 5位 希星  (きらら) 6位 心愛  (ここあ) 7位  美望  (にゃも) 8位 今鹿  (なうしか) 9位  姫奈  (ぴいな) 10位 皇帝  (しいざあ)。まだある、15位 姫凛  (ぷりん) 18位 愛保 (らぶほ)19位 奇跡 (だいや) 20位 匠音 (しょーん) 21位 祈愛 (のあ) 。といった具合。

 

一位の「泡姫」は、ソープランドのオネエサンだと思っちゃうし、「愛保」(らぶほ)にいたっては何をかいわんや、である。ただ呆れてしまうのは、歳のせいだろうか。

 

しかし、そう呆れてばかりもいられない。参議院議員で今回のソチオリンピックの団長の橋本聖子氏の三人の子供の名前というのが、聖火(せいか)・亘利翔(ぎりしや)・朱李埜(とりの)というもの。いくらオリンピックにこだわっているからと言って、私ならグレちゃうかもね。(すみません)因みに、変わった所では、あの文豪の森鴎外の子供は、於菟(おと)、茉莉(まり)、不律(ふりつ)、杏奴(あんぬ)、類(るい)である。

 

アナーキストの大杉栄の子供さんたちは、長女・魔子、次女・エマ、三女・エマ、四女・ルイズ、長男・ネストル。だった。これは海外の社会主義者やアナーキストにあやかったとか。私の網走時代、正義と言う名前の前科十四犯のドロボーがいた。「名は体を表す」何て言うのは、全く当てはまらないことが良く分かる。キラキラネームをアホバカと一概には言えないか。

今日もおとなしく、酔狂亭で三杯打ち止めにした。


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新刊「沖縄の絆」。

2014-02-22 16:16:43 | インポート

二月二十一日(金)晴れ。

いくらか体調は良くなったが、まだ万全ではない。意を決して病院へ行くことにした。熱はないのだが、咳とくしゃみ、鼻水が止まらないので、耳鼻咽喉科か内科のどちらかに行こうか迷ったが、結局、内科にした。五分ほどの診察でもらった薬が二種類。「カフコデ」と「メキタジン」というもの。何とか効いて貰いたいものだ。

 

正午は、急ぎの用事があるという後輩たちと、権太坂のファミレスにて待ち合わせてのランチ。名簿郵送の件。昼食をご馳走になり申し訳なし。さっそく食後に薬を飲んで、自宅で安静にしていた。

 

元「週刊実話」の編集長だった下村勝二氏より「沖縄の絆ー父中将から息子へのバトンー大田實と落合晙」三根明日香著・かや書房刊、1800円(税別)をご恵送頂いた。大田實中将は、沖縄戦における海軍側の司令官である。沖縄の「海軍豪」で自決なされたが、海軍次官にあてた電文、「沖縄県民斯く戦いえり、県民に対して後世特別の御高配を賜らんことを」は涙なくして読めない。二年前の「沖縄祖国復帰40周年」を記念して「戦跡慰霊巡拝団」を組織した。海軍豪が綺麗に整備されて資料館も併設されており、ここでの戦の過酷さを追体験できた。

 

Dsc_0494 ※海軍壕にて。弊社の社友会の人たちと。平成二十四年六月三十日。


落合畯(たおさ)氏は、大田實中将のご子息で、湾岸戦争の折に機雷の掃海作戦の司令だった人だ。鎌倉にお住まいになっていると人づてに聞いていたので、いつかお会いしたいと思っていたが、今日までその機会に恵まれていない。そういう私なりの思いもあって、「沖縄の絆」をご恵送されたのは嬉しかった。心して読みたいと思っています。

Photo_3 ※ご一読をお願い致します。

体調は、八割がた戻った。もう少しである。早く元気になって問答無用の酒を酌み交わしたい。


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