白雲去来

蜷川正大の日々是口実

蒋介石関係の史跡へ。

2018-05-30 17:17:16 | 日記
五月二十二日(火)晴れ後曇り。寧波にて。

七時に起床。八時にホテルの朝食会場へ。昨日に続き、ハムエッグスと餃子。九時にロビーへ。今日は、蒋介石関係の史跡を見学するとのこと。バスで渓口という所に行く。渓口には、蒋介石の住居跡や、中国の国立公園?の「雪竇山景区」、そして蒋介石が息子の経国らと暮らしていた建物などがある。

共産党の政権下で、国民党の蒋介石の遺跡を観光地にしているのは、少し不思議な感じがするが、恐らく台湾からの観光客を誘致するためではないかと思う。蒋介石が国共内戦で敗れ、台湾に行くまで、作戦を指揮していたという「妙高台」へ行くが、何しろ四百段以上もある階段を上らなければならない。実は、ガイドさんがいるのだが、全く日本語が分からない人で、延々中国語で解説するのだが、当然ながらチンプンカンプンである。一緒に行った方々も、多少の日本語が出来るのだが、正直言って、かなりの部分、通じなかった。

昼食も、何とか言う海鮮料理屋に行ったが、ここでもまた「ザリガニ」が出た。何でも、中国では、ザリガニを「小伊勢海老」と呼んで人気があり、チェーン店も沢山あると言う。

午後は、蒋介石の生家に案内された。途中に蒋介石に似たモデルの人がいて十元(約百七十円)で一緒に写真に撮って貰える。また邸内には、日本軍の爆撃によって亡くなった蒋経国の母の怨みを忘れまいとして、母が倒れた台所の脇の通路に、「以血洗血」(死をもってこの恨みを晴らすと言う意味)と報復を誓って揮毫した石碑がある。

夜は、中国の歴史博物館のような料理店に招かれた。正面のホールには、唐代から、清までの間、中国で古くから行われた官吏登用のための資格試験「科挙」の第一等の成績を修めた者に与えられる称号「状元」の人たちの名が描かれていた。その中に、好きな詩人の王維の名があった。

二時間ほどで、終了してホテルへ。ラウンジで少しだけ飲んで部屋に戻った。※写真は、妙高台にて、蒋介石も座ったと言われている長寿の石にて。

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八年ぶりの上海。

2018-05-29 11:55:50 | 日記
五月二十一日(月)晴れ。

今日から、「日中民間交流会」に参加するために、三泊四日の日程で上海・寧波行きの旅に出る。なぜ私が?と当初は思ったが、阿形充規先生はじめ、吉岡亜樹、若島和美、仲程通也、横山孝平の諸氏の推薦により、参加が決まった。事前の打ち合わせ会の時に目的地に上海が入っていたので、わがままを言って、戦前の面影が色濃く残る海岸通り、すなわち「バンド」へ是非行きたいと希望し、それが実現したので嬉しかった。志村馨君に迎えに来てもらい、羽田まで送って頂いた。

海外へ行くのは三年ぶりのこと。そして上海は今回で二度目である。羽田空港から午後二時半発の中国東方航空にて出発。午後五時十分に上海虹橋空港着。迎えに来て頂いた中国側の方たちとバンドへ。ああ帰ってきた・・・。との思いが去来する。外国で一番好きな場所は、ここ上海のバンドだ。八年ぶりである。以前、『燃えよ祖国』に、ここを訪れた時のことを「涙ぐんでる上海の」として書いたことがある。もっとゆっくり散策したかったが、上海から目的地の寧波までは車で四時間近くかかる。一時間ほどで切り上げた。

寧波に着いたのは、十時を過ぎていた。途中、海に架かる橋が三十六キロもあると聞いて、中国の底力を感じた。ちなみに瀬戸大橋は十三キロである。直接ホテルに行くと思ったら、レストランへ。何やら、山賊の住処を模した海鮮料理屋でまずは安着祝い。名物料理は「ザリガニ」。中国では人気のある料理とテレビ゛は見たことがあったが、食するのは初めてである。仲程会長が、皆に勧められていて可笑しかった。

十二時近くに、ホテル着。ホテルは、寧波陽光豪生大酒店。中国では「酒店」はホテルのこと。英語では、「ハワー ドジョンソン サンシャイン プラザ 寧波」という。旅の疲れから、すぐに就寝。

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全国有志大連合の東京大会に出席。

2018-05-28 13:25:22 | 日記
五月二十日(日)晴れ。

八時に東京駅にて松本佳展君と待ち合わせた。横須賀線で東京駅に着いたのだが、地下道が新しくなって、丸の内中央駅側に出るのが分からない。あっちこっち探して、結局地上に出たのが、東京駅の向かいの丸ビル。歩いて戻って松本君と合流。

今日は、民族派の協議体でもある、全国有志大連合(会長・渡邊東陽)の第三十六回大会が靖国会館にて開催され、来賓として出席した。まず、十時より靖国神社の正式参拝。終了後に、神門にて記念撮影。十一時より大会開始。来賓としてご挨拶をさせて頂いた。全有連への出席は、第十八回の横浜大会以来である。

二時半から、懇親会。終了後に、大熊雄次、本多菊雄、松本佳展の諸氏と御徒町の「吉池」へ転戦。その後「登亭」へ。何時に解散したか記憶にない。久しぶりの大破・轟沈。

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忙中閑なし。

2018-05-28 13:07:05 | 日記
五月十九日(土)曇り。

朝食は、野毛の「尾島」のコロッケ、ボイルウインナー、キャベツの千切り、豆腐の味噌汁。昼は抜いた。夜は、札幌のイカソーメン、豚しゃぶ、大根サラダ。

午後から事務所へ。夕方まで、明日の「全有連」や月曜日からの中国行への準備。好きな読みかけの本がある時は、家に帰るのが楽しい。夜は、酔狂亭で独酌。

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松岡圭祐さんに嵌っている。

2018-05-28 12:54:30 | 日記
五月十八日(金)晴れ。

六時に起床。朝食は、中華街は「聘珍樓」のレトルトの「お粥」。食後は、東京へ。秋に開催する「群青忌」の会場の下見と打ち合わせのために、一門が集まった。二時間ほどで解散。

午後から、歯医者。ランドマークの書店にて、松岡圭祐著の『黄砂の進撃』(講談社文庫)を購入。先に読了した『黄砂の籠城』(上下)は、義和団の乱にて、戦った連合軍の、いわゆる「北京の五十五日」を描いたものだが、『黄砂の進撃』は、反対に義和団の側から書かれていて、とても興味深い。当分、松岡氏の本に嵌りそうである。

ニュースでは、女優の星由里子さんが亡くなったとのこと。「若大将」シリーズのマドンナ役だった彼女が懐かしい。合掌。

夜は、酔狂亭で月下独酌。肴は、そごうにて「カツオ」「ブリ」の刺身を購入。シチケン程度で、期待外れ。お供は「赤霧島」。

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