白雲去来

蜷川正大の日々是口実

霜鬢(そうびん)明朝 又一年

2017-12-31 18:20:58 | 日記
十二月三十一日(日)曇り。

ぼやーっとしていても、あくせくしても、貧乏をしていても等しく年は明ける。家族四人、たいした病気も怪我もせずに新年を迎えられることに感謝しなければ。午前中から、自宅の最後の片付けを済ませ。愚妻と大晦日の酒の肴の買い出し。松原商店街は人で溢れていた。下町の商店街の喧騒が好きだ。活気があって生きていることを実感する。これが銀座などの高級な商店街なら、懐に幾らもない現状を嘆くかもしれないが、何といったって下町の商店街、かまぼこ二つと栗きんとんのセットが千円だ。こんなことで満たされるのだから、浪人は安上がりに出来ている。

大晦日になると、いつも網走の独房で寒さに耐えて過ごしていた頃を思い出す。大晦日だけは、紅白歌合戦を終わりまで聞かせてくれる。紅白が終り「行く年、来る年」の放送が始まり、横浜港に停泊している船の汽笛がラジオから聞こえる。ああ早く帰りたいなぁー。といつになく弱気になったものだ。「唐詩選」の中にある高適の「除夜作」という漢詩が胸に迫った。       

旅館寒燈獨不眠 ・旅館の寒燈に独り眠れず
客心何事轉凄然 ・客心何事ぞ転(うた)た凄然
故郷今夜思千里 ・故郷今夜 千里に思う
霜鬢明朝又一年 ・霜鬢(そうびん)明朝 又一年

本当に髪の毛は霜のように白くなって、年が明ければ六十七歳となる。正に、門松は冥土の旅の一里塚。めでたくもあり、めでたくもなし。である。
これから早々と風呂に入って「紅白歌合戦」を見ながら飲む。恙なしや。そして新年を迎える

今上陛下の御代、平成三十年が皇国はもとより皆様にとりましても佳い年でありますことを心からご祈念申し上げます。新年もまた旧に倍しまして、ご指導とご鞭撻のほどを宜しくお願い致します。皇孫弥栄。



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『極道ぶっちゃけ話』を読む。

2017-12-31 08:23:02 | 日記
十二月三十日(土)晴れ。

何だ、なんだ。もう十二月も三十日か。やること、やらなければならないことが一杯あるのに、体は一つしかない。関係各位に平身低頭である。朝食は、刺身の盛り合わせ。贅沢だなぁー。年末ならではである。ほうれんそうの味噌汁。昼は、愚妻と上の子供と買い物ついでに、井土ヶ谷のマルエツにある「ファーストキッチン」にて、海老バーガーセット。夜は、頂き物の「ズワイガニ」と大好きな、能登屋の「さつま揚げ」。

過日、NPO法人「五仁會」の代表の竹垣悟会長から、十二月十八日に発売された『極道ぶっちゃけ話』(イーストブレス刊・1500+税)をご恵送頂いた。「三つの山口組と私」という竹垣氏の述懐はまさに圧巻である。私が印象深かったのは、竹垣氏の生き様は言うまでもなく、いわゆる「ヒットマン」たちの末路である。男で生きたい。男で死にたい。という侠気は、抗争により狂気となり、ある者は逃走の果てに死に、ある者は長期の獄中生活を余儀なくされる。正に、風蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去って、復還らず。の感を強くした。是非ご一読をお勧めする。

朝は、九時から眼科へ。どうやらドライアイになったらしく。目薬を貰いに行く。何だか、瞼がたるんできて視野が狭くなる。白内障の症状がみられる。早い話がどれも加齢によるものとのこと。医者に、じゃあ金のないのも加齢が原因かと言ってやろうとも思ったが、やめた。

歳の瀬、人並みに玄関に松を飾り、鏡餅を供えた。今年も残すところ二日。一年が早い。

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酔狂亭で最後の忘年会。

2017-12-31 07:48:36 | 日記
十二月二十九日(金)晴れ。

朝食は、伊豆の「アジの干物」、「白菜」のおしんこ。「大根と豆腐」の味噌汁。昼は抜いた。夜は、我が家で今年最後の忘年会。

十二月の古異名を師走と書き、しわすとよむ。「師走」の師は僧侶のことで、年末の仏事に、多くの家で僧侶を迎えるので、僧侶は家々を走り回るので、当初は「師はせ月」というのがなまって「シハス」となったと言う節があるそうだ。忙しいのは僧侶だけではなく、これでもかと言うほどに、諭吉さんが出て行く。貧乏神とのデットヒートはいつまで続くのだろうか。

夜の肴を仕入れに、松原商店街へ行った。すごい人出である。マグロの専門店の「魚幸」などは、大勢の人が並んで、警備員まで出て整理をしている。今日買ったものを正月に食べようとすると冷凍するしかない。マグロの解凍は素人では難しく、味が極端に悪くなってしまう。今日食べるものは、今日買うのに限る。魚幸をスル―して他の店へ。良いものがあってふふふとなる。

夜六時過ぎ、二組のご家族が来訪。「カニ本舗」で買った「ズワイガニ」のむき身の鍋。得意の「タコネギ」、「ネギチャーシュー」、「マグロの刺し身」。頂いた「刺し盛り」で盛り上がる。お陰様で、この一年、恙なく過ごせた。新年も佳い年でありますようにと、杯を重ねた。

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シクラメンのかほり。

2017-12-31 07:04:14 | 日記
十二月二十八日(木)晴れ。

朝食は、「富士宮焼きそば」とタラコ。私は、焼きそばもナポリタンもご飯のおかずとして食べるのが好きだ。でも、変な顔をされるのが心配で、外ではやらない。自宅のみの「昭和飯」なのである。とエバッテもアホみたいなのだが。昼は無し。夜は、冷蔵庫から適当な物を出して、適当に食べた。早い話が、冷蔵庫の在庫整理である。

花屋さんの前を通ると、いつの間にかポインセチアがなくなり、紅白のシクラメンの鉢植えが並んでいる。シクラメンと聞くと、頭に浮かぶのが、作詞・作曲:小椋 佳、唄:布施 明の「シクラメンのかほり」。

真綿色したシクラメンほど清(すが)しいものはない。出逢いの時の君のようです。ためらいがちにかけた言葉に驚いたようにふりむく君に、季節が頬をそめて過ぎてゆきました。

昭和五十年にヒットしたこの歌には、「真綿色」と「うす紅色」、「うす紫」の三種類のシクラメンが出てくる。まず真綿色したシクラメンは「清しく、出会いの時の君のよう」。うす紅色のシクラメンは、「淋しく、後ろ姿の君のよう」。うす紫のシクラメンは、「まぶしく、恋する時の君のよう」と歌っている。花屋の店先に並んだシクラメンを見る度に、この歌を思い出し、「出会いの時の君」にするか、それとも「後ろ姿の君」がいいか、「恋する時の君」にしようかと迷う。そして買う時に、ちょっとテレる。

シクラメンは、別名「篝火花(かがりびはな)とも言うそうだ。満開のシクラメンを篝火に見立てたのだろう。「シクラメン花のうれいを葉にわかち」とは、久保田万太郎の句である。

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いつから慰安婦が「被害者」」となったのか。

2017-12-31 06:33:06 | 日記
十二月二十七日(水)晴れ。

午前中からみなとみらいのランドマークタワーの中にある脳神経外科へ。何年も通っている医者にフィルムを見て貰ったが「加齢による症状で、余り気にすることはない。一年ぐらいしたら、もう一度MRIをやってみましょう」とのことで安心する。

朝食を食べずに出たので、愚妻と中華街のへ行き、餃子が評判と言う店に行くが、混雑していた。「相席でもいいですか」と言われたが、「知らない人たちの隣で食事するのは嫌です」といったら、すぐ隣の二号店を紹介された。その店に行ったが、あまり愛想がよくない店員がいて、加えてドアが開くたびに外の冷たい風が入って来て、寒くて仕方がなかった。焼き餃子、水餃子、パイコー飯、海老ワンタンを頼んだが、どれも好きな味ではなく、「餃子に味が付いているのでそのまま食べれます」と言われ、食べてみたがイマイチだった。餃子好きの私としては、ちょっと残念な店だった。

新聞では、韓国が、慰安婦問題をめぐる二年前の日韓合意、「最終的かつ不可逆的解決」したにも関わらず、また現政権が蒸し返してきた。当時、日本が、慰安婦に対して血税十億円を支払ったことに、批判的な声もあったが、結果的には、さっさと支払っておいて良かったのではないか。結局、韓国においての「慰安婦問題」は、時の政権の国民への人気取りで利用し、日本への「ゆすり、たかり」の道具でしかない、と言うことが露呈した。大体いつから慰安婦が「被害者」になったのか。「慰安婦問題」と言うが、どこに「問題」があるのか聞いてみたいものだ。

韓国は、政府間の約束事を一方的に破棄しようとすることは、国際信用も失うと言うことが理解できないのだろうか。北朝鮮危機が眼前に迫っている時に、こんなことをして。常識を持って冷静な判断をする政治家が韓国には存在しないのだろうか。日本たたきをすれば、政権の支持率が上がる、などと言ったことをいつまで繰り返すのだろうか。困ったものだ。

夜は、スーパーで買った「日本一」というお店の焼き鳥。手羽先焼き、スモークターキーと鶏を肴に羅酔狂亭で独酌。

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